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断絶の扉  作者: 夢追人
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第二章 相続者たち

犬養家の兄妹たちが犬養島に集まった。

十年に一度の鎮魂儀式とともに行う遺産相続者を決める占い。

儀式の前々夜、ついに事件が発生する。

 クルーザーが波に乗り上げて船体が大きく揺れた。グラスいっぱいに入ったビールがテーブルに少し零れると、犬養小夜(いぬかいさよ)は小さく舌打ちをして隣のテーブルに席を移った。

「ティッシュで拭けば良いだろう」

 次男の犬養一馬(かずま)が呆れている。

「こんな汚いテーブルに触れたくないくわ」

 吐き捨てるように言った彼女はビールを喉に流む。

「そんなだから結婚できないんだ」

「する気がないのよ。店の経営が忙しくて結婚どころじゃないわ。それに、そんな言葉を従業員に向かって言ったらセクハラでアウトよ、気を付けなさい」

 犬養家次女の犬養小夜は38歳。京都市内でレストラン3店舗を経営している。

「忙しい割には儲かっていないな。もう追加融資はしないぞ」

 小夜が移った席の隣には長男の犬養龍彦(たつひこ)が座っている。犬養龍彦は48歳。貴金属流通会社の犬養商事代表取締役社長だ。

「そんなあ。冷たいわね、兄妹でしょう」

「そう言って、今まで甘やかしてきたのが間違いだった」

 龍彦はビールに口を付けてから、

「そもそも、どうしてそんなに金が必要なんだ?」

 と苦い顔をした。

「店の改装費よ」

「昨年改装したばかりだろ?」

 一馬が口を挟む。次男の犬養一馬は、同じく犬養商事の専務取締役で45歳。実質的に副社長の立場にある。

「内装が古臭くなるとすぐにお客様が離れてしまうのよ。兄さんにはレストラン経営のことはわからないわ」

 小夜はビールをゴクリと飲んだ。少しの沈黙が訪れて、その間に長女の波留(はる)がティッシュを取り出して小夜の零したビールを拭うと、

「お店をひとつに絞れば、そんなに忙しくしなくてもやっていけるんじゃない?」

 と言った。

「名前だけの理事長で、何も実務をしていない人が偉そうなこと言わないで」

 長女の波留は40歳。学生時代の恋人と結婚して加藤という姓になっている。旦那は公務員で子供はいない。しかし、犬養家が資本を出している京都産業病院の理事長に就任している。

「理事長は大変な仕事だ。責任も重い」

 龍彦が波留の肩を持つ。

「そんなことわかってるわよ。私が言いたいのは、自分のわからない世界のことに口を出さないで、てことよ。店の経営なんてわからないでしょう?」

「お前が経営をしていると言えるのか?店にもほとんど顔を出さずに遊んