第三章 監視任務?
別に朝から律儀にあった事を一から描写する必要性なんてものは皆無だし、いちいち登校中に瞬に会って~なんていつも通りだったからこの辺は割愛させてもらっても、大して問題はないだろう。
などと一人勝手にモノローグを語っているが、要は“いつも通りの登校中”よりもとんでもない事があったから、そちらの方を話そうという事だ。
時は朝のホームルームであり、時刻で表すとしたら午前九時前後である。いつものように担任教師が来るギリギリまで瞬達とだべっていた。
特にどうと言う事もない朝である。しかし、たった一つ違う事が起きたのである。
転校生。いや別に転校生なんておかしな事はない。十分にあり得るし、特に不可解な話じゃない。問題なのは転校してきたのは誰なのか、である。
その事に対して不安になったのだが、残念ながらこの不安は最悪な形で現実の物となったのである。
「音月祈」
その名を口にした少女が教室の前に立っていた。その姿は昨日までの黒いコートではなく、どこで調達してきたのか、この高校の制服であった。
まさに絶句。いくら何でもここまで来るとは思っていなかった。
「……」
祈の目はしっかりと令を見据えていた。
(監視って言うのはそこまでするのかよ……)
教師は祈に席の場所を指示した。
「……余計な事は言うな」
ぼそり、すれ違い様に呟く。……低く俺にしか聞こえない声で。
祈は指示された席に座った。位置的には令の右後ろである。射殺すような視線を感じる。
ホームルームを終え、担任が教室から出ていくと同時に転校生――祈は令の方へと歩いてきた。
「何でお前がここに居る?」
一応訊いておく事にした。
「監視」
とだけ祈は言った。まあ、分かってたけどさ。
「その為にわざわざ学校に乗り込んできたのかよ」
「……そう。名前があって助かった」
「まあ、確かに一番目なんて名前としては不自然だからなぁ」
と、その時だった。
「なあ、令……知り合いなのか?」
と言う瞬の声が聞こえてきた。
「あ……」
そう、この光景は明らかに不自然だ。令は今日会ったばかりの転校生と、会話していると言う状態だ。
本来初めて会った人とする工程、自己紹介云々をすっ飛ばして。
しかも、瞬と令の関係は幼なじみだ。片方だけしか知らない旧知の仲は絶対じゃないだろうが、限りなく零に近い。その分、怪しく思ったのだろう。
「……」
隣から無言の威圧を感じる。
祈の目が告げていた。『うまく誤魔化せ』と。
「えーと……まあ、知り合いだ。なあ?」
その言葉に頷く祈。とりあえず話はこちらに合わせるようだ。
「ふーん……」
明らかに怪しまれている気がする。
「き、昨日さ、こいつが道に迷ってたからさ。ほら、瞬と別れた後の話」
「へえ。だから昨日家に居なかったのか」
家に来てたのか。危ない危ない。
「ま、まあな」
なんとか誤魔化せた、かな。
その後直ぐに祈は転校生と言うポジションに立っている者の宿命を受ける事となった。
あぁ、質問タイムな。
「どこから来たの?」
などと当たり障りのない事、というよりは知らなくても良いけど知ってたら話の種になるような事を訊かれていた。
この質問に対する祈の回答、当然、何か用意しているだろう。
「……」
……何も無いようだ。意外とぬけてるなぁ。
またしても、彼女の目が令を睨んでいた。『助けろ』と。
と、まあ、祈が質問を受ける度にフォローを入れないといけなくなったわけで。
当然、自分の事を考えている暇なんてなかったわけで。
「令~、瞬~お昼食べよっ」
まあ、昼になったわけで。
「ん? あの子誰?」
当然、有紗も祈に気づくわけで。
「……」
事態はより複雑になるのだった。
「へぇ~、音月祈さんね」
「ああ」
祈が転校生だという事を有紗に伝えると、有紗は、「ああ! 謎の転校生!」という反応を見せた。一体どういう話の伝わり方なんだろうか。
「ま、しょうがねーだろ? 今の今まで転校生なんて噂もなかったんだから」
おそらく、祈もとい機関が何かしたんだろうが。
そんなこんなで、クラスメートにしたように横でフォローを入れながら紹介を終わらせた。
「でもさ、なんか変じゃない?」
と有紗。なんだろう? ボロは出してないはずだが。
「昨日迷ってた音月さんを令が助けたんだよね?」
令と祈は共に首を縦に振って肯定の意を示す。
「じゃあ何でそれだけでそんなに令は音月さんに詳しいの?」
……。ぬかった! 確かに道案内しただけじゃそこまでの意見交換はしないだろう。しょうがない、最終手段だ。あんまり使いたくないのが本音だけど。
「“あっち”の友達なんだ」
「……ああ、そういう事……」
