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三十秒の決戦

 たった二時間の長い戦いに、あと数分で終止符が打たれようとしている。

 赤壁寮36点、青天寮42点。点数はイコール各寮の捕獲人数だ。

 つまり、一人捕まえれば一気に5得点を稼げる選抜メンバーを、各寮とも一人も捕まえられていないことをも意味する。

 だからこそ、最後の決戦が意味するところは大きい。選抜メンバーを捕まえれば、赤壁寮にも逆転するチャンスは十分に残っているというわけだ。


「作戦はあるんですか?」


 鬼も生き残りも選抜も、全員が集まる作戦本部のテントの下、赤壁寮の頼れる参謀は白峰に水を向ける。おそらくないだろう、という予想は言葉の調子から伝わってくる。


「ないよー。俺たちは逃げるだけだし、鬼っ子たちも好きなようにやりなよ」


 決戦を前にしながらも気負うことのない白峰は、いつもの調子で答えた。やっぱりな、という空気が辺りを包む。


「分かってんだろー? たとえ俺たち選抜が全員逃げ切ったとしても、お前らが捕まえてくれねぇと勝てねーんだ」


「……分かってますよ」


 白峰の言うことは正しい。蒼天寮に6点差をつけられている今、赤壁寮が勝つためには、少なくとも選抜を二人捕まえなければいけないのだ。三十秒間で、二人。決して容易なことではない。


「安心しろよ、作戦はもう考えてある」


「考えたのは久地だけどな」


 隊長の井瀬と副隊長の神部が尚人の両脇を固めるようにして、会話に割って入る。


「実行するのは先輩たちですから。お願いします」


 最後の決戦に参加するのは選抜の三人と鬼の三役。しかし尚人自身はそれほど足が速いほうではない。参謀として全体の動きを把握し、本部から指示をするのが役割だった。


「ま、そう言うな。一緒に追いかけようぜ」


 井瀬の言葉に、今回ばかりは神部も大きく頷いた。

 ホイッスルの音がして、両チーム合わせて6人の選抜メンバーがグラウンドの中央に集められる。鬼のスタートはグラウンドの両脇にそれぞれ設置された各寮の作戦本部からと決められている。

 決戦に参加しないほかの参加者は、テントの下で、固唾を飲んで見守るしかない。

 最後の戦いが始まる。グラウンドの中央で6人は外向きに円を描いて並ぶ。どこに逃げてもいい。しかし三十秒という短い時間の中、勝敗はグラウンド内で決することが多い。皆の見えている前で鬼から逃げ切ってやる、という意識もあるのだろう。

 修二は赤い鉛筆を握りしめ、真っ直ぐに前方を見つめていた。十数メートル先には、蒼天寮のテントがある。今か今かとスタートの合図を待つ鬼の双子が、こちらを真っ直ぐに見ていた。さながら、獲物を狙うチーターのように。


「修二、さっきは悪かったな」


 隣りから、ふとそんな謝罪の言葉がかけられる。竜だった。


「いや、あれはあれで良い話題作りになったから、もういいんだ」


 偶然とはいえ、あれで金山修二はただの兄の七光りではないという箔がついたのではないだろうか。

 白峰と話す前であればそういう考え方もできなかっただろうに、自分の口から飛び出した台詞に修二自身も驚いていた。

 竜はもっと驚いたようだ。スタートを告げるピストルの音に、一瞬反応を遅らせてしまうほどに。

 一斉に、グラウンド中央から飛び出した6人。

 同時にテントからも鬼が走り出す。獲物を狙って。

 わざわざその飢えた獲物に突っ込んでいくバカはいないので、修二はスタート合図と同時にくるりと向きを変えて味方のテントへと走り出す。

 途中、修二とすれ違った井瀬は弾丸のように真っ直ぐに向かっていく。その先には、先ほど言葉を交わした野中竜の姿があった。井瀬の大きな体を風よけにして、真後ろにぴったりとくっついて走る神部もまた、竜を追っている。


(どうして、竜だけを――?)


 少し遅れながらも参謀の尚人も続いている。しかし尚人の視線は鋭く周囲に向けられていた。蒼天寮の残り二人の選抜メンバーを牽制するように注意を払いながら。

 二人を捕まえなければ、赤壁寮の勝利はない。先に竜を捕まえてから、もう一人をという作戦だろうかと修二は首を傾げる。

 不思議なことはもう一つあった。

 修二を追いかけてくる鬼がいないのだ。

 双子も成見寮長も、狙いはたった一人――白峰六朗。

 蒼天寮はこのまま選抜が逃げ切れば勝ちなので、宿敵白峰だけは倒そうという成見寮長の思いと、先ほどしてやられた双子の復讐劇とも見てとれる。

 てっきり一対一で鬼と対峙するのだと思っていた修二は、拍子抜けしていた。これでは自分にはただ見てることしかできないではないか。


「おい、ぼうっとしてんなよ。寮長のフォロー行くぞ」


 修二の背中を叩いたのは、大木だった。


「フォローって、どうやって」


「鬼の目の撹乱。捕まえられるかもってギリギリの位置に近づいて揺さぶってやんの」


 大木に促されるまま、修二は走り出す。白峰を追う鬼を、さらに後ろから追いかける形で。電光掲示板が示す時間は、まだ十秒を少し過ぎたところだ。振り向いた鬼がこちらを追いかけてくるのでは、と一瞬身構えたが、そんなことにはならなかった。

 先頭の三坂真介が、あと数メートルのところまで白峰を追いつめる。

 蒼天寮のテントから聞こえてくる歓声が、勝利を確信する歓喜に変わりつつあった。


「白峰逃げ切れ!!」


 先を走る大木が叫ぶ。悲鳴に近い声で。

 しかし、それよりも大きな悲鳴が後方で上がった。

 同時に、ひと際大きな歓声も。

 修二は走りながら、声のしたほうに目を向ける。

 赤壁寮のテントにほど近いところで、赤い法被が青い鉢巻きを手に掲げて、


「取ったぞ寮長! 死ぬ気で走れ!!」


 井瀬の大きな声がこちらまではっきりと届く。地面に倒れ込んでいる竜に、近づく尚人。彼は手を差し出し、何かを受け取った。その手を握りしめ、静かに拳を空へ持ち上げる。

 次の瞬間、赤壁寮のテントが爆発したような歓声に包まれた。


「――そうか! 大木先輩、切り札の点数は? 一体何点のボーナスがあるんですか?」


 修二はすべてを理解した気で、前を走る大木に問いをぶつける。しかし、返ってきた答えは少し予想と異なるものだった。

 秒読みを続ける電光掲示板の数字が、二桁を切る。

 白峰はもう限界に近い。それでも、三坂兄弟の手が届くか届かないかのギリギリのところで粘っていた。

 残り9秒。


「先輩、フォローお願いしますね!」


 修二が大木の肩を叩く。そして、


「おい! 赤鉛筆を持ってるのは俺だ!」


 右手にずっと握りしめていたそれを大きく掲げて、修二は叫んだ。蒼天寮の鬼たちに向かって。振り向いた彼らは途端に顔色を変えた。

 白峰を放って、修二へと狙いを定める。


(さすがに速ぇえ!)


 心構えも距離もあったので、修二の逃げ道には十分な余裕があったはずなのに、双子たちは一気に距離を縮めてくる。


 8秒。


「もうちょっとスピード上げろ。追いつかれるぞ!」


 隣で一緒に走る大木が後ろを振り返りながら修二を追いたてる。


 7秒。


「右だ!」


 グラウンドの真ん中を突っ切ろうとした修二の耳に、白峰の声が聞こえた。

 右手には、赤壁寮のテントがある。全員が、修二に声援を送ってくれていた。

 さらに、そちらから走ってくる青い鉢巻きの姿が見えた。蒼天寮の選抜メンバー、新沼だ。後ろには神部と井瀬が追っている。


 6秒。


 修二は進路を少しばかり右手にずらす。

 大木もついて来た。当然、その後ろの鬼たちも。


 5秒。


「行けー!」


 もう、どちらの声援なのか分からない。

 たぶん、走っている誰もが皆、これは自分への声援なのだと思っていた。


 4秒。


 同じように斜めから走り込んできた新沼と進路が交差する。

 わずかに新沼のほうが前へ出ていたので接触はしなかったが、見ている側は一瞬ぶつかるのではないかと目を見張った。果たしてそのうちの何人が、この交差が、接触を狙ったものだということに気付いただろうか。

 しかし接触は叶わなかった。少しでも新沼の足を止められれば、という修二の願いは実現しなかった。

 最初から捨て身の賭けではあったが。

 しかし代わりに、修二と鬼の間に井瀬が大きな体で立ちふさがったことで、双子はその体を避けなければならないというロスを生じる。


「邪魔だ、退け!」


 カウントダウンが始まる。勝負は、このまま終わるかと思われた。


 3、


 しかし、


 2、


 一瞬の交差の最中、人の影に隠れて新沼の脇に回り込んでいたのは、


 1、


「尚人!」


 常に全体を見て、白峰の声の意味も修二の行動の意図も、すべて理解していたからこそ、あの一瞬の混乱を利用できたのだ。

 新沼にとっては、突然敵が現れたように見えたのだろう。一瞬対応が遅れ、逃げそびれたときにはもう遅い。

 尚人がほとんど覆いかぶさるような形で新沼の足を止め、その手に掴む――青い、鉢巻きを。


0《ゼロ》


『取ったー! 赤壁寮が最後の最後で選抜二人目の鉢巻きを取りました! 久地尚人が取りました! そして、金山修二は逃げ切った――最終得点を発表します。赤壁寮46点。蒼天寮42点。逆転勝利です!』


 終了を告げるブザーの音とともに、山井の声が高らかに響いた。


「……は、勝っ…た、のか」


 息が切れて声の出ない修二の背を、同じように肩で息をしている大木がぽんと叩いた。満面の笑みで。


 ほどなくテントから飛び出してきた赤法被の集団にもみくちゃにされ、こうして、修二の初めての鬼ごっこは幕を閉じたのである。


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