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断絶の扉  作者: 夢追人
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第七章 洞窟に差し込む光

桧山殺害の実行犯が逮捕され、その供述から鈴たちの推理は進む。ようやく事件の全容が見えてきたかも。


 バー『やすらぎ』で鈴たちと推理討議をした翌日、秦野と熊野は捜査本部に出向き、昨夜電話で聞いた草加春子が犬養龍之介の妾であった情報について詳しく確認していた。

 と、そこへ新情報が舞い込んで来るや捜査本部は一斉に沸き立ちどよめきと驚嘆の叫び声が入り混じった。秦野たちも思わず立上って声も出ない状態で立ち尽くした。何と、桧山殺害の実行犯と思われる二人の男が別件で逮捕されていたと言う情報だ。

 あるカップルのドライブレコーダに桧山殺害の犯人の物と思われる車両が映っており、その車両の大阪ナンバープレートを調べたところ盗難車の物であったため大阪府警に協力を依頼していた。運の良いことに、そのナンバープレートで登録されている車両を盗んだ窃盗グループは既に逮捕されていたのだ。

 そしてその窃盗グループは、盗難車両から外したナンバープレートを闇ルートで販売していたが、その売り渡し先を詳細に追及したところK国の犯罪グループであることが判明した。厄介な相手ではあったが地道な下調べが始まった。

 ちょうどその頃、ミナミの繁華街で暴力事件が発生し二人の外国人が逮捕されていた。そしてその二人はK国犯罪グループのメンバーであることがすぐに判明した。逮捕された二人は最近大金を入手したらしく、羽振りの良い遊びを続けていた。彼らは路上でのつまらない喧嘩が暴力事件に発展して逮捕されていた。

 取調べにおいて彼らがK国犯罪グループに所属していたことから、桧山殺害の話をぶつけてみると素直に白状した。驚くほど簡単に認めたのは、何らかの力によって自分たちはすぐに出られることを確信していると、担当の捜査官は判断した。

 そのような経緯のため京都府警から急遽捜査員を派遣して追加の取調べを行うことになった。秦野がその取調べに参加すべく手を上げたが却下された。秦野と熊野は犬養島事件の主担当となっているためだ。

 秦野が落胆したのも束の間、その日の昼前になると今度は犬養島事件の新情報が入って来た。最初に洞窟で倒れ、その後昏睡状態のまま亡くなった龍彦の解剖結果が報告されたのだ。秦野は雄一の医療ミス又は殺害の可能性を考えてもいたが毒物等は発見されなかった。

 死因は心臓機能の障害と言うことだが、元々心臓が弱いこともあり有毒ガスが原因で機能障害を生じることも十分にあり得る。従って、雄一が施した治療に過失があったとは言い切れないとのことだった。

 しかし、一方で未必の故意、すなわち治療せずに放置するか治療のタイミングを遅らせることで起き得る症状であることも合わせて報告された。

 胃の残留物についての報告もあった。念のため、初日のバーベキューで出された食材を確認することになり、熊野は守井久子に食材の全てを提出するように依頼した。更にクルーズ船の中で食べたことも考えられるので、クルーズ船の管理会社にも船内にあった飲食物の提出を依頼した。

「鈴ちゃんにも残留物のリストを送っておけ」

 秦野が指示をした。

「彼女たちに?」

「彼女たちもバーベキューに参加していたんだ。用意された食材以外の物を持ち込んだことも考えられる。目撃情報は貴重だ」

「でも、そんなことをしたら必ず来ますよ」

「何が?」

「呼び出しが。きっと今夜は居酒屋ですね」

 熊野が財布の中身を確認している。

「彼女たちといると色々参考にはなるが、経済的には厳しくなるな」

 秦野も苦笑いを浮かべた。


「やはり居酒屋でしたね」

 熊野がテーブル席に着くなり、自分の予想が当たったことを自慢げに告げた。

「しかも、高級だ」

「せっかく社会人と一緒だからね、学生同士では入れない店を小八木が選んだのよ」

「安い店の提案を二軒とも却下したのは鈴さんですよ」

「君に選択権がないことはわかっているよ、小八木君」

 秦野が明るく笑ったがすぐに締まった表情に移り、

「今夜はとても重大な情報がある」

 と言って、珍しく秦野が店員を呼び最小限のオーダーを済ませた。

「さすがオジサン。安いメニューを良く御存じだわ」

 鈴が零す。

「それで、どんな情報ですか?」

 少し頬を強張らせた小八木がお手拭きを置いた。少し間を置いて熊野が少し姿勢を正すと、桧山殺害事件の目撃者情報から車の窃盗グループそしてK国犯罪グループに辿り着き、たまたまそこのメンバーが暴力事件で逮捕されていたため、余罪を追及すると桧山殺害を認めた経緯を話した。そして話し終えたことで安心したのか熊野は何の躊躇いも無く生ビールを口にした。

「乾杯もしてないのに」

 鈴が冷たい視線で熊野を睨む。

「あ、すみません」

「バツとしてお造りの盛り合わせを注文します」

 悪魔の笑顔を浮かべた鈴が運ばれて来たばかりの突出しを全員の前に並べると、運んで来た店員にその場で注文した。

「お前のミスだからな」

 秦野が熊野に何かを言い含める。

「その犯人?さっさと国へ帰れば捕まらなかったのに、バカな人たちね」

 鈴はまだメニューから目を離さないでいる。 

「報酬の大金が入ったのでミナミで豪遊してから帰国するつもりだったらしい。正直、プロとは言えないチンピラだ」

「ここからが重要です。京都府警の捜査員が出向いて桧山事件の取調べを行った情報です」

 熊野の言葉に小八木が身を乗り出したが、鈴はビールジョッキを持って、

「まずは乾杯」

 と言って、ひとり口を付けた。

「君のマイペースに完敗」

 秦野が少しおどけた口調で発声する。

「実行犯の二人はいつものルートで仕事を請け負いました。彼らは殺害だけでなく、窃盗、暴行など様々な違法行為の仕事を請け負っています。大元の依頼主から幾つもの組織を経由して仕事が下りて来ます。彼ら実行部隊は直属の組織以外のことは何も知らされていませんし、興味も持っていません」