どうやら納得してくれたらしい。と同時にほんの少しだけ有紗達の表情に陰りが落ちた。
見たくなかった。
「あっち?」
祈がそっと訊いてきた。
「とにかく話を合わしといて」
祈は納得してはいないが、バレるよりはと思ったのか、これ以上は訊いてこなかった。
なんとか有紗の質問をやり過ごすと、一行はようやく昼飯に入った。
令、瞬、有紗のいつものメンバーと、少し離れた自分の席に居る祈。
パンを広げる三人。それをじっと見る祈。
「ねぇ、令。音月さん、もしかしたら一緒に昼食を食べたいんじゃないのかな?」
監視のためにこっちを見ているなんて口が裂けても言えないので、
「んーじゃあ訊いてくるか……」
一応そう言ってから、祈の方へ向かった。
「お前、飯食わねぇの?」
すると祈は制服のポケットから何か取り出した。
「何これ?」
「携帯食料」
普通の高校生は携帯食料なんか食べません。
「そんなんじゃ思いっきり怪しまれるぞ……」
「だから困っていた」
なるほど。
「……金持ってないのな」
当たり前なんだろうが。
こくりと頷く祈。
「……」
一旦有紗達の方に戻り、事情を話す。もちろん携帯食料等の話は除いて。
「……弁当を忘れた、ねぇ。ついでにお金もなし、か」
「ドジなんだな」
瞬がそう言った。と同時に令の背後から威圧感が飛んできた。祈のそれだった。
まさかドジで怒ってる?
冗談が通じない奴だった。
「いいわ。お金がないなら仕方ないし。買ってあげる」
今月ピンチだとか言っていた気がしないでもないんだが。
「必要ない」
しかし祈は有紗の提案を拒否した。
「なんで? お金ないんでしょ?」
「食べなくても大丈夫」
「ダメ、食べなさい」
(……まるで母親だな)
(ああ、そうだな)
結果としては、有紗の強引な力押しで決まった。
適当に有紗がパンを買ってきて祈に手渡した。
その後、祈を含めた四人でパンを食べた。最初こそ祈も独りで良いとか言っていたが有紗が半ば強引にこの輪の中に入れたのだ。
本性を知っている令としてはどちらかと言うと距離をとりたかったようだが。
「……」
昼飯を食べ始めてから祈はずっと黙りっぱなしだった。ぼろを出さないようにしているのかも知れないし、そうでないかも知れない。
「あ、猫」
ちょうど食べ終わった頃に有紗が外を見てそう呟いた。
「猫だって?」
つられるようにして令達も外――校舎に沿うように植えられた木を見た。
「降りれなくなったのか」
木の枝に白い毛の猫が乗っていた。登ったは良いが降りれなくなったというようである。
「にゃー」
悲しそうに鳴いていた。
「どうする? あの猫」
「ほっといて大丈夫だろ。確か猫って着地得意だし」
別にほっておいても瞬の言った通り自力でどうにかしただろう。しかし有紗は、
「助けよう」
と言った。
しかし有紗が行動に移すより早く、令達が反論するより早く、動いた人物が居た。
目の前を黒髪の少女が駆ける。
猫の真正面の窓から祈が思いっきり跳躍する。そして猫を左手で掴むと器用に枝にぶら下がった。
「……」
その場に居た全員が驚愕の表情になった。ちなみに俺はというと。
他の奴らとは違う所を見て、違う理由で驚いていた。
祈が足場として使った窓のスライドさせる部分が、ものの見事に潰れて使い物にならなくなっていた。
どんだけ力を込めればこうなるんだか。
しかし、祈が猫を助けるとは思ってもみなかった。てっきり無視するのかと思ったのだが。
いやいや、他に危惧するべき事があるじゃないか。
普通の人はあんなに跳べません。
「音月さんって運動神経良いんだね」
明らかに一般人のレベルを越えてるがな。
祈はそのまま白猫を校舎の外に逃がした。
ちなみに、窓の破損部は取り替える事となった。どうしてかと言うと、ひん曲がったスライド部分を直すという名目で祈がもう一度曲がったのと逆方向に“修正”しようとしたのだ。
しかし失敗。窓はより無惨な事になってしまった。――というわけだ。
そして、祈が犯人だという事は誰も知らない。令以外は。
そして放課後。
これじゃどちらが監視しているか分かったもんじゃない。
祈は目をはなすとすぐにぼろを出しそうになるからだ。
しかも話しかけられると答えられないのか、すぐに固まってしまう。その度のフォローも欠かさない。
なんと言うか……監視者の監視に疲れた、と言うべきか。
おかしな話だった。
まあ、とにかく放課後。
なのだが……。令は今、祈に袖を掴まれて文字通り捕まっていた。強引に令を引っ張っていく。
「ちょっと、待てって! どこ行くんだよ?」
しかし、祈は令の質問に全く答える様子もなく、彼女の歩くのに任せるしかなかった。
(この方向……屋上か?)
