第2話 北へ向かう
(ボゥッ)(ボウボヴ!!)
(カーン! カーン! カーン!)
風車小屋が激しく炎上し、村の警鐘が音を立てて鳴っていた。村の方では少し騒ぎになり、人々が丘の上を見上げている。
「ちょっと、大騒ぎになったな……」
村を遠くから眺めながら、アレックスは静かに呟いた。
彼は、なるべく目立たないように、ちょっとした茂みの中に身を隠した。後から考えれば、「放火をする者は死罪とする」刑罰があり、いくら自分の家だろうとも燃やすのは問題だった。少なくとも、大手を振って歩ける状態では無い
「まあ、燃え広がる場所でもないし、大きな問題では無いか……」
アレックスは、とにかく逃げる事にした。
放火の事も問題だが、実は借金を返せる宛がない。ぶっちゃけ、婚約者で無いなら薬代を払う謂れもないが、向こうの陣営は代官を抱き込んでいる。裁判になれば勝ち目は無いので、逃げる他に道がない。
(ガサガサガサ……)
アレックスは、藪から林の中へと足を踏み入れた。
すると、
(ガサガサッ……)
誰もいない後方から、藪を掻き分ける音がした。
「っ、誰だ!?」
アレックスは、剣をふり抜いて、後ろを振り返った。
(ガサッ!)
そこには1匹の精霊がいた。
例の国王の営業許可証に宿り、風車小屋を燃やしてくれた精霊だ。
「ああ、君か。今までご苦労さま。元の場所に帰るといいよ」
アレックスは、ただずむ精霊に話しかけた。
しかし、その精霊は「イヤイヤ」と首を横に振った。
「えっ? 何だい?」
アレックスは、精霊の言葉が分からなかった。
普通、人に仕える精霊というものは、自分の役目を終えると、主人の所へと帰って行く。しかし、許可証の精霊は、守るべき許可証が無くなったのにも関わらず、国王の元に戻ろうとしないのだ。
(イヤイヤイヤ……)
精霊は、頭を振るだけだ。
そこで、アレックスは思い出した。
「ああ、そうか。君は帰る場所が無いんだな!」
(そうそうそう……)
精霊は、首を縦に振った。
この国では、とっくの昔に国王が謀殺されており、精霊は戻るべき主人を失っていた。仕える主人を失った精霊は、少しづつ狂いを蓄積し、やがて自然の一部として消えてしまう。
「酷い話だけど、この辺には裏切り者しか居ないさ。君が仕えるべき人は、もう居ないだろうね……」
アレックスは、王家の紋章が刻まれている羅針盤をポケットの中から取り出した。そして、羅針盤を開くと、その中に精霊を宿らせた。
精霊は、羅針盤の針に憑依して、くるりと針を一回転させる。こうして何かに宿らせれば、狂ってしまう時間を先送りする事ができる。
「まあ、好きな時に出て行くといいよ」
(カタカタ……)
羅針盤の針は、アレックスに応えるように細かく揺れた。アレックスは、それを見て羅針盤をポケットに仕舞った。そして、羅針盤の指し示していた方角を見て、ポツリと呟いた。
「なるほど、北か……」
アレックスは、「北」という言葉を心で反芻した。
北とは、古今東西の地図で、常に上側にされる方角だ。上とは気持ち良い方向だから、何となく「北」のイメージはいい。
「北に行くのは、どうか?」
アレックスは北側の情勢を思案した。
北になるほど、寒さが厳しくなり作物は育たない。おそらく、人里は少なくなり、未開の土地も多くなるだろう。人里のはるか北側には、巨大な山脈が聳え立つと聞く。その向こう側は真なる未知だ。何処にも、その場所を記した記録なと無い。
そして、古代の伝承では、全ての磁線が集結する伝説の地が、極北に存在すると語られている。その伝承も、あくまで存在を示すだけであり、そこに到達した者の伝承は無かった。
「北だな、北に行くしか無い……」
アレックスは、羅針盤を取り出し、蓋を開いた。
そして、北を確認すると、そのはるか地平を静かに見通した。
北まで林と森が続き、その先に丘陵地帯が見える。
なるほど。
理由は無いが、行ける気がする。
「よし……北に行くぞ。はるか北、誰も辿り着けない北の北……そこに、行くんだよ。死ぬまで進んで、俺だけは真っ直ぐに生きる。一度も曲がらずに突っ切って、最後に全員を笑ってやるさ。俺は北に行ったぞってな」
アレックスは、静かに笑った。
もう、裏切りや陰謀は十分だった。
金のため、名声のため、欲のため……理由を掲げる奴は、全員がアホだ。理由がなくちゃ行動できないって、馬鹿みたいに軟弱じゃないか。
俺は、北に行く。
理由なんてものは、何も無い。
北に行く。それだけだ。
「そうだ!……北だぞ!! 北に行くぞ!!」
(グルグルグル!!)
羅針盤の針は、勢いよく回転した。
気前が良くて十分だ。
地図なんてものは、持っていない。
地理を無視して、真っ直ぐに道を進むのだ。
「おし、直進だ」
アレックスは、街道を外れて歩き出した。
…………
「おい、どうするよ」
「いや、報告するしか……」
「もう、アレだ。やるぞ」
「あいよ」「おう」「へい」
「「「「アル、ベル、ダルテ!(小石、布切り、織物)」」」」
「「「「……」」」」」
「ダリヤ……お前の負けだ」
「あいよ、俺が行くよ」
直剣を刺したスキンヘッドは、仲間の元から立ち去った。
そして、一軒の布織物屋を見つけると、そこの勝手口から中に入った。
「おい、ボスに通してくれ」
「商会長は地下室です」
「マジか、最悪だ」
スキンヘッドは、奴隷長から鍵を受け取ると、その店に拵えられた地下室に降りて行った。
(ギシッ……)
地下には碌な灯りがない。
足先を慎重に進めて暗闇を進み、ようやく1人の人影を前に見つけた。
「ボス……報告がありやす」
「聞こう」
「例の風車小屋……1つ、問題が起きやした」
「何が起きた。早く言え」
「へい、その……燃えております……」
(バシッ!!)
スキンヘッドは、自分の首に突き刺さる1本の長剣を見た。
「ガフッ……ハッ……」
スキンヘッドは何も答えず、血の混じった泡を吐いた。そして、短い痙攣を繰り返し、バサリと地面に倒れた。
(だから……報告したく……なかったんだよ……)
薄れゆく意識で、スキンヘッドは最後にそう思った。