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傭兵娘は伯爵夫人の夢を見るか?  作者: 白武士道
第一章 縁談がきた傭兵娘
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プロローグ

「イングリッド・ノルダール嬢! 貴女との婚約はなかったことにして頂こう!」


 事前の連絡もなく屋敷に押し入ってきた婚約者が放ったその一言は、中庭のテラスで編み物をしていたイングリッドの平穏を打ち砕くのに十分すぎるものだった。


「い、一体、どうなされたのですか、ニガート様……?」


 ものすごい剣幕で詰め寄ってくる婚約者の姿に、イングリッドは激しく動揺する。


 どうして彼がそんなことを言い出したのか、彼女にはまるで心当たりがない。隠そうともしない敵意に晒され、ただただ戸惑うばかりだ。


「聞こえなかったのですか! 婚約を破棄すると申し上げたのです! よくも、この私を騙してくれましたね!」


 語気を荒げる婚約者に、ますますイングリッドは混乱する。


(婚約破棄? 騙した? 一体、何を言っているの……!?)


 一度は将来を誓った男から親の仇を見るような目で睨まれ、彼女の胸中には困惑と、驚愕と、恐怖――それらが()()()()になった複雑な感情が渦を巻いて膨らんでいった。


 婚約者であるニガードは、イール地方で名のある豪商パンドゥーロ商会の長を世襲した二代目である。


 貧しい個人商から一代で財を成した先代とは違って、生まれた時から何不自由ない生活を送り、欲しいものは何でも手に入れてきた彼は、優男風な見た目に反して非常に傲慢な性格をしており――最近では店の看板を継いだだけでは満足せず、先代を超えるという野心を抱くようになっていた。


 そんなニガートが、ノルダール男爵家の令嬢に縁談を持ち掛けたのが一ヵ月ほど前の話だ。


 貴族の縁者になれば、商会の看板に泊がつく。そんな、あまりにも下心が見え透いた縁談にノルダール男爵家の当主は眉を顰めたが、当の本人であるイングリッドはそれを快く受け入れていた。


 それは、彼女なりに家のためを思ってのことだった。


 貴族の結婚は政治であり、お互いの家を繫栄させるための取引。従って、益にならないと判断された家にはそもそも縁談はやって来ない。


 事実、没落の一途を辿っているノルダール男爵家から嫁を取りたいと思う貴族は、これまでに一人として現れなかった。結婚するにはうってつけの、元服したばかりの若い娘がいるというのに、だ。


 このまま結婚の当てがないまま適齢期が過ぎてしまうくらいなら、いっそ、豪商に嫁ぐのは悪くない選択肢である。少なくとも、イングリッドにはそう思えた。


 そうすれば、結婚支度金として多額の資金援助も受けられるし、それを元手に領地の運営を立て直すことができる。男爵家の跡継ぎである弟の結婚費用だって賄えるだろう。


 相手を選り好みしないこと。それが、これまで自分を育ててくれた家族に対して自分ができる唯一の献身なのだと、彼女は考えていた。


 とはいえ、ニガードの評判を聞いたイングリッドが、これからの結婚生活に不安を感じなかったと言えば嘘になる。


 しかし、結婚そのものは家同士の政略だったとしても、一緒に暮らしていくうちに育まれていく愛の実在を彼女は知っていた。己の父母がそうだったからだ。


 どんな相手であっても、良いところを探していこう。真心を込めて相手に尽くし、受け入れよう。そうすれば、きっと父と母のような夫婦になれる。


 そう心に決め、式までの日取りを指折り数えて待っていたイングリッドの健気な思いは――今日、無残にも踏みにじられた。


「お、落ち着いてください、ニガート様。あまりにも唐突すぎます。一体、なにがどうなって……」

「この期に及んで、まだとぼけるおつもりですか!」


 しどろもどろになりながらすがり寄ろうとするイングリッドを、ニガードは忌々しそうに腕を振って制した。まるでハエでも払うような邪険な仕草だ。決して、婚約者に対して行う振る舞いではない。


「男爵家の娘を娶れば、他の貴族へのコネクションを開拓できると踏んで婚約を持ち掛けましたが、よくよく調べてみれば、貴族は貴族でも、ノルダール男爵家は〈あか〉の末裔だというではないですか!」

「……っ!」


 イングリッドは驚きの余り絶句した。

 それは、図星を突かれて痛かったとか、隠し事を暴かれて衝撃を受けたというようなことではなく――()()()()()()()()()という驚愕だった。


「そ、それをご承知の上での婚約だったのでは……!?」

「馬鹿を言わないでください。前もって〈紅〉だと知っていれば、端から縁談など持ちかけませんよ。汚らわしい国賊の血筋などにね!」


 ニガードはイングリッドを強く指さし、そう吐き捨てた。


 結婚する相手の血縁くらい、縁談の前にさらっておくのが常識だ。


 しかし、この二代目は、金で取り入ることができそうな没落貴族を見つけただけで良しとして、身辺の調査をうっかり見落としていたらしい。


 商人としては致命的な詰めの甘さだったが、それを冷静に受け止められるくらいの器を持っていれば、そもそもこんなに激昂してはいないだろう。


「私が欲したのは貴族との親戚関係という箔。どれだけ没落していようとも、私の采配があればネームバリューを使って販路を拡大する自信がありました。……が、貴族社会の風潮だけはどうしようもない。危うく、我が商会の看板まで風評で穢れてしまうところでしたよ! このまま婚姻を結んでしまえば、他家への伝手を手に入れるどころか、どの貴族からも相手にされなくなるところだった!」


