第23話 褒美
「いやぁ、変わるものですねぇ」
イングリッドは手鏡に映る自分の顔を見て、感心したように息を漏らした。
てかてか。つるつる。もっちもち。
かつてないほどの素肌コンディション。いつまでも触っていたくなる卵肌。これが美容技術の力というものか。生傷だらけだった傭兵時代がまるで嘘のようだった。
マッサージを終えたイングリッドとグレタは、エレーヌと別れ、もはや定番となった中庭の東屋で小休止を取っていた。
テーブルにはいくつもの形態の茶器が並べられている。用意された茶菓子の種類もいつもより多い。イングリッドの要望もあって、お茶会の作法の練習も兼ねている。エレーヌは気負わなくていいと言っていたが、彼女としては、当日までにできる限りの努力はしたい。
「どうぞ」
グレタが湯気が昇る白磁の茶杯を差し出した。教わった通りの持ち方で、香りを楽しんでから口に含む。
「おや? いつものお茶と味が違いますね」
ほう、とグレタ。
「お気づきになられましたか。ただいまお淹れしましたのは、先日、行商人から仕入れた珍しい茶葉なのです。お味はいかがですか?」
「ふくよかな香りがして、美味しいです」
いかにも違いが分かる女といった感じを出しているが、イングリッドが持っている語彙ではそう評するのが精一杯である。
「それは僥倖。お茶会にお出しする茶葉の候補として、エレーヌ様にも提案してみましょう。イングリッド様がお選びになったとすれば、会話が詰まった時に、話を転がせる材料になりましょうからね」
「それはプレッシャーを感じますね。……それにしても、屋敷に行商なんて来ていたなんて気づきませんでした」
「レッスンで忙しゅうございましたからね。何かご入用のものがございましたか?」
「そういうわけではないのですが、屋敷の中にいると、なかなか外の人間と触れ合えないですから。ちょっとお話ししたかったです」
それはイングリッドの正直な気持ちだった。いざ伯爵家に越してみれば、なかなか屋敷の外に出る機会がない。貴族の一員になった以上、そう易々と下々の者と関われる方がおかしいのだが、つい一ヵ月前まで騒がしい町の中で暮らしていた彼女にとって、対人関係が閉鎖的になりがちな環境での生活は息苦しさを覚えるのだ。
「なるほど。心配せずとも、また参りますよ。今はちょうど秋の収穫祭シーズンですから、行商人があちこちから集まっておりますし。〈シルネオ〉の町などは、毎日がお祭り騒ぎですよ」
「ああ、どうりで。もうそんな時期かぁ」
イングリッドが懐かしそうに目を細めた。収穫祭は、農作物の収穫を祝って行われる恒例行事だ。もともと農村の祭りではあるが、都市部でも行われる。その規模や期間はまちまち。一日で終了することもあれば、三日三晩続くこともある。
「この時期になると、農作物の買い付けに行商が農村に出向きますので、護衛の依頼が増えるんですよね。行きは馬車の荷台に乗せてもらえましたけど、帰りは買い付けた農作物でいっぱいになるから、徒歩で帰りましたっけ。で、荷物を抱えているときに限って野盗が出るんですよねぇ」
在りし日のことを語りながら、イングリッドは笑った。
もしかしたら、この茶葉を運んだ行商を護衛したのは〈宵鷺〉の面々だったり……などと妄想してみる。ありえない話ではない。金さえもらえれば、傭兵はどこへだって行くのだから。
(みんな、元気でやっているかなぁ)
ふと、イングリッドの胸に寂しさが去来する。
ウルスラたち傭兵仲間と別れて一月足らず。寂しくないと言えば嘘になる。自分で決めたこととはいえ、それでも慣れ親しんだ居場所から離れるのは辛く、悲しいことだ。
だからこそ、施術部屋で見たエレーヌの寂しげな顔が忘れられなかった。
愛する夫に先立たれ、この屋敷を去る。それは他人に戻るということに他ならない。夫と同じ墓に入ることもできない。かつての居場所が、手の届かないものになる。それがどれだけ寂しいことは、イングリッドにはわかるつもりだった。
「……ねえ、グレタさん。先代伯爵であるクリストフ様が襲爵されたのはいつでしたっけ?」
「今から四年前でございますね」
「エレーヌ様が嫁いできたのは?」
「喪が明けた一年後でございます」
「ということは、エレーヌ様が伯爵家に嫁いで三年。……若い二人が三年間、頑張っても子供ができなかったんですね」