「下手に興味を持つと命が危ないからな」

 秦野が付け足す。

「大阪府警では、K国の違法組織、即ち仕事を依頼している元締めの企業を幾つか把握していました。そのひとつにIRエンタープライズの名がありました」

「IRエンタープライズ。大阪秘密クラブの幹事会社ですね」

「クラブ活動か。オジサンたちにしては健全ね」

 鈴が泡のひげを付けたまま零す。

「秘密クラブですよ」

 小八木が意味あり気な視線を送る。

「あんたも入ってみたいの?やらしい。まあ、それはそれで健全だけど」

 鈴の冗談に誰も反応せず一瞬の沈黙が過ぎた。

「違法組織に依頼できる組織は限られている。当然、京都の組織は入っていない。そうなると、桧山殺害依頼にIRエンタープライズが絡んでいることは間違いないだろう。いや、IRエンタープライズが大元の依頼者だと俺は考えている」

 秦野が確信を持った口調で言い放った。

「でも、どうしてそんな会社が桧山さん殺害を依頼するのよ?桧山さんは京都雅会の機密情報を盗んだことが原因で殺されたんでしょう?」

 鈴が秦野を見つめる。

「ああ。そのことだが、我々はフェイク情報に騙されていた可能性がある。元々怪しい情報ではあったのだが……」

 秦野がやや情けない面を浮かべている。

「あらあら、秦野さんともあろうお方が騙されちゃったの?」

「とにかく、実行犯から聞き出した桧山殺害の経緯を聞いてからにしてくれ」

 秦野の目配せで熊野が語り始める。

「二人の実行犯は、事件当夜22時頃、桧山のジョギングコースである人通りの少ない路地に車を止めて待ち伏せ。彼が走って来たところを呼び止め、会長からの依頼で迎えに来たと言うと桧山は素直に車に乗った。何の警戒もなく彼らの指示どおり助手席に座ったので、運転席の犯人が刃物を突き付けてロープで拘束し、背もたれを倒してタオルとペットボトルの水を使って溺死に見えるよう偽装した。その後、桧山の部屋に侵入してパソコンと媒体を回収し、深夜になるのを待ってご遺体を加茂川に浮かべた。その際に依頼者から頼まれた御守をつけた」

「え?あの御守は桧山さんの物ではなかったのですか!」

 小八木が絶句した。

「はい。すべて依頼主からの指示どおりに行ったらしいです。犯行場所も依頼者が指示した場所で、防犯カメラもなく人目も無くプロたちも感心するほど絶好の場所だった。また、桧山が指示に従わず乗車を拒否したらその場で刺殺しろとの指示があったと供述しています」

「因みに、犯人たちは桧山さんのパソコンから機密情報を回収できたのかしら?」

「奴らはパソコンを回収しただけで物は依頼主に渡している。その後のことは知るはずもない」

 秦野が答えた。

「なるほどね。だから桧山さんが雅会から機密情報を盗んだために殺されたと言う情報がフェイクだと言う訳ね」

「どうしてそう思うのですか?」

 熊野が素朴な表情を浮かべる。

「だって、桧山さんは助手席に座るなり殺されたのよ。もし車に乗らなかったとしても路上で刺されていたはず」

 鈴はじっと秦野を見つめた。秦野も軽く笑んでからビールを流し込む。

「何ですか?二人で見つめ合ったりして」

 熊野が少し慌てている。

「実行犯は桧山さんがどこにデータを隠したのか、誰に情報を伝えたのか、機密情報について何も聞かずに殺害した。いえ、そのように指示されていた」

 鈴がそこまで話すと、

「依頼者は機密情報が桧山以外に漏れていないことを知っていたか、そもそも桧山が機密情報を入手していないことを知っていた。真の目的が桧山殺害だった。と言うことになる」

 と、秦野が話を繋いだ。

「なるほど。でも、誰がなぜそんなフェイク情報を流したのでしょう?」

 熊野もじっと考え込む。

「フェイク情報を流して得をするのは……」

 小八木がそこまで言うと、

「IRエンタープライズですか?」

 と熊野が秦野を見つめた。

「おそらくな。IRエンタープライズの畑山専務が雅会系列の山伏ソフト開発に急接近している事実がある。IRエンタープライズが桧山殺害を依頼したとすると、雅会の犯罪を匂わせるフェイク情報を流すことで捜査をかく乱できる。おまけに、山伏ソフトの青野社長と言う手駒まである。彼を通じて雅会にフェイク情報を流布させるのは安易なことだろう」

 秦野は大きく息をしてからビールを口にした。

「何のためにIRエンタープライズは桧山さんを?」

 小八木が更に突っ込む。

「まだわからん。先日、山伏ソフトに京都府警の二課が踏み込んでガサ入れをしている。その時に偶然居合わせた畑山も逮捕して取り調べを行ったようだから何かヒントを得られるかも知れない」

