第35話 誘拐
「ウルスラ団長……どうしてここに……?」
「行商の護衛仕事だ。この間、この街で収穫祭があっただろう?」
イングリッドは淑女教育に精を出す最中、グレタから収穫祭があると聞いた日のことを思い出した。もしかしたら、かつての傭兵仲間が仕事を通じて街にやってきているかもしれない――そんなことを夢想していたが、まさか現実に起っていたとは。
「ついでに、この街には腕のいい研ぎ師がいるっていうから、愛刀のメンテも兼ねてしばらく滞在していたんだ。そのメンテも終わったんで、街はずれの鍛冶町までに受け取りに行ってきたんだが、道中、きな臭い動きをする連中を見かけてな。関わるつもりもなかったんだが……おっと」
ウルスラが大太刀を軽く振り、草陰から飛来した針を難なく弾いた。
「あと一匹いたか」
その声に応じるように、藪の中から二人目の刺客が現れた。こちらも一人目と同じく平民の格好をしている。ただ、その瞳には輝きがなかった。どこまでも暗く、濁っている。
「……何故、ここが分かった。仲間たちが人払いをしていたはずだ」
「気配を感じたからな」
「気配だと?」
二人目の声には心外そうな響きがあった。暗殺者が仕事に際して気配や殺気を漏らすなど二流のやることだ。事実、車中のイングリッドは彼らの接近に気づけず、攻撃を許してしまっていた。
「気配がない気配さ。なかなかどうして、あんたたちの隠形は大したもんだ。あたしだって直接、あんたたちの存在に気づけたわけじゃない。だけど、人間以上に感覚が鋭い小さな動物や虫たちはどうかな?」
ウルスラが不敵に笑った。
人間には感じられないほど透明化した殺意であっても、小動物たちは鋭敏な感覚はそれを感じ取ることができる。そのため、暗殺者が潜んでいるこの狩場一帯には、難を逃れようとした生き物による空白地帯が発生しており、ウルスラはそれに違和感を覚えたのだ。
こういった違和感は戦場では馬鹿にならない。生き物の気配がない茂みには伏兵が潜んでいることがあるからだ。そういった機微に敏感に察知できるのは合戦帰りのウルスラならではだろう。
「だとしても、どうして邪魔をする? 貴様は傭兵だろう。金の発生しない殺し合いに加担するのか?」
「気持ちよく護衛仕事を終えた後は、気持ちよくホームに帰りたいもんだ。ここで見て見ぬふりをしちゃ、心にしこりが残っちまう。それに、今日はオフでね。傭兵の流儀は引っ込んでいるんだ」
「俺の仲間はどうした?」
「邪魔する奴は斬った。残りは逃げた」
「仲間たちは皆、平民の格好をしていたはずだが。それを躊躇いなく斬り捨てるとは容赦がないな、傭兵」
「直感は外れたことがないんでね!」
地面を蹴ったウルスラ。大太刀の横薙ぎを二人目の刺客はひらりとかわす。そのまま距離を取った刺客は、放置されていた馬車の御者台に飛び乗ると、馬に鞭を入れた。
馬が嘶き、ばらばらと車輪を軋ませ走り出す。
「なっ!?」
イングリッドの思考が一瞬、麻痺した。あの馬車にはエレーヌが乗ったままだったからだ。
「追ってこい、イングリッド・ノルダール」
御者台の刺客の瞳が、そう告げていた。
「馬車くらい諦めろ」
慌てて追いかけようとするイングリッドを、ウルスラが制する。
「違うんです! あの馬車にはまだ人が……エレーヌ様が……!」
「なんだって?」
ウルスラが驚きに目を見張る。
「向こうの狙いはわたしなんです。エレーヌ様を人質にして、わたしを誘い込もうとしているに違いありません」
奇襲に失敗し、ウルスラという予想外の障害が立ちはだかり、仲間も失った。彼らの作戦は失敗だ。このままイングリッドを無事に帰してしまえば、今日のような絶対的な有利な状況での襲撃は今後不可能になるだろう。
だからこそ、奴はエレーヌを人質に取った。イングリッドをみすみす逃がさないために。そして、残った仲間を集めて再度襲ってくるつもりだ。
「だからって、馬鹿正直に誘いに乗ってどうする。それに、この婆さんの状況もかなり不味いぞ。まずは体勢を立て直すのが先だ」
青い顔をして、ぐったりしたままのグレタを見た。幸い、即死するほど強力な毒ではなかったようだが、処置が遅れれば同じことだ。
「……っ!」
本来であれば、自分がこうなっていたのだ。その運命を、グレタが身を挺して覆してくれた。イングリッドの命は、もはや己一人のものではない。伯爵家の未来を支える掛け替えのないもの。
だからこそ、グレタは命を賭けた。その献身を無為にすることはできない。
(……でも)
連れ去られたエレーヌは、伯爵家にとって不要な存在なのか? 自分が無事なら見捨ててよい存在なのか?
確かに、エレーヌの役目は終わった。今後の伯爵家において、彼女の存在はさほど重要ではない。重要度で言えば、イングリッドと比べるまでもない。
……それでも。
夫に先立たれた挙句、子を成さなかったばかりに生家に戻される。捧げた純潔も、尽くした時間も、もう戻ってこない。そんな、貴族という生き方に翻弄された可哀そうな女性を見捨てることはできなかった。
「やっぱり、見捨てられません。ウルスラ団長。グレタさんをどうか医者へところへ連れて行ってあげてください。そして、警吏の屯所へ行って、わたしの名前を出して兵を動かすよう要請してください。領主の嫁だと伝えれば、邪険にはされないはずです」
「……他ならぬお前の頼みだ、やってやるよ」
ウルスラは逡巡したものの、イングリッドが本気の目をしていると理解すると、溜め息を吐いて言った。
「持っていけ」
ウルスラはイングリッドに大太刀を押し付ける。
「お前にゃちょっとばっかしでかいが、丸腰よりマシだろ。メンテしたばっかりなんだから、大事に使ってくれよな」
「ありがとうございます」
「すぐに人呼んでやるから、無理するなよ。生き残るのが傭兵の戦いだ。まあ、お前はもう違うのかもしれんがな」
「……いいえ。傭兵だったわたしも、今のわたしも、等しくわたしです」
イングリッドはグレタを抱えたウルスラに微笑みかけると、大太刀を手に馬車が走った方角へ向かって駆け出した。
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※次回の更新は5月30日時を予定しています。




