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傭兵娘は伯爵夫人の夢を見るか?  作者: 白武士道
第四章 決着をつける傭兵娘
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第39話 或いは、もう一人の

 刺客たちは、マルクスによって一人残らず斬られた。


 あっけないものだった。果たして、あれは戦闘と呼べるものだったのか。戦いとは互いを打倒し得る手段を持って相対することが前提。だとすれば、今しがた行われたのは虐殺に近い。


 マルクスが本気になったことで、刺客たちが生き残る未来は消失した。彼らがこの場での決戦を諦め、無様でも撤退を選んでいれば、いつの日か屈辱を晴らす機会が廻ってくることもあったかもしれない。


 だが、彼らはそれを選ばなかった。その時点で運命が確定した。そう思わせるほどに、マルクスの強さはただただ圧倒的だった。


 生き残っているのはエレーヌただ一人。血が溜まり、七つの屍が力なく転がる凄惨な情景を前に、青ざめた顔をして腰を抜かしたままだった。


「……義姉上。これで終いです」


 マルクスは血を振るって、刀を静かに鞘に納める。勝敗は決した。もう、刃など必要ないとばかりに。


「あなたが連中に利用されただけなのは分かりますし、あなたを追い詰めるやり方しかできなかった私にも落ち度はあります。しかし、我が臣下を無為に傷つけ、妻となる女性を危険な目に遭わせた罪が消えるわけではありません。残念ですが、警吏に縄についてもらいます」


 至極真っ当な沙汰。エレーヌはただ静かにうなだれるのみだった。罪状を考えれば、この場で斬り捨てられても文句は言えない。そうしないのは、これまで伯爵家に尽くしてくれた女に対する、マルクスなりの温情である。


「……マルクス様」


 二人の遣り取りを静かに見ているだけだったイングリッドが、思うところがあるのか、おずおずといった感じで口を開いた。


「……なんだ?」


「少しだけ、エレーヌ様とお話しさせてくれませんか?」


 マルクスはちらりとエレーヌを見やると、小さく頷いた。


「ありがとうございます。……あ、それと、これ、ちょっと貸してください」


 イングリッドはそう付け加えると、マルクスの腰から刀を鞘ごと奪い取った。


「あ、おい」


 マルクスの制止を聞かず、イングリッドは二本の刀を持ったまま、エレーヌのそばまでゆっくり歩み寄った。彼女の手を取って立ち上がらせると、着衣の乱れを整え、土ぼこりを優しく払って綺麗にする。


 そして……。


「これを」


 そして、イングリッドは手に持っていた刀のうちの一本、ウルスラの大太刀をエレーヌに握らせた。


「……どういう、つもり?」


 意図がつかめず、エレーヌは目を瞬かせる。


 イングリッドは真剣な表情で言った。


「さっきも言いましたが、わたしはあなたの気持ちはわかるつもりです。ただ、そのやり方が気に食わなかっただけで。ですから、他人を使わず、あなた自身の手でわたしから伯爵夫人の座を奪いに来てください。もちろん、わたしも全力で抵抗します。ですが、それで負けたのなら、わたしに悔いはありません。対等な勝負で負けたのだと納得して、身を引きます」


 そう言って、イングリッドはマルクスの刀を手に数歩下がった。


(……ありがとうございます、マルクス様)


 ちらり、と横目で背後のマルクスを見やる。彼は無言で、二人を見守っていた。


「わたくしの手で……あなたを……」


 エレーヌはぐっと全身で大太刀を持ち上げると、震える切っ先をイングリッドに向けた。彼女の筋肉ではそれを振り上げることはできないだろう。その体勢のまま、勢いよく突く。それが精々できる攻撃方法だ。


 切っ先を向けられても、イングリッドは刀を構えなかった。柄に手を掛けることもなく、ただ左手に持っているだけ。むしろ、エレーヌが突き刺しやすいように足を開いて、胴を正面に向けているほどだ。


「さあ、来なさい」


 イングリッドの堂々とした声に、エレーヌの肩がびくりと震えた。


 一間ほど先にある空色の瞳と、手にした大太刀を交互に見やる。腹に突き刺した時の感触を想像してしまったのか、エレーヌの顔にびっしりと脂汗が浮き始めた。顔はますます青ざめ、呼吸もどんどん荒くなっていく。


「どうしたんですか。来ないのですか」


「うう……っ!」


「来なさい!」


 イングリッドから裂帛の気合が迸り、エレーヌの眼がかっと開いた。


「う、あ、あああ――!!!」


 エレーヌは鬼気迫る表情でイングリッドを睨みつけると、絶叫を上げながら、思いっきり一歩を踏み出した。


 唸りを上げて、大太刀の切っ先がイングリッドの胸に吸い込まれる。


 イングリッドは避けなかった。柄に右手を掛けることも。ただ、真っ直ぐな瞳でエレーヌから目を逸らさなかった。


「――っ!」


 イングリッドの胸を突き刺す寸前、大太刀の動きが止まった。


 切っ先が布地に振れるか触れないかの位置で停止。かたかたと小刻みに震える。


「……ふっ……くっ……」


 そのわずかな空隙を埋められないまま、エレーヌは膝をついた。手から離れた大太刀が音を立てて地面を転がっていく。


「……わたしの勝ちです」


 イングリッドが静かに告げた。


「……ええ。最後まで自分で手を汚す覚悟を持てなかった、わたしの完敗ね」


 エレーヌは諦観したように頭を垂れた。だが、その顔は、少しだけ……ほんの少しだけ晴れやかに見えた。


 マルクスは大きなため息を吐いてイングリッドにずかずか歩み寄ると、その頭を乱暴に撫でた。


「わひゃ、何をするんですか!」


「まったく、何をするかと思えば。肝が冷えたぞ」


「す、すみません……でも……」


 でも、イングリッドは思ったのだ。


 エレーヌは、違う運命を辿った自分だ。貴族の女という役割に徹し、自分の生き方を自分で決められなかった自分なのだと。


 だから、そんな彼女に、一度だけでもいい。自分の意思と自分の責任で、生き方を選んでほしかった。例え、それが失敗に終わったとしても、自分で選び、実行したという歴史は残る。エレーヌのこれからを思えば、今しかないと思ったのだ。


 その思いを知ってか知らずか、マルクスは笑みを浮かべながら、なおイングリッドの髪をくしゃくしゃにする。


「……剣を抜かず、命を斬らず、ただ悪心のみを断つ、か。まるで剣聖の業だな。俺にも到達できない難業を、君はずいぶんとあっさりやってのける。君は、すごい奴だ」


 マルクスはどこか誇らしげに言った。


「――そんな君だから、好きになったんだ」


「え? いま、なんて言いました?」


 くしゃくしゃにされすぎて肝心の部分が聞こえなかったイングリッドが聞き返すと、マルクスは小さく咳払いをした。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

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※次回の更新は6月3日21時を予定しています。

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