 秦野は小声で答えた。

「ねえ、鱧おとしを頼んでも良い?枝豆と冷奴じゃ頭が回転しないわよ」

「刺し盛りを頼んだでしょう」

「あれは罰ゲーム」

 鈴が明るく笑うと重い空気が一変して、小八木が陽気な声で数品注文した。その注文の品に満足そうな笑みを浮かべた鈴が、

「IRなんちゃらが依頼した理由は新しい情報を待つとして、まだ腑に落ちない点があるわね」

 と秦野に向かって言った。

「ああ。まず桧山の首に掛かっていた御守だが、依頼者からの指示で掛け、御守自体も依頼者が用意した物だ。つまり桧山の物ではなかった。次に、桧山を疑似溺死させた水も大型ペットボトルを数本渡され必ずその水を使って殺害するように指示された。この二つが全く腑に落ちない」

 秦野の指摘には全員が納得した。熊野が秦野にビールを注ぐ姿を無言で見つめていた小八木が、

「まず、あの御守の持主に関してですが、御守の古さ、事件関係者、桧山さんの友人関係を考慮すると、文美さんか秋人さんが持主である蓋然性が高いですね」

 と、恐らく全員が考えていると思われる答えを口にした。

「常識的に考えると、当時恋人関係だった文美さんと秋人さんが出雲大社へ旅して買った物だと考えるのが自然ですね。勿論、文美さんは否定しているので仮説でしかありませんが」

 熊野が不安気に言って刺身に箸を伸ばした。その箸の行方をじっと見つめていた鈴は、

「熊野君の言うとおり、御守に関しては新しい証拠がない限り断定は出来ないわ。で、もうひとつの疑問であるペットボトルの水はどこかの地下水だったわね」

 と、熊野の箸がハマチに辿り着いたのを見てから言った。

「ああ、そうだ。水道水とは成分が違っていた」

「依頼者が地下水を実行犯に使わせたのは犯行を隠すための小細工とは考えにくいですね。隠ぺい工作なら加茂川の水を飲ませて溺死したように見せるでしょうし、そもそも、ご遺体は隠して発見を遅らせるのが常道です。ですが、わざわざ繁華街近くの加茂川に遺棄しています。むしろ発見してもらうために」

 熊野が当初からの考えを述べた。

「発見させること自体が隠ぺい工作と言う訳ね」

 鈴は鱧おとしを箸でつまんで梅肉をたっぷりとつけた。鈴の言葉に秦野は一瞬考え込んだが、鱧おとしを一切れ自分の取り皿に確保してから、

「そう言うことだな。IRエンタープライズは、桧山が雅会の機密情報を窃取したために殺害されたと言うフェイク情報を流しパソコンまで回収した。こんな状況下で目立つところにご遺体が放置されたなら、雅会を裏切った者への見せしめだと考えるのが自然だ。現に熊野は当初からそう考えていた」

 と言って鱧を口にした。

「え?僕だけですか?秦野さんも賛同していたんじゃ……」

 熊野も鱧落としに視線を落とす。

「なるほど。疑惑の目を雅会に向けさせることに関してはIRエンタープライズの狙いどおりになった訳ですね。京都府警は雅会またはBGマネジメント系列の仕業と考えて捜査を進めていましたから」

 小八木の言葉に秦野は苦笑いを浮かべた。

「まあ、初動ミスの罰は後日受けてもらうとして冷酒を注文しても良い?」

「冷酒も償いにカウントしてくれ」

「わかった」

 鈴は再び悪魔の笑顔を浮かべて高級地酒を注文した。

「そう来ると思っていました」

 熊野が溜息を吐く。

「フェイク情報を流した理由やご遺体の遺棄場所については説明がつきましたけど、やはり、わざわざ御守を付けた理由と地下水を使った理由は謎ですね。警察はそんなことを世間に発表しないでしょうから誰かへのメッセージと言う訳ではなさそうですし」

「確かに。余程の事情がない限り公表しませんね」

 熊野が最後の鱧おとしに箸を伸ばしたが、鈴に先を越された。

「地下水は死に水。あの世で喉が渇かないように。そして御守はあの世での魂の無事を祈った」

 鈴の突拍子もない言葉に全員が目を丸くする。

「死に水にしては飲ませ過ぎだろう。いや、死なせ水になっている」

 秦野が笑いを零す。

「そもそも、そんな愛情があるなら殺さなければ良いじゃないですか」

「愛しているから殺したくなる。女心は複雑よ」

「お、女心……。鈴さん、大丈夫ですか?お腹空き過ぎたんじゃ?」

 女心を口にした鈴を小八木が真剣に心配している。

「十分食べていると思いますが」

 熊野が空になった鱧の皿を見つめながら零した後、

「桧山殺害の原因が機密情報窃取ではなくIRエンタープライズの依頼によるものだとなると、雅会系列の者が口封じのために犬養家の人々を殺害したと言う説は消えますね。鈴さんの祟り説、外部犯人説は完全に否定されましたね」

