月をこそ
高欄も霜つくような師走はじめの夜のことである。空模様は芳しくなく、空には疎らに雲が浮かんでいる。折り重なり、あるいは途切れて灰色の濃淡で色づく夜更けの、その料紙の隙間を、「透明な黒」というべきものが顔を覗かせている。そのように、色めくものもあまりない料紙に、かかる雲と重なる雲との隙間を僅かばかり埋める些細な星々というのが、点々と申し訳程度に色をつけているのであった。
屋敷の中もひどく冷え込むというのに、月も顔を見せないのだから、心うかれるはずもなく、女は次々に着物を重ねて床についていた。
特別に眠れぬ夜というのではないが、芯から冷えた体のせいか、物思いなども深く、そっと着物から取り出した指先で、乱れた髪を束ねて、乱れ箱などに入れる。
やはり、このような夜は物思いに沈むことがとても多いのである。先の戦乱のことや、昔の思い人のことなどが結わえる髪に織り込まれるように色々と思い起こされるのである。
夜の気配を彩るのが鳥の鳴き声や虫の囀りばかりである田舎にある女にとって、都で経験した出来事はたいそう華々しく思える。
ひょう、と屋敷に風が吹き込むと、いっそう心が縮むものだが、物思いの最中に女が見たのは、屋敷にかかった着物の裏にある物陰であった。ありもしない何かが来るのを待つように動きを止め、じっと、それを眺め続けていたが、風が止んでしばらくし、浮き上がった着物が萎んでいくと、ため息をこぼして手を動かし始めた。
髪結いも昔ほどはかからぬか、と思いつつも、しかし周りに人の気配のあったことを思えば、かえって億劫になったかもしれない。そんな風に寂寞の情の合間に取り留めのないことを思い起こしつつ、結わえた髪を乱れ箱へとしまう。
さて、引き寄せた着物を幾重も重ねて、形ばかり華やかに彩りながら、畳に横たわった彼女は、物思いに耽る心と同じく、重くなった瞼を閉ざした。眼裏には昔の記憶を映しながら。
夜は深まり、重なっていた雲が動いていく、散っていく。そうしていくつもの黒い影が、ゆっくりと、透明な黒を曝け出していく。温い息が白く染まる、それらが空へと散っていく様が、ちょうど雲が晴れていく様によく似ていた。
しめやかな夜の風情の中、夜もすっかり更けてきた頃に、女が目を覚ます。木々の囀りも聞こえない静けさの中、彼女がつと身を起こし、明るい方を見る。
すると、そこには白や赤、青に輝く無数の星々があった。雲が散った真冬の空に、澄み渡るほどの冷たい空気が漂っている。群れなして自らの生を高らかに謳う星々は、月のこの上ない美しさにも劣らない。
彼女の耳に届くのは、今はさざ波ばかりの声を聞く、人々の声。過ぎゆく時間の流れが厭わしく空気を凍てつかせても、なおも彼女の胸元は不思議なほど温かかった。
身を起こして重ねていた着物が一着、二着と肩からはだけ落ちる。その様が椿の花弁にもよく似ている。女は指先を揃えて胸元に手を当て、白い息を空へと返しながら目を細める。
『月をこそ 眺めなれしか 星の夜の 深きあはれを こよひ知りぬる』 ※
空へ散り行く白い息が、透明な黒に散りばめられた星々のうち、一等静かに瞬く赤い星へ向けて登っていく。
※ 建礼門院右京大夫『建礼門院右京大夫集』 251




