第2話 女傭兵イングリッド(2)
「こ、殺せぇ――!」
すぐに正気を取り戻した残りの野盗たちは、怒号を上げて娘に襲い掛かった。
包囲の輪を狭めながら押し寄せてくる野盗たちに対し、娘は鎧を鳴らしながら勢いよく前進した。
「逃がすかぁ!」
真っ先に接敵した野盗が白刃を振り下ろす。
技もへったくれもない、ただの力任せの大振りをあっさりと掻い潜ると、娘は返す刀で胴を薙いだ。
「――ぎゃあ!」
一人目の野盗が断末魔を上げて倒れる。その脇を風のように駆け抜けて包囲網を突き破ると、娘は立ち止まって、改めて切っ先を野盗たちに向けた。
逃げる気はない、と言わんばかりに。
「舐めやがって!」
娘は追ってくる二人目を迎え撃った。
刀が交差し、火花が散る。太刀打ちが叶った瞬間、二人目の野盗は口角を上げた。男と女、体格差は歴然。このまま押し潰してやると言わんばかりに、柄を握る手に力を籠める。
その瞬間、娘は脱力した。
閊えていた力が急に通り、野盗が前のめりに体勢を崩したところを、体を開きながら刃を受け流し、反転。無防備な背中を斬りつけ、鮮やかに二人目を葬る。
「このやろぉ――!」
「くらえぇ――!」
息つく暇もなく三人目、四人目が左右から挟み撃ちを仕掛けてくる。少しは気が回る奴がいたらしい。
このままでは挟撃されるのは不利だと判断したのか、娘は迷わず、手にした刀を三人目の野盗に目掛けて投擲した。
本来であれば投擲用に造られているはずがない六尺の刀が、まるで弓矢のように真っ直ぐ飛ぶ。
「ぐぎゃっ!」
銀の軌跡を刻みながら走る鉄の刃が、雷鳴に似た音を立てて野盗の胸に深々と突き刺さる。肋骨の間をすり抜け、切っ先が背中から顔を出した。
苦悶の声を上げながら、三人目が倒れる。これで挟撃する目論見は崩れた。
しかし――
「馬鹿め! 武器を手放してどうする!」
徒手空拳となった娘を見て、四人目が歯をむき出しにして嗤った。
投擲用に設計されていない、ただの刀を投げ飛ばす芸当には目を見張るものがあったが、武器を失っては戦いを続けることはできない。
四人目の野盗は勝利を確信し、そのまま大振りの上段で斬りかかった。
――確かに、ここで勝負はつくだろう。彼女が本当に徒手空拳であれば。
「残念でした」
娘の口元に浮かんだのは静かな笑み。
娘は右手を左の籠手に走らせた。手首の装甲部分が変形し、その隙間に内蔵されたナイフシースから短刀を引き抜く。
そう、彼女の籠手には隠し剣が仕込まれていたのだ。
「なっ……!」
瞬時に再武装した娘にぎょっとするが、もう遅い。
油断して単調になった太刀筋を読むことは容易かった。娘は短剣を肩に担ぎつつ、ぬるりと距離を詰める。頭上に迫って来る切っ先に臆さず、懐の深い位置まで一気に踏み込んで、四人目の手首を空いた左手で押さえた。
斬撃が止まる。
だが、これで終わりではない。すかさず、娘は右手首を掴んだ手を中心に、全身を左回りに反転。四人目の腕の下をくるりと潜り抜け、流れるように前後を入れ替える。
すると、どうだろう。
ただ、体位を入れ替えただけなのに、肩に担いだ短刀が四人目の腕の付け根を深々と切り裂いていくではないか。
「いぎっ!」
まさかそんなところを斬りつけられると思わなかったのか、四人目が痛みから逃れようと反射的に跳び上がった。
その勢いを利用して、娘は四人目を軽々と投げ飛ばす。ちょうど突進してきた五人目に激突。団子のように絡まり合って倒れ込んだ。
……娘の強さは圧倒的だった。
戦闘が始まって一分。たったそれだけの間に、五人もの数が血の海に沈んだ。
だが、順調なのはここまでだった。娘のあまりの強さに、かえって野盗たちは冷静になっていく。数ではまだ勝っていることを思い出すと、改めて組織的に包囲しようと動き出した。
娘がいかに強くとも、単純な数の差は無視できない。怒りに支配されていた時は駆けずり回すだけで包囲を崩して一対一の状況を作れたが、連携を取られると突破するのは難しい。隠し武器もいずれは底を尽きるだろう。このままでは時間経過とともに追い込まれるのは娘のほうだ。
……野盗たちの敵が、彼女一人であることを前提にすれば、だが。
「ぎゃあ!」
「ぐあっ!」
娘の背後に回り入り込もうとした野盗たちが、次々と悲鳴が上げて倒れていく。
その背中には、深々と投擲用の短刀が突き刺さっていた。
戦場の全ての視線が何事かと馬車へと向くと同時に、荷台に積んである木箱の蓋が地面に落ちた。
「――情けないね。ケツからじゃないと女を襲えないのかい」
そこから、ゆらりと伸びる人影。
箱の中から現れたのは、硬革鎧に身を包んだ筋骨逞しい大柄の女だった。
無造作に束ねられた黒髪。化粧っ気の欠片もない浅黒い肌。顔つきは綺麗なのに、頬に残る大きな傷跡が何とも言えぬ凄みを醸し出している。