 と、やや意地悪な視線で鈴を見つめた。鈴は可愛く頬を膨らませていたが、天ぷらの盛り合わせが届くと目をキラキラさせながら両手を合わせて天井を仰いだ。そして、

「私の祟り説は、外部の人間を含めて存在しない者の犯行と言う意味よ。外部犯人説は否定されても存在しないものの犯行は否定できないわ」

 と、言って目を閉じた。

「誰と交信しているのですか?」

「怨霊か?宇宙人か?」

 秦野がからかう。

「鱧さんに海老さん、そして刺し盛の皆さん。大切な命をありがとう。生まれ変わっても再び私の口に入ってちょうだい」

 祈りを終えた鈴は小八木に向かって、

「明日、行きたいところがあるから朝十時にスクータで迎えに来てちょうだい」

 と言って幸福そうに海老の天ぷらを口に入れた。


 高級居酒屋で推理談義をした二日後、鈴と小八木は15時過ぎに熊野から呼び出された。場所は京都府警の側にあるレトロな喫茶店。老夫婦が経営している。

 鈴が小八木のスクータに乗せられてやって来ると、店には熊野と秦野以外に見知らぬ中年男がコーヒーを前に座っていた。

「こんにちは。夕食の時間を避けて呼び出されるなんて、何かの意図を感じるわ」

 鈴が明るい笑顔を振りまきながら着席する。

「少しは俺たちの財布にも思いやりをくれ。ケーキなら何を食っても良いぞ」

 後から入って来た小八木が席に座ると熊野がもうひとりの男を紹介した。

「京都府警二課の柳田警部補です」

 鈴は愛想よく挨拶をする。

「可愛いお嬢さんだ。噂とはイメージが違うな」

「良く言われます。きっと噂を流している男に悪意があるのだと思いますわ。マスター、ケーキセットをミルクティでお願いします。それと小八木にコーヒーを。全部熊野君の払いでお願いします」

 鈴がにこやかに注文した。

「前言撤回する。噂どおりだ」

 柳田が苦笑した。

「オジサンたちは忙しいので早速要件を伝える」

 秦野が口火を切って柳田に説明を求めた。

「秦野からIRエンタープライズの畑山専務の名前を聞いたことがあると思うが、彼が昨日逮捕された」

「あれ?釈放されたはずじゃ?」

「山伏ソフト賭博の件では釈放されたが、今度は桧山殺害に関して殺人罪の共謀共同正犯の疑いで逮捕された」

「共謀共同正犯と言うことは畑山専務が依頼したと言うことですね。証拠でも出たのですか?」

「IRエンタープライズと実行犯とを仲介している某闇組織が、畑山から依頼を受けている場面の動画を提出した」

 柳田が小八木に答える。

「畑山さんは闇組織に売られたのね?」

 鈴の言葉に柳田は少し驚いて、

「そう言うことだ。飲み込みが早いな。実はIRエンタープライズはパチンコ利権でK国系企業と争っている最中だ。畑山を売った某組織もK国系列だ。畑山も脇が甘かったと言うことだ」

 と、コーヒーをすすった。

「それにしても、そんな違法依頼を専務が直々に行うものなのですか?」

 小八木の質問に再び柳田は驚いた。

「良い視点だ。通常は組織の下っ端にやらせる。しかし、それはあくまでも組織の仕事である場合だ。だから、桧山殺害依頼はIRエンタープライズとしてではなく畑山個人の事情で行った蓋然性が高い。まあ、その辺りはこれからの取り調べでわかるだろう」

「御守と地下水を使わせた理由もわかりますかね」

「時間は掛かるかも知れないな」

 柳田が小八木と鈴を交互に見つめる。

「柳田の土産はこれだけじゃないぞ」

 秦野が嬉しそうに数枚のコピーをテーブルに広げた。

「これは畑山が学生時代に逮捕された時の調書だ」

「学生時代に逮捕?裏社会のエリートって感じね」

 鈴がケーキを口に運んでから書類に目を通す。と、彼女の口が動きを止めた。

「これって……」

 そう言うことだ。

「もうひとつ、犬養島事件を解明する決定的な代物がある」

 秦野がニヤリと笑って別のコピーを取り出して広げた。目を皿のように見開いて文字を追う鈴と小八木。

「これは山伏ソフト開発から押収した闇賭博の注文記録だ。何か気づいたか?」

 柳田が説明を加える。

「まさか!どう言う事ですか!」

 小八木が先に気づいた。

「あんただけ、ずるいわよ!」

 鈴は焦りながら何度も文字を読み込む。

「日付に注目してください」

 小八木の助言で日付を細かく確認していく鈴の視線がある場所で止まると、彼女の頬が一気に上気して、

「アッ」

 と思わず叫びそうになり慌てて両手で口を塞いだ。そしてゆっくりと呼吸を整えながら、

「柳田ちゃん、GoodJOBよ!」

 と彼の手を両手で握りしめた。


 鈴たちが柳田から提供された証拠で事件の全容を把握してから三日後、秦野の働きで、警察からの正式依頼として犬養島連続殺人事件の関係者全員を集めることができた。

 場所は犬養商事の大会議室を借用している。ざっと三十人程度は収容できる広さだ。机がコの字型に配置されてあり椅子は肘付きでリクライニングできる心地良い物だ。

 集まったのは、犬養文美、吹田雄一、藤田葉菜。宮津から守井親子。警察からは秦野、熊野、柳田。そして鈴と小八木が顔を揃えた。

「皆さん、お忙しい中をご参集くださりまして誠にありがとうございます。本日は桧山氏殺害事件および犬養島事件の全容をお話ししたいと思います。既に報道されていますように桧山氏殺害の実行犯については逮捕されています。しかし、その背景には非常に複雑な事情があります。また、犬養島で亡くなった四名の方についても我々は事故死や自殺ではないと判断していますが、残念ながら立件は困難な状況にあります。皆さんには諸々情報提供をしていただいてご協力を賜りましたので、今後一切公表されることはない我々の調査結果をご報告したいと思います。このような事情ですので、これからお話ししますことは決して口外しないことを約束してください。守秘義務に反しますとそれなりの処罰を受けていただくことになります。もし、守秘義務を果たせない方はここから退出いただいても結構です。ご報告の中で、事実確認のために何かをお尋ねすることもありますが、これは取り調べではありませんので記録にも残しません」

