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断絶の扉  作者: 夢追人
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第四章 無人島

犬養島で次々に発生する事件。小八木は兄弟の遺産相続争いが原因だと考えるが、鈴は怨霊の祟りだと主張する。そして熊野刑事との予期せぬ再会。熊野刑事の苦難が始まる。

 出雲路橋から少し川上に上った所にある木製ベンチに二人の男が座っている。陽が落ちたばかりの賀茂川の堤防には、まだ散歩やジョギングを楽しむ人たちが後を絶たない。

 二人の男も、涼を求めて川沿いに佇んでいる中年男たちの一部に過ぎない。世間からは決して奇異に映ることもなく目立つこともない。

「まだ裏は取れていないが」

 柳田の情報提供者はそう断った上で桧山に関する情報を提供した。前回の情報では、カジノ誘致で多額の資金を先行投資している犬養商事が京都財界の覇権を握るために、桧山が京都財界人たちの裏情報を嗅ぎまわっていたとのことだった。

「桧山が雅会の情報を探っていたのは今に始まったことではないようだ」

 その言葉に柳田は声を詰まらせた。

「カ、カジノ誘致が始まる前から?」

「桧山は随分前から雅会のサーバーをハッキングして情報窃取を試みていたようだ。早い段階でハッキングには成功していたらしい。サーバー自体は雅会幹事会社のBGマネジメントが管理している」

「犬養商事の指示か?」

「いや、わからん。少し前の話だが、雅会の会員である財界人のひとりが、桧山から脅迫を受けたことを雅会に通告した。何か秘密を握っていることを匂わされて金を要求されたらしい。単なる小遣い稼ぎかも知れないし、犬養商事の指示である可能性もある」

「犬養商事の指示なら金を要求したりしないだろう。雅会を牛耳るために情報を使うはずだ」

 男は柳田の意見に頷いてから、

「しかし、この脅迫を受けたという噂自体がフェイクかも知れない」

 と、自信なさげに柳田を見つめた。

「何のためにフェイクを?」

「俺にわかる訳ないだろう。だがもし事実なら、会員の情報漏洩と言った信用に関わる不祥事は何が何でも隠したい事柄のはずだ。例えそれが噂でもな。しかし雅会は静観しているだけで特に火消しをした形跡もない。だからこの噂はフェイクの蓋然性が高い」

「珍しく弱気だな」

 柳田が男に笑み掛ける。

「もうひとつ噂がある」

「また噂か?追加料金なしで頼むよ」

 柳田の言葉に男はニヤリとして、

「噂が本物だった時には頂くよ。雅会の幹事会社であるBGマネジメントが資金を出している山伏ソフト開発と言うデータ処理会社が山科区にある」

 そう切り出してから男は煙草に火を点けた。

「山伏ソフトの青田社長は元々神戸の方から流れて来たヤクザ者で、生業のためにBGマネジメント配下に入っているが、忠誠心がある訳でもなく独立指向の強い男らしい。最近は会社の利益も上がっているらしく、そろそろ潮時と考えていたようだ」

「山伏ソフトのしのぎは何だ?」

「賭博の開帳だ。闇サイトで競馬競輪、競艇、スポーツ賭博なんかをやっている」

「賭博にもITの波が押し寄せている訳か」

「最近、その青田社長とIRエンタープライズの畑山と言う専務が頻繁に接触しているらしい」

「IRエンタープライズと言えば、大阪発展会の幹事会社じゃないか」

「畑山は山伏ソフトを大阪側に引き込もうとしている。そう考えるのが自然だ」

「縄張り荒らしだな」

「ネット空間に住所は関係ない」

「そんな話が通じる世界か?まあいい。畑山と青田の動きがカジノ誘致や桧山殺害に関係があるかどうかもわからないが、もう少し調べてみる価値はありそうだな」

 柳田が川面を見つめたまま大きく息を吸った。男も煙草を大きく吸ってから、

「だが、全て噂だ。また何かつかんだら連絡する」

 と小声で告げるとゆっくりと立上り、そのまま出雲路橋の方へ消えていった。


【噂】


雅会                              大阪発展会


RGマネジメント   配下 → 山代ソフトデータ処理会社     IRエンタープライズ

会員情報サーバ管理      裏しのぎ 闇サイトでの賭博堂本   

   ↑           社長 青山(独立心旺盛) ⇔接触 畑山専務(引き抜き?)

  桧山がハッキング

   ↓

  雅会員を脅迫?



 恋人岬から見渡す海原は夕陽に赤く輝いている。その夕陽が海に沈んでしまうと暑い夏の一日が終わる。それは毎日繰り返されているありふれた風景だった。だが、鈴たちが目の当たりにしている風景は、日常とは余りにかけ離れた特異なものだ。

 崖の下では、雄一と小八木が小夜のご遺体やその周囲の写真を撮った後、二人が乗ってきたボートにご遺体を移している。

 鈴たち三人がここへ到着した時には小夜の姿は岬にはなかった。小八木が崖の小路を下りようとしたが危険なので葉菜が止めた。その小八木に向かって鈴が指示した内容は、雄一が本島から船着場に到着する頃だから、船着場まで走って雄一と二人でボートに乗って岬まで来るように、と言うことだった。

 鈴たちに遅れて到着した久子が崖の下を見下ろすと、絶望的な嘆き声を上げてその場に塞ぎ込んだ。そんな久子に葉菜が寄り添って労わっている。

 鈴は、別荘の物置にあったビデオカメラで撮影をしながらその辺りの地面を詳細に見て回ったが、争った跡や落とし物などは無かった。

 ボートで漕ぎつけた雄一と小八木が証拠写真を撮っている間にもどんどん潮が満ちて来て、小夜のご遺体をボートに移した後、ほんの数分で彼女の血液が付着した岩肌は海に浸かってしまった。

 文美は、いや、恐らくは家長の龍之介が頑なに警察を拒み、儀式をやり遂げようとしているが、結果的には警察を待っているよりも証拠保全の面では良かったかも知れない。

 崖下の作業も終わったので、鈴と葉菜、久子の三人も別荘に引き上げることにした。道中、みんな無言だったが、鈴と葉菜は一馬の居場所が気になって仕方なかった。

 一連の事件が本当に兄妹間の争いの結果だとすると、犯人は必然的に一馬となってしまう。一馬が鈴たちに声を掛けて釣りに出掛けたのが15時過ぎ。小夜が神社を出たのもほぼ同じ時刻。その後二人が恋人岬に行ったとしたら犯行は十分可能だ。一馬は犯行の後、どこか離れた場所で釣り糸を垂れているのかも知れない。

