訓練
キリキリと胃液が上がる感覚、体中の臓器がそろそろあれを寄越せと切羽詰まっている
(腹が減ったきたな)
やはり予想はしていたが今日の一日のはじめから急激な空腹感が舞村を襲った。食事はしているのだが根本的に足りない
寄生虫は同じ寄生虫を食らわないと死ぬ。誰からも聞いていない概念だが、飢えを幾度か経験した舞村には直感的に理解していた
(前回の食事からちょうど二週間ちょっとか…)
そろそろ危ないかもしれない。前回は飢えの限界を迎えたときは派手に暴れてしまったので今回同じことを迎えたらもう眼も当てられない結末になるだろう
「そういうわけなんだが」
「そんなこと言われても…」
舞村は近くにいるセツナに向かって話しかける。セツナの家に軟禁、もとい居候している状態なので相談相手は当然セツナになるからだ
セツナ自身は当然舞村のことを信用していないので常に一定の距離を保っているが
「この近辺にはセランガどもはいない、いたら大惨事だ。またお前を外に出すというわけにもいかないから、すまないが遠征が始めるまで我慢してくれないか」
「いや、そろそろ我慢の限界なんだよ。遠征やるやる言ってもう何日も経ってるじゃないか。こうしている間にもやつらはどんどん増殖して共食いして成長してるんだぞ」
「今長老の側近が兵たちの徴集をしている最中だ。言っての通りこの里は人口が少ない。だから暗黒大陸を見回っているほかの観察者を呼び戻したり、万全な戦力を整えるには時間がかかるんだよ」
観察者。セツナと同じ役職、それが他に何人かいるのか。寄生虫の存在自体は知っていたのはこいつらの活躍かと舞村は察した
「そうはいっても、得体の知れないものが近くで飢えてるんだぞ。あんたは不安じゃないのか?そもそもなんであんたの家にいるんだおれは?あの時みたいに牢につなぎとめておけばいいじゃないか」
「なんだ牢に戻りたいのか?」
セツナの無表情に光が戻ったような薄ら笑みが浮かんだ
「いえそういうわけじゃないです」
縛られる痛みはないとはいえ、あの閉所で手枷足枷で固定される束縛感は舞村としても二度とごめんだった
「お前を預かっている理由は単純だ。私がこの里で一番強いからだ。長老からやつが乱心したらいつでも首を斬れと言われている」
「首を斬っても死にませんよ」
「なら本体ごと断ち切る」
「うわっ!急に近寄るな」
思ったより物騒な理由だった。美少女といえどもいきなりその殺意マシマシな無表情を向けられた舞村は冷や汗を流しながらヤレヤラと妥協したような様子を見せる
「わかったよ。それでもおれがマジに飢えてるのは本当だからな、できるだけ早くヤらせてくれもう限界なんだ」
「ヤ…ヤラせる?」
「!?」
突然真横から声が聞こえたので舞村はかなり驚いて確認するとそこには顔を赤らめた眼鏡の少女がいた
「あぁティコ。いたのか」
セツナも驚いたような様子で少女の名前を言う。ティコというらしい。茶髪にここではあまり見かけない眼鏡をかけた翼人の少女だ。首には舞村と同じようなピンク色の趣味が悪い翻訳装置がかけられていた
「い、いつからそこに?」
「ついさっき…鍵が開いていたので」
さらに赤面しながら恥ずかしそうにそう告げる少女。五感が並外れた寄生虫である舞村と日ごろから鍛えているセツナに気づかれずに接近するとはかなりの隠密力…もとい影の薄さである
「あ、あぁ鍵をかけないのは確かに不用心だよな。ところで顔を赤らめてるのはなんでなんだ?」
少女の存在に気づけなかったことにかなりショックは感じつつも、それより気になったことを舞村は尋ねる
「そ、それは…」
「おい、聞いてやるな。まったく破廉恥な…」
「は?破廉恥?え?あー…」
「あはは…」
破廉恥といった単語に全く身に覚えがなく、そんなこといったかと改めて自分の発言を振り返えるが少女の苦笑する様子にすべてを察した
「いやおれわるくないよね」
「いや、お前が悪いな」
心外だ!とばかりに肩をそびやかす舞村。そんな舞村を無視してセツナが場を切り上げる
「それで、ティコ要件はなんだ?何か用があってきたんだろう」