 秦野が事務的な口調で全員の意思を確認した。昼の陽射しを遮るブラインドのために会議室はやや薄暗い。しかし電灯をつけることはなくその薄暗い気の中で沈黙が継続した。

「どなたも退出されないと言うことは全員が守秘義務に同意されたとみなします。よろしいですね」

 秦野の言葉に全員がわずかに頷いた。会議室の窓側には文美や雄一たちが並んでおり、その対面に三人の刑事が並んでいる。鈴と小八木が正面の司会者席に座っている。

「それでは二つの事件について、私、星里鈴がご説明します。なぜ刑事さんではなく私が説明するのかは秦野さんに聞いてください。きっと私が可愛いからだとお答えになると思います」

 場を和ませようとした鈴のジョークは余計に部屋を寒くした。

「皆さん、少し硬くなっているようなのでリラックスしていただこうとして鈴さんは……」

 小八木がフォローしようとしたが、彼の肩を叩いた鈴は、

「余計に惨めになるからやめなさい」

 と小声で叱った。その様子に皆は表情を緩めて、

「漫才は良いから、早く進めてくれ」

 と秦野が更に場を和ませた。

「では、ご要望に応じて早速始めます」

 少し背筋を伸ばした鈴がひと呼吸置いてから説明を始める。

「今回の事件はとても複雑でした。まず桧山さん殺害事件に関しては、京都政財界の秘密クラブである雅会の機密情報を盗んだために雅会の息が掛かった犯罪組織に始末されたように見えました。そして犬養島で起きた四兄妹殺害事件は犬養島伝説になぞられた連続殺人事件のように見えます」

 鈴は深く呼吸をしてから続ける。

「確かに、それらは一面の事実ではありますが真の姿ではありません。この二つの事件の真相は吹田秋人さん、つまり雄一さんの父親殺害に関与した人々への復讐だったのです」

 少し和んでいた空気が再び緊張する。鈴の発した結論に全員が驚いているが、中でも守井親子の驚きは格別だった。

「復讐ですか……。五人の殺害がすべて……」

 神主の守井亮が頬を強張らせながら呟いた。

「はい」

 鈴は即答してから説明を続ける。

「まずは人間関係を整理したいと思います。犬養家の当主犬養龍之介さんには8歳年下の恭子さんと言う妻がいました。二人は四人の子供を授かり、一見幸福そうな家庭でした。しかし結婚後間もなく、龍之介さんは先斗町でホステスをしていた草加春子さんを愛人として囲います。そして春子さんとの間にも子供を授かりました。その子たちが草加秋人さん、銀次さんです」

 この情報にも守井親子は仰天したが文美たちは無反応のまま目を伏せている。

「しかし、弟の銀次さんが生まれたばかりの頃愛人関係は破綻します。その理由を龍之介さんに確認しても答えていただけませんでした。ただ、二人が好んで別れた訳ではなく、やむを得ない事情があったと推測されます。龍之介さんは可能な限りの手切れ金を用意したようですが、その額についても答えてもらえません。春子さん親子のその後の生活振りから考えて、龍之介さんとしては不本意な額しか渡せない事情があったようです。その後春子さんは一度も龍之介さんと会うことはなく、また龍之介さんに子供たちの姿を見せることもなく亡くなります。約30年前のことです」

 鈴と刑事たちの視線は文美を見据えているが、彼女は全く動じた様子もなく目を伏せ気味にして鈴の話を聞いている。

「また、春子さんは愛人になることを選択した際に親族と縁を切ったと思われます。そのためなのか、二人の息子には結婚後に草加姓を名乗らないように強く希望しました。秋人さんは、吹田優子さんと結婚して吹田秋人となり雄一さんを授かりました。弟の銀次さんは藤田美代子さんと結婚して藤田銀次となり葉菜さんが生まれました」

 鈴は葉菜の表情を確認した。彼女は平静を装っているが動揺している雰囲気が伝わって来る。

「次に文美さんです。文美さんは吹田秋人さん、桧山さんと同じ大学で学生時代を過ごし、祇園のラウンジで一緒にアルバイトをしていました。当時から文美さんと秋人さんは恋人関係にあり、桧山さんは二人の良き友人だったようです。因みに、文美さんと秋人さんは卒業前に別れたようですがその後も友人関係は続いていました。卒業後三人はそれぞれ職に就き、秋人さんは雑誌記者に、桧山さんは知り合いの個人事業主を手伝う形で金融関係の仕事をしていたと言うことですが、詳しいことはわかりません。刑事さんたちの調べでは、その知り合いも含めてかなり怪しい業界で働いていたようです。もしかしたら文美さんがご存知かもしれませんが」

 鈴がそう言って文美の視線を捉えると秦野たちもその反応を見つめた。たが、彼女は小さく首を横に振るだけだった。

「文美さんは一度は会社勤めをしましたが再び祇園の世界に入ります。そしてその店で龍之介さんと知り合いました。当時の龍之介さんは奥さんの恭子さんを病気で亡くされていて、心に寂しさの空洞が大きく広がっていたと思われます。何度か店に通ううちに文美さんとの距離が縮まりやがて二人は結婚しました。前述したとおり、四人兄妹は全て前妻の子供たちです。それから何年か経って桧山さんが犬養商事に入社しました。龍之介さんが参加していた財界のパーティーで桧山さんと意気投合したようですが、恐らく、文美さんが犬養家に嫁いだことを知った桧山さんの策略だったと考えています」

