第1話 その3
食堂に足を踏み入れると、冷たい空気が肌に刺さった。
石造りの大きな部屋に、暖炉はある。
けれど中に火はなく、灰だけが寂しく残っている。
長机の中央には、黒パンと薄いスープが載っていた。
人数分には少し足りない量。
席には、すでに弟のユリウスが座っていた。
「レイフィーネ姉さま、おはようございます」
栗色の髪。
母に似た柔らかな面差し。
けれど頬は痩せ、瞳には影がある。
まだ十歳にも満たないその子が、
大人びた笑みを浮かべているのが痛々しかった。
「ユリウス、おはよう。調子はどう?」
「うん、大丈夫。昨日よりはちょっと元気かも」
そう言いながら、ちらりとパンに視線を落とす。
(……足りないよね、絶対)
前世の感覚で見ても、この量は完全に“飢えをしのぐだけ”だ。
成長期の子どもには、あまりにも足りない。
私が黙っていると、ユリウスが慌てて笑った。
「ぼく、細いからさ。そんなにいらないんだよ」
嘘だ。
お腹が鳴りそうなのを必死にこらえている声だ。
(やっぱり……このままじゃダメだ)
この家は、お金がない。栄養豊富な食材を買う余裕なんてない。
領地の畑も痩せていて、収穫量は少ない。領民もそのなかで何とかやりくりしている。
だからこそ、少ない食料を――
子どもが自分から「いらない」と言って、家族に回そうとしている。
(そんなの、間違ってる)
社畜時代、“我慢すればいい”と自分を押し込めていた私。
その癖が、弟にも同じように染みついている気がして、
いたたまれなくなる。
食卓の端に、やつれた女性が姿を見せた。
私たちの母――ミリアム・アルトシア伯爵夫人。
元は小貴族の娘であったが、
アルトシア領主であった、ルドルフ・アルトシア伯爵のもとへ隣国から嫁いできた。
ルドルフは王都で文官として勤めており、多くはないものの毎月の給料でと税収で、ほそぼそと暮らしていた。レイフィーネとユリウスという2人の子宝に恵まれた。
だが、そのルドルフが5年前、はやり病で急死してしまったのだ。
ミリアムは当時1歳になったばかりの赤子をあやしながら、慣れない当主代行をつとめたが、もともと病弱であったこともあり、身体を壊してしまった。
現在、レイフィーネは15歳、ユリウスは6歳。
この国には、貴族籍を継げるのは、直系男子が18歳になってから、という法律がある。
そのため、いまでもアルトシア伯爵領では当主は不在、
伯爵夫人ミリアムがアルトシア伯爵の当主代行をする、ということになっている。
「レイフィーネ、ユリウス。おはよう」
微笑もうとしているけれど、その笑みは疲れている。
手はひび割れ、爪は欠け、髪はぱさぱさだ。
(……お母様の手にも、オイルを塗ってあげたい)
ふと、そんな考えがよぎる。
食事は静かに進んだ。
黒パンをスープに浸し、噛みしめる。
前世の舌からすると味気ない。
けれど今は、それすら貴重だ。
スープを飲み干したとき、
ユリウスのお腹が、ぐう、と小さく鳴った。
本人も気まずそうに俯く。
私は、残っていたパンをそっと押しやる。
「ユリウス。残ってるわよ?」
「えっ……でも、姉さんは?」
「私はもう十分よ。女の子だから、そんなにいらないの」
さっきの彼の言葉を、今度は私が使った。
ユリウスは困ったように笑って、
それでも遠慮がちにパンを手に取る。
「……ありがとうございます、お姉様」
小さな「ありがとう」が、胸に刺さる。
(このままじゃ、だめだ。なんとかして、貧乏からぬけださないと)
私はパンの味を忘れないように、舌に刻み込むと、
心の中で静かに拳を握る。
(絶対に、この家をなんとかしてみせる。
そしてユリウスに、お腹いっぱい食べさせてあげる)
魔法はない。
お金もない。
武力もコネもない。
だけど――
(“美容知識”なら、ある)
前世で画面越しに見てきた、美容の世界。
せっかくいろいろ学んでも、
休日返上・鬼連勤が当たり前な社畜時代には、とうに活用機会がなかったが。
今度こそ、有効に使ってみせる。
(美容で領地を救うなんて、普通はできない。
でもここは美容技術があまりない異世界。
そしてアルトシア領がある王国東方には――まだ誰も活かしていない素材が眠ってる)
今は貧乏だけれど、私にはどうしようもなく“可能性の塊”に感じられた。
(まずは、知ることから始めよう)
レイフィーネはそう、心に決めた。
異世界転生した元社畜OLの、“東方美容革命”は――
この日、小さく動き出した。
投稿の方法もわからず右往左往しました。
だんだん調整するつもりです(すみません・・・)。




