第7話 選ばれた理由
「……あの。これってお見合いですよね?」
「左様」
恐る恐るといったイングリッドの問いかけに、マルクスは鷹揚に頷いた。いちいち芝居がかっているように感じるのは、それだけ彼女が平民に近い感性になっているということか。
「伯爵閣下は、わたしを娶りたいと?」
「いかにも」
イングリッドはやれやれ、と言わんばかりに首を振った。マルクスの応答は簡潔にして率直だったが、肝心のことを言っていない。それとなく催促したつもりだが、もう、はっきり聞くより他ないようだ。
「……理由がわかりません。ノルダール男爵家の現状はご存じでしょう。伯爵家と結婚することでこちらにはメリットは山ほどありますが、そちらにメリットは何もない。それどころか、余計なものを背負い込んでしまう。婚姻なんてとても成立しないと思います」
貴族の結婚は、あくまで双方の家の利益が発生するから成り立つ。一方的に寄りかかるだけの関係はただの寄生だ。絶賛没落中のノルダール男爵家と今を輝くベルイマン伯爵家とでは、どう考えても、とても対等な関係とは言い難い。
「否定はしない。だが、その余計なものこそが目的だ、と言ったら?」
「……は?」
「七十年前の話だ」
いぶかしむイングリッドをよそにマルクスが切り出した。
「我が国に双子の王子が生まれた。家督の継承は長子相続が習わしだが、双子王子のどちらともが次期国王としての素晴らしい素質に備えていたため、父王はどちらに王位を譲ればいいか決断できなかった。結局、在位中に決まらず、父王が崩御してすぐに、双子王子による王位継承戦が勃発した。これを何というか知っているかな?」
「……兄弟戦争」
試すようなマルクスの問いかけに、イングリッドは一瞬、狼狽したものの、正解を口にした。
そうだ、と言葉を区切り、マルクスは続ける。
「新政権樹立後の地位の独占を狙って、王国貴族たちは兄王子を擁立する〈紅〉の陣営と、弟王子を擁立する〈白〉の陣営に分かれて権力闘争に加担した。長きに渡る内紛の末、勝利したのは〈白〉の貴族陣営。敗北した〈紅〉の貴族陣営は、国賊として処罰された。重ければ一族郎党、極刑。軽ければ領地の返還と爵位降格。王国貴族の半数以上が入れ替わり、新政権の下で一新する中、取り潰しを免れ、現代まで残った数少ない〈紅〉陣営の末裔が、ノルダール元侯爵家だ」
「……改めて説明されなくとも、自分の家の歴史ぐらい存じています」
どす黒い感情が胸の内から噴き出しそうになるのを何とか制し、イングリッドは淡々と答えた。
実に今更な話だ。イングリッドは腐っても貴族の末席。王国史やそれに連なる家のルーツなどは、幼少の頃に叩き込まれた。
曾祖父の代に起った爵位の降格。領地の削減。財産の没収――それらは、もうしょうがないことだ。信賞必罰は戦の常。それを承服できないというのなら、最初から戦いに加担するべきではなかった。
命が繋がったことに感謝し、これから新しい環境で頑張ればいい。生きてさえいれば巻き返せる。当時のノルダール家の人間は、そう己を奮い立たせたに違いない。
……ところが。既に沙汰は出ているにも関わらず、それ以降もノルダール家には逆風が吹き続けた。
――新王権に立てついた反逆者。
――汚らわしい罪人の末裔。
内戦が終わっても、ノルダール家に貼られたレッテルは一向に剥がれない。
過去の遺恨で結婚相手に困るようになった。社交界でも嘲笑の的になった。何か事業を始めたくても、他の貴族の評判を気にした金融業者が融資を断るようになった。
……その果てが、あの婚約破棄だ。当主が三世代入れ替わった現在においても、その差別的な風潮は色褪せようとはしない。
そういう風潮を生み出したのは誰か?