「えっと、それは…」
ティコはずり落ちてきた眼鏡を戻すと神妙そうな顔つきで要件を話し始めた
「訓練?」
「はいそうなんです。指揮官がちょうど話の通じる敵がいるのだから、遠征の前に兵たちと戦わせるほうがいいっていう話になって…、引き受けてくれますか?」
セツナはそれを聞いてしばし考え込んでいたが、当の舞村は翼人たちの戦闘能力は知っておきたかったため二つ返事だった
「あぁいいぞ。いい訓練になるんじゃないか?情報だけじゃなくて、肉体で覚えた方が対処しやすいっていうしな」
「ありがとうございます!」
了承したところ、断られると思っていたのか、花が咲いたような笑顔を浮かべる
(まぁ断れる立場じゃないし、対寄生虫の経験がない兵士とともに戦うのは不安が残るしな)
「ただ、おれ毒とか持ってるんだがそこんとこ大丈夫か?」
舞村には翼人の戦闘能力がわからないため、何が懸念になるかわからなかったが、食らえばその後にも響く毒については話しておこうと考えた
「ど、毒?」
そう聞くとティコの表情は露骨に嫌なものに変わった。隣のセツナの目つきもゆがんだ
「あぁ、報告しなかったっけ?おれたち寄生虫はだいたい毒を持ってるんだ。制御しようと思えばできるが、おれの毒は従来のものと、砂漠にいた蠍のとでカクテルしたものだからもし触れたらかなり危険かもしれん」
そう言って舞村が爪を伸ばすとそこから数滴の毒液が零れ落ち、ジュッと不穏な音を立てながら地を焼いた
「うーん、これがあったら話がかわるかもしれませんね。遠征の前に後遺症でも残ったらシャレになりませんし、でもその毒を寄生虫みんな持っているんだったらその要素を省いたら訓練になりませんし…」
だから反対してたのに~と呟いてその後結局練兵場には向かって、訓練に参加するかどうかはその毒について説明してからになった
「それでその練兵場はどこにあるんだ?」
「ここから南西に向かって川を越えたところです!」
「わかった」
***
「って砂漠じゃねぇか!」
南西と聞いて向かった先に建築物が消滅していった様子から若干そんな予感はしていたがここまで何もないとは予想はしていなかった
目立つものは木造の掘っ建て小屋に剣や鎧が携えられているだけで、他には練兵場の周りを囲む最低限の柵しか存在していなかった
「で、あんたもついてくるのな」
舞村は普通にここまでついてきているセツナを見てそういう
「当然だ。私はお前のお目付け役でもあるとも同時に、兵を預かる立場でもある。この訓練には私も参加する」
「そうかい」
そんな会話をしている二人に向かって天空から舞い降りる大男。砂埃が一気に散った
「来たか。仮想敵」
(すげぇ!普通に空飛んでた)
かなりの高齢だ。白髪頭の下の顔は歴戦の傷跡と皺でもみくちゃになっており、ボロボロだが巨大な翼といいすさまじいオーラを放っていた
「私が此度の遠征の指揮官であり、兵たちの教鞭もとっているガエリアだ」
コンピューター作っている会社みたいな名前だなと思いつつも舞村は丁寧にあいさつし返す。好感度を稼いでおいた方があとあと後ろから撃たれる心配はないということだ
「うむ結構、毒の話は聞いている。思う存分その力振るって構わん、そうでもないと訓練にならんからな。兵たちも待っている。さっそくセランガの戦闘能力を見せてもらおうか」
「兵?どこにいるんです?」
「あぁ、上だ」
そう言ってガエリアが天を指さすと轟音をたてながら、何十人もの翼人が跋扈して空中より舞い戻ってきた
「ケホケホ、砂埃を立てすぎだ。もっと静かに着地できるよう言っておいてくれガエリア」
「これはすまん、セツナどの。注意しておく」
(やっぱいいな羽、寄生虫に寄生されたやつからしか能力奪取はできないからな~)
それに対する反応は様々だが、この場では最も危険なことを考えている男が一人いる
翼人兵士の面々は舞村を見て不安そうな表情を見せるもの、これからの戦闘に期待しているような笑みを浮かべている男と様々だった
(まぁ一番不安なのはおれだがな。こいつらの戦闘力次第じゃボコられるのはおれだし、なにせ多対一だからな)
