第4話 宴会(2)
「ところで、イングリッドさぁ」
「なんです、ユニ」
イングリッドの向かいの席に座っている、明るい赤髪のショートカットの女傭兵が話しかけてくる。
ユニと呼ばれた女傭兵は今年で二十歳。
イングリッドと年齢も近いため何かと絡むことが多く、依頼がない時は一緒に買い物に出ることもある仲である。
ユニは肴の鶏肉を噛みながら、中空で右手を振る動作をした。
「飛剣、巧くなったよねぇ」
「そ、そうですか?」
「なったなった。昼間もさ、しっかり当ててたじゃない。乱戦の中で命中させるなんて大したもんだよ」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
イングリッドが照れたように頬を掻く。
ユニの言う飛剣とは、昼間の戦いでイングリッドが見せた刀を投擲する技である。通常の投擲とは違うのは、投げるのに適していない形状の武器でさえも飛ばせることだろう。
飛んでくるはずのものが飛んでくるので意表を突きやすく、また、間合いの外から仕掛けることができるため、これが選択肢としてあるのとないのでは、戦術の組み立て方がだいぶ変わって来る。
ただし、飛剣は立場によって評価の分かれる技でもあった。
特に、誉れを見出す騎士などは忠義や誇りの象徴である刀剣を投げつけることに抵抗があるため、飛剣を賤技……下賤の技と呼んで蔑んでいる。実際、正統派剣術の手ほどきを受けたイングリッドも最初はそう思っていたくらいだ。
だが、そんな彼女も傭兵として生きていくうちに考え方が変わった。
傭兵にとって、生き残ることが至上命題だ。
傭兵の報酬は、前金と後金の二回払いが基本。最後まで生き残らなければ報酬を全額受け取れないし、負け戦になればどうせ後金は受け取れないのだから、逃げて、生き延びなければ働き損だ。
死んで花実は咲かないし、誇りで飯は食えない。生き残るために刀を投げることが必要なら、いくらでも投げるのが傭兵という生き方なのだ。
だから、ユニからその象徴である飛剣が上達したことを褒めてもらえたのは、それだけ今のイングリッドが傭兵として、団の仲間として成長できたこと証明してくれたようで、とても誇らしかった。
「もう、うちの団の中でも一番じゃない?」
「それは言いすぎですよ。ウルスラ団長にはまだまだ敵いません」
「本家本元だしね」
「でも、自分で思った以上に、この技はわたしには合っていたみたいです。昼間の戦いでも、ばっちり相手を誘導することができましたし。……まあ、この鎧のおかげでもありますけどね」
そう言いながら、イングリッドは身に着けている鎧の胸元を優しく撫でる。
彼女の鎧は他の仲間たちのものと比べて、傷が明らかに少なかった。装甲部分はまるで鏡のような光沢を湛えており、胴回りの蝶番や籠手や肩当てを固定するための革ベルトにも摩耗が見当たらない。造られて間もないのが窺える。
「思い切った買い物だったよねぇ。でも、それに見合うだけの性能はあったみたいだね?」
「ばっちりですね」
イングリッドは力強く頷いた。
飛剣――いや、投擲攻撃には致命的な弱点がある。武器を失ってしまうことだ。
投擲後は攻撃手段が減ってしまうし、場合によっては、投げた武器を敵に奪われてしまうこともある。投擲スキル自体は戦術における選択肢を一つ増やしてくれるが、同時に、使ってしまったあとは選択肢が一つ減ってしまう諸刃の剣。使いどころを間違えれば即、死を招く。
しかし、その欠点さえも活用してこそ技術である。
その具体例が、昼間のの戦いでイングリッドが見せた動きだ。
二人目の野盗を討ち取った後、三人目と四人目から挟撃を受けそうになったイングリッドは、三人目に飛剣を使用して迎撃を行った。
挟撃を回避することに成功したものの、イングリッドは徒手空拳となる。それを見た四人目は好機とばかりに大振りの上段を繰り出したわけだが、ここに技がある。
命の遣り取りの最中に、突如として目の前に現れた隙。喉が渇いた時に差し出された一杯の水のように、この誘惑に抗うことは難しい。気が急いて、余裕がない時ほど最も得意で、確実性の高い攻撃を行う心理が働く。
