第五章 アルカナ
翌日。
「ふぁ~」
欠伸を一つして令はベッドから身を起こした。
「……」
寝起きの令に飛び込んで来たのは、部屋の隅で寝ている祈の姿だった。
「確か部屋の中央で寝てたはずだよな?」
良く見ると頭と足の向きが逆だった。祈は余程寝相が悪いらしい。
長い黒髪は残念な程ボサボサになっていた。風呂上がりに良く乾かさなかったからだろうか?
……それでも、祈の寝顔が少し幸せそうに見えたのは、俺の勘違いだろうか?
「……ん、ふぁ~」
祈も目を覚ましたようである。
「おはよう、祈」
「おは……よう?」
「朝の挨拶だよ」
何か、祈の目の焦点が合っていない気がする。しかも、ふらふらと揺れている。
「まさか、寝ぼけてんのか?」
「うー……」
最初に会った時はあんなにクールな奴だと思っていたのに。
「どちらかと言うと子供だな」
何にせよ、しっかり目覚めて欲しい。
「――」
祈が言葉にならない何かを呟いてから、なんと抱きついてきた。
「おい、祈!」
寝ぼけにしても重症だ。
無理矢理祈を突き放そうとするが、抵抗されて思いの外難しい。
こりゃさっさと祈を正気に戻すしかなさそうだ。
だが、どうすれば良い?
「祈、魔獣だ!」
「! どこ!」
……一発で正気に戻った。
「嘘だ」
「え?」
どうやらついさっきの事は全く覚えていないらしい。なので、とりあえず説明しておく。
「……」
そして、説明を聞き終えた祈は、
「~っ」
悶絶していた。
「お前、毎朝こんな感じなのか?」
超高速で頭を横に振る祈。
「少し安心し過ぎた」
「……男と同じ部屋で寝ている事に少しは危機感を覚えた方が良いと思うぞ」
「へ?」
何が何だか良く分かっていない様子だ。
「とにかく、早く起きようぜ。あんまり遅いと遅刻する」
「あ、うん……」
二人揃って階段を下り、一階のリビングへ向かった。
「おはよう、令、祈ちゃん」
既に朝食の準備が出来ていた。
「さ、祈ちゃんも早く」
「わ、わたしは……」
祈は躊躇っていたが、母によって強引に座らされた。
「結局、祈が一番食ってたじゃねーか」
「……う」
遠慮していたわりに、祈は何度もおかわりをしていた。
うちのエンゲル係数は上がりまくりだな。
別に一人分増えたからって経済的にヤバいわけでもない。もっとも、一人分と言える量を軽く超えているのだが。
しかし、ギリギリで許容範囲内のようである。
「……美味しかった」
普段携帯食料食べてる分、余計に美味しく感じたんだろうな。
「良かったな」
そもそも携帯食料が主な食事ってどうなんだ?
俺だったら…………無理だな。
そんな事を考えながら歩いていると、いつもの通り、瞬が後ろから声を掛けてきた。
「よ、令……って音月さん!?」
えらい驚きようだな。
「……むー」
祈は祈で、驚かれた事に帯してむくれていた。……というか、未だに祈のキャラが分からない。
クールな一面を持っているかと思ったら、強がったりむくれたりと、小さな子供のような面もある。どっちが素なんだろう。
「子供の方か!」
「……レイ?」
「どうした、令?」
突然声を上げたせいか、二人から奇妙な物を見るような視線が送られてきた。
「おっはよう! 令、瞬!」
ハイテンションの申し子、有紗登場。
「あ、音月さん。おはよう」
有紗は祈に気付くと、特に驚く様子もなく、ごく普通に挨拶した。
「……ょぅ」
祈が何か小さな声で呟いた。
「ん? なんて?」
有紗がそれを聞き返していた。
「……おはよう」
「はい、おはよう」
「おはよう」
「おう」
はたから見ると、おかしな集団に映ったかも知れないな。
廊下で有紗と別れて、自分達の教室へと入る。
授業中は特に変わった事はなく、すぐに昼になった。
いつものように、机を並べて、有紗が来るのを待っていた。
「……」
さっきから祈がこっちをチラチラ見てくるんだが。なんの合図だ、それは? 俺にはアイコンタクトなんていう高等技術は持っていないぞ。
「いやー、ごめんごめん」
少し遅れて有紗が教室に入ってきた。
「……音月さんもこっちおいで」
有紗に呼ばれて、祈がこちらに来た。意外とすんなりだった。昨日までの言い合いはなんだったんだ?
(まさかとは思うが、一緒に食べたかったのか?)