「桧山の策略だったかどうかは確認不可です。常識的に考えるとこう言う筋書きも十分にあり得ると言うことです」

 秦野が鈴の断言を緩和したが誰もその推論を疑っている様子はない。

「桧山さんが入社して2年後、文美さんにとって大問題が生じます。犬養家儀式の取材という名目で桧山さんが秋人さんを連れて来たことです。取材とは表向きの理由で、真の目的は龍之介さんと彼の息子である秋人さんを引き合わせることだったと思います。先ほども言ったように、犬養商事に入る前の桧山さんは非常に怪しい世界に身を置いていました。祇園界隈の情報網を駆使して龍之介さんと秋人さんとの血縁関係を調べ上げることくらいは容易でしょう。ここからは想像ですが、秋人さんを連れて来た時から、桧山さんは文美さんを脅かしていたのではないでしょうか」

 全員が文美の表情を凝視した。だが、彼女は平然とした態度で口元に笑みを浮かべているだけだ。

「秋人さんと恋人関係だったことをネタにですか?」

 久子が半ば得心できないような語気で尋ねる。

「はい。さっき言ったように秋人さんは龍之介さんの息子です。龍之介さんから見ると自分の妻が自分の息子と恋人関係にあったことになります。過去のこととは言え、文美さんにとっては絶対に知られたくない事実ですし、私たちも龍之介さんには一切話していません。以上が人間関係の説明です」

 久子は複雑な表情で鈴を見つめたが文美の方に視線を移すことはなかった。

「では、吹田秋人さんの事件について話します」

「事件?」

 守井がすぐに反応した。正式には事故と言うことになっている。

「龍之介さんの証言によると、秋人さんが犬養家の人間であることを秋人さんや兄弟たちに知らせるのは犬養島での儀式の場と決めていたそうです。更に、龍之介さんは秋人さんと銀次さんを認知し、兄妹たちよりも多くの遺産を相続させるつもりでいたようです。そして最も重要なことですが、桧山さんが兄弟たちにこの情報を事前に知らせていたと、私たちは考えています」

 鈴がここまで話すと遺産相続問題に関する憶測の空気が部屋に充満して、呼吸すらし辛い雰囲気に包まれていった。そこへ鈴が止めを刺す。

「ご存知のとおり、儀式前夜に秋人さんは洞窟に閉じ込められて亡くなりました。あれは事故などではありません」

 鈴はひと際大きな声で言い放った。

「まさか、兄妹たちが……」

 思わず守井が口走る。

「守井さんも覚えていらっしゃると思いますが、実際に洞窟の扉を閉めたのが誰にせよ、兄妹四人が示し合わせればアリバイは成立します。守井さんと久子さんは神社に戻り、龍之介さんと文美さんは本島にいたのですから、誰にも目撃されずに洞窟との間を往復することは可能です。ですが残念ながら証拠はありません」

「当時事件を担当した捜査員にも確認しました。犯行の手段はあったが動機がないと言うのが実際でした。吹田秋人さんと犬養家の関係は隠されたままでしたからね」

 秦野が少し残念そうに言ってから鈴に視線を送った。

「秋人さんが亡くなった後、桧山さんは残された雄一さんの面倒をよく見ました。雄一さんはまだ10歳ぐらいでしたから父親と同年代の桧山さんに懐いたのも自然なことです。桧山さんは犬養商事に入社してから龍之介さんに雄一さんのことを、即ち龍之介さんの孫の近況を定期的に知らせていました。龍之介さんは秋人さんの死後、雄一さんの援助を始めます。事故の償いと言う建前で母親である吹田優子さんに資金を援助し、雄一さんは医学部まで進むことができました。更には、龍之介さんの主治医にまで指名されています。実際のところ、龍之介さんとの間を取り持ってくれた桧山さんに、雄一さんは感謝していた時期もあったのではないですか?」

 鈴は、雄一の方をじっと見つめた後、

「そして成人した雄一さんは、秋人さんの洞窟事故の真相を桧山さんから知らされたのでは?犬養家の兄妹たちが殺害した真相を」

 と付け加えた。刑事たちもじっと雄一の反応を凝視しているが、彼はちらりと鈴の表情を一瞥しただけですぐにまた俯いてしまった。

「雄一さんは答えたくないようなのでこの話は後回しにして、雄一さんの大学生時代の話に少し触れたいと思います」

 俯いたままの雄一の表情が少し曇る。

「刑事さんたちが雄一さんのご友人である畑山さんに話を聞いてくれました。因みに、畑山さんは数日前に逮捕されています。桧山さん殺人の共謀共同正犯の疑いです。お二人は大学時代を通じての親友だそうですね?」

 桧山の死が他殺でありその実行犯とそれを依頼した畑山のことはマスコミでも少し騒がれたので全員が知っていたが、畑山と雄一との関係は誰も知らなかったようで、一瞬驚きの声が漏れた。

 だが、雄一は鈴の言葉には応えずにじっと目を伏せている。今日は何も答えないつもりだろう。

「畑山さんはあまり素行の良い学生ではなかったようで、雄一さんも一度事件に巻き込まれています。大学で知り合った女子大生のレイプ未遂事件です。ただし雄一さんは全くのもらい事故ですよ。畑山さんに頼まれてその女子大生を部屋に連れて来ただけですから。雄一さんの部屋で飲んだ後、雄一さんが寝ている間に起きた事件です。その女性が逃げ出して事件は未遂に終わりました。雄一さんは無実とは言え共犯でないことを立証するのは困難でした」

「警察なら共犯だと疑って係るでしょうな」

 秦野が口を挟んだ。

「その事件を収めたのが桧山さんです。実際には知り合いの弁護士に示談をまとめさせました。被害者に訴えを撤回させ、知り合いの警察関係者にも根回しをして事件化することを防ぎました。勿論、その費用は龍之介さんから出たものだと思います」