来るさえとわかっていれば、太刀筋を読むことなど造作もない。躱すも、反撃するも、思うままだ。現にイングリッドはあっさりと四人目の攻撃を防ぐと同時に反撃に転じてみせた。
しかし――もし、あの時、イングリッドの腰に予備の武器が見えていれば、四人目は再武装を警戒して、馬鹿正直に攻撃してはこなかったかもしれない。
相手の誤認を誘って行動を支配するためには、いかに相手に悟られないように武器を隠しておけるかが肝。そこでイングリッドは、習得した飛剣の戦法を最大限発揮できるように、あちこちに隠し剣を収納できる特注の具足を甲冑師に依頼した。
それが完成し、受け取ったのがつい最近。鎧が真新しいのも道理である。
「おいくらしたんだっけ?」
「あんまり具体的な金額は言いたくないので、向こう十年は返済生活とだけ」
「うひー」
ユニがおどけるように肩をすくめた。
「やっぱりオーダーメイド品は違うね」
「ええ。中古品が手に入れば、もうちょっと安く抑えられたのかもしれませんけど、女物の鎧はどうしても少ないですから」
前提として、武具というものはオーダーメイドで製作される。
武器にしろ、鎧にしろ、使用者の体型や戦術に合わせて造らなければ最大限の効果を発揮できないからだ。
とはいえ、オーダーメイドの武具など、貴族や富豪層の出身ならばともかく、一般庶民には手が出ない高級品。傭兵に限らず、だいたいの戦闘職は自分の体格に一番近い中古品を市場から探し出して、騙し騙し使っていくのが当世のスタンダードだった。
しかし、これが女性になると少々事情が違ってくる。
中古品がそれなりの数が市場に出回っている男物と違って、女物の鎧はびっくりするほど少ないのだ。
これは単純に成り手の割合で、戦闘を生業とする業種の男女比は圧倒的に男の方が多い。戦死者も大半が男である。市場に流される中古鎧が男物ばかりになるのは自然な流れだろう。
そのため、たとえ女であっても男物を使わねばならなかったが、女は男よりも体格が起伏が激しい。男性の体格に合わせた鎧では、胸が押しつぶされたり、腰回りがぶかぶかして動きづらかったりと、そのまま流用するというのが難しいのが実情だ。
それでも、需要に対して供給が追いついていない以上は、あるものを我慢して使い続けるしか道はない。あるいはイングリッドのように多大な借金を負ってオーダーメイドするか。二つに一つだ。
「でもさあ、そんな若い身空で借金背負って大丈夫なの? 実家にも仕送りしているんじゃなかったっけ?」
「これらからも傭兵を続けていくという決意表明ですよ。借金は痛いですが、装備を充実させることは生存率に直結しますから。生きて依頼をこなせば〈宵鷺〉の評価も高まりますし、もっと割のいい仕事にありつけるようになります。そうすれば、返済に十年もかからないかもしれません。加えて、わたし個人の名前が売れれば、将来的には独立する選択肢だって出てきます。だから、意味のある借金だと思っていますよ」
「先行投資ってやつか。いろいろ考えているんだね」
「はい。いろいろ考えていますよ」
さらり、とイングリッドは言った。
結婚以外の手段で身を立てると決めた瞬間に、イングリッドは自分の人生を誰かに任せることはできなくなった。だから、自分の人生について、誰よりも自分自身がしっかり考えなければならない。それが自立するということだから。
「ところでさ、その鎧、銘とかあるの?」
「なんです、藪から棒に」
質問の意図がわからず、イングリッドは首を傾げた。
「この〈宵鷺〉は、ウルスラ団長が使ってる大太刀の銘から来ているでしょ。もし、イングリッドが独立してチームを結成するならさ、その鎧の銘をチーム名にするのが流れってもんじゃない?」
「ああ、なるほど。残念ながら、甲冑師とそういう話はしていませんね」
武具の銘に関しては、製作者が作る過程で名づける場合もあれば、遣い手の周りが勝手に呼び出した名称が自然と定着する場合もある。ちなみに〈宵鷺〉は後者らしい。
「でも、そうですね。あえて名づけるとしたら……」
暫し間をおいて。
「アルバローズでしょうか」
「アルバローズって……銘っていうか、人の名前じゃない?」
ユニが首を傾げた。