「では始めるか」
「始めるぞマイムラ」
そんな不安を感じないようにしつつもセツナ、ガエリアの両者とも持っていた武器を構えた時にはさすがに舞村も驚きを隠せなかった
「え?あんたらも参加するのか?」
「私たちも対セランガの経験がない。それに多対一でたたくというのが基本原則だとお前は言っていたではないか」
適当な所感を話すんじゃなかったと舞村は後悔した
(はぁ…マジでボコられるかもな。まぁそれならそれであとあとの戦闘が楽だしいいか)
「まぁいいか、じゃあやろう」
そう言って服を脱ぎ始める舞村、待て待て待てとセツナによる制止の声が入る
「なんだよ」
「いやいやおかしいだろ、なぜ脱ぐ」
「この人数相手に人型でやれと?変身くらいさせてくれ!」
それに対し謎にキレる舞村。脱ぐ必要はないと言われるが本人にとってはこのシャツとスラックスは元の世界から持ってきた大事な一点ものだったので破裂させたくなかった
「わかったわかった。せめて下は脱ぐな!何人に見られてると思っているんだ」
「うるさい!脱ぐ」
そう言って残った一張羅の灰のブリーフを下げた瞬間、ほとばしるすさまじい爆発と爆音。翼人たちが余波を受け、一斉に武具を構えると立ち上る黒煙からヘビと肉食恐竜が合体したかのような歪な姿の怪物が現れた
「ギシャァァァァァァァ!!!!」
天をつんざくような暗黒の咆哮がとどろくと、みな目つきを変えたように攻撃を開始する。直感で理解したのだ、アレは脅威だと
初撃を仕掛けたのは当然最も近くにいたセツナだ。瞬時にさやから抜刀すると音を置き去りにするような速度でその首を一刀で切断しようと接近する。空中居合だ
だがその速度にも対応できるのが人外というもの。かぎ爪で軽く弾け返すとその狂牙でセツナごとかみ砕こうとする
ガブッ!紫の歯型の紫電が飛び散った後に響く重く鈍い音、しかし舞村が噛み砕いたのは虚空だった。セツナは上空に退避したようだ
そして眼を上に向けたその刹那、「いまだ!!」指揮官ガエリアの一声により翼人たちが束になって舞村に襲い掛かる
「ギシャァァァァァァァ!!」
絶叫する舞村。刀で斬って、メイスで砕いて、槌で穿ちぬいて、舞村の身体を破壊しようとするがそのことごとく無意味
翼人たちを振りほどくとまるで初めからそんな傷などなかったかのように黒煙が昂り、再生する
(くそいてぇけどな!)
渾身の連携が効かなかった、そんな絶望する翼人たちに振るわれる凶爪
黒い腕のかぎ爪から紫の軌跡を発しながら肉を切り裂いていく。犠牲になったいくつかの翼人はすぐに地に倒れ伏すが、こちらも意地があるとばかりにすぐに立ち上がり再び攻勢に仕掛ける
そんな様子の戦闘が何分か続き、毒が回り始めたのか何人かダウンする翼人たちが出始めたところ
「獲った!!!」
最も上空にいた翼人が着弾するロケットのように舞村の視界外からそのヘビのような頸を切り落とす
「「やったか!!?」」
ゴトリと落ちる竜の頸。もはや訓練ではなく立派な寄生虫討伐である。だが討伐とするにはそれは甘すぎた
カッ!と頭部なき、舞村の肉体が強烈な紫に発光すると再びすさまじい爆発。翼人たちはまとめて吹き飛ばされ、意識を失ったものはそのまま戦線離脱し、保ったもの、取り戻したものは肉体ごと変質させた舞村を目撃した
円錐型の異様に長い触手といっていい手足、その肉体に無数に開く口。邪悪の化身のような人型をとった舞村はその夥しい口から言葉を紡ぎ始める
【アマイ!アマイゾ!ホンタイヲ…ホンタイヲコロセ!】
最も翻訳装置は取っ払ってしまったので翼人側からしてみれば、ただの冒涜的な呪詛にしか聞こえないが
(勝っちゃったか)
向こうの戦意は完全に消失したように見える。舞村は少し拍子抜けしたが翼人たちの力がどれだけか知っておけてよかったと思った
(遠征に関しては、おれが全部カバーするしかないかな…。いやそもそもおれなんて寄生虫界でいえば中の下程度なんだからこんな苦戦してるようじゃ…)
舞村は半ば失望したように思考をめぐらせるがその見下した諦観は奇襲によって終わることになる
(イッテェ!!!!)
