第3話 宴会(1)
「「「うぇーい。お疲れぇーい」」」
軽薄な合唱。
そのすぐ後に、樽のジョッキ同士がぶつかり合った鈍い音が続く。
大通りに面した酒場は、今宵も仕事を終えた傭兵たちで賑わいを見せていた。
イール地方にある〈止まり木市〉は、都市と都市とを繋ぐ交易路の中継地だ。
荷馬を曳いてレスニア王国のあちこちを巡り歩く行商人たちが、一夜の憩いを求めて立ち寄る休息地の一つ。その名の通り、渡り鳥の止まり木である。
そのため、町の中を行き来する人影のほとんどが、外から訪れている商人とその家族、そして――それらの護衛で雇われた傭兵たちだった。
この酒場だけに焦点を絞ったとしても、テーブルに座っているほとんどの客が屈強な肉体を持ち、厳めしい鎧を纏っている。騒々しさよりも物々しさが際立つ光景だ。この町に不慣れな人間ならば、彼らが作り出している剣呑な雰囲気に圧されて、店の扉を潜ることすらできないだろう。
そんな傭兵だらけの酒場の一角に、ひと際、異彩を放つ集団があった。
テーブルを囲む人数は六名ほど。その全員が武装をしているので、他の客同様に傭兵の集まりであることに疑いはない。
では、どこが周囲と異なる点かと問われれば、その全員が女性であるということだ。
そう。ウルスラ率いる女傭兵団〈宵鷺〉の面々である。
野盗退治を終え、日暮れ前に〈止まり木市〉に戻ってきた彼女たちは、野盗たちの首と引き換えに依頼主である町長から報酬を受け取ると、さっそく酒場で打ち上げを始めた。
テーブルの上には香ばしい湯気を立ち昇らせる焼きたての鶏肉や、山のように盛られた野菜の酢漬け、そして麦酒がたっぷりと注がれた樽のジョッキが所狭しと並んでいる。その量は圧倒的で、並みの男たちにも負けていない。
「「「あっはっはっは!」」」
負けていないのは注文した料理だけではなかった。その笑い声もだ。賑やかなのは酒場の常だが、彼女たちのやかましさは男のそれとはベクトルが違う。姦しいとは、まさにこのことだろう。
吟遊詩人の歌にしばしば登場する女傭兵は、男に依存することを良しとしない芯の強い女性であったり、見目麗しい戦乙女であったりするのが定番である。
だが、目の前の光景は、歌に語られるそれがいかに印象操作の産物であるかを実直に証明していた。
実物の女傭兵は、これこのとおり。歌に語られるような気高さ、清らかさ、麗しさとはまったくと言っていいほど縁がない生き物である。運ばれてきた料理を次々と貪り食い、浴びるように酒を飲み、下品なジョークに大口開けてげらげら笑う姿は、戦乙女というよりは未開地の蛮族と言ったほうがよほど適切だ。
されど、それこそが彼女たちの強さだった。
もし、幻想の女傭兵を信奉する男が、ありのままの姿に幻滅し、もっと女らしくしたらどうだ、などと指摘することがあったなら――きっと、彼に明日は来ないだろう。
彼女たちは瞬く間に男を取り囲んで、気を失うまで袋叩きにした挙句、白目を剥いた顔めがけて唾を吐きかけ、ゴミ捨て場に投げ飛ばしてから、こう言い残すに違いない。
生きるか死ぬかの戦場で、女らしさが何の役に立ったっていうんだい――と。
女らしくすれば、敵は手を抜いてくれるだろうか?
恥じらう姿を見せれば、敵が撤退してくれるだろうか?