祈だけに聞こえる声で、そう訊いた。
祈はそれに小さく頷いた。
アイコンタクトの意味はそれか。
……違和感を感じる。何か妙な……。
……………………まあ良いか。
授業中。やっぱり祈は授業を理解しているかは、怪しかった。
そして放課後。
「じゃ、令、瞬、音月さん、また明日」
「おう」
「ああ」
「うん」
有紗と別れ、三人は帰路についた。
「最近、有紗もきちんと部活行ってるな」
「そうだな。そんだけ懲りたんだろ?」
瞬とそんな事を話ながら歩いていると、不意に後ろに居る祈が声を掛けてきた。
「レイ、この辺りを“千里眼”で視て」
「え……あ、ああ」
とか言われてもな。まだ千里眼は三回位しか使った事ないし。
「集中して」
「ああ、分かった」
言われた通り、集中してみる。雨の時に祈を見つけた時のように。
「……」
なんとも言えない感覚だ。どう説明したらいいのか……本来見えないはずの前後左右、そして上下と三次元的に自分を中心に知覚している……ってとこか。
「……何も変わった所はないぞ」
前後の通学路、左右の住宅と、特におかしな物は見えない。
……カラスが三羽飛んでるな……。
とか呑気に考えていた時だった。
「――ッ!」
見えはしないが、何か居る事は分かる。とても不気味な……こいつは。
「祈!」
どうやら祈には分かっていたらしく、千里眼で確認が取りたかたったようだ。
「どうした? 令……」
「悪い瞬、先に帰ってくれ!」
瞬を置いて祈と一緒に向かう。
「レイ、見えたのは魔獣だけ?」
「……いや……別に何か居る」
「分かった」
人気がない事を確認して、祈は近くの家の屋根に飛び乗った。
俺はと言えば。
いくら能力を持っていたって戦闘向きではないのに、戦場に行くわけにもいかない。
待機だ。ただし、“視て”はいるが。
祈は屋根に上がると、どこからか黒コートを取りだし、羽織った。
眼前には魔獣。今までの奴らはどれも動物を模した姿形をしていたが、祈の目の前に居る魔獣はどの動物にも似ていなかった。
強いて言うなら……少し大きめなスライムか? ただし、色濁った灰色だったが。
「……どこが魔“獣”なんだか」
祈は魔獣から距離を取り……ってあいつ丸腰じゃねーか。武器持ってねぇ。
だが、そんな心配も無用なようだった。
一閃。祈は“手に持っている刀で”ぶよぶよの魔獣に斬りかかっていた。
「いつの間に刀を?」
どこに隠し持っていたんだ?
しかし、今の祈の手には刀がある。これなら大丈夫だろう。少なくとも丸腰で戦うよりはマシだ。
けど……スライムだけあってか、斬られてもすぐに傷(?)が治り始めていた。
そもそも斬撃に効果があるかも疑わしい。
祈もその事に気付いているようで、魔獣から一定の距離を取りながら、相手の出方を見ていた。
「こんにちは、ギャラリー」
不意に後ろからそんな声が聞こえた。
「……お前、アルカナの」
「うわー、やっぱり分かるんだ。千里眼ねぇ」
祈と会った夜、襲いかかってきたヤツだ。
振り返らなくても視えている。
「何の用だ?」
「言わなくても分かるんじゃないかな?」
「……」
アルカナの男(女?)の口調にはからかいの響きが含まれていた。
「分かった分かった。教えてあげるよ。ボクはね、ある提案をしに来たんだよ」
提案だと?
「ねえキミ、アルカナに入らないかい?」
「……………………は?」
「なんだい、その間抜けな返事は」
てっきり殺しにでも来たのかと思ったんだが。
「まあ良いや。これは真面目な話なんだけどね、どうせこのままじゃキミ、殺されちゃうでしょ?」
「……」
「殺されないにしても、自由を奪われて生きる事になる。死と隣り合わせの中でね」
アルカナは語る。
「機関も必死なのさ。ボク達を倒すために。だから、機関に入ると嫌でも戦闘に参加させられるよ? 能力に関係なくね」
「例え俺の千里眼みたいな能力だろうが前線で戦わないといけない……ってか」
「そうそう。飲み込みが早くて助かるよ。逆にアルカナはね、戦いたくないならほとんど戦わなくてもいいんだ。キミからしたら、悪い条件じゃないと思うんだけど……」
「……一つ訊かせろ」
「なんだい?」
「アルカナの目的はなんだ?」
「なんて言ったら良いかな? 破壊と創造。死と再生……違うな。まあ、具体的に言うとね、世界を壊すんだよ。そして、世界を救うんだ」
正直、何を言っているか分からなかった。
「安心するといい。キミは助かるんだ」
「……キミは助かる? キミ“だけ”は助かる、の間違いじゃないのか?」
「よく分かったね。その通りだよ」
つまり、アルカナの言う“世界を壊す”というのは、“この世界の人間を皆殺しにする”という事と同じ……。
「で、どうするの? 来るの? 来ないの?」
「レイ!」
俺が答える前に、魔獣を倒し終えた祈がアルカナとの間に割って入った。
「まったく……邪魔が入ったね」
「アルカナ……!」
「怖い怖い。“機関最強”の“一番目”を怒らせるのは得策じゃないようだ。ま、今日の所は一旦帰らせてもらおうかな」
そう言って、アルカナは去っていった。前に会った時のように、とけるかの如く。
「おい……お前ら……」
奴が消えたと同時に、後ろから声がした。
「…………瞬」
タイミングの悪い事で。
「どういう事だ? 令……さっきの奴。それにアルカナとかなんとか」
しっかりと見聞きされていたらしい。
次にアクションを起こしたのは祈だった。俺達が反応できない速度で、祈が瞬の後方に回り込み、後頭部に拳を振るった。
「があっ」
物の見事に卒倒する瞬。
「お、おい祈……」
「記憶を消す」
祈はそう言った。
「……大丈夫なんだろうな?」
祈は首肯した。
「だけど今までだったら……きっと殺してた」
「……殺さなくなった理由って?」
祈は俺の問いに少しの時間を要して、こう言った。
「……自分のしている事に理由が欲しかった」
意味は分からなかったけれど……。そう言う祈は、どこか哀しそうだった。