第6話 東方に広がる波紋と、震える声の来訪者
翌朝。
研究所に向かう途中から、いつもと違う空気を感じていた。
門のほうから、やけに人の声がする。
(……ちょっと、騒がしい?)
レイフィーネが研究所に辿り着く前に、ミーナが全力で駆けてきた。
「お嬢様ーっ!!」
「ど、どうしたのミーナ?」
「村の人が、また増えてます! 今日は……その……男の人まで!」
「男の人も?」
眉をひそめて研究所の前を覗くと、
たしかに昨日までより“層”が厚くなっていた。
洗濯や家事をする女性たちに混じって、
薪割り仕事の男たち、畑仕事の父親たち、鍛冶屋の親方衆まで、ずらりと並んでいる。
「おーい、お嬢様! 今日はわしの手にも塗ってくだせぇ!」
「握力が命なんでなぁ、指が割れると仕事にならんのだ!」
「夜になると指がうずいて眠れねぇんだ!」
みんな、右手をぶんぶん振ってアピールしてくる。
ミーナが小声で告げる。
「お嬢様のこと、“白バラ様”とか呼びながら迫ってくるんですよ……もう、迫力ありすぎて……!」
「白バラさま?!だ、誰がそんな恥ずかしい二つ名を……!」
「ユリウス坊ちゃまです!」
(ユリウス……)
かわいい弟だ、許してあげたい。でも、あとでちょっとだけ問い詰めたい。
しかし、門前で待っている彼らの手を見ると、冗談を言っている場合ではないとも思う。
ひび割れだらけの節。血のにじんだ指先。
皮がめくれた手の甲。
(女の人だけじゃない。
男の人の手だって、こんなにボロボロなんだ……)
冬の東方は、容赦がない。
乾いた風、冷たい水、重労働。
誰の手も、等しく傷めつけていく。
「皆さん、落ち着いてください。
順番にお呼びしますから、“今日は右手だけ”というお約束、守ってくださいね?」
「「「はーい!」」」
返事はやたら元気だ。
……ちょっと怖いけれど、嫌な感じはしなかった。
◆
午前中いっぱいかけて、
私はほぼ立ちっぱなしで施術を続けた。
「おお……こいつはすげぇな、しっとりしてやがる」
「右手だけ、指が曲げやすくなった気がするぞ?」
「わし、今夜はぐっすり眠れそうだ!」
男たちの喜び方は、率直で分かりやすい。
その笑顔を見ていると、
疲れなんて簡単に吹き飛んでしまいそうだった。
(でも、本当にそろそろ限界……)
オイルの瓶はどんどん軽くなり、
アルトシア・ローズの実の山も目に見えて減っていく。
「お嬢様、ナッツ油の瓶、もう底が見えてきてます……!」
「ハーブはまだありますが、ローズの乾燥分はそろそろ……」
「ちょっと限界ね……。素材集めの仕組みも考えないと……」
ため息をついたそのとき。
「お嬢様っ!」
走ってきたのは、門番の一人だった。
普段は落ち着いている彼が、珍しく顔色を変えている。
「どうしたの?」
「お屋敷の表門に、立派な馬車が来ております!
紋章は……サファイヤブルーに白馬が2頭!
おそらく、“ヴァルティエル公爵家”の馬車です!」
「ヴァルティエル公爵家……!」
胸が、ドクンと跳ねた。
東方、2大名門貴族の1つ。
そして――
(エリシア様の、ご実家……)
思考が一瞬、真っ白になる。
ミーナが慌てて私の腕を掴んだ。
「お、お嬢様!? ど、どうしましょう!?」
リタも顔面蒼白になっている。
「こ、公爵家ですって・・・・・!」
「2人とも、深呼吸。
まずは落ち着いて状況を聞きましょう・・・!」
レイフィーネは門番に向き直る。
「どなたが、いらしているの?」
「ご本人は名乗られておりません……
しかしながら、“アルトシア伯爵家のご令嬢レイフィーネ様にお会いしたく存じます”と。
客人は、若いご令嬢と、その侍女が二名ほどとお見受けします……」
(若いご令嬢……紋章……ほぼ間違いなく)
ヴァルティエル公爵令嬢、エリシア・ヴァルティエル様。
東方一の令嬢とうたわれ、第三王子と婚約した、たおやかで聡明な才女。
そして――
私自身が、忘れられなかった名前。
展開の関係でいったん区切ります。