「こりゃまた、ずいぶん大勢に言い寄られているじゃないか。いい女の宿命ってやつかい、イングリッド?」
大の男でも易々とは振るえないような大型の野太刀を担いで荷台から跳び降りた傷の女は、先頭で油断なく短剣を構えている娘――イングリッドに向けて笑いかけた。
「こういうのにモテたって嬉しくないですよ、ウルスラ団長。よかったら、二、三人もらってくれませんか?」
不敵に笑うイングリッドに、ウルスラと呼ばれた傷の女は白い歯を見せる。
「そんなにくれるのかい。太っ腹だね。だが、あたしら二人だけで味わっちまうのも気が引ける。やっぱり、ここはきちんと山分けしないとな――おら、お前らもさっさと出てきな! イングリッドにばっかり仕事させるんじゃないよ!」
鋭い一喝。すると、残りの木箱もゴトゴトと音を立て始めた。
「うひゃあ! 箱の外、涼しい!」
「夏場にこの作戦は死ぬわぁ……マジで……」
「てめぇら、襲うならもうちょっと早く襲ってこいってんだ! 危うく、箱の中で蒸し殺しになるところだったぞ!」
そんな愚痴を零しながら、まるで畳んでいた首を伸ばす鷺のように、箱の中から武装した女たちが次々と現れた。
イングリッドとウルスラを含め、総勢、六人。
その中に、男は誰一人もいなかった。女だけの武装集団だ。その異様さに、野盗たちはすっかり狼狽してしまう。
「き、貴様ら、一体何者なんだ……!?」
「おや、あたしらが騎士様にでも見えるのかい?」
好戦的な笑みを浮かべながら、ウルスラが一歩前に出る。
戦場に君臨した女たちの装備は一人一人は違った。刀を持つ者もいれば、槍を構える者もいる。斧を使う者もいれば、弓に矢を番える者もいる。鎧だってまちまちだ。組織化され、均一的に訓練されえいるはずの騎士とはとても思えない。
……だとすれば。
「聞いたことあるぞ、〈宵鷺〉……〈止まり木市〉に雇われた傭兵か……! もう俺たちの存在に感づいていたとは……!」
愕然とする野盗たちに、ウルスラは呆れたような表情を浮かべる。
「もう、か。あんたたち、商人の情報網を侮り過ぎだよ。短期間に商人が三組も行方不明になっちまったら、野盗が出ましたって宣伝しているようなもんだ。商人の往来で成り立っている商業都市が黙っているもんかね。こんなわかりやすい囮に引っかかったことも含めて、もうちょっと慎重になるべきだったな」
各地を巡る行商人たちは独自の情報網を持っており、情報の収集と拡散が風のように速い。元々は顧客の競合を避けるためのものではあるが、お互いの生存確認するための手段としても用いられることもあった。
野盗たちがこの地で最初の商人を仕留めてから既に十日以上が経っている。目的地に到着した知らせがいつまで経っても情報網に流れてこないとなれば、彼らの身に何かあったと勘づく同業者も出てくるだろう。
そのようなケースが発生した場合、同じルートを通る他の商人も同様のトラブルが及ぶ可能性があるため、調査隊あるいは討伐隊を派遣して対応する。
通常であれば領主経由で騎士団に要請があるのだが、何かと手続きが面倒で動き出すまでに時間がかかるため、行商人の出入りで成り立っている商業都市などは、自腹を切ってでも迅速に動かせる傭兵を使うのだ。今この時のように。
「どうする? まだ続けるか? 大人しく投稿するなら、命だけは助けてやってもいいけれど」
「「「……」」」
野盗の残党は残り六、七人。
数としてはほぼ同数だが、そのほとんどをイングリッドが単騎で倒していることを考えれば質の差は歴然だ。野盗側にまず勝ち目はないだろう。
生き残った野盗たちはお互いに顔を見合わせ、頷き合うと、次々と武器を地面に捨て始めた。明らかな戦意喪失。ここに戦闘は終了した。
「……わかった。大人しくする。だから、どうか、命だけは助け――」
「――嘘に決まってんだろ」
ウルスラが消えた。
否、消えるような速さで踏み込んだ。
一瞬のうちに空間に刻まれた軌跡は三つ。その数と等しいの首が宙を舞い、やはり同数の胴体が血を噴き出しながら力なく倒れた。
「残念だが、依頼主からのオーダーは殲滅でね。生かすって選択肢は最初からないんだ。……だいたい、襲った商人の命乞いを一人でも聞いてやったことがあるのか、お前たちは?」
野盗たちは言葉を失った。
「行け、お前たち。一匹残らず平らげろ」
「「「おう!」」」
ウルスラの号令を合図に、イングリッドを含めた女傭兵たちは即座に散開。残った野盗たちは、あっけなく全滅した。
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※次回の更新は4月27日21時を予定しています。