 ニガードの主張は言いがかりに等しい。パンドゥーロ商会のほうから縁談を持ち掛けておきながら、貴族社会の事情を把握する努力を怠ったのを棚に上げて、まるでノルダール男爵家に落ち度があるかのように語っている。プライドが高い人間にありがちな他責思考。


 だが、ニガートの発言は貴族に対する明確な侮辱行為だ。


 いかに豪商とはいえ、一介の平民が貴族の名誉を棄損するようなことがまかり通ってはならない。


 だが――爵位と多少の土地を持っていても、ただ金を持っているだけの平民に不当に扱われてしまう。そして、それに対して強く言い返せない。


 ――何故なら。

 ノルダール男爵家は〈紅〉の家。すなわち国賊の血筋。当時の王の温情で剥奪を免れただけの、貴族の落ちこぼれ。それがノルダール男爵家が抱える現実だった。


「進んで生い立ちを申し出ればいいものを、財産権を手に入れるためにあえて黙っているとは、盗人猛々しいとはまさにこのこと! ああ、本当に結婚前に手を出さなかったのは英断でした! 子供でもできていたら、取り返しがつきませんでしたからね!」


 あとで正式な示談書類を送る、二度と会うことはない――盛大な捨て台詞とともに、ニガートはテラスから去っていった。


 振り返りもしない背中を見つめながら、イングリッドは呆然と立ち尽くした。


 あれだけ罵倒され、貶されても、彼女の胸の内を支配したのは怒りよりも悲しさだった。泣き出したくなるほどの悲しさだけだった。


(……政略結婚であっても。夫がどんな相手であっても。互いに歩み合い、寄り添い合っていけば、少しずつでも愛を育んでいけると夢見ていた。自分に至らないところがあっても、受け入れてもらえるように頑張っていくつもりだった。でも――この体に流れる血を責められては、どうしようもない)


 王国史に悪名を轟かせた〈あか〉の血。


 自分が生まれる遥か昔のことなのに、どうして今でもそんな負い目を背負い続けなくてはならないのか。理不尽だ、不公平だ。そう思ったことも一度や二度ではない。


 それでも、イングリッドは自身に流れる血を心の底から憎む気にはなれなかった。それを否定することは、両親を否定することになるからだ。


 少ないお金をやりくりして、挙式のためのドレスを仕立ててくれた父を、どうして憎めようか。


 家のための結婚ではなく、自分の幸せのための結婚を最後まで願ってくれた母をどうして憎めようか。


 先祖の不始末が原因で婚約を破棄されようと、彼女が二人の娘に生まれたことを悔やむなどあり得ない。


 だから、自分はこの血を受け入れる。

 父と母との繋がりを否定するくらいだったら、結婚のほうを諦める。……諦めるしかない。


「――きっと、わたしには結婚なんて贅沢すぎたのでしょう」


 口に出したら、少しだけ胸が軽くなった。


 今にも零れてしまいそうな涙を気力で押し留め、イングリッドは顔を上げる。


(だったら、別の生き方を考えなければ。泣いている暇なんかない。そんな暇があるなら考えろ。これから自分がどうするべきか。結婚を望めないわたしが、どうやったら、二人の娘として誇らしく生きていけるのかを!)


 結婚という役目を捨てる以上、どう取り繕っても、イングリッドはノルダール男爵家にとって、ただの穀潰しにしかならない。


 それでは父母や、次期当主になる弟に余計な負債を抱え込ませるのと同義。


 彼女がこの家の娘としての尊厳を保って生きていくためには、せめて、平民と同じように働いて、自分の糧だけでも賄う必要がある。


(自分は何ができる? 何がしたい? 許されるならば、血筋も、家柄も、女であることさえ関係なく務められる仕事が良い。ただ、わたしがわたしでいられるような、そんな仕事で身を立てたい。そんな都合のいい仕事があるだろうか……いや、一つだけあった!)


 イングリッドはかぎ針をテラスのテーブルに残し、自分の寝室に駆け戻ると、部屋の隅っこに放置していた()()に手を伸ばした。


 縁談を気にする年頃になってからは印象が悪いと考え、手に執ることさえも控えていたが――結婚しないと決めたのなら、もう関係ない。


 イングリッドは普段着のドレスを脱ぎ捨て、クローゼットから動きやすい服を取り出して着替えると、最後に()()を腰帯に差した。


 おおよそ貴族の令嬢には相応しくない、一振りの黒鞘を。


ここまでお読みいただきありがとうございます!

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※次回の更新は4月25日21時を予定しています。

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