 鈴たち三人が別荘に戻った後、間もなくして一馬が帰って来た。もう小夜のことは知っている様子だ。釣りに行くときの陽気な表情とは打って変わって畏怖の香りが全身から漂ってくる。

「釣りをしているところに、雄一がボートで近づいて来て事情を教えてくれた。磯で汗をかいたから、とりあえずシャワーを浴びる」

 暗い表情のまま、一馬は浴場へ消えていった。

 雄一と小八木の話によると、一馬は洞窟近くの磯、小路を下りて洞窟のある方向とは反対側へ数十メートル進んだ辺りの磯で釣りをしていたらしい。

 釣りの最中に、雄一と小八木がボートを漕ぐ姿が見えたがボート遊びでもしていると思って見ていたらしい。その後、小夜を乗せて戻って来た雄一たちがボートを近づけて事情を知らせた。

 釣りから戻った一馬がシャワーを浴びるのはごく自然なことだが、身体に付着した、証拠になる可能性のあるものを全て洗い流しているように疑うこともできる。鈴はそんなことを考えながらダイニングの窓から薄暮に包まれた波を見つめていた。


             洞窟     船着場   崖

    ●●●●低い岩場●●●●●●●●●●●●●●〇〇〇

   ●      岩場に下りる階段           〇

  ●釣り場                       〇

  ●                          〇

  ●                          〇

雄 〇           別荘   〇

一 〇                          〇

舟 〇   所々低木が茂る原野 〇崖 

  〇                    庭 BBQ  〇

  〇                          〇

  〇 白山神社                   〇

  〇                        〇


 久子の作る夕食も簡易なものとなった。一馬が何も食べたくないと言ったからだ。それでも食べないと身体に悪いからと、久子は一馬のために握飯を作った。食事をとらない一馬だが、しばらくはダイニングルームに居残って雄一から小夜の様子を聞いていた。

「死因は崖から落ちたことによる頭部の打撲だと思われます。他には刺し傷も打撲痕も見当たりませんでした」

 雄一が説明した。

「衣服の状態も普通でしたから、誰かと争ったような様子はありませんでした」

 小八木が補足する。

「ついでに言うと、崖の上や祠の周囲にも争ったような足跡とか遺留品なども無かったわ」

 鈴も加わる。

「しかし、小夜さんが自殺する理由もないでしょうから、足を滑らせたか、或いは後ろから突き落とされたことも考えられますね」

 小八木の言葉に一馬は、

「俺がやったとでも言いたいのか?」

 と青白い顔で彼を睨んだ。

「いえ、決してそんな……」

「でも、アリバイがないのは事実でしょ」

 鈴が面等向かって言い放つ。他の全員は驚いた表情を彼女に向けた後すぐに俯いてしまったが、鈴は構わずに一馬をじっと見つめている。

「確かに俺にはアリバイがない。証人はと言えば、海から俺を見上げていた魚たちくらいだからな。だが俺はずっとあの場所で釣りをしていた。本当だ」

 一馬もじっと鈴を見据えて断言した。

「小夜さんが祟りを恐れて、思い詰めて自殺したと言うことは考えられませんか?」

 葉菜が一馬を労わるように穏やかな声を響かせる。

「久子さん、神社での小夜さんの様子はどうでしたか?」

 雄一も推理に加わる。

「波留さんが亡くなった後ですからね、いつもと変りなかったとは言えませんが、平静さは取り戻していました。意識的にかも知れませんが機嫌良く振舞っていたような……。私の印象では自殺するような感じではなかったですね」

 申し訳なさそうにチラリと一馬を見た久子は、そのまま項垂れた。

「恋人岬に行くようなことは言っていませんでしたか?誰かに呼び出されたとか」

 久子は静かに首を横に振るだけだ。

「こんな状態でも儀式は続けるんですか?」

 鈴が雄一を見つめる。

「はい、龍之介さんの意思は変わりません。明日の午後に予定どおり儀式を行います。警察にはその後すぐに連絡します」

 雄一が龍之介の意思が固いことを伝えた。

「頑固な爺さんね」

「大事な鎮魂儀式だからね」

「鎮魂が足りていないから祟られるのよ。そうか、だから無理にでも鎮魂儀式を行うのね。さすが爺さんは全てをお見通しだわ」

 ひとり納得している鈴に、みんな中途半端な笑みを浮かべた。

「本当に祟りがあるのかも……。ここまで事件が続くと、さすがに不安になりますね」

 葉菜が眉をひそめる。

「俺も祟られないように、部屋でお祈りでもするか」

 笑えない冗談を言った一馬が立上り、

「それに、俺がここにいるとみんな気まずいだろう」

 と、椅子を戻して無理に笑った。

「そんなこと、ありませんよ」

 久子が取り繕うように作り笑顔を浮かべる。

「お酒でもお持ちしましょうか?よく眠れますよ」

「酒なら部屋にあるから大丈夫。ありがとう」

 軽く笑った一馬は、優しい言葉を掛けた葉菜をじっと見つめた。

「じゃあ、おつまみにビーフジャーキはいかが?小八木が京都から持って来たの。絶品よ。まだ一袋あるでしょう?」

 鈴が小八木に目で合図する。

「ビーフジャーキか。久しぶりだな」

「では、すぐにお持ちします」

 一馬に続いて小八木がダイニングを出て行った。

「さあ、私たちはご飯を頂きましょうよ。もう7時よ」

 鈴が新鮮な刺身が乗った海鮮丼ぶりを手に取る。

「小八木君が戻るまで待ちましょう」

「あら葉菜ちゃん、二次元男に惚れちゃだめよ」

 鈴は丼ぶりを両手で包んだままの状態で動きを止めている。

「小八木君は鈴ちゃんに従順だな、何か弱みでも握っているの?」

 雄一が冗談半ばに二人の仲を詮索していると、タイミング良く小八木が戻って来て、

「千円も頂きました」

 と無邪気な笑みを浮かべた。

「バカね、ここは無人島よ。二千円はもらわないと。まあいいわ。早く座りなさい、腕がだるいわ」

 鈴は丼ぶりを持ったままだ。

「それ、何の儀式ですか?」

 小八木が着席すると五人は食事を始める。女性が三人もいると沈黙と言うものは存在しない。

「皆さんどう思う?一馬さんが犯人の可能性は?」

 早速、久子がオバサンらしいノリでひそひそ話を始める。恋人岬でのショックはもう癒えたようだ。

「そんなひそひそ声で話さなくても、誰も聞いていませんよ。状況的には一馬さんが一番の被疑者として扱われるでしょうね。なにせ相続者を決定する儀式直前に他の候補者がみんな儀式に出られない状態になってしまった。このままでは遺産は全て一馬さんのものになりますからね」

