金山ルート
修二がここまで生き残れている理由――それはほとんど運の良さだけにあると言っても過言ではない。
すでに、鬼の数は参加人数の半数を超えていると先ほどの放送で山井が知らせていた。鬼の目が増えた分だけ、姿を発見される可能性はスタート当初よりも格段に高くなっているわけだ。
青い法被が視界の隅にちらつくだけで、臆病な修二の心臓が大きく跳ね上がった。そしてすぐにダッシュで反対方向に逃げる。これの繰り返しだ。
校舎から見つけられる可能性の高い中庭や渡り廊下を通ることは極力避け、木立ちの多い体育館から目のつけられにくい部室棟と校舎の一階付近までを、敵の見回りをかいくぐりながら移動していた。
今のところ、鬼は校舎内の捜索に人数を割いているようで、外が手薄らしいという有り難い情報を教えてくれたのは、例によって参謀の尚人である。
一か所でじっとしていると、危ない。何かの拍子に見つかったとき、瞬時に逃げる方向を判断できなくなる。敵の位置を把握しながら細かに動くのがコツだと教えてくれたのは、途中でたまたま出会った赤壁寮の選抜の大木将人だった。
自分よりも背の小さいこの先輩は、逃げたり隠れたりするのは大得意だそうだ。しかし修二がそれに納得しかけると、容赦なく殴られた。
(別に背が小さいからだなんて誰も言わなかったのに。思ってたけど)
そんな人々に助けられ、修二はまだ、生きていた。かろうじて。
日ごろの運動不足がたたってか、慣れない中腰姿勢に足腰はもう相当キている。正直、見つかればもう、ダッシュで逃げ切れる気はしない。
そんな修二の目の前を、不意に、青い鉢巻きが横切った。
「――竜!」
呼び止められた幼馴染はパッと振り向くと、そのまま修二に覆いかぶさるようにして身を屈め、植え込みの陰に飛びこんだ。
そのすぐ近くを、数人の足音が通り過ぎて行く。
「どこだ? そう遠くには行ってないぞ。渡り廊下、窓から校舎に入ったか――? 探せ!」
指示を飛ばすその声は、赤壁寮隊長の井瀬のもの。
彼らが探しているのは、自分の隣にいる竜だ。それはすぐに分かったが、修二はここにその彼がいることを味方に伝えなかった。
正確には、伝えられなかった。竜の掌ががっちりと修二の口を塞いでいたのだから。
「苦ッ――殺す気か!?」
井瀬たちが校舎内へと消えてしばらく経ってから、修二はようやく解放される。
「あ、わりぃ。だってしょうがないじゃん? 俺のいる場所バラされたら困るし」
「そんなことしねーよ」
「へ?」
「なんで俺がそんなことしないといけないんだよ」
修二の言葉に、竜は一瞬返答に詰まってから、
「……お前ね、今は俺たち敵同士なんだぜ?」
「そりゃそうだけど、教えるのはフェアじゃない」
「本気で言ってんのか?」
にこりとも笑わない修二の表情を見て、この幼馴染は冗談でもなく本気で言っているのだということを、竜はようやく理解した。
(昔っから真面目だとは思ってたけど、ここまでとはな)
「まぁそれはお前のいいところでもあるんだけど」
「なんだよ」
ぽん、と竜は気安く修二の肩を叩く。頑張れ、という意味を込めたのだが伝わっただろうか。
「じゃあ、俺もフェアに行こうか」
顔を上げた竜は、後ろ手に持っていた携帯電話を取り出し、ひらひらと修二の目の前にちらつかせる。その液晶画面には、『メールを送信しました』の文字。
「たった今、お前がここにいるってことをうちの鬼に知らせた。すぐ来るぜ」
竜はニヤリと口元を歪ませて告げた。
「なんっ……バカ竜! 覚えてろよ!」
文句を言う暇も惜しく、修二は植え込みを飛び出す。校舎の影から、青い法被が走り出てきたのはほぼ同時だった。
「居たぞ! 金山弟だ!」
(ああクソ、修二だっての)
心の中で思ってみても訂正できる余裕などなく、修二は一目散に鬼とは反対方向に走り出す。渡り廊下から校舎の中へ、一階廊下の直線を全力疾走。鬼のほうも相当走って多少疲れているのだろう。すぐに追いつかれる気配はなかったが、残念ながら距離が広がることもない。
さらに修二にとっては運の悪いことに、通り過ぎた教室の窓からたまたま青い法被が顔を覗かせ、追手に加わった。
何人が追いかけてきているのかなど振り返って確認する余裕などどこにもない。ただ前を向いて走るのみ。
しかし廊下の端に突き当たったところで一瞬、足が止まった。
外に出るか、階段を上るか。
修二の足は階段を踏んだ。
運は、まだ修二に味方をしてくれていたらしい。修二の逃げ込んだ校舎は研究棟だった。
三階へと続く階段の踊り場で立ち止まった修二は、初めて後ろを振り返る。五人の追手が階段を二段飛ばしで駆け上がってくるのが見えた。
窓を開ける。学校内で最も大きな木が、修二の目の前に枝葉を茂らせていた。
「いたぞ!」
「上手くいくかな」
次の瞬間、修二の体は窓枠を越えた向こう側へと消えて――。
「なッ――飛び降りやがった!」
鬼たちは慌てて窓に駆け寄り、下を覗き込む。しかしそこに、修二の姿はなかった。
器用に木の枝を伝って移動した修二は、いとも簡単に、隣の部室棟の二階へと辿り着いてしまう。
「マジかよ……誰か追えるか?」
鬼の一人が仲間の顔を見たが、その簡単そうに見える行為を、真似してやろうと思う者などこの場にはいなかった。ここは二階から三階へと続く踊り場である。木の高さだってそこそこある。落ちれば軽い怪我で済む話ではない。
「サルかよ、あいつ」
修二とて、実のところ命綱がなければこんな危ない橋を渡る気などさらさらなかった。彼は誰よりも手難く、石橋を十回叩いた挙句、結局渡らないような男だ。
「兄貴も無茶だよなあ」
昨年、兄の金山修一が木に結びつけていた登山用のロープは、月日が経っていても朽ちることなくしっかりと残っていた。修二はこれをしっかりと体に巻き付けて、研究棟へと渡ったのだ。昨年、兄がやったのと同じように。
「話聞いといて良かった」
まさか自分も同じことをやる羽目になるとは思わなかったが、兄には感謝しておくべきだろう。
研究棟と部室棟の間には池があるので、下を通って来るには大きく迂回しなければいけない。しばらく時間は稼げるだろう。その間に安全な場所を見つけようと、修二は再び走り出した。