もちろん、戦いに勝った側だ。
「……兄弟戦争後、国賊のレッテルを貼られた君たちが長年、不当な目に遭ってきたのは知っている」
その一員。〈白〉の筆頭貴族であるベルイマン伯爵家の新当主は、膝の上で指を組み、目を怒らせる〈紅〉の娘をまっすぐ見据えた。
「私はな、イングリッド嬢。そういう風潮をもう止めにしたいのだ。内戦などもはや過去のこと。当時の論功行賞で罪の清算も終わっている。陰湿な年寄りどもが昔取った杵柄で過去の出来事を擦り続けているだけで、私たちの世代の人間には〈紅〉も〈白〉も関係ない。どのような家柄に生まれようと、その実力や適性に応じて役割を与え、果たしていくべきだ。それが真に国を強くするための貴族の在り方だと私は考えている」
マルクスの明朗な声が気高い理想を語る。それは結婚相手に夢を語り聞かせるというよりも、まるで領民に政策を演説する為政者のようだった。
「この悪しき風習を消し去るには、〈白〉の筆頭であるベルイマン伯爵家こそが態度を示さなくてはならない。私が〈紅〉の血筋より嫁を取り、生まれ来た子を次世代の当主として擁立すれば、他の家も追従せざるを得なくなるだろう。ただちに全てを変革ことはできなくとも、赤と白の混血たちが十年後、二十年後には国全体に変化が現れるはずだ」
「……だから、この縁談を組んだと?」
「そうだ。〈赤〉の末裔は少ない。結婚適齢期の女性となるとなおさらだ。架け橋として、君以上の適任はいない」
理路整然と事業計画の概要を語るマルクスに、イングリッドは胸の中が急速に冷たくなっていくのを感じた。
(……ああ、この人もそうなんだ)
対立している勢力同士が、その関係性を修復するために代表者同士で婚姻を交わすというのは、小さな部族から国家まで共通する外交政策だ。
本来であれば到底釣り合わない家柄同士の二人ではあっても、マルクスが掲げる融和政策に限定すればイングリッドには相応の価値がある。貴族的な視野として、彼の言う適任であることはよく理解できた。
だが、理性と感情は別だ。
――二年前は〈紅〉だから破談となった。
――今回は、〈紅〉だから求められた。
いつだって、男たちが見出している彼女の価値は、この体を流れる〈紅〉の血という部分だけ。誰も人格を見ていない。彼女が積み上げた頑張りなど一切存在しないかのように。
それに、その価値も決して不動なものとは思えなかった。マルクスの政策が頓挫してしまえば、彼女の価値は瞬く間に暴落する。自分ではどうしようもない部分であるが故に、それを防ぐ術も彼女は持っていない。時流や環境に、ただただ翻弄され続けるだけである。
ふと、イングリッドの脳裏を〈宵鷺〉の仲間たちの姿がよぎった。
あの中の誰一人として、彼女を家柄では判断する人間はいなかった。流れる血を理由に差別しなかった。ただ純粋に人格や実力のみで評価して、接してくれた。
それは、彼女の十八年の人生の中で、最も個人として扱われていた二年間だった。
――その生活を捨てる?
――初めて会った男の、偽善めいた絵空事のために?
「とはいえ、君の人生をそっくり買いあげるようなものだ。十分な結婚支度金を用意しよう。領地運営の立て直しが軌道に乗るまでは資金援助も行うし、私の後ろ盾があれば要らぬ邪魔立ては入らない。嫁いできた後も安全で不自由ない生活を約束する。だから、私と――」
「お断りさせていただきます!」
言葉を遮るように、イングリッドは勢いよく席を立った。
「マルクス様の考えはご立派です。〈紅〉と〈白〉の差別的な関係性が解消されるなら、確かにそれはこの国にとってとても有益なことでしょう。ですが、わたしにはわたしの生活があります。どれだけ立派なお題目を掲げられても、それを捨ててまで協力したいとは思えません!」
イングリッドはきっぱりと断言した。
〈紅〉だの〈白〉だの知ったことか。元より気が進まない話だったのだ。父の顔を立てるために同席しただけ。自分はもう独力で生きていける。誰が、自分の預かりの知らない部分で振り回される人生を送りたいと思う?
もう放っておいてほしい。それが彼女の偽らざる本心だった。
「失礼します!」
まさか断られるとは思っていなかったのか、驚きのあまり口が半開きになったマルクスを睨みつけながら、イングリッドは勢いよく踵を返し、鎧の音を鳴らしながら応接間から出ていった。
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※次回の更新は5月2日21時を予定しています。