 小八木も控えめな声で話している。

「しかも、どの事件に関してもアリバイはありません」

 さっきは一馬を庇った葉菜が付け加える。

「でも、分かりやす過ぎるわ」

 鈴の言葉を小八木がからかう。

「鈴さんは怨霊説なのでしょ?」

「全くの空想だけど、被害者の三人を恨む人がいて、遺産相続殺人事件に見せ掛けて一馬さんに罪を被せているって言う筋はどうかしら」

 なぜか、鈴は箸で摘まんだ刺身を見つめている。そんな彼女を見つめて小八木が、

「とうとう現実路線に戻りましたね」

 と、意味深な笑みを浮かべる。

「誰に恨まれているの?」

 しばらく黙していた雄一が不思議な仕草の鈴に尋ねる。

「島の怨霊たち」

 見つめていた刺身を口に入れた鈴が幸福そうな笑みを浮かべると、小八木は溜息を吐いた。

「あまり言いたくはないけど、たくさんいそうな気がするわ。犬養家の人たちには代々横暴な人が多いから基本的に嫌われているわ。仕事上の益があるから皆さん我慢しているけど、金の切れ目が縁の切れ目と言う関係が正直なところだと思うわ」

 久子が本音を漏らした。

「代々深いつながりを持ってきた白山神社の久子さんでもそんな風に思われるのですね?」

 小八木がさり気なく念を押す。

「付き合いが深いからこそ良くわかるのよ」

 久子の瞳に暗い影が現れた。

「もしかしたら、神主の守井さんも恨みを持っているひとりじゃないの?」

 唐突な鈴の言葉に、久子は箸を動かしながらもしばらく沈黙した。そのわずかな沈黙にも耐えかねた葉菜が、

「証拠もなしに人を疑うのは良くないわよ」

 と、久子を庇う。

「だって一度もここへ来ていないわよ。初日のバーベキューにも夕食にも。それって、犬養家のひとたちと一緒に食事をしたくないってことでしょう?」

 鈴の推測にみんな納得せざるを得ない。

「そのとおりよ。父は犬養家のことを酷く嫌っているの。でも理由はわからない。私も何度か問い詰めたけど父は何も話してくれない」

 久子は更に続ける。

「だから、動機とアリバイの点から観ると父も被疑者のひとりだわ」

 内心久子も守井のことを疑っているのか、思わず零してしまった本心を胡麻化すかのように明るい笑顔を浮かべると、静かにお茶を口に運んだ。

「僕だって完全に白ではないですよ、アリバイの点からはね」

 雄一が守井を庇うように笑うと、

「私は雄一さんを信じているわ」

 と、鈴が口をモグモグさせながら真直ぐに雄一を見つめた。

「そんなに頬張った丸顔で見つめても恋は芽生えませんよ。イケメンの前では女らしくなるはずですよね」

 小八木と葉菜の笑い声に久子と雄一も思わず釣られる。人が亡くなった後で大笑いすることを無意識に避けているようだ。しばらくの間、静かな談笑を交えながら食事を進め、全員が丼ぶりを空にしてひと息吐いた頃、

「ごちそうさまでした。美味しかった」

 と、雄一が腕時計を確認した。

「もうこんな時間か。そろそろ本宅に帰ります。龍之介さんや龍彦さんの容態を診ておかないと」

 雄一が立上るのと同時に鈴も時間を確認する。20時30分を少し過ぎていた。

「龍彦さんはまだ意識が戻らないのですか?」

 葉菜が心配そうに尋ねると、雄一は曇った表情で静かに頷いた。その表情で、龍彦がまだ危険な状態であることをみんなが感じ取った。

「鈴さん、後片付けの後部屋にお邪魔してもいいですか?」

 葉菜が不安そうな表情で鈴を見つめている。鈴も若干の不安を感じてはいた。一馬が本当の犯人かどうかは不明だが、決定的に疑われている人間が冷静である保証もない。こんな状況の中、ひとりで部屋にいることを警戒するのは自然なことだ。

