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傭兵娘は伯爵夫人の夢を見るか?  作者: 白武士道
第一章 縁談がきた傭兵娘
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第10話 婚約を賭けて

 ――そして。

 屋敷の中庭に出たイングリッドとマルクスは、互いに木刀を構えて対峙した。


 両者ともに正眼に構え、二間の距離を置いて向き合っている。


 あと一歩でも踏み込めば互いの刃が届く位置取り。しかし、お互いに撃ち込む気配はなかった。手合わせを開始して、すでに五分が経過しているというのに、静謐を保ったまま手の内を探り合っている。


(……剣に未来を占わせるとは、我ながら頭の悪い提案ですね)


 勝ったら結婚するのか。負ければ結婚するのか。どちらがどうと、打ち合わせてから始めたわけではなかった。ただ、剣を合わせる。そうすれば、おのずと自分が取るべき答えが見えてくるだろうと思ったのだ。


 剣士にとって、剣は自身を映す鏡。己の生き方そのものだ。


 清らかな魂であれば真っ直ぐな剣筋をしているものだし、やましいことを抱えていれば剣筋は歪み、曇る。刃の重なりは、言葉よりも雄弁に遣い手のの人生を語るのだ。お互いを知り、深く理解するのに、これ以上の方法はない。その上で決めたらいい。相手を知り、己を知れば、おのずと選ぶべき答えが見えてくるはずだ。


 ――それにしても。


(……これが、〈王国最強〉か)


 木刀を構えるマルクスの、あまりにも自然な佇まいにイングリッドは舌を巻いた。打ち込む隙など微塵もなく、逆に、こちらがわずかにでも隙を晒せば即座に打って来るだろう。静かな対決ではあるが、彼女の内面は平静を装うだけで精一杯だった。


(あの背丈に、筋肉の厚み……接近を許せば、わたしの筋力じゃ間違いなく圧し潰される。搦め手以外に手はないか)


 女が、男に力比べで勝つことは困難である。ウルスラのように男顔負けの恵体を授かった女がいないわけではないが、それはあくまで個体差。全体的な傾向としては骨格も筋力も男の方が優れている。これは生物的に設計された性差であり、いくら喚いても変わりようのないものだ。


 しかし、だから女は男より弱いと考えるのは心得違いというもの。


 確かに、優れた体格や筋力は戦いを有利に進めてくれるが、それはあくまで勝利に関与する要素の一つに過ぎない。力が強いほうが勝ちやすいのは間違いないが、それだけで勝敗が決するほど現実の戦闘は甘くない。


 戦いとは多面的なものである。何らかの要素が劣っていたとしても、別の何かで補えば勝機はある。力で勝てないのなら技術で、体格で勝てないのなら小回りで。それでも足りないなら知恵を使い、人脈を使い、優れた装備を使い――あらゆる要素を使って、勝負が決まる瞬間までに相手を上回ればいいだけだ。


 ――それでも。


(この試合、わたしは絶対勝てない)


 イングリッドはそう結論した。あらゆる要素を加味しても、マルクスとの間にはそれほどの実力差がある。いやしくも傭兵として実戦を駆け抜けてきたと自負する彼女にとっては、認めたくはない残酷な現実だった。


 泰然自若に構えるマルクスは動かない。持久力も彼に分がある。このまま硬直状態が続いても、いずれはジリ貧だ。圧に押され、先にボロが出るのはイングリッド側。少しでも隙を見せれば、ただ撃ち込まれるだけ――。


 しかし、そこで改めて思い出す。この手合わせは勝つことが目的ではない。あくまで互いを知るために行っていること。重要なのは勝ち負けではなく、この局面でどう自分らしく臨んだかだ。


(……頼むわよ、()()()()()()


 イングリッドは己の身を包む具足に心の中で囁いた。あの打ち上げの席で何気なく与えた鎧の名。自分にこの道を選ばせた少年剣士に連なる響き。


 わずかに、ほんのわずかに。

 イングリッドは頭を前方へ傾けて、誘いをかける。ただし、重心はそのままだ。前進する意思はない。そういう気配だけを叩きつける。


(……今だ!)


 イングリッドの誘いに応じたマルクスが一歩距離を詰めた。


 それと同時に、彼女は正眼の構えのまま腕を引き、突きの要領で木刀を()()()()


 これも飛剣の一種だった。


 ただし、投擲というのは語弊がある。実際には、肘の屈折、手首の返し、そして指の力で前方へ()()()()()()というのが正しい。ほとんど予備動作がないため威力もスピードもまったく足りず、これでは攻撃とは呼べないだろう。木刀はもちろん、真剣であっても相手に突き刺さることはないはずだ。


 そこで、相手の踏み込みを利用する。投擲自体に威力がなくとも、相手が()()()()()()()()()()()話は別だ。多少なりと傷を負わせることができる。


 ――しかし。


 たった一本しかない木刀を手放すという奇策を、マルクスは眉一つ動かさずに叩き落した。あまりにも正確で素早い防御。未来を見通していたとしか思えないほどに、あっさりと防がれてしまった。


(動揺一つしないなんて……!)


