第22話 お茶会のお誘い
「湿っぽい話はお終いにしましょう」
エレーヌはイングリッドに向かって、にっこり微笑んだ。
(助かった)
イングリッドは内心で胸を撫でおろした。
若くして夫を亡くし、尽くしてきた家をそれでも去らねばならなった人生の先輩に対して、欠けるべき言葉など持ち合わせていない。
それに、エレーヌが伯爵家を去ることになったのは、イングリッドのせいだとする見方もできるのだ。
跡継ぎが不在の今、伯爵家は存続の危機である。当主であるマルクスの結婚と後継者作りは融和政策よりも優先しなければならない。
もし、喪が明けるまでに適当な〈紅〉の女が見つからなければ、エレーヌがそのままマルクスの妻として収まる未来もあった。そうなれば、エレーヌは少なくとも亡き夫の思い出が詰まったこの屋敷を離れずに済んだだろう。
しかし、現実としてイングリッドがここにいる。彼女の存在が、エレーヌが嘱望する未来を阻んだのだ。無論、それぞれに事情があった。誰のせいでもない。人生のままならなさを痛感する。
「話は変わるけどね、イングリッド。わたくし、近々、お茶会を催そうと思うの」
「お茶会……ですか」
いまいちイメージが湧かないのか、イングリッドが首を傾げた。
「伯爵家麾下のご婦人方をお招きしての会合ですよ。会議と呼べるほど公ではございませんが、社交の一形態ではあります」
イングリッドの左ふくらはぎを揉んでいたグレタが補足する。
モリスト地方の支配者はベルイマン伯爵家だが、その広大な領土すべてを伯爵家の人員だけで管理しているわけではない。ベルイマン伯爵は、いわば地方政府の長であり、幾人もの下級貴族を麾下に加えて分割統治を行っている。
そのため、領地全域を滞りなく管理するためには他の家々と連携が必要不可欠だ。もちろん、マルクスも各当主たちとのやり取りする場は最低限設けているが、情報収集、および共有できる機会は多ければ多い方がいいのは言うまでもないだろう。
多忙を極めるそれぞれの夫に成り代わって、その妻、娘たちが集まって情報交換が行う催しが、いわゆる『お茶会』だ。その企画を立案し、実行、手配するのは伯爵夫人の務めと言えた。
「それで、あなたには次期伯爵夫人としてぜひ同席してほしいと思っているのよ」
「……ありがたいお誘いではありますが、わたしはまだ婚約者の立場です。そういった政治に関わる場に参加してよいものか、計りかねます」
イングリッドは慎重に答えた。
「大丈夫よ。アル――もとい、お館様の許可は頂いているわ。いい機会だから、夫人としての仕事を教えてやってくれって」
「左様ですか。しかし……」
「しかし?」
歯切れが悪そうなイングリッドに、今度はエレーヌが首を傾げる。
「お茶会なのでしょう? お茶、飲むんですよね?」
「そうね。お茶会だから。お酒の方が良かった?」
「はい。……いや、そうではなく。その、日常的な所作については何とかやれていると思うのですが、お茶や茶菓子などの特殊なケースの作法はまだ勉強不足で……」
恥ずかしそうにイングリッドは頬を掻いた。
庶民と同等の生活をしてきたイングリッドにとって、上流階級の食事作法、いわゆるテーブルマナーは複雑怪奇な技術であった。食器の持ち方、使い方。物の食べ方。箸の一善に限定してでさえ六十種類以上の作法がある。
そして、お茶と茶菓子。これも用意された形式によって作法が違ったりする。
茶器の持ち方。口のつけ方。座り方。茶菓子も、切り分けて楊枝で食べるもの、あえて手で割って食べるもの。それぞれに守らなくてはならない順序と所作がある。
休憩時にグレタが茶を用意してくれるので、イングリッドも大まかな括りとしては知っているのだが、個別の種類に応じたやり方は未だ身についていない。
「……そうなの?」
エレーヌがグレタに問いかける。
「遺憾ながら。二ヵ月先の国家予算集会に間に合うよう、カリキュラムを組んでおりますので。会食の作法についても、宮廷料理に絞って行うつもりでした」
「そうね。短期間で詰め込むのも限界があるし、山を張るくらいじゃないと到底間に合わないわよね」
「そういうわけなので、ちょっと自信が……」
「そんなに気負わなくてもいいわ。今回は同席して、みんなのお話相手になってくれればそれで十分よ。仕事の話もするけど、大部分は夫の愚痴だから。頷いて、共感さえしていれば大丈夫よ」
「そういうものですか」
「そういうものよ。あ、でも。今回はわたくしの方で手配はしているけれど、次からは招待状の用意から手伝ってもらえると嬉しいわね」
「はい。是非、やり方を教えてください」
「ありがとう。それじゃあ、グレタ。当日の衣装の用意をお願いね」
「かしこまりました」
それ以降は、他愛ない話が続いた。
いざ話をしてみると、エレーヌは思ったよりも気さくで、茶目っ気のある女性のようだった。もし、自分に姉がいるとしたら、こういう感じなのかもしれない。イングリッドはそう思った。
(……わたしの考えすぎだったのでしょうか)
しかし、だとすれば。
なぜ、初対面の時に、あのような態度をとったのだろう?
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※次回の更新は5月17日21時を予定しています。