望まずとも子を成すこともあれば、どれだけ望んでも子を成せない場合もある。人間も生き物だ。完全でも完璧でもない。個体差があり、揺らぎがある。思いのままに行かないからこそ、子は天からの授かり物なのだ。
「伯爵家に尽くしてきたのに報われないのは、悲しいことですね」
神妙な顔つきでイングリッドが言った。グレタも頷く。
「ええ。私も一人の女として、愛した夫と同じ墓に入れない無念は理解しているつもりです。ですが、嫁して三年子なしは去れというのが習わし。仮にクリストフ様がご存命だったとしても、子供ができないのであれば、遠からず離縁しなければならなかったかもしれません」
「……それが貴族の婚姻、か」
エレーヌに限った話ではない。イングリッドもまた妻として、子を孕み、産むことが当然のように求められる。もし、それが叶わなければ、自分だって同じように離縁になるだろう。
……すると。
「ここにいたのか」
涼やかな声。
中庭にマルクスが現れた。政務用の長衣を翻しながら、悠然とした歩みで二人のいる東屋の軒下にやって来る。
「マルクス様」
「同じ屋敷にいるというのに、久しく会っていなかったな。どうだ、薔薇の植え替えのほうは?」
「お陰様で順調ですよ」
にこり、とイングリッドは東屋のそばの花壇を見やった。注文していた薔薇の大苗が届き、鉢から植え替えを行っている。まだ茨が伸びているだけではあるが、今のところは枯れる様子もない。
「ほう。いい感じだな」
「この間はありがとうございました。手伝ってくれて」
「なに。私としてもいい息抜きになった。また手伝いが欲しかったら言ってくれ」
そう言って微笑むマルクスはどこか饒舌だった。心なしか表情も晴れやかだ。
「……なんだか、ご機嫌ですね。何かいいことでも?」
「わかるか?」
意味深に片頬を上げるマルクスに、イングリッドは首肯する。
「実はな……政務が一段落したのだ」
そう言って、マルクスは誇らしげに胸を張った。
「一時はどうなることかと思ったが、人間、やればできるものだ。いやはや、ようやく自由の身だ。間に合ってよかったよ」
(よっぽど期限に追われていたんですね)
イングリッドが口元を押さえた。〈王国最強〉の剣士にして、伯爵ともあろうマルクスが、市井のどこにでもいる筆仕事の男と変わらない態度をしてしまっていることが滑稽で、思わずくすりとなる。
イングリッドの中で、マルクスに対する気持ちの変化はあまりない。依然として、お互いの利益のために結婚したという部分が大きく締めている。エレーヌのように臆面もなく『愛している』と言える関係性にはまだ発展していない。
だが、エレーヌの境遇を深く知ることができたからだろうか。夫となるべき男が健在で、こうして微笑みかけてくれるということ。ただそれだけのことが、何よりもありがたいことなのだと今は思える。
政略結婚だった父と母がそれでも仲睦まじくなったのも、こういう日々の小さな思いの積み重ねによるものなのだろう。その気づきを、イングリッドは大事にしたかった。
「そういえばな、イングリッド」
「はい」
「しばらく顔を合わせないうちに、一段と綺麗になったな」
「……え」
「肌もそうだが、居住まいに艶がある。君の日頃の頑張りが伝わってくる」
「あ、いや、その……ありがとう、ございます……」
いきなりの言葉に、イングリッドの頬が熱くなる。
自分なりに務めを果たそうとしているだけだが、やはり、努力を認められ、褒められるのは嬉しかった。
「成すべきことを頑張ったのだ。お互いに褒美の一つもあって然るべきだろう」
「は、はぁ。何か頂けるんですか?」
「――今夜、君の部屋に行こうと思う。眠らずに待っていてほしい」
(褒美って、それ!?)
イングリッドは息を呑んだ。ついにその時が来たのだ、と感じた。何という破廉恥な誘い文句。だが、エレーヌの話を聞いた後では、恥ずかしいだのなんだの言っていられない。
「……かしこまりました。お待ちしております」
意を決したイングリッドが返事をすると、後ろでグレタがガッツポーズをした。
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※次回の更新は5月18日21時を予定しています。