 重心を半歩ほど後ろに下げながら、イングリッドは歯噛みする。想定していたとはいえ、ここまで効果がないとは恐れ入る。


 しかし、イングリッドの攻撃はまだ終わっていなかった。投擲は本命ではない。あの野盗討伐の時と同様に、重要なのはやぶれかぶれ感を出して、これ以上打つ手がないとマルクスに誤認させること。そして、払った後の動作を誘導することだ。


 ()()()()を払い落とすために、マルクスが切っ先を下げた以上、そこから繋げてくる攻撃は突きしかない。


 無論、中段に戻し、攻撃の選択肢を増やす手もちろんある。だが、イングリッドは飛剣を遣った時点で重心を後ろに下げた。すぐにでも攻撃に転じなければ、間合いの外へと離脱する構え。それを逃すまいとすれば、突きしかない。


 それを躱してしまえば、イングリッドの勝ちだ。刺突を放てば腕が伸びきる。躱して懐に入れば、まず反撃はない。無論、石火の速度で迫る切っ先を回避するのは至難の業だが、来るとわかっていれば何とかなる。いや、何とかする。


「……っ!」


 実際、何となかった。喉元に走る唸るような切っ先を、イングリッドは体を開きながら辛うじて躱す。剣風を頬に感じながら、()()()()()()()()()()()。すれ違うようにイングリッドも刺突を繰り出した。


 これは手合わせ。腕試しだ。しかも、木刀試合。にもかかわらず、合意が取れていない追加の武器、しかも真剣を、イングリッドは躊躇いなく使用した。もし、傍観者がいるとすれば、卑劣極まる行為だと言うだろう。そこまでして勝ちたいのかと非難をぶつけるだろう。


()()()()()()()


 イングリッドは空想の誹謗中傷を迷いなく断じる。


 実戦に必要なのは、どんな手を使っても生き残るという意志と手段だ。正々堂々で死んだら意味はない。反則技を使ってでも生き残ることが大事なのだ。それが傭兵の生き方だし、何より――マルクスが自分に求めているのは、こういう強さなのだとイングリッドは理解している。


(これがノルダールの剣と傭兵剣法の組み合わせ、わたしだけの剣だ! 受けてみろ、〈王国最強〉!)


 ――ところが。


「あ」


 間抜けな声が漏れた。


 突き出した短刀は、マルクスには届かなかった。いつのまに柄から離していたのか、マルクスの左手がイングリッドの右手首を掴んでいる。そのまま足を掛けられ、勢いを利用されるままに前のめりに転倒した。


「ぎゃん!」


 犬のような悲鳴を上げるイングリッド。すぐに立ち上がろうとするが、鎧の重さが邪魔をする。そして、それを見逃すほどマルクスは愚鈍ではなかった。


「終いだ」


 こんこん、とマルクスの木刀が鎧の装甲を叩く。勝負あった。


「今のは飛剣だな。どうやら、仕事仲間にヤサカ傭兵の出身がいたと見える」


「……よくご存じで」


 涼やかな顔をしているマルクスにイングリッドの顔が渋くなる。彼は汗一つかいていない。準備運動にもならなかったと言わんばかりに。


「これでも軍属だったからな。傭兵と組むこともあれば、傭兵と敵対したこともある。引退したとはいえ、君たちの戦術についてはまだまだ頭に残っているつもりだ。それに……」


「それに?」


「具足をそのままにしているからな。何かあるだろうとは思っていたんだ」


「ぐぬ」


 イングリッドは己の迂闊さに打ちのめされた。木刀での手合わせだ。真剣ではないのだから、鎧を脱いで戦う選択肢もあったはず。なのに、そうしなかった。マルクスはその()()()()()理由を考え、そして、すぐに答えに行きついたのだ。


 いや、もう。なんというか――


「……完敗です」


 イングリッドは力なく笑った。格の違いとは、こういうことを言うのだろう。


 負けたら結婚しなくてはならないわけではなかったが、実際にマルクスの剣には曇りはなかったし、淀みもなかった。その太刀筋の清廉さは、彼のあるがままの心だったのだろう。彼は本気で貴族社会を変えたいと思っているし、そのためにイングリッドを妻にしたいという気持ちにも一片の偽りがない。


(ここまで真っ直ぐだと、もう認めるしかないようですね)


 自分には結婚は贅沢だと諦めていた。けれど、大義がある。利益がある。そして、自分イングリッドでなければならないという理由まである。ここまでお膳立てされたとあっては、もはや、諦めたままでいるほうが格好悪い。


 自分には、もう一度、結婚するチャンスがあるのだ。


 ……それはそれとして。


「分からされたみたいで、普通に悔しいです。あーあ。あんな姑息な手まで使ったのになぁ」


「なんだ。勝つつもりだったのか」


「自分が負けるとは露ほどにも思っていなさそうな言い草ですね。まあ、そうでしょうけど。そりゃあ勝つつもりでしたよ。もし、マルクス様に土をつけていたなら、わたし、一躍有名人じゃないですか。そしたら、良い宣伝になるでしょ。結婚するにせよ、しないにせよ、転んでもただじゃ起きませんよ」


 唇を尖らせたイングリッドの言葉に目を丸くしたマルクスは、一瞬の沈黙すると、堪えきれなくなったように息を吹き出した。


「む。何ですか。何がおかしいんですか?」


「はは。いや、なに――()の嫁には、それくらいの負けん気が強いほうがちょうどいい、と思ってな」


 そう言って、マルクスは屈託なく笑う。その少年のような無垢な顔にイングリッドの心臓がどきりと跳ねた。


ここまでお読みいただきありがとうございます!

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※次回の更新は5月5日21時を予定しています。

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