第40話 アルバローズ
間もなくして警吏が到着すると、エレーヌはマルクスの指示のもと、速やかに拘束された。抵抗することはなかった。
連行させる間際、エレーヌは反対派の首魁の名を明かした。その情報があれば、マルクスは今度こそ反対勢力を一網打尽にできるだろう。彼女なりの罪滅ぼしのつもりなのかもしれなかった。
だが、それでも彼女の罪科は余りある。時期が来れば、そのまま生家へと送り返されるだろう。
エレーヌがベルイマンの屋敷の敷居を跨ぐことは、二度とない。愛した夫の墓へ参ることもだ。ただ、伯爵家に在籍した記録だけが残るのみ。
彼女の三年間は何だったのだろう?
因果応報とはいえ、警吏に連れられる今にも消えそうになっている背中を、イングリッドはただ見送ることしかできなかった。
護送用の馬車に乗り込む直前、エレーヌは最後にイングリッドを一瞥する。
――アルをよろしくね。
そう、言われている気がした。
「エレーヌ様……」
「おおーい、イングリッド!」
すると、警吏たちを掻き分けるようにウルスラが小走りにやって来た。グレタを預けた医師のところから戻ってきたのだ。
「団長!」
「解毒処置が間に合った。あの婆さん、一命を取り留めたぞ」
「よかった……」
最大の懸念事項が解決し、イングリッドはほっと胸を撫でおろす。もし、グレタが助からなかったら、ここまで平静ではいられなかっただろう。
「……あとで謝らなくちゃ」
「ふん!」
そう呟くイングリッドに、ウルスラが痛烈なデコピンをした。
「あいたぁ!?」
悲鳴をあげて思い切り仰け反るイングリッドに、ウルスラが満足げに鼻息を漏らす。
「何するんです!?」
「あの婆さんからの言伝だ。もし、お前が謝るなんて言い出したら、一発お願いしますってな。いやはや、大した先見の明だね」
「えぇ……?」
「『従者が主を守るのは当然のこと。主人がそれに報いるとしたら、謝罪ではなく――』」
「……感謝、か」
「それと金って言っていた」
イングリッドの肩が落胆で下がる。まあ、それだけ軽口を叩けるのなら、本当に大丈夫なのだろう。
「こっちも片付いたようだな。お前が無事でよかったよ」
「……ウルスラ団長殿」
頃合いと見たのか、マルクスが会話に割って入った。
「私はマルクス。モリスト地方領主であり、ベルイマン伯爵家当主である。この度の協力、心より感謝する」
いかにも外面と言った風格でマルクスが言う。
「お。あんたがイングリッドの旦那か。どうだい。イングリッドはいい娘だろ。あたしが育てたんだぜ」
「ああ。私の妻にぴったりな女性だ。貴公の薫陶にも感謝しなければ」
「もったいないって言わないあたり、合格だ。あたしもあんたが気に入ったよ」
ウルスラが豪快に笑った。
一応、マルクスも、彼に嫁いだイングリッドも大貴族という位置づけではあるが、ウルスラは改めて畏まることはしない。事情を知らなければ無礼者と指摘されるだろうが、イングリッドにとっては以前と変わらずに接してくれることのほうがよほど嬉しかった。
「ところで、団長」
イングリッドは借り受けた大太刀を、ウルスラに差し出した。
「この〈宵鷺〉のお陰で、何とかすることができました。ありがとうございます」
「なあに。これくらい、大したことじゃ――ああっ!?」
大太刀を受け取り、中身を改めたウルスラが悲鳴を上げる。ため息が出るほど美しい刀身だが……物打ちのところにわずかな欠けがある。
「お前、何斬った!?」
「何って……刺客ですが。隠れていた木箱ごと、ばっさりとやりましたけど」
「そんな雑な斬り方をするなよなぁ。メンテ終わったばっかりなのによぉ。また研ぎに出さなきゃならないじゃないか」
ウルスラが恨みがましそうな顔して、イングリッドを睨む。たまらず、助けを請うように隣を見ると、マルクスが小さく咳払いをした。
「……今回の助太刀も含め、協力費の名目でこちらから出しても構わんが」
「お。さっすが伯爵様。気前がいいねぇ」
現金とでも言おうか。金の話になった瞬間、ウルスラの態度は一変。途端に目を輝かせ始めた。
「さすが傭兵。金に汚い」
「で、いくらくれるんだい?」
「……まずは見積をもらおうか」
◆◇◆◇