その予想は正しく、屋上への扉の前で止まった。
そして……力任せにこじ開けた。確か屋上への扉には常時鍵がかかっていたはずだが。昔自殺者騒ぎがあったとかで。
やはりと言うか予想通り、鍵は壊れ、その役目を終えていた。
「何で屋上まで連れてきたんだよ?」
「生きるか死ぬか」
祈は令の方を振り返った。
その顔は、無表情。まさに“戦士”の顔だった。
――徹底的に表情を殺した顔。
「生きるか……死ぬか?」
「どっちが良い?」
つまり、祈は訊いているのだ。機関に入って戦士として生きるか、断って殺されるか。
「戦士として生きるのなら、もうここには戻ってこられない。命の保障も出来ない。断るなら、殺す」
自由を失うか、命を失うか。
まさに究極のニ択だった。
「……本当に、そのニ択しか無いのか?」
「……無い事も無い」
「本当か!」
祈はこくりと頷く。
「これまで通り、令は過ごして良い。レイの事を機関に報告しないし、殺しもしない」
「なんだ、一番良いじゃないか。その選択」
しかし祈は浮かない顔をしていた。
「あの二人」
祈はそう呟いた。
「あの二人?」
「レイと一緒に居た二人」
「ああ、瞬と有紗の事か」
「あの二人の事、大事?」
「当たり前だろ」
何でこんな事を訊くのだろう。
「大事なら、レイはその選択をするべきじゃない。この選択をするという事は、レイの大切な人を危険にさらすという事だから」
「どういう事だ? 大切な人を危険にさらすって」
「“こういう事”だから」
まさにそう言った瞬間だった。刹那と呼ぶに相応しい僅かな時間に“そいつ”は現れた。
鳥、と呼ぶにはあまりにも大きすぎる、漆黒の体毛(羽毛?)を持つ化物。
――魔獣だ。
「なに?」
「来たか」
「って、ここ学校だぞ。よりによって何でここに?」
「わたし達“能力者”は一般人よりも魔獣に狙われやい」
静かに、少女は語る。その手には、いつの間にか刀が握られていた。
「能力者は他の人と一緒には暮らせない。それが能力者である者の宿命」
「なんだって……」
祈は魔獣に向き直ると、何の躊躇いも無く戦いに行った。
「能力者は周りの人間を不幸にする」
戦いながらも少女は続けて喋った。
相手は鳥型の魔獣。ただしその体躯はあまりにも大きい。
魔獣が羽ばたく度に強風が巻き起こる。普通なら立っていられないほどの突風である。
しかし、少女――祈、もとい一番目は立っていた。それはまさに堂々としたさまだった。
あの日みたいだ。そう思った。彼女と最初に出会った夜と。
違うのは服装くらいか。あの時は黒いコートだったが、今は高校の制服だ。
「――っ!」
つぎの瞬間、そうまさに刹那とも言うべき僅かな時間で祈は斬りかかった。鞘から抜くと同時に斬る、居合い。
とにかく速い。
狙いは羽。魔獣の左翼を切り裂く。魔獣特有の黒い血が斬られた翼から吹き出る。
「……」
とにかく感嘆していた。彼女の圧倒的強さに。
翼を切り落とすには至らなかったが、十分に深い傷を与える事に成功していた。
魔獣がのけぞる。もちろん、彼女がその隙を見逃すわけがない。その僅かな隙だけで、彼女には十分だ。
魔獣の首を切り落とした。何をしたのか正直良く分からなかったけれど。
とにかく終わった。魔獣の体が溶けるように消えていった。
「……」
少女は無言で、令の方を振り向いた。
「……」
「覚悟、しておいて」