「まあ、はい。そうですね。……変ですか?」
「変って言うか、道具に人名っていうのもどうかと思う。ぬいぐるみとかじゃないんだからさぁ」
不評そうな顔で唇を尖らせるユニ。どうやら、お気に召さなかったらしい。
そんな二人の会話が聞こえたのか、外から年嵩の女傭兵がにやにや顔で口を挟んだ。
「ユニ。あんた、イングリッドのことバカにできるのかい? あんただって、宿で使っているおもちゃに昔の男の名前つけているじゃないか。それと一緒だろ」
「やだ! なんで知ってんの!?」
ユニが真っ赤になって頬を押さえた。
「おや、隠しているつもりだったのかい? だったら、致す時は上の口は閉じとくんだね。うちの宿、壁が薄くて丸聞こえだから」
「……よしな」
きゃーきゃーと甲高い声で騒ぎ立てる女傭兵たちに、これまで上座で静かに飲んでいたウルスラが、鋭い声音で釘を刺した。
「イングリッドはな、お前らと違ってお上品なお育ちなんだ。お前らの大好きな下の話は、良い子が寝るまで取っておきな」
ウルスラがじろりと睥睨すると、テーブルがしんと静まり返る。
その数秒後、イングリッドと団長以外の全員が堰を切ったように大爆笑し始めた。
「ウルスラ団長! 本当に上品な子は、あんなことを言いませんって!」
「本当、あれはたまげた。こんな可愛い顔して、この早○野郎って、なぁ!」
「あいつらも早○を否定するのに夢中で、その場から全然動かないもんだから、あっさり挟み撃ちできたし!」
女傭兵たちが口々に語るのは、少し前に請け負った野盗討伐のことである。
野盗たちを相手にする依頼は、今日の一件に限った話ではない。〈止まり木市〉を中心にした一帯は行商人が集まる性質上、それを狙った強盗事件が頻繁に発生するからだ。
その時も、新しい野盗の群れが近郊に住み着いたようで、町長と行商たちの共同出資による討伐作戦が執り行われた。
ウルスラ率いる〈宵鷺〉も参加し、何度かの斥候の末に、ついに野盗の根城を発見することに成功。あとは他のチームと合流して、袋叩きにすればいいだけだった。
メンバーの一人を伝令に遣っている間、〈宵鷺〉の面々は草むらに隠れてアジトの様子を観察していたが――どうも、野盗たちの中に鼻が利くやつが混ざっていたのか、まだこちらの戦力が整う前にアジトから撤退し始めたのである。
ウルスラは、突撃するかどうか迷っていた。
数が揃っていない状態で戦っても味方の損害を増やす危険があるし、何人かは取り逃がしてしまう可能性もある。とはいえ、このまま手をこまねいていても、むざむざ奴らの逃走を許してしまい、調査が振り出しに戻ってしまう。
――どうする?
逡巡するウルスラ。その時、イングリッドが単身で飛び出した。
野盗たちの行く手を遮るように立ち塞がり、あらん限りの――主に男性にしか効果のない――罵詈雑言を大声で言い放って、彼らの注意を引き付けたのである。
何十人から白刃を突きつけられても、一切臆すことなく啖呵を切り続けるイングリッド。残念ながら、そういった文言をご褒美と思う輩はいなかったようで、野盗たちの顔は徐々に怒りで真っ赤になっていき、あわや決壊寸前というところで、残りの傭兵団が合流。そのまま挟撃して、掃討することに成功したのである。
独断専行は褒められたものではなかったが、イングリッドのお陰でどのチームも欠員を出すことなく依頼を達成することができた。まさに大手柄だ。思えば、この時から作戦の先鋒を任されるようになった気がする。
「……まったく、そんな言葉、どこで覚えやがったのかねぇ。うちに入ってきたばっかりの時は、絵に描いたようなお嬢様だったのに」
何杯目かの麦酒に口をつけながら、ウルスラは嘆息した。
「この傭兵団にお世話になるようになって、もう二年です。朱に交われば赤くなるには、十分な期間ですよ」
にこり、とイングリッドが微笑みかける。
上品で、愛らしく、清らかな微笑み。それはまさに、ウルスラの言うところのお嬢様の微笑みだったのだろう。
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※次回の更新は4月29日21時を予定しています。