赤壁と蒼天
それは、鬼ごっこ前夜のことである。
参加者へのルール確認を兼ねた決起会が寮の大広間で執り行われた。
もはやノーとは言えなくなってしまった修二も当然、そこに参加していたのだが、例によって寮長の挨拶がアホみたいに長くブーイングの嵐に愛想を尽かしかけたときだった。
「蒼天の成見寮長、来ました!」
慌ただしく駆けこんできたのは、玄関口で待機していた佐々春樹だ。
「よーし、今から呼ぶやつは一緒に表に来い! 鬼の隊長・井瀬航太、副隊長・神部了、参謀・久地尚人。そして選抜三人、大木将人、金山修二、俺、白峰六朗!」
高らかに最後に自分の名前を呼び、背の高い寮長が先陣を切って玄関先へと向かって行く。
ぼけっとしていた修二は、尚人に呼ばれてようやく自分も行かなければならない立場だということに気が付いた。
まだ、選抜メンバーだという自覚すらない状態で、修二は敵と対面することになる。
「ただのエール交換だ。そんなに気負わなくても大丈夫だよ」
尚人はそう言って気を休めてくれたが、ピリピリとした空気は嫌でも肌で感じた。
玄関口には一列に横並びで、蒼天寮の六人が頭を揃えている。
「蒼天寮より、鬼の隊長・三坂啓介、副隊長・三坂真介、参謀・成見周平。選抜は新沼利彦、古屋駿、野中竜。今年は負けないぜ。決着つけてやる」
蒼天寮の寮長、成見周平が自営軍を紹介すると、続いて白峰も同じように赤壁寮のメンバーを紹介していく。
修二が後で聞いたところによると、前年に負けたほうの寮生が、前夜にこうして主要メンバーを引き連れて敵寮に挨拶に向かうのは代々の習わしらしい。
「悪いけど、今年もうちが勝ったも同然なんだよねー。だってさ、誰がいると思う?」
白峰が挑発の言葉を発し始めた瞬間から、修二はなんとなく嫌な予感がしていた。
「今年の期待の新人! なーんと、あの俊足の卒業生、金山修一の弟修二くんがいるんだぜー!」
(おまっ…なんてことを言ってくれんだバカ! やめてくれー!!)
ふふん、と胸を張る白峰に、修二の心の叫びなど届くはずがない。
ぷっと誰かが堪え切れなくなったように吹き出した。
野中竜。修二と同じ一年生で、選抜メンバーに選ばれた蒼天寮生だ。修二は彼のことをよく知っていた。彼が、笑ってしまった理由も。
「なんだよ」
「いえ、すみません。どうしても可笑しくて」
「うちの新人バカにしたら、いくらてめぇが一年生でも容赦しないけど?」
「やめてください先輩! 俺は別にかまいませんから!」
鼻息を荒くする白峰をなぜか修二が宥めながら、その場を取り繕う。
(なんで俺が……)
野中が笑ってしまうのも無理はない。というか、修二は誰よりもその理由を分かっていた。
何しろ、幼稚園のころから腐れ縁の野中は、修二の足の遅さをよく分かっていたのだから。
白峰の勘違いで選抜メンバーに入れられたときも、修二は幼馴染の野中に真っ先に相談していた。
そういう事情をすべて知っているからこそ、野中は笑えるのだ。
だって、可笑しな話なのは事実なのだ。
先輩にかばってもらって、後輩としては嬉しいはずなのだが、その根本的な原因もまたこの先輩にある思うと修二はとてもではないが素直に喜べなかった。
◆ ◇ ◆
決戦当日、両者は再び、放課後のグラウンドで向かい合う。
鬼の三役は、それぞれの寮カラーの法被を着て、逃げ回る者は皆、ネーム刺繍入りの寮カラーの鉢巻きを巻いて。
選抜メンバーの鉢巻きにだけは、寮長直筆の有り難いメッセージが書いてあるのだが、修二はまだそれを見ていない。
正確には、見る暇がなかった。
スタート直前に選抜メンバーに鉢巻きを手渡しながら白峰は「くじけそうになったときは、こいつを握れ」と告げた。
すぐに「レディ……」と声が準備を促し、ピストルの音が轟く。
鬼の六人を残し、少年たちは四方八方散り散りに逃げ去った。
鬼が走り出すまでの猶予は、十五分。