「もちろんよ。じゃあ、この後小八木の部屋に集合ね」

「なぜに僕の部屋?」

「美女が二人も訪問するのよ、萌えるでしょう?」


 秦野と熊野が本署近くの公園にやって来たのは、太陽が沈んで間もない頃、ようやく涼しい風が現れ始めた頃だ。夕方の散歩に来ている老人たちにベンチは占有されている。

 老人たちの集うベンチから少し離れた所に噴水があり、噴水の(へり)に柳田が座っていた。噴水の水で冷やされているのか、この辺りの空気は特に涼やかな感じがする。

「今日も暑かったですね」

 熊野が挨拶をしながら、両手に持っていたアイスコーヒーのひとつを柳田に手渡した。

「そろそろ体力的にきつい歳になってきたな。ありがとう」

 二人は、柳田を真中にしてコンクリートの縁に腰を掛けた。噴水もそろそろ止まる時間だろう。

「早速だが、重要な情報がある」

 締まった表情の柳田が切り出す。

「例の事件絡みですか?」

 熊野の質問に、秦野が当たり前だろうと言った瞳で彼を見つめる。

「我々の捜査では、目標の組織やその周辺で協力者を作るのが常套手段だ。特に長期間に及ぶ捜査の場合は、協力者の情報がとても重要になる」

「雅会に協力者がいる訳ですか?」

「まあ詳しくは言えない。あくまでも噂の範疇を出ないが、協力者から興味深い情報を得ることができた」

 柳田の表情からも、公園で話をすることからも、漏洩が許されない重要情報のようだ。

「で、どのような情報だ?」

 秦野が少し上半身を前屈みにして傾聴の姿勢を示す。

「桧山は、以前から京都雅会のサーバーをハッキングして機密情報を窃取しようとしていたようだ」

 機密情報の窃取と言うそのワードだけで、秦野と熊野の脳裏には、口封じのためと、盗まれたデータ奪回のために桧山を拉致、殺害したと言う筋書きが描かれた。

「どんな機密情報ですか?」

「会員名簿と闇取引の明細だと思われる。つまり、裏金工作やマネーロンダリング、賄賂の取引などがそのデータで明らかになってしまう可能性がある」

「どうして、桧山の窃取が発覚したのですか?」

「雅会の会員である財界人のひとりが、桧山から脅迫を受けて金銭を要求されたことを雅会に通告した。明確には口にしなかったが、秘密を知っていることを匂わされたそうだ。その財界人は雅会から漏れたと考えてクレームを入れた。責任を取れと言うことだ。それで雅会は専門家にサーバーを調べさせたところ、常習的にハッキングされていたそうだ。ただ、機密情報に辿り着いたのはつい最近のことのようだ」

 噴水が止まって蒸暑い沈黙が流れて行く。

「それで、情報窃取した桧山を雅会が殺害した?」

 秦野が柳田を鋭い視線で捉えている。

「さあな、まだ何とも言えない。もしこの噂が本当だとしたら可能性は十分にあると思うが」

 出雲路橋近くで男に会って以降、雅会が専門家に調査させていたと言う情報が追加された。だが、あくまでも噂レベルで確証はなかった。だから柳田は噂がフェイクである不安も十分に合わせて持っている。そんな柳田の表情を読み取った秦野は、

「噂がフェイクだとしたら?一体誰が何のために?」

 と柳田に迫った。

「まだ情報が少な過ぎて何もわからん。ただ、噂が流れるタイミングが良すぎてな。そこが引っ掛かるだけだ」

「桧山が死んだ原因をあれこれ邪推している奴らの妄想が噂になったのかも知れない。よくある話だ」

 秦野はアイスコーヒーのストローを強く吸った。

「火の無い所に煙は立ちませんよ。桧山の自宅にあったパソコンやハードディスクが消えていたことを考えると、雅会に関係する誰かがその機密情報を取り返すために犯行を行ったとも考えられます。いえ、むしろそう考えるのが自然ではないでしょうか」

 熊野が慎重に言った。

「パソコンが消えていた件は報告書にあったな」

 熊野を睨む柳田の視線は更なる情報を求めている。

「報告書には記載していませんが、桧山は個人的にもIT関係に興味があって、それなりの知識はあったようです。ですから、常習的に雅会のサーバーをハッキングしていたこともあり得ます」

 熊野が柳田の視線に応えた。

「身体に傷跡がなかったところを見ると、桧山はデータの保管場所を素直に教えた蓋然性が高い。そして犯行も認めたに違いないが、それでも消された。犯人は最初から桧山を消すのが目的だったのだろう」

「しかし、桧山はどうして恐喝する時に自分の名前を出したりしたのでしょう。普通は姿を見せないようにして金だけを得ようとするものでしょう?」

 熊野が呟きながら自分でも思考している。

「犬養商事の指示である可能性はある。金銭を要求したのは解せないが、桧山が勝手に小遣い稼ぎをしようとしたのかも知れない。犬養商事は、雅会や京都財界で勢力を拡大しようとして餌をたくさんぶら下げた。だが、利権では会員たちを思うようにコントロールできないことがわかった。それで弱みを握る行動に出たと言う筋書きも考えられる」

 柳田がストローでアイスコーヒーをグイグイ吸い込んだ。

「なるほど。犬養商事の意のままにコントロールするには身分を明かす必要がありますからね」

 熊野が得心した。

「雅会の関係者と言っても、財界人や政治家が直接手を下す訳がないな」

 秦野は、もう柳田が答えを持っていると踏んでいる。

「BGマネジメントと言う会社が雅会の幹事会社だ。水商売系の企業を多数束ねている。中には反社会的組織、つまり賭博、売春などを行っている組織や、C国配下にある組織もある。ああ、言い忘れたが、雅会の情報はこの会社がサーバーで管理している」

「C国も絡んでいる?そりゃあ、殺されて当然だな」

 秦野が苦笑した。

「もし、犬養商事の指示でないとすれば?」

 今度は熊野が尋ねる。

「桧山が個人でこんな危ない橋を渡るとは考えられないな。桧山だって組織の背後関係をよく知っているはずだ」

「案外、重要な情報だとは知らずに愉快犯的にハッキングして、内容を知って驚いた。なんて可能性はありませんかね?」

 熊野は、蓋然性は低いと思いながらも、考えられる筋書きを出してみた。柳田も秦野も一応は熊野の筋書きを消化してみたが、やはり現実的ではない。愉快犯でそんな危ない組織のサーバーを狙うのはリスクが高すぎる。

「しかし、そうなると厄介だな」

 秦野が熊野の意見を流してから続ける。

「桧山殺害がBGマネジメントの犯行だとすると、汚れ仕事のプロに依頼したはずだ」

「今のところ何の手掛かりもないが、C国の息が掛かったプロ犯罪者の犯行と言うことは十分考えられる」

 柳田が小さく吐息を吐いた。

「もう、とっくに高飛びしてしまっているかも知れないな」

 秦野も少し肩を落とした。

「逆に、そうだと良いのだが」

「犯人が高跳びをしていいのですか?」

 熊野は不思議そうに柳田を見つめる。

「いや、そう言う意味じゃない。被害者が一人で済めば良いと言う意味だ」

「確かに」

 秦野が再び顔を上げた。

「どう言うことですか?」

 熊野が秦野の横顔に尋ねる。

「もしも犬養商事の命令だとして、桧山が既に盗んだ機密情報を犬養家の人間に渡していたらどうなる。データ自体を渡してはいなくても、雅会の致命的な秘密を、例え口頭でも伝えていたら、そしてそのことを桧山が白状していたとしたら」

「いや、事実とは関係なく、雅会がそう考えたとしたら殺害はまだ続く」

 柳田が秦野の考えを深めた。

「犬養家には、会長の犬養龍之介と妻の文美。そして四人の子供がいます。犬養商事の役員になっているのは長男と次男だけです。長女は京都産業病院の理事長、次女はレストランの経営をしています」

