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傭兵娘は伯爵夫人の夢を見るか?  作者: 白武士道
第四章 決着をつける傭兵娘
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第33話 襲撃

「出してちょうだい」


 エレーヌが馬車の客室の格子越しに指示を出すと、初老の御者は朗らかに頷いて鞭を振るった。短く馬が嘶いた後、蹄の音を響かせながら馬車がゆっくりと出発する。


 馬車の客室にはイングリッドとエレーヌ、そしてグレタの三人が腰かけていた。今回、エレーヌの側仕えたちは不在である。先日からの人事の縮小を受け、一人当たりの仕事量が増えたことでオーバーワーク気味だったので、外出時の付き添いをグレタが一手に引き受けたのだ。


「それにしても、街へ降りるなど随分唐突でございますわね」


 グレタがエレーヌに言った。


「イングリッドには、この間のお茶会を頑張ってもらったからね。そのご褒美……と受け取ってもらって構わないわ」


「左様でございますか」


「ところで、イングリッド」


「はい」


「後継者作りは順調かしら?」


「――えっふん、えっふん!」


 エレーヌの大胆発言に、思わずイングリッドは咳き込んだ。


「……エレーヌ様。昼間からはしたのうございますよ」


「いいじゃない。ここには女しかいないんだもの」


「御者のトーマスががおります」


「窓格子は締め切っているし、車輪の音で聞こえないわよ」


 そう言って、エレーヌは悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「ねえ、アルって夜はどんな感じ? 激しい? 何回戦くらいするの?」


 ずいと顔を寄せて、エレーヌ。よほど興味があるのか、瞳が星の瞬きようにきらきらしている。


 イングリッドはふと傭兵仲間たちを思い出した。彼女たちも他人の猥談が好きだった。貴族令嬢と傭兵。生まれや立場が違えど、同じ女ということか。


「それがぁ……そのぉ……」


 エレーヌのきらきらした眼差しとは対極的に、イングリッドの視線が気まずそうに泳ぐ。


 その歯切れの悪さでエレーヌは察した。


「……あら。悠長ねぇ」


「まったくでございます」


 呆れるようにグレタが愚痴を零す。


「夜の営みにおいて、多少の強引さは必要です。私の新婚時代などは、もう毎晩毎晩、夫から激しく求められ、毎日寝不足の日々でございました。それに比べ、お館様ときたら……紳士的なのは良いことですが、奥手過ぎるのも考えものです」


「ふふ、グレタ。発言がおばあちゃんになっているわよ。でも、一理あるわね。アルが紳士的なのはわかるけれど、それでお役目が果たせないのは、ちょっと違うものね」


「やはり、ここはイングリッド様から大胆に誘っていただかないと――」


 下世話な話に花を咲かせながら、のんびりと馬車は進んだ。


 件の園芸の店は、主が偏屈な人間らしく街外れに住んでいるらしい。馬車は大通りを経由した後、小一時間をかけて園芸の店があるという街外れまで辿り着く。このあたりまで来ると人の行き交いはだいぶ減少し、風景も藪や廃屋ばかりになる。


(こんなところに人が住んでいるのか)


 窓越しに見える寂れ具合からは、とても店があるようには思えなかった。隠れた名店というやつなのだろうか。


 エレーヌに尋ねようと口を開こうとした時だ。いきなり客室が大きく揺れた。


 馬の嘶きが聞こえ、馬車が急停車する。


「きゃっ!」


 グレタが慌ててイングリッドとエレーヌを手で引き寄せ、揺れが収まるまで客室の隅に身を寄せる。


「……トーマス、何事です!」


 グレタが客室の窓を開けて御者台を確認すると、そこに座っているはずの初老の御者の姿がなかった。不安げに揺れる馬の尻尾が見えるだけだ。


「一体、何が……」


 狼狽するグレタ。次の瞬間、扉が乱暴に開け放たれた。


 間を置かず、一人の男が素早く車内に侵入してくる。平凡な衣装に身を包み込んだ体格のいい男だった。


(こいつ――!)


 男の深く暗い双眸に、イングリッドは直感した。この男は『影の戦士』だ。


 傭兵と同じように金で雇われるものの、その用途は合戦の即席戦力や護衛仕事などではなく――暗殺。戦場から遠く離れた街の中での殺しを生業にした職業的殺人者である。


 平凡な格好をしているのも当然だ。街の中で殺しをするなら、街の中に溶け込んだ方が都合がいい。黒装束に身を包み、闇に紛れるなど二流のすること。本当の殺し屋は闇ではなく人に紛れるのだ。


(狙いは、わたしか……!)


 イングリッドは瞬時に状況を理解した。


 彼らが快楽や趣味で殺しを行うことはない。そんなものはただの殺人鬼だ。職業的殺人者は何者かから依頼を受け、それで報酬を得る立派な職業。つまり、誰かが彼らを雇い、殺しを依頼したということだ。


 この中で狙われる可能性があるとすれば、イングリッドだろう。おそらくはハンナと同様、マルクスの政策を良しとしない保守派の誰かの差し金だ。国家予算集会が間近に迫り、先日のような婉曲なやり方では間に合わないと踏んで、直接、手を下しに来たに違いない。


 侵入した男は武器らしい武器を持っていなかった。当然だ。そんなものを持っていれば街に溶け込めない。故に、彼らが仕事に使う道具は鋼のように鍛え上げられた己の肉体か、あるいは――


(針! 毒か!)


 イングリッドは男の指先を見て、血の気が引いた。彼が握っているのは、艶消しの黒塗りが施された極小の針だ。


 先端には毒が塗られていると考えて間違いない。暗殺に用いられる毒には、刺して数十秒で死に至らしめるような猛毒から、焼けただれるような苦しみを与えてじわじわ殺す遅効性の毒まで多種多様。男がどれを選んだがはわからない。わからなければ応急処置もできない。


 つまり、一撃でも受ければ、詰みだ。


「グレタさん、どいて!」


 イングリッドはグレタを押しのけ遮二無二、男に飛びついた。手首を掴んで、針が二人に向かないよう捻り上げる。狭い車内だ。うまく身動きが取れず、揉み合いのようになった。


 さしもの暗殺者も、彼女の咄嗟の判断と勇気に驚きの表情になる。


「お、おおっ……!」


 咆哮を上げ、イングリッドは男をそのまま馬車の外へと押し返した。


 そして、その勢いのまま自分も転げ落ちる。狭い馬車の中で抵抗するよりは、外に出てしまった方がまだ動きようがある。


 それに――


(わたしが狙いなら、ここからわたしが離れればグレタさんとエレーヌ様の安全は確保できる……!)


 武器も防具も欠いたまま、非戦闘員二人を抱えて無傷で守り抜けるほどイングリッドは自身の実力を過大評価していない。だが、自分一人であればどうにかなる。少なくとも、二人を庇いながら戦うよりは勝算があるはずだ。


(腹を括れ。やるぞ、イングリッド)


 土埃を払いながら、イングリッドは立ち上がった。


ここまでお読みいただきありがとうございます!

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※次回の更新は5月28日21時を予定しています。

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