「被害者が示談を望んだら警察はそれ以上追求しません」

 今度は熊野が割り込む。

「それを契機に桧山さんと畑山さんの腐れ縁が始まります。実は畑山さんの素行の悪さは遺伝のようで、父親は裏社会に根を張ったIRエンタープライズと言う企業を経営しています。畑山さんは大学卒業後そこに就職して頭角を現します。父親の力もあって裏社会でも力を伸ばしてゆきます。そして、力をつけると同時に学生時代に何かと世話になった桧山につけを払わされ始めたようです。真面目な雄一さんがそんな悪友といつまでも友人関係を続けていた理由はわかりませんが、男の友情と言うことにしておきましょう。以上が雄一さんのダークサイドです」

 守井親子は勿論のこと文美も葉菜も畑山のことなど全く知らなかった様子で、驚いた空気を醸し出してはいたが大きな動揺は見せなかった。鈴は彼女たちの表情を確かめてから話を続ける。

「では、事件の真相に進みます。まずは桧山さん殺害事件の真相から話しましょう。こちらの事件は依頼者の畑山さんも実行犯も捕まっているので事実関係の解明は進んでいます。カジノ誘致を巡って京都政財界と大阪政財界がしのぎを削っている状況下で桧山さんが京都雅会の機密情報を窃取したと言う情報もあったため、柳田刑事は政財界絡みの事件とにらみましたが蓋を開けて見ると畑山さんの個人的な理由が動機でした」

 鈴は柳田に視線を合わせたが、彼は少し苦笑いを浮かべただけで何も反論しない。

「畑山さんは学生時代の事件処理を契機にその後も色々と桧山さんの世話になり、人生における弱みをたくさん握られていました。畑山さんが裏社会にデビューしてからは何かと桧山さんにたかられていたようです。近年その要求レベルと頻度が高まり、畑山さんは友人である雄一さんの協力を仰いで桧山さんを罠にはめました」

「罠?」

 葉菜が微妙に反応する。

「大阪政財界の秘密クラブ大阪発展会の幹事会社であるIRエンタープライズ、つまりは畑山さんの会社サーバに会の情報を保存しているのですが、畑山さんはわざとセキュリティを甘くした罠を仕掛けておき桧山さんを罠にはめる計画を雄一さんに明かしました。雄一さんは、会長、即ち龍之介さんの秘密指令として大阪発展会の機密情報を入手するよう桧山さんに伝え、畑山さんから教えられたサーバのセキュリティ情報を教えた。会長の命令としたことは実行犯の供述でわかっています。会長が呼んでいると言うと、桧山さんは素直に従って車に乗っています」

「これは龍之介さんに調査済みの話ですが、それまでも龍之介さんの主治医である雄一さんを通して、龍之介さんは桧山と秘密の情報交換をしていました。桧山は隠れた仕事を行う役割だったのかも知れません」

 熊野が補足する。

「桧山さんはまんまと罠にはまってハッキングを行いますが、ハッカーをトレースするシステムに捉えられてその証左を押さえられた。勿論、桧山さんが盗んだ機密情報は偽物です。ですから殺害実行犯は桧山さんに機密情報の在りかを確認せずに殺害しています」

 鈴がここまで話すと柳田が語り始めた。

「桧山を罠にはめ、ハッキングを殺害事由としてでっちあげた畑山は、IRエンタープライズの依頼として裏社会でつながりのあるK国系組織に殺害を依頼しようとした。だが殺害までする必要はないと父親でもある社長に反対され、結局畑山個人で内密に依頼する結果になった。K国系組織に依頼したことは日本政府の泣き所を利用したうまいやり方だ。だが、IRエンタープライズと他のK国系組織がたまたまパチンコ利権で競っていたため、最終的に畑山は売られて逮捕された。また、実行犯も程度の低い奴らだったので運よく逮捕することができた」

 畑山と言う見ず知らずの人間が行った犯行だと説明されて、雄一以外の者たちはどこか遠い世界での出来事のような感覚で話を聞いている。

 だが、そんな空気を一瞬で破壊する勢いで鈴が立ち上がると、じっと雄一を見つめてから張りのある声で再び真相を語り始めた。

「畑山さんの犯行に協力した雄一さんは、その見返りとして二つの事項を約束させました。犯行現場に残された出雲大社の御守と殺害に使った地下水です。桧山さんの殺害時に使うよう指示された畑山さんは不思議に思いながらも了承し、犯罪組織に依頼する条件にそれを含めました」

「今の話は畑山が自供した内容です。彼も理由は知りませんでした。いったい何のためにそんな条件を付けたのですか?」

 熊野が無駄だとわかりつつも雄一に投げ掛けたが、やはり無言のまま俯いている。鈴は熊野に愛らしい笑みを送ってから続ける。熊野も嬉しそうに笑った。

「なぜ雄一さんが出雲大社の御守りを桧山さんのご遺体に付けさせたのか?ご本人が黙秘している以上私にはその真意はわかりません。しかし事実は解明しました。あの御守は文美さんと秋人さんが学生時代に出雲大社へ詣でた時の記念品ですね?もしかするとあなたも持っているかも知れません」