「雅会には文美以外の全員が入会している。最悪の場合、家族全員が消されてしまう」

 柳田の言葉が冷たく響いた。

「秦野さん、犬養商事へ行きましょう。家族へ警戒を呼び掛けないと」

「そうだな、桧山がハッキングしたと言う噂が例えフェイクだったとしても、用心に越したことはない」

 秦野と熊野はゆっくりと立上り、柳田に礼を言ってからその場を立ち去った。


「葉菜さん、葉菜さん」

 廊下で部屋をノックする音が遠くに聞こえる。鈴は夢の中の出来事のようにそれを聞いている。ノック音が次第に大きくなり、久子の緊張した声が廊下から鈴の耳に届いて来た。

 と、鈴の横に寝ていた葉菜がさっと起き上がった。昨夜は、小八木の部屋に三人が集まって事件の話をしていたが、女子たちの不安もあって、結局、三人は彼の部屋で寝た。鈴と葉菜がベッドを占有し、小八木は床を当てがわれた。

 葉菜に釣られて鈴もベッドで飛び起きると、そのまま二人で廊下に飛び出した。鈴は小八木の背中を踏んで行った。

「何かあったの?久子さん!」

 葉菜の声が響く中、小八木も背中を摩りながら廊下に現れた。

「大変よ、一馬さんが!」

 葉菜の部屋をノックしていた久子がそう叫びながら小走りに近寄って来る。三人は嫌な予感を感じながら久子を見つめている。

「まさか、一馬さんまで?」

 葉菜がようやく言葉を吐いた。

「神社の石段から転げ落ちた様子で、狛犬の基礎台に頭を打ち付けて……」

 久子は最後まで言えずに口ごもった。

「亡くなったの?」

 久子は静かに頷く。

「そして誰もいなくなった。て感じね」

 鈴が真面目顔で囁く。四人はそのまま現場へ向かった。別荘から神社まで5分足らず、無言のまま足早に歩き続けた。

 現場に到着すると久子が言ったとおりの状況で、神主の守井が祝詞をあげて死者を弔っていた。今朝5時頃、守井が境内の掃除のために表に出た時に発見したそうだ。間もなく、雄一と文美もやって来た。

「さすがに儀式はできませんね」

 文美に向かって、鈴が気の毒そうに囁いた。文美は悲しそうな瞳を鈴に向けてから、

「仕方ありません。久子さん、警察に連絡を取ってください。龍彦さんも今朝息を引き取りました」

 と、衝撃的な言葉を事務的に言い放った。

「龍彦さんまで……」

 守井は静かに目を閉じて黙祷した。

「意識は戻らないものの、呼吸はしっかりしていたのですが、元々心臓にも疾患があったようで……」

 雄一はそれ以上詳しい事情を語らなかった。もしかしたら、医療的なミスがあったのだろうかと鈴は疑ってみた。


 久子が警察に通報してから数時間で、漁船に乗った四人の制服警官が到着した。そして犯行現場の保全を行ったが調査は何もしなかった。

 更に数時間経つと、巡視艇に乗った20名ほどの警察関係者が一気に到着した。現場検証は手際よくどんどん進んでゆく。制服警官が到着してからは、神主の守井を含めた全員が別荘に軟禁されている。  

 雄一と文美は本宅へ戻り、龍之介の側にいる。

 鈴と葉菜、小八木の三人は、再び小八木の部屋に集まった。何とも気まずい状況だ。少なくとも一馬殺しについては、守井親子、雄一、文美しか被疑者がいない。

 ボートで渡ることを考慮すると、文美は除外されるかも知れない。だが、それも単独犯と限定した場合の話だ。守井親子はダイニングで待機している。

「死亡推定時刻は深夜0時前後と言っていたわね、雄一さんは」

 葉菜が沈鬱な声を零した。

「雄一さんも被疑者ですよ、彼の言葉が信用できますか?」

「警察が調べればすぐにわかることだから、嘘は吐かないでしょう」

 葉菜が小八木に応える。

「守井さんは犬養家のことを快く思っていないと久子さんは言っていましたね」

「久子さんはどんな気持ちなんでしょう。父親を疑うなんて辛いでしょうね」

 葉菜が同情的な瞳で小八木を見つめる。

「守井さんは、もうとっくに腹を割って久子さんに話しているかも知れないわよ」

 鈴の平然とした声は続く。

「それに、二人が共犯であることもあり得るわ」

 葉菜は鈴の冷静さに少々面食らっている。

「雄一さんを含めた三人の共犯と言う仮説も成り立ちますよ」

 小八木が言った時、久子が部屋をノックした。

「警察の方がダイニングへ集まるようにと。これから全員の事情聴取を行うらしいわ」

 久子は三人に告げた後、

「何となく気まずいわね」

 と、中途半端に笑った。久子は自分も疑われていることを自覚しているようだ。


 久子に続いてダイニングルームに入った鈴は、文美と雄一、それに神主の守井が、長いテーブルに並んで座り、海の方を見つめている姿に不気味な雰囲気を感じた。

 雄一と文美も警察に呼び出されて本島から来ているのだろうが、龍之介はひとりで大丈夫なのだろうかと余計な心配をしながらどこに座るべきか席を探した。

 だが、部屋の入口に立っている四人の男の背中が邪魔でよく見えない。体格からして警察関係者なのだろう。

「呼んで参りました」

 ダイニングルームに入るとすぐに、久子が男たちに声を掛ける。その声で彼らは一斉に振り返った。と、ひとりの若い男が、

「す、鈴さん!」

 と、目を見張って叫んだ。

「あら、熊野君。こんな無人島にまで私を追い掛けて来たの?」

 鈴も少々面食らっている。

「何で鈴さんがこんなところにいるのですか?小八木君まで」

「私がここにいるんだから、召使の小八木が一緒にいるのは当然でしょう」

「はいはい、召使の小八木です」

 小八木が面倒臭そうに鈴の戯言に従いながら会釈した。

「もしかして、彼女が例の?」

 秦野が熊野の表情を覗く。

「熊野君の上司の方?初めまして、星野鈴です。熊野君がいつもお世話になっています」

「秦野です。彼の上司と言う訳ではないのですが、今回は一緒に仕事をしています」

 京都府警本署からは秦野と熊野が、そして所轄からは刑事課の刑事二人が、事情聴取の準備をしてここに集まっている。なにせ四人も亡くなっている事件だけに、所轄だけでは対応できないため、鑑識を含めて本署から応援に来たそうだ。更に船が無いので海保の協力も得ている。