ウルスラとは再会の約束をして別れると、迎えの馬車の準備ができるまで、マルクスとイングリッドは犯行現場から少し離れた丘の上に来ていた。
あれからどれだけ時間が経っていたのか。
丘の上から一望できる〈シルネオ〉の街並みは、地平線の向こうに沈んでいく夕日で真っ赤に染まっている。ただでさえ秋の昼は短い。あと一時間もしないうちに夜の帳が降りるだろう。
「……今回の件は、私が融和政策を強行したことによる歪みだ」
紅に染まる街並みを眺めながら、マルクスが口を開いた。
「もっと義姉上の内心に気を配っていれば、君を危険な目に遭わせずに済んだ。君にも、義姉上にも済まないことをしたと思っている」
「マルクス様だけの責任じゃないですよ。わたしだって……」
イングリッドはこれまでのことを振り返る。思えば、屋敷に来た時からエレーヌは何らかの圧を自分にかけ続けていた。自分がもっとエレーヌの懐に踏み込んで、彼女の胸の内を聞き出せていたら、こんな手段に訴えるより前に、事態を食い止めることができたのかもしれない。
とはいえ、いくら『たられば』を繰り返そうと時間が巻き戻ることはない。残された者にできるのは反省と改善だけだ。
……それに。
「今後、同じようなことがあったとしても、私は辞めるつもりもない。何としても、この政策を完遂させて見せる。そうしなければ、ここまで走って来る途中で失ってしまった者たちに申し訳が立たないからな」
「はい」
「……ついて来てくれるか?」
「もちろんです」
イングリッドは微笑んだ。
「婚約を受けたその時から、わたしの覚悟は変わりません。エレーヌ様からも、アルをよろしくねって頼まれたばかりですし……あ」
はた、とイングリッドの喉が鳴る。
出会った瞬間から、エレーヌはマルクスのことをアルと呼んで、これ見よがしに関係を匂わせてきた。すぐに反応するとマウントを取られると思っていたので、あえて無視していたのだが、ついぞ聞きそびれてしまっていた。
そろそろ、聞いてもいいだろう。
「あの、マルクス様。前から聞いてみたかったことがあるんですが……」
「ふむ。なんだ?」
「エレーヌ様が、マルクス様のことをアルって愛称で呼んでいたじゃないですか。どこがどう転がったら、マルクス様の愛称がアルになるんです?」
イングリッドの問いかけに、マルクスは『なんだ、そんなことか』と言わんばかりの顔になった。
「幼名だよ。義姉上の生家ジュグラリス家とは古くから交友があってな。もともと兄上の許嫁ということもあって、私とも付き合いがあった。その時の呼び名だ」
なるほど、とイングリッドは得心した。普段は使わないが、彼女にもマリールイスという幼名がある。古い馴染みであれば、成人した後でもそちらを使うこともある。
「幼馴染だったんですね。……で、そのマルクス様の幼名って?」
「言ってなかったか?」
「はい。聞いていません」
「アルバローズだ」
「――は?」
イングリッドの時が停まった。
「マルクス・アルバローズ・ベルイマン。それが私のフルネームだ。アルバローズだから、縮めてアル。単純な話だろう?」
「――!!?」
イングリッドが間抜けな声を出し、マルクスの顔をまじまじと見た。
その響きは、彼女が自分の甲冑に授けた名。そして、その由来となったのは初恋の少年剣士からだ。
無論、ただの偶然かもしれない。世界は広い。同名の人間など探せば幾らでもいる。だが、今の自分たちの年齢から逆算すれば、十年前の二人の姿に重なるのも事実だ。いや、でも、それにしたって――!!?
「そういえば。私も今回の捕り物で思い出したことがある。あれは私が若い頃、武者修行の途中で、野犬に囲まれて動けなくなった女児を見つけてな。これはいかんと、今日のように空を渡って――イングリッド?」
急に顔を伏せたイングリッドに、マルクスは眉を顰める。
「いったい、どうしたのだ?」
尋ねられても、イングリッドはしばらく答えることができなかった。夕焼けよりも赤くなっている自分の顔を見られたくなかったから。
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※次回の更新(最終回)は6月4日21時を予定しています。




