第12話 仲間との別れ
「嫌だぁ! イングリッド、辞めないでぇぇぇ!」
涙と鼻水を垂れ流した情けない顔で抱きついてきたユニに、イングリッドは苦悶の表情を浮かべる。
縁談から一週間。傭兵としての活動拠点である〈止まり木市〉に戻ってきたイングリッドは、馴染みの酒場で女傭兵団〈宵鷺〉の面々に何があったかを説明した。
縁談の末、婚約することになったこと。遠からず結婚するため、傭兵の仕事は続けられなくなったこと。あまりにも急な出来事に困惑する仲間たちだったが、特に仲の良かったユニは途中から泣き出してしまい、イングリッドに飛びかかったのである。
「く、苦しい! 苦しいですって、ユニ!」
喉から悲鳴が出る。抱き着いてくるのはただの女ではなく、ガタイのいい女傭兵。それが力いっぱい抱き着いて、ただの抱擁では済むはずがなかった。鍛え上げられた筋肉による圧と熱による締め付けは、もはや拷問の域にある。
挨拶だけだからと、私服で来たのが悔やまれる。愛用の鎧を装備してくれば、単なる締めつけなど……いや、だめだ。鎧を着たら着たで、きっと関節技に切り替えてくる。どのみち、痛い思いは避けられそうにない。
「辞めないって言ってぇぇぇ」
「だが断る!」
「ナニィ!」
「……やめな。見苦しい」
泣き崩れながら、なおもイングリッドを締めつけるユニの後頭部を、年嵩の女傭兵が呆れ顔で叩いた。ちょっとだけ力が緩み、イングリッドは一息吐く。
「結婚を匂わせた奴から死ぬってジンクスを打ち破って結婚することになったんだ。素直に祝ってやりなよ」
「だってぇ、あたらしらは結婚しない代わりに生き残らせてもらっていたんだよ? そう信じていたんだよ? でも、そのジンクスが否定されたら、あたしらは結婚しないんじゃなくて、ただの結婚できなかった女たちってことになるじゃんかぁぁぁ!」
「それは確かに」
ユニの魂の叫びに、年嵩の女傭兵が思わず得心する。
「その真実は闇に葬るべきだな。ユニ、続けな」
「よっしゃー!」
「うごご……!」
再度、強まる締め付け。まったく、何という仲間たちだ。人がせっかく菓子折りをもって挨拶をしに来たというのに。
「なんだ? 何の騒ぎだ?」
「何でも、〈宵鷺〉のイングリッドが抜けるんだってよ」
「はん。そりゃまたどうして?」
「結婚するんだと」
「なに! 結婚!? おれ、狙っていたのに!?」
ユニが馬鹿のように喚いているせいで周囲が騒がしくなってきた。いや、もともと酒場は騒がしい場所ではあるのだが、悪目立ちしている。騒乱が騒乱を呼ぶ兆し。
溜め息を吐きながら、ウルスラがはしゃいでいるユニの後頭部に素早く手刀を叩き込んだ。
「……落ち着け、馬鹿者」
「あふん!」
あまりよろしくないところに手刀が入ったのか、ユニは奇声を上げながら汚い板張りの床に倒れ込んだ。その隙にようやくイングリッドは戒めから脱出する。
「ありがとうございます、ウルスラ団長」
「いや。それよりも、いいのか、イングリッド。お前さん、結婚だの何だのは懲りていたはずだろう?」
「……覚えていてくれたんですね」
気づかわし気なウルスラの言葉に、イングリッドは思わず微笑んだ。
――貴族のお嬢様が、こんな底辺に何の用だ?
自立をすると決めた二年前。女傭兵団の門を叩いた時、ウルスラはイングリッドにどうして傭兵になる道を選んだのか尋ねたことがある。その時の返答を覚えていてくれたらしい。
「お前は、あの時に言ったな。生まれも、性別も、家柄も関係ないからこそ、この道を選んだのだと。イングリッドという個人で勝負できる世界だから、やって来たのだと。だが、お前がこれから行くのは、その真逆。生まれと、性別と、家柄が求められる世界だ。本当に後悔しないか?」
マルクスは貴族社会における〈紅〉と〈白〉の溝を埋めるためにイングリッドに求婚した。それを受けるということは、彼の目的が果たされるその時まで、周囲からの否定的な視線に最前線で晒され続けるということだ。
「……はい」
覚悟を問いかける鋭い視線に、イングリッドは一歩も引かなかった。
「わたしの夫となる御方は、わたしだから選んでくださいました。他の誰でもない、イングリッド・ノルダール個人を。わたしはその誠意に報いたいのです。それがたとえ、理不尽の世界に戻ることになろうとも」
静かに断言したイングリッドの真っ直ぐな瞳を見て、ウルスラは困ったような表情で小さく鼻を鳴らした。
「お前にそこまで言わしめるとは、よほどの相手なのだろうな。どんな奴か顔を拝んでみたいよ」
ウルスラはイングリッドの肩を力強く叩くと、白い歯を見せて笑った。
「覚悟が決まっているなら、いい。離縁したら戻ってこい。またこき使ってやる」
「……ありがとうございます!」
「さあ、お前たち。湿っぽいのはなしだ。あたしたちの流儀は何だ? 男どもが引くくらい野蛮なことだろう? せっかくのイングリッドの門出だ、今宵はいつもどおりに飲み明かそうじゃないか!」
「「「うぇーい!」」」
ウルスラの号令に〈宵鷺〉一堂が拳を上げる。意識を取り戻したユニが慌ててそれに加わり、いつものように酒盛りが始まった。
最後まで傭兵団の一員として変わらず接してくれている仲間たちに、イングリッドは胸がつかえそうになる。
伯爵家に嫁げば、もう彼女たちと会うこともできないだろう。最後になるかもしれない仲間たちとの酒を、彼女は心行くまで楽しんだ。
それから一ヶ月後。
夏の盛りも過ぎ、涼しげな秋の風が吹き始めるようになった頃。予定通り、ノルダールの屋敷にベルイマン伯爵家から何名もの護衛と、道中の身の回りの世話をする従者を引き連れた馬車が到着した。
「それではお父様、お母様。いままでお世話になりました。行って参ります」
屋敷に運び込まれる山のように積まれた結納品(鎧の借金込み)と入れ替わる形で馬車に乗り込んだイングリッドは、父母、そして弟に見送られながら、マルクスが待つモリスト地方へと旅立っていった。
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※次回の更新は5月7日21時を予定しています。