「我々も失礼して座らせて頂きます」

 四人が簡単に自己紹介した後、秦野の言葉で四人は腰を下ろし事情聴取が開始された。

「まずは、全員一緒にお聞きします。皆さんがこの島に来た時から時系列にそれぞれの行動を確認してゆきます。その後、個別にもお話を伺わせてもらいます」

 秦野が聴取を取り仕切った。特に犯行時刻と思われる時刻の前後は、事細かに事実関係を明確にしていった。だが、ひとりで行動していた時間帯のことはその場では確認されず、個別に聴取された。虚偽の目撃証言やアリバイ作りを防ぐためだろう。

 人数も多く、各々の行動についての裏取りも行ったため、全ての聴取が完了したのはもう日没前だった。

 警察の要請により、今夜は全員一緒に巡視艇で本土へ戻ることになった。龍之介に関しては、宮津にある宮津産業病院へ警察が別便で運んでいた。


 宮津駅界隈にある地元民に人気の居酒屋で、鈴と小八木が冷奴と枝豆をあてにして生ビールを飲んでいる。鈴たち全員のホテルは犬養商事の社員が手配をしてくれていた。

 巡視艇で戻る時に鈴がわがままを言って、出発の時に利用したヨットハーバーに寄港してもらった。そこのコインロッカーに鈴たちはスマフォを置いていた。

 もしかすると、犬養家の兄妹たちの物もそこにあるかも知れない。そんな情報提供をすると秦野も協力してくれた。案の上、兄妹たちのスマフォもそこに預けてあり、警察の権限で全てを回収した。

 ホテルのレストランで食事をすると犬養商事が費用を出してくれるようだが、鈴と小八木はホテルを出てこの居酒屋に来ている。葉菜は、文美と雄一との三人でホテルの食事を取っている。

 この居酒屋は、所轄の刑事から鈴が聞き出していた。そう言う時の鈴は、とても愛らしく愛想がいい。刑事たちは嬉しそうにいくつかの店を教えてくれた上に予約まで入れてくれた。小八木はそんな彼女の様子を感心して見ていた。 

 二人の生ビールが半ば減った辺りでガラガラと引き戸が鳴り、秦野と熊野が入って来た。食事時を少し過ぎてはいるが、店は結構流行っている。所轄刑事がこの店で唯一の座敷を予約してくれていた。

「お疲れ様です」

 小八木が礼儀正しく挨拶をする。

「思ったより早いわね」

 鈴は口に付いた泡を拭った。

「細かな書類作成は所轄の人たちがやってくれると言うもので、思ったより早く上がれました」

 熊野が明るく答える。

「あら、それって嫌われるパターンね。本店から来たお偉方に忖度しているのよ。今頃カップラーメン食べながらブウブウ言っているわよ」

「想像力豊かだな。でもドラマの見過ぎだよ、俺たちは偉くない」

 秦野が笑いながら靴を脱いで座敷に上がった。

「それで、どうして熊野君が私たちの事件の調査に選ばれた訳?私がここにいることは誰も知らないはずよ」

「いやいや、バーやすらぎでみんなに話していましたよ」

 小八木が暴露する。

「細かい男ね。さすが小姑」

「別に鈴さんを追い掛けて来た訳じゃありませんから」

 熊野が真面目に誤解を解いている。

「何か別の事件と関わりがあるのですか?」

 小八木が探りを入れた。

「いえ、単なる応援ですよ。なにせ四人も亡くなっているのでね」

 熊野がそう言って生ビールを頼む。

「目が泳いでるわよ」

 鈴が鋭く見つめる。

「え?」

「熊野君、あなた私に嘘を吐く気?偉くなったわね。ああ、そうだったわね、何と言っても部長さんだものね」

 鈴がジョッキを片手に細目で見つめて彼をからかう。

「だから、巡査部長ですって。偉くないですよ」

「熊野さん、無駄な抵抗は止めた方が良いですよ」

 小八木が同情の表情を浮かべる。

「いいから、話してやれ。色々協力してもらわないと、無人島の事件は解決しないぞ。何と言っても現場にいたんだからな」

「さすがオジサマ。ものわかりが良いですわ。ついでに料理の注文もしますわね」

「どう言うついでですか」

 苦笑いの小八木が女将さんに、

「料理をお願いします」

 と笑顔で告げた。

「もう注文は決めてあるからご心配なく」

 鈴が愛らしく笑う。

「いつもこんな調子なのか」

 秦野が熊野をちらりと見る。

「はい。好き放題に振り回されています。おまけに財政危機に陥ります」

「もう、熊のくせに小っちゃいわね。今までだって事件を解決できた上に、偉い人たちに褒められたんでしょう?必要経費よ。そう言えば、この前も何とか賞を貰っていたわね?私のおかげで」

 鈴の圧力に完敗した二人の刑事はあきらめ顔で乾杯した。その後、熊野は犬養商事の桧山常務が殺害された事件の全容を話した。

「加茂川に上がった水死体の事件ね」

 鈴は微かな記憶の中から引き出した。そして熊野がひと通り話し終えた後、秦野が公園で柳田から与えられた情報を説明し、

「それで、俺たちは犬養家の人たちが危険だと考えて、その足で犬養商事に出掛けた。しかし、役員は誰もいなかった。犬養家代々の儀式のため家族全員が無人島へ出掛けていると聞いて、とても不安な気持ちになった」