……否である。
彼女たちは野蛮だからこそ、生きるか死ぬかの戦場で生き抜いくことができた。蛮族のごとき粗野であることは、彼女たちの最大の武器であり、生き方であり、誇りそのものなのだ。
「ぷはーっ」
そんな女傑たちの輪の中にイングリッドの姿もあった。ジョッキを一息に飲み干し、盛大に息を吐く。おっさんじみた振る舞いでありながらも、どことなく上品さを感じるのは育ちによるものだろうか。
「ジャンジャンやりなよ、イングリッド! 今日は、あんたが一番の功労者だからね!」
隣に座る年嵩の女傭兵が、イングリッドの手から空になった木樽ジョッキを荒々しく奪うと、代わりに麦酒がなみなみと注がれた新しいジョッキを握らせる。
「あんたが囮役を買ってくれる時は、だいたい仕事が早く片付いてくれるから大助かりさ!」
「あたしらみたいな豚顔じゃ、野盗どもは食いついちゃくれなかっただろうからねぇ!」
「おまけに、あたしらが出張る頃には連中、半壊していたからね。今回はかなり楽させてもらったよ。まったく、末恐ろしい後輩だ」
「えへへ。わたしだけの手柄じゃないですよ。みんなが頑張ったおかげじゃないですか。でも、それはそれとして遠慮なく頂きまーす!」
笑顔で応えると、イングリッドは再びジョッキを掲げた。喉を鳴らしながら一気に半分ほど酒を流し込む。
「あー、沁みますねぇ。麦酒なんて最初は苦いだけでしたが、ずっと飲んでいると、仕事終わりはこれじゃなきゃ収まりが悪くなっちゃいましたよ」
おっさんそのものの台詞に周囲のお姉さま方が大笑した。
「はっはっは。二年前はただ棒振りが上手いだけのただの小娘だったのに、一丁前に酒飲みになったねぇ!」
背中をばしばしと遠慮なく叩かれ、イングリッドは体勢を崩す。危うく残りの麦酒がこぼれるところだった。
(……あれから、もう二年か)
激しく揺れるジョッキの水面を見つめながら、彼女は意識の隅でこれまでのことに思いを馳せた。
――あの屈辱的な婚約破棄の一件の後、イングリッドはノルダール男爵家を離れて、自活する道を選んだ。今では〈止まり木市〉を拠点に、傭兵稼業で食いつないでいる。
自立する手段として、傭兵という仕事を選んだ理由は二つ。
一つは、剣術に覚えがあったこと。
今も昔も、ノルダール男爵家には使用人を雇う経済的な余裕はない。そのため、イングリッドはお嬢様でありながら、生活に関わるあらゆるスキルを身につけなくてはならなかった。炊事や洗濯、裁縫といった家事全般はもちろんのこと、自分の身を守るための技術もその一つだ。
普通の貴族のお嬢様であれば、護衛役を兼ねた近侍がそばに控えているものだが、そんな贅沢は夢のまた夢。自己防衛が当然だったイングリッドは、幼い頃から正統派騎士剣術を修めた父親に師事して、身の守り方、剣の使い方を学び、大人になる頃には父に何度も土をつけるまでに成長していた。
望んで手に入れたものではなかったが、それも自分の一部には違いない。せっかく持っているのなら、それを活かしたいと考えるのは当然だろう。
そして、もう一つの理由は、出生や性別を問われないこと。
傭兵という生き方は、誇りや忠誠心が求められる騎士とは違う。
金払いが良い方に与するのが彼らの流儀。今日の雇い主が、明日の敵になることもしょっちゅうだ。そんな根無し草に、個人の生まれや性別などはさしたる意味を持っていない。
現に、イングリッドが〈紅〉の貴族の血を引いていることは仲間の全員が知っていたが、それだけを理由に彼女を貶める人間は一人もいなかった。入団当初はさすがに好奇の眼差しを向けられはしたが、それだけだ。
その代わり、特別扱いもされなかった。
どんな家柄で、どんな出自だろうと仕事には関係ない。失敗すれば評価が下がり、成功すれば評価が上がる。ただそれだけ。単純であるが故に厳しい世界だ。
しかし、どれだけ過酷であっても、頑張り次第でどうとでも評価を変えられる環境はイングリッドの性に合っていた。
少なくとも、自分の力ではどうしようもない要因で諦めたり、傷つけられてしまう環境よりは、ずっと。
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※次回の更新は4月28日21時を予定しています。