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傭兵娘は伯爵夫人の夢を見るか?  作者: 白武士道
第四章 決着をつける傭兵娘
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第32話 エレーヌの誘い

 イングリッドは浮かない顔で、一人、中庭の花壇に水を撒いていた。


 側仕えのグレタは少し席を外している。ごく短時間ではあるが、最近はこのようなことが増えた。


 というのも、お茶会以降、屋敷の使用人たちは更に数が減ったからだ。そのため一人当たりの仕事量が増え、常に慌ただしい感じがする。しかし、マルクスの意向で、国家予算集会が過ぎるまでは人員の補充はしないらしい。


 おそらくは、これ以上、不穏分子を屋敷に侵入させないためだろう。


(ハンナさん……)


 イングリッドは、もう屋敷にはいないハンナを思い出す。


 どうにかこうにかお茶会を乗り切った後で、イングリッドはグレタからなぜハンナがあんなことをしたのか説明を受けた。ハンナは、革新派のマルクスに反対する保守派――すなわち従来の〈白〉優位の政策を維持しようとする親族たちの差し金だったらしい。


 保守派の親族は、マルクスが当主を継承する段階で軒並み政の場から姿を消した。正確には、足並みが揃えられぬならば不要と断じたマルクスによって排除されたのである。


 かつて、マルクスが見合いの場で語った通り、融和政策を完遂するという強い意志と、そのために屋敷に招くイングリッドの安全を最大限配慮した結果であるものの、無理な人事を強いたことは否定できない。役を失った保守派の人間の中に、マルクスを恨む者もいただろう。今回の件は、そういった連中の嫌がらせだったのだ。


 ハンナがイングリッドに誤ったドレスを身に着けさせ、お茶会の場で恥を晒すことで麾下の家々からの心証を下げる。そうすることで、礼節さえも弁えていない〈紅〉の家から嫁を取るのはいかがなものかと、麾下の家からの進言という形で干渉する算段だったに違いない。


 悠長な手ではあるが、評判が全ての貴族社会において、恥をかくというのはそれほど重たい意味を持つ。そして、一度張られたレッテルはなかなか剥がれない。〈紅〉の汚名が七十年近く晴れなかったように。


 だが、グレタによって最悪の展開は阻止されたし、コウギョクジバチが紛れ込んだハプニングで夫人たちの心を掴むこともできた。反マルクス派の親族たちの策はまったくの裏目に出たわけである。


 さらに詳しく掘り進めると、屋敷に来たばかりの頃に落ちてきた花瓶もハンナの仕業だったという。事故に見せかけて傷を負わせ、退場を狙ったらしい。時系列を考えると、かなり初期の段階からイングリッド排除ための動きがあったことが窺える。


『すまなかった』


 報告に来たマルクスは、イングリッドに何度も頭を下げた。


『安全に迎え入れるべく、内部を浄化したつもりだったのだが……私のやり方は強引すぎたようだ。結果として、連中を焚きつかせた可能性がある。君を危険に晒したことは、私の一生の不覚だ』


 渋面を作るマルクスに、イングリッドは笑って答えた。


『何言っているんですか。だからこそ、傭兵娘を嫁にした甲斐があったってものじゃないですか』


 そう。イングリッドは危険な目に遭ったこと自体は、どうとも思っていない。自分は普通の令嬢とは違って『戦う』ことができる。それをマルクスに見染めてもらえたのは、彼女の誇りだ。だから、こうしてその力を発揮できたのは喜びである。


 気にかかることがあるとすれば、一点。


 ……果たしてハンナは、イングリッドを恨んでいたのだろうか。それとも、保守派から何らかの圧力をかけられて、無理やりやらされていたのだろうか。


 お茶会が終わった時には既にハンナの姿はもうなく、イングリッドは直接、真意を問いただすことができなかった。


 恨んでくれていたのなら、いい。危害を加えられても納得できるし、だからこそ遠慮なくやり返すことができる。


 だが、もし、権力を笠にやらされていたのだとしたら?


 それを思うと、少しばかり気分が悪い。イングリッドも労働に就いていたからわかる。仕事を失うというのは悲しいことだ。それが自分の意思に関わりなく、上の連中のパワーゲームに巻き込まれたのなら、なおさらだ。


 こういうことは、これきりにしてほしい。イングリッドはそう思わずにはいられなかった。


「背中が丸まっているわよ」


「あ、すみません!」


 投げ掛けられた声に、反射的にイングリッドが背筋を伸ばした。


 伸ばした後で、ふと訝しむ。待てよ。今の声はグレタじゃない。


「精が出るわね、イングリッド」


「エレーヌ様」


 振り向くと、そこに日傘を差したエレーヌが立っていた。


「薔薇を植えたんですって?」


「はい。まずは白の薔薇を植えました。上手くいけば、次は赤い色の薔薇を植えたいと思います」


 そう言って、イングリッドは水の玉を纏い、陽光を弾いて輝く薔薇の苗を愛おし気に見やった。その様子に、エレーヌは目を瞬かせる。


「白に赤。それって……」


「そうです。マルクス様の政策になぞらえた薔薇の庭園にしようかと」


 イングリッドは照れたように笑った。


「……だとしたら、桃色の薔薇も必要ね」


「はあ」


「知らないの? 白と赤の絵の具を混ぜると桃色になるでしょ? そういう色の薔薇をね、旧い言葉でローザというのよ」


「ローザ……」


 エレーヌの言葉に、イングリッドは少し先の世界が鮮明に浮かび上がった。〈白〉のマルクスと〈紅〉の自分。その間に生まれた新世代の後継者の色は、きっと――


「それは、いいですね! 今から植えるのが楽しみになりました!」


 そう言って、イングリッドは喜色満面の笑みを浮かべた。それを見て、エレーヌは笑った。いつもの可憐な微笑みではない。どこか影を含んだ、寂し気な笑みだった。


「……ねえ、イングリッド」


 くるくると日傘の柄を回して遊びながら、エレーヌは切り出した。


「なんです?」


「〈シルネオ〉の街に、わたくしが贔屓にしている園芸店があるの。いろんな種類の苗が揃っているわ。よかったら、一緒に行ってみない?」


ここまでお読みいただきありがとうございます!

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※次回の更新は5月27日21時を予定しています。

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