 と、その後の動きまで話した。

「もしかして、プロの殺し屋が無人島にいる犬養家の人々を殺害すると考えられた訳ですか?」

 小八木が秦野に尋ねる。彼は黙って頷いてから、

「結局、その翌朝に宮津署から連絡があって、俺たちが急行して来た訳だ」

 と、熊野と秦野がここへ来るまでの事情を明らかにした。

「これで、私の祟り説の正しさが証明されたわね」

 卒然、鈴が周囲を驚かせて小八木の顔を自慢げに見つめた。

「気にしないでください」

 小八木が秦野にアドバイスしながら、店員が運んで来た小鉢を受取った。

「どう言うことだ?」

 秦野は気に掛かっている。

「僕たちは、無人島で殺人事件が起きる度に犯人を推理していましたが、鈴さんは、最初から最後まで、島に憑いている怨霊の祟りだと言い張っていました」

「で、君の祟り犯行説がどう証明されたんだ?」

 秦野がビールを喉に流した。

「私が祟りだと言い張っていたのは、島にいる者の犯行じゃないと言う意味。単なる比喩よ」

 鈴は、運ばれて来たばかりの白いかの刺身を嬉しそうに頬張った。

「本当ですか?怨霊を本気で怖がっていましたけど」

 小八木は猜疑の視線で鈴の表情を見つめている。

「鈴さんは第三者の犯行だと考えていたんですか?」

 熊野は感心している。小八木は熊野の単純さに呆れながら、

「そこまで考えてはいませんよ、きっと。怨霊が恐かっただけだと思います」

 と、鈴の真相を突いた。

「さすがに、誰かが毎夜毎夜海を渡って犯行を重ねたとか、島の密林に寝袋持込んで潜んでいたとか、そんな説は本気で考えなかったけど、小八木みたいに兄妹の遺産相続による殺し合いだなんて馬鹿な発想もないわ」

 鈴はおろし生姜をいかに乗せてもう一切れ口に運ぶ。

「奴らなら、毎夜ボートで島に近寄ることも可能だ。資金は潤沢にあるからな」

 秦野が真剣な眼差しで鈴を見つめる。

「サザエの壺焼き食べてくださいね。肝は精力がつくからオジサンには必須よ」

 鈴が明るく笑ってサザエの乗った皿を秦野の前に押し出した。秦野は少し照れ臭そうに箸を伸ばす。

「肝で精力がつくのですか?アミノ酸はなさそうだけど」

 小八木が真面目に尋ねている。

「私の個人的なイメージよ。オジサンがやらしい顔をして肝やネバネバ系を食べていたら、いかにも効きそうじゃない」

 秦野の表情から硬さが抜けて、愛らしい鈴の表情を愛でる余裕が出て来た。

「遺産相続争いではなかった訳ですね?」

 熊野がまた硬い空気に戻してしまう。

「だって、兄妹はみんな死んじゃったのよ。今の段階では、被疑者は神主の守井さんしかいない。全ての殺人が単独犯だと仮定すればだけど。守井さんに遺産相続権はないわ」

 鈴は、秦野と熊野に海鮮サラダを取り分けた。

「無人島の話は明日にしましょう。明日、また現場に行くのですから」

 小八木が話を切り上げた時、

「古びた写真を見せてよ」

 と、サラダを取り分けた皿を熊野に手渡しながら鈴がせがんだ。桧山常務が殺害された事件の説明の中で出てきた写真で、ひとつは桧山が身に付けていた御守の写真。そしてもうひとつは桧山の自宅にあるデスクから出てきた物だ。

「これが桧山の部屋にあった写真で、これが身に着けていた御守を鑑識が撮影した写真です」

 熊野がバックパックから取り出した写真をテーブルに並べる。

「確かに随分古い御守ですね。何十年も肌身離さず持っていたような感じがします」

 御守の写真は表裏を撮影している。

「出雲大社ってあの縁結びで有名な神社ね?」

 小八木に確認する。

「はい、大国主命をお祭りしている出雲国一宮で、古事記によると大国主の命は……」

「はい、歴史の話はそこまで」

 鈴が事務的な口調で遮ってから、桧山たち若者三人の写真にじっと見入った。

「どうして、さっきこれを文美さんに見せなかったの?」

 鈴が不思議そうな眼を熊野に向ける。熊野は鈴の視線に少し照れながら、

「文美さんって、被害者たちの義母の文美さんですか?」

 と、刺身を取る箸を止めて鈴を見返す。

「他に文美さんがいる訳?あの無人島に……」

 今度は冷たい眼差し。追い詰められた熊野を笑った秦野が、

「どうして文美さんに?」

 と彼女の真意を確かめる。

「あなたたち本当に刑事なの?この写真に写っている女性は文美さんじゃない」

 男たち三人は目を見開いて写真を凝視した。

「言われてみると似ているような」

「女性は化粧をしているから分かり難い。特に年を取ると化粧が厚くなるからな」

「秦野さん、間違っても奥さんの前で口を滑らさないようにね」

「わ、わかっている。そんな命知らずじゃない」

 秦野が頭を掻きながら苦笑する。

「と言うことは、被害者の桧山さんと文美さんは若い頃に知り合いだったと言うことですね」

 熊野の言葉に秦野が深く納得した。その空気に何かありそうだと感じた鈴が、

「詳しく話してよ」

 熊野を促す。

「まあ、明日文美さんに直接聞きますから良く聞いていてください。どうせ鈴さんも同席するつもりでしょう?」

 熊野が微笑んでビールを空けた。


 翌朝、鈴と小八木がホテルのロビーに下りると既に秦野と熊野が訪れていて、静かにコーヒーを飲んでいた。

「おはようございます。小八木、私もコーヒー」

 鈴が二人に挨拶をすると小八木がコーヒーをオーダーする。

「寝すぎたのか?目が腫れているぞ。美人が台無しだ」

 秦野が鈴をからかう。

「まあ、美人だなんて、やっぱりお巡りさんは嘘が言えないのね」

 三人の男が苦笑しているところへ、

「朝から楽しそうですね」

 文美と葉菜、そして雄一が挨拶を交わしながら鈴たちの隣のテーブルに着いた。

「朝早くから恐縮です」

 秦野が簡単に社交辞令を済ませてから早速要件を切り出す。

「この写真ですが、この綺麗な女性は文美さんですね」

「まあ懐かしい」

「わあ、文美さん可愛い!お若いですね」

 葉菜も写真をのぞき込んで嬉しそうに笑った。雄一はチラリと写真を見たが特に興味を示さずコップの水を口に運んでいる。

「大学生の頃ね。祇園のラウンジでアルバイトをしていた時の写真です」

 文美が秦野に応えた。

「この男性は桧山さんですね?」

「ええ」

「もう一人の男性はどなたですか?」

 秦野の柔らかい表情に鋭い視線が光る。

「さあ誰だったかしら?同じ店でバイトしていた学生だと思いますが、彼は厨房で働いていたのであまり接することはありませんでした。うーん。名前は忘れてしまいましたわ」

 文美が答えた後、さり気なく雄一の隣に移った鈴が媚びるような瞳で尋ねる。

「雄一さんは心当たりありませんか?」

 彼は運ばれて来たばかりのコーヒーカップを持ったまま、鈴を見つめて首を横に振った。

「鈴さん、雄一さんはまだ生まれていない頃ですよ」

 熊野が生真面目に忠告する。

「雄一さんの隣に座りたかっただけですから……」

 小八木が熊野を諭した。

「お店の名前は覚えていらっしゃいますか?」

「さあ、なんて言うお店だったかしら。もう、お調べになっていると思いますけど、私は大学卒業後に数年間企業勤めをした後、また祇園に戻って32歳で犬養と結婚するまで祇園勤めをしていました。仕事上多くの店とお付き合いがあったので、もう忘れてしまいました」