舞村の胴体が上と下で切り離されていた。こんな芸当ができるのはあの女しかいない
「まだだ、まだ終わっていない!!!」
瞬時の奇襲により大地に立ち、鼓舞の凱歌を鳴らしたのは褐色の女サムライ、セツナだ
「そうだ、まだ終わっていない!!」
それに続いて先ほど舞村の頸を切断した金髪の彼が加速し、動けない舞村の上体を切り刻む
「甘い!真に斬るとはこうやるのだ!!!」
さらに続いて、いつのまにか砂埃から現れたガエリアが不定形の怪物の肉体を歴戦の膂力で一刀のもと切断する、ちょうど腹部の胃腸に近いところだった
決着。
ビチビチと舞村のグロテスクな本体が出でる。すぐさま踏みつけて破壊しようとするものがいたが、ガエリアの制止により中止する
「うぅ…完敗だ」
いつのまにか変身が解けて、人間の体のまま体を無数に切断された舞村がいた。血も通常の紅に戻っている。内臓もピンク色だ
そのわりには翻訳装置を取りに戻っていたり、しゃべるだけの体力はあるようだが
「これが貴様の本体か」
セツナはそう言って不思議そうに舞村の本体である寄生虫を掲げる。在りし日の黒いダンボムシのようだった容貌は変わり果て、舞村の肉体のなかでヌクヌクと保護され真っ白の肥え太った幼虫のような姿に変色していた
「…そうだ、それがおれに寄生した寄生虫で、それを破壊すればそいつも、おれも死ぬ、最大の弱点だ。」
「その割には元気がないな?これが本体ならもっと元気に暴れてもいい気がするが」
「…それは操ってるのがおれだからだ。なぜかは知らんがこいつの主導権はおれが握ってる。動かすのも黙らせるのもおれの自由だ」
「それはつまり…」
「あぁ、おれはこいつに主導権を乗っ取られてないから人間としての、生物としての意識がある。こいつに自我を奪われたやつから従来の寄生虫に墜ちていくんだ…」
舞村はもう息も絶え絶えといった様子で、かろうじて動く右腕ではいずりながら本体の元移動する
「ははすっかり痩せちゃったな」
「痩せた?これが?肥え太っているぞ」
「痩せた方だよ。食事できなくてな、まぁ元凶だからちょっとは苦しめと思うんだがおれにも余波が来るのがな」
セツナはさらに興味深そうに汁を垂らす本体を見つめる
「そ、…そろそろ返してほしいんだが」
「あぁすまん。見とれてた」
「?」
舞村が本体を捕食するかのように口に含むと、すぐに新しい下半身と失った部位が再生した
「まったくつくづくおぞましい生き物だな。貴様らは」
「だろ?こんなのが今も成長しながらこっちに向かってるかもしれん。さっさと駆除しないと」
「…今回の戦いを通してわかった。お前は本当に化け物だが、私たちに協力してくれる化け物なのだな」
「当たり前だろ。で、寄生虫についてよく理解できたか」
舞村があきれたように自分の髪をすくと、セツナにそう尋ねる
「あぁよくわかったよ。準備しなくてはな」
「何を」
「大量の爆薬と、魔術師を用意する」
「それは大層なこって」
爆薬は舞村も考えていた、用意できなかっただけであるなら最善といっていい駆除方法だろう。魔術師の方は知らない
「感謝しておく、マイムラ」
「あ、あぁ…、こうやって改まって感謝されるとこっぱずかしいものだな」
「そうだな恥ずかしいな。だからそろそろ服を着て来い」
「あっ」
舞村は完敗した