第38話 最強の剣
その時だった。
崩れかけていた天井を一筋の閃光が貫いた。
それはさながら流星のように、屋根の破片とともにイングリッドと刺客たちとの狭間に着弾する。
突然の出来事に、全員の動きが停まった。
まさか、空から人が降ってくるなど誰が想像できただろう?
「あ、ああ……」
イングリッドの喉から間の抜けた声が漏れる。立ち昇った土煙の向こうに見覚えのある人影があった。短く刈り上げられた金色の髪。鋭くも暖かい翡翠色の双眸。その正体に気づいた時、彼女の胸に熱いものが込み上げてくる。
――ずるい。こんなの、感極まるしかないじゃないか。
「玄関はあっちですよ! どこから入ってきているんですか!」
少しだけ喉が震えながらも、イングリッドは声を張った。すると、人影――マルクスは力強く笑った。
「それは失礼した。何分、火急だったのでな。飛んできたのだ。文字通りな」
「飛んでって……」
どこまで本気かわからない口調に、イングリッドがぽかんとする。
ウルスラに連絡を頼んでおいたので、遠からず警吏が動くだろうとは思っていた。しかし、マルクスによる直接の救援は、実のところあまり期待していなかった。政治的な事件なので彼も駆けつけてくれるだろうが、ここまでは馬車で一時間の道のり。マルクスのところまで報告が届き、それから早馬で飛ばしたとしても、到着するにはそれなりに時間がかかるからだ。
「君たちが屋敷を出た時から、跡をつけさせてもらっていた。黒幕が動くとしたら、出立を控えた今しかないからな。道中、何かしら仕掛けてくると思っていた。もっとも、刺客どもに気づかれないくらい離れた位置からの追跡だったから、追いつくのに時間がかかってしまったが」
刺客たちの顔に緊張が走る。彼らの感知能力の範囲外で、すでにマルクスは手を打っていたのだ。
「ああ。道中、君の上司にも会ったぞ。グレタは息のあるうちに、無事に医者の元に運ばれたようだ。あとは医者を信じるしかないが、ひとまずは安心していい。君の上司には感謝しないとな。彼女の助太刀がなければ、間に合わなかったかもしれない」
「はい。あの場に居合わせてくれたのは奇跡です」
「そうかもな。だが、それも含めて君の力だ。一人で生きなければならなかった君が頑張って培った縁だ。誇っていい」
(ああ、この人は……いつでもわたしの欲しい言葉をくれる……)
危機的状況の最中であるというのに、イングリッドは場違いにも胸の中が暖かくなった。確かに、ウルスラの助太刀の部分だけを切り抜けば、幸運で片づけられてもおかしくはない。
だが、ウルスラとの縁は、イングリッドが傭兵として過ごした二年間の頑張りによるものだ。もし、二人の関係がただの他人であるのなら、ウルスラもここまで肩入れしてはくれなかったのかもしれない。
だとすれば、幸運ではなく運命。彼女が引き寄せた、最良の未来である。
マルクスはイングリッドを庇うように前に出ると、エレーヌに向き合った。
「さて。義姉上、矛を収めてください。企てが明るみになった以上、これ以上の争いは不毛です。直に家の者が援軍に駆け付けます。逃げられません。それに……」
ちらり、と刺客たちに視線を向ける。
「その男たちは、残存している反対派の連中が寄こしたものですね。あなたの不安を利用して、私の政策を邪魔しようとする魂胆なのでしょうが、あなたは一つ見当違いをしている。連中はあなたも生かす気はない。私を当主の座から追い出そうというのなら、私の政策のために犠牲になった者が多ければ多い方が、私の追放に賛成する流れが作りやすいはずですから。イングリッドを手にかけた後、あなたも殺されるよう組み込まれていたはずだ」
「そ、そんな……」
エレーヌの顔から血の気が引き、口元を押さえた。
婚約者や、前当主の妻が立て続けに殺されたとあっては、関係する家々からの不信を買う。しかも、それがマルクスが主導する強引な政治的革新による弊害であることをことさらに強調すれば、あわよくば当主鞍替えの流れを作り出すこともできるだろう。
ひょっとすれば、反対派の身内の背後に、ベルイマン伯爵家を傀儡にしようと企む別の〈白〉の貴族も絡んでいるのかもしれない。マルクスの言い分を聞いているうちにイングリッドはそう思った。
「――そこまでわかっていて、引き下がるわけにはいかぬ」
刺客の一人が前に出た。
「依頼主はお前の退陣をお望みだ。婚約者を始末したほうが穏便なだけで、ここでお前を直接排除すれば結果は同じこと。それに、標的の始末に失敗し、依頼人の名を明かしたとあっては、今後、我らの生きる道はない」
「……そうか。哀れだな」
そう言うと、マルクスは腰の刀を静かに抜いた。
その瞬間、彼を中心にした一帯にものすごい重圧が放たれる。どんな状況でも精神を平静に保つ訓練を受けているはずの刺客たちの顔が硬直した。エレーヌは腰を抜かして地面に座り込んだ。
荒れ狂う凄まじい剣気に、背後のイングリッドも乾いた笑みを浮かべる。
(いや、ちょっと、噓でしょ……あの時でさえ手加減していたっていうの……!?)
初めて彼と出会った時、木刀で手合わせしたことを思い出す。あの時でさえ太刀打ちできないという予感に支配されていたが――真剣を手にしたマルクスの重圧は桁外れだ。
「エリム古流ベルイマン派、当代宗主マルクス・ベルイマン。――お相手仕る」
マルクスは刀を正眼に構えると、静かに呟いた。
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※次回の更新は6月2日21時を予定しています。