 全員の視線が鈴の視線の先にある文美に集まった。

「何度もお答えしたと思いますが、私は出雲大社には行ったことはありません。あなたたちと違って私たちは貧乏学生でしたから旅行なんて簡単にできませんでした」

「確かに京都から島根まで旅するのは私たちにも大変です。こう見えて意外と貧乏なので」

 鈴の明るい笑みに守井が優しく微笑む。

「しかし京都在中の学生でも亀岡なら十分行ける距離です。電車なら往復一時間。約千円です」

 全員が怪訝な瞳で鈴を見つめる。

「いい大人が亀岡に出雲大社があることをご存じないの?」

 大袈裟に驚いて見せた鈴は、

「詳しくは小八木が説明するわ」

 と言って腰を下ろした。突然振られた小八木が驚いて口こもっていると、

「もう良いわ」

 と遮ってから再び立ち上がり、

「文美さん、学生時代に秋人さんと亀岡の出雲大社にお参りされましたね?そして恋愛成就なんかをお願いした。まあ、そこはどうでも良いです。そんな思い出の品をどうして雄一さんが桧山さんの身に付けたのか?秋人さんの仇討ちだと言うことを文美さんに示したのか、単なる自己満足なのか……」

 と、雄一を見つめて疑問に答えるよう視線で催促したが、視線すら合わせようとしない彼に小さく吐息を吐いた。

「やはりお答えいただけませんか。でもまあ御守を身に付けてジョギングしていたとしても、そんな人もいるだろうなって納得しますよね?そこにこだわった秦野さんがさすがってとこかしら。熊野君じゃだめだったでしょうね」

 場を和ませようとした鈴の言葉は誰にも受けず、少し引きつった表情の小八木に向かって合図すると、鈴はゆっくりと腰を下ろしてペットボトルの水を口に含んだ。今度は小八木が話を進める。

「次に殺害に使われた地下水についてですが、久子さん、犬養島の洞窟に湧き出ている水の水源はどこですか?」

「事実は分かりませんが、言い伝えでは眞名井神社に湧き出ている眞名井の水があの洞窟にも湧き出ていると言われています」

「そうです、眞名井の水。秋人さんのご遺体からも大量の水、洞窟の湧水が残っていました。つまり眞名井の水です」

 小八木は、誰かが気づくかと期待して周囲を見渡したが誰も反応しない。と、鈴がいきなり、

「みなさん、もう少し歴史文化に興味を持たれたらいかがですか?」

 偉そうな言葉を吐いたが、お前が言うなと言った視線で鈴を見つめた小八木が説明を続ける。

「亀岡の出雲大社にも眞名井の水があります」

 その瞬間、守井親子と葉菜が目を見開いた。

「僕たちはその水を採取し熊野さんにお願いして成分検査を行いました。その結果、桧山さんの体内から検出された地下水と同じ成分であることが判明しました」

 驚いているのは守井親子と葉菜の三人だけで、文美も雄一も沈黙を保っている。

「つまり、秋人さんが亡くなる直前に飲んだ水と同じ眞名井の水を桧山さんにも飲ませて溺死に見せ掛けた。これはもう復讐のための自己満足行為ですね」

 小八木には珍しく、やや声を荒げて雄一を睨みつけた。更に畳み掛けようとする小八木の肩を鈴が優しく制してニコリと微笑んだ。すると、秦野が軽く咳払いをしてから静かな口調で雄一に言葉を投げ掛ける。

「雄一さんも複雑な気持ちだったのではないでしょうか。実の父親を亡くした10歳の頃から親切にしてくれた桧山を父親のように慕っていた時期もあったでしょう。真実を知るまでは……。いや、真実を知った後も桧山へのその想いは心の片隅に残っていたのかも知れない。だから冥途での安らぎを祈って御守を付けさせた。あたかも父親のご遺体に想い出の御守を添えるかのように……」

 秦野は溜息交じりの息を漏らして雄一を見つめた。強情に口を開かない雄一を泣き落としの方向へ導こうとしたが、

「それ、私が言ったことのパクリじゃない。ずるい」

 と、鈴が秦野に愚痴った。

「今日は事件の真相を聞かせていただけると言うことで参りました。よもや取り調べではありませんよね?」

 初めて雄一が口を開いた。

「勿論、取り調べではありません。あくまでも情報共有です」

 秦野がにこやかに答える。秦野は雄一の口を開かせたことに希望を持ったが、突然凛とした声が響いた。

「しかし、先ほどからそちらの生意気なお嬢さんが時々詰問口調で私共に問い掛けたり、刑事さんたちの猜疑溢れる視線を浴びたりして甚だ不愉快ですわ」

 文美が厳しい視線を振りまきながら切れの良い言葉を会議内に大きく反射させた。その声に男たちはひれ伏してしまう。しかし、鈴はすらりと立上って、

「あら皆さん、私のことを生意気だと感じていらっしゃるの?ありがとうございます。だって生意気だと感じるのは私が若くて可愛いからでしょう?どこかのオバサンが国家公務員に横暴な口を効いても誰も生意気だなんて思わないようですから。ね?熊野君」

 と、文美以上に澄んだ声を響かせる。

「と、とにかく一旦休憩にしましょう」

 そう言った熊野の声は震えている。文美はちらりと鈴を睨んだ後席を立った。他の者たちもそれぞれ席を立って部屋を出て行った。

「鈴さん、さすが度胸ありますね。あんなに迫力のあるオバサンに楯突くなんて」

 近寄って来た熊野がひそひそ声で鈴を褒めた。

「念のために言っておくが俺たちは地方公務員だ。お前の親父さんと一緒にするな」

 秦野がニコリと笑って部屋を出て行こうとした。

「どこへ行くの?お手洗い?」

「そのための休憩時間だろう」

「私も行きたいの。男子トイレに連れてってよ」

「は?」

「だって、女子トイレにはあのオバサンがいるのよ。これ以上仕事が増えても良いの?暴行事件とか」

「は?」

「可愛い少女が痛い目に遭ったらどうするのよ?」

「確かに。わかった。だが、俺のものを見るなよ」

 ようやく秦野が理解した。

「大丈夫。虫メガネは持ち歩いていないから」

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