第5話 その2
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昼過ぎ。
研究所の前は、想像以上の賑わいだった。
「お嬢様ー! まだですかー!?」
「今日こそは塗ってもらいたいです!」
「うちの嫁にも頼む!」
「みんな順番よ、順番守ってえええ!」
ミーナが、慌てて人を整理している。
「み、皆さん、押さないでくださいー!」
リタも必死に手伝っているが、とにかく“熱気”がすごい。
(ちょっとした人気美容サロンみたい……)
ここは東方辺境の貧乏伯爵領。
美しさやおしゃれなんて無縁の場所だったはずなのに、
昨日の今日でこの盛り上がり。
(あかぎれや乾燥、ひび割れのない手を求めること、ずっと、諦めてたんだろうね……)
私は深呼吸して、今日も慎重に施術を始めた。
昨日と同じ、みんな、片手だけ。少量だけ。
体調を必ず聞く。
すると――
「指があったかい……」
「昨日の人たちの右手、ほんとにきれいだったもんなぁ」
「わたしも、料理で包丁握りやすくなったらいいんだけど」
「わかる! 冬は関節がほんと痛いしねぇ」
あちこちから小さな期待の声が聞こえる。
その声を聞けば聞くほど、美容の力の大きさを実感する。
(美容は……贅沢じゃない)
生活を楽にして、毎日を少しでも笑顔にするためのもの。
前世で美容院に通うのは、とっても癒しの時間だったことを思い出した。
(ここの人たちにも、その感覚を知ってほしい)
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夕方になり、ようやく人の波が落ち着いた。
研究所の中で、私はぐったりと椅子に座り込む。
「お嬢様……本当に、今日もお疲れさまでした……」
リタが紅茶を差し出し、ミーナもどさっと床に座る。
「お、お嬢様……今日、何人施術しました……?」
「……数える余裕なかったけど……
少なくとも十五人以上はいたわね……」
「じゅ、十五!?」
想像以上の人数だった。
(これは……本気で、生産体制整えないとまずい)
菜種やナッツ油の残量は、すでに半分以下。
アルトシア・ローズの実も、乾燥したものが残り少ないし、
オリエンタル・ハーブの残量も心もとない。
「素材を集めないと……
でも、領地の予算では――」
そこで、研究所の扉がまたノックされた。
「レイフィーネお嬢様。旅商人のルードが参っております」
「ルードさん?」
「やぁ、お嬢さん。噂が大きくなってきたようだな」
「ええ、もう大変よ……!」
「だろうと思ったぜ」
そう言うと、ルードは荷車から、いくつかの袋と木箱を降ろした。
「オリエンタル・ハーブと、小魔蜂の巣だ。品質は悪くねぇはずだ」
「えっ……こんなに!?」
思わず立ち上がる。
「遠方の集落に行けば、少しは手に入る。
ただし……」
ルードは声をひそめる。
「こんな大量に買い続けるのは、“目立つ”ぞ」
「目立つ……?」
「アルトシアの動きを、モランボン商会が嗅ぎつけるかもしれねぇってことだ」
ルードは肩をすくめた。
「忠告だ。
今はまだ“田舎の噂”程度で済む。けど、この勢いが続けば……
近いうちに本格的に王都の商会が動く」
「……わかっています」
声が自然と引き締まる。
「私は、ここで暮らす人たちのためにやっています。
誰かの利権のためではなく」
ルードは目を細めた。
「そう言うと思ったぜ、お嬢さんは」
そして、木箱のひとつを叩く。
「だから、こいつは“後払い”ってことでいい。
今日、代金はいらねぇよ、もちろん利子もいらねえ。」
「えっ!? そんな――」
「別にタダってわけじゃねぇ。
いずれ“東方美容”が本格的に流通するようになったら、
そのときには、オレに卸してくれりゃいい」
(未来の“契約”……みたいなもの?)
胸が熱くなる。
「……ありがとうございます。本当に、助かります」
「礼はいい。お嬢様の意志の強い目、気に入ってるぜ。
東方が盛り上がれば俺もうれしいしな、頑張ってくれや」
ルードの言葉はいつも少し乱暴だけど、芯は温かい。
「さあ、お前ら!荷降ろしするぞ!」
外で待っていた商人たちが、一斉に木箱を運び始めた。
―――――
ルードたちが帰ったあと。
研究所の中は、
新しく運び込まれた素材でいっぱいになった。
「お嬢様……これならしばらく大丈夫ですね!」
「ええ。これで、もっと多くの人に試してもらえる」
そう言いながら、棚に並ぶローズの実をひとつ手に取る。
(この小さな実が……)
東方を変える“はじまり”になるかもしれない。
ミーナがぽつりと言った。
「お嬢様……
今日、村の人たちがこんなこと言ってました」
「なに?」
「“アルトシアに生まれて良かった”って」
「……そんなことまで」
「はい。
“レイフィーネ様は、女神様みたいだ”って」
「ちょ、ちょっとそれは言いすぎよ……」
照れくさくて、顔が赤くなってしまう。
でも――
その言葉は確かに心を支えてくれた。
―――――
夜。
研究所を閉めて、自室へ戻る途中。
(今日は……本当に、長い一日だったな)
領民の手の変化。
素材不足の不安。
ルードからの忠告。
そして、喜び。
胸の中で、いろんな思いが混ざり合う。
(美容で領地を救うなんて、本気でできるの……かな)
弱気がほんの少しだけ顔を出したとき――
「お姉さま!」
背後から、ユリウスが呼びかけてきた。
走ってきたのか、息を切らしながら。
「どうしたの?こんな時間に」
「見て……見てほしいものがあって!」
ユリウスは、両手を差し出した。
「今日も塗ったんだ……!」
昨日よりも少し色づいた指。
血のにじみが消え、ひびの赤みも和らいでいる。
「痛くない……
今日、一度も痛まなかったんだ」
「ほんとに……?」
「うん!」
その笑顔は――
何よりの答えだった。
(……できる。絶対にできる)
私は、ユリウスの頭をそっと撫でた。
「ありがとう、ユリウス。あなたのおかげで、私も頑張れる」
「えへへ……!」
無邪気な笑顔に元気をもらいながら、
私は小さく拳を握った。
(戦う相手が誰かなんて関係ない。
ここで暮らす人たちの生活を、私は絶対に良くしてみせる)
その“誓い”と共に、
東方の小さな伯爵家の娘は、静かに自室へと歩いて行った。
――その翌日。
アルトシア伯爵領に“思わぬ客”が訪れるとも知らずに。
長すぎたり短すぎたり調整がむずかしいです・・・