「店の名前なんて似たようなものが多いですからね」

 秦野はにこりと笑って、

「どの辺りにあったのか場所だけでも覚えていらっしゃいますか?」

 と、メモを開いた。

「たしか冨永町の筋にあったと思います」

「知ってる?富永町」

 鈴が小八木に尋ねる。小八木は小さく首を横に振った。

「熊野君、今度連れてって」

 だが、熊野は無視して、

「失礼ですが、桧山さんとの関係はただのご友人?」

 と、丁寧に確認した。

「もちろん。お店だけでの友人でした。はっきり言って、あまり好きなタイプではありませんでしたから、仕事の後で飲みに行ったこともありませんわ」

「と言うことは、文美さんの推薦で犬養商事に入社したとか、異例の昇進をしたとか言う噂は……」

 文美は少し噴き出してから、

「世間が好きそうな噂ですわね。仕事のことはわかりませんが、異例の出世をすると何かと噂を立てられるものでしょう?」

 と、余裕の笑顔を浮かべて続ける。

「桧山さんは、主人がどこかで知り合って連れて参りました。私が何かのパーティに参加した時に主人に紹介されて、二人とも最初は気づかなかったのですが、少し話をしているうちにどちらからともなく思い出して、とても驚いたのを覚えています」

「そうですか、わかりました。では、この御守に見覚えはありますか?」

 秦野が御守の写真を見せた。

「出雲大社ですか……。見覚えありませんわ」

 鈴が写真を引き寄せて雄一に確認する。雄一はじっくりと見つめてからゆっくりと首を横に振った。

「雄一さんは出雲大社へ行かれたことはありますか?」

 鈴が横から見上げる。

「残念ながら、まだないんだ」

「私もまだです。ぜひ一緒に連れて行ってください」

 鈴が甘えるような声でねだる。

「そうですね、事件が落ち着いたらね」

「まあ、嬉しい」

 鈴の横槍を契機として女性たちが四方山話を始めた。男たちはゆっくりとコーヒーを味わい、頃合いを見た熊野が、

「では、そろそろ次へ行きますか」

 と場を仕切った。

「あら、もう行くの?そうだ、ひとつだけ葉菜さんに確認したいことがあるの」

 鈴の言葉に葉菜が小首を傾ける。

「私たちが久子さんと三人で料理を作っていた時の話だけど」

「え?鈴さんが料理を?」

 熊野が驚いている。

「食器洗いです」

「傍聴人は静粛に」

 鈴は小八木を睨んでから、

「久子さんの弟さんが幼い頃に亡くなった話をしていたわよね、もう一度刑事さんたちに話してもらえない?」

 と、遠慮気味に頼んだ。

「ええ、構わないけど。でもどうして私から?」

 葉菜が怪訝な瞳で鈴を見つめる。

「きっと、いい加減に聞いていたから覚えていないのですよ」

 小八木が葉菜に囁く。

「傍聴人、静かにしないと退廷を命じますよ」

 葉菜はにこりと笑ってから、

「わかりました。私はしっかり聞いていましたからお話ししますね」

 と、刑事たちに向かって話し始めた。

「ちょうど30年前。久子さんが9歳の時、家族四人で犬養島へ行く予定だったところ、久子さんは嫌がって、ひとりで親戚の家に遊びに行っていたそうです。弟さんは両親と行動を共にして島に行き、犬養家の子供たち、今回殺された兄妹たちと島で一緒に遊んでいて事故に遭ったそうです」

「どんな事故ですか?」

 早速小八木が口を挟む。

「最後まで聞きなさい、傍聴人」

「久子さんは親戚に連れられて宮津産業病院へ駆けつけたそうですが、その時には既に亡くなっていたそうです。死因は突然死と言うことでした。兄妹たちと遊んでいて突然気を失ったとか。子供たちだけで遊んでいたので、それ以上詳しい事情はわからなかったそうです」

「突然死、ですか」

 秦野も複雑な表情をしている。

「熊野君、何か引っ掛からない?ちょうど30年前よ」

 鈴が意味深な語気で熊野に問い掛ける。

「え?」

 唐突な問いに熊野は少し狼狽しながら、

「久子さんは39歳と言うことですか?」

 と答えた。

「あなた、バカなの?」

 鈴の視線が冷たい。

「今回と同じく10年に一回の儀式があったと言うことだ」

 秦野がため息を吐きながら鈴に笑みを向けた。

「20年前と10年前の儀式で死人が出ていた。だから兄妹たちは島伝説の祟りをあんなに恐れていたんじゃないの?」

 鈴の考えを聞いた小八木が急に身を乗り出して、

「どうして、そんなに大事な話をもっと早く教えてくれなかったのですか?」

 と真剣な眼差しで鈴を見つめる。だが鈴は涼しい顔をしてコップの水を喉に流し込んでいる。

「なに惚けているんですか。やっぱり、ちゃんと聞いていなかったのですね」

 小八木に痛いところを突かれた鈴は、

「さ、次は守井さんに話を聞きに行くんでしょう?早く準備しなさい、傍聴人」

 と愛らしい笑顔で強引に誤魔化し通した。



30年前              20年前

〇文美 ・学生    ・社会人 企業~ホステス ・龍之介と結婚32歳      

    ・祇園でアルバイト      

〇桧山 ・学生 

    ・文美と同じ店でアルバイト             ・桧山が入社


           〇守井の息子が事故で亡くなる     〇週刊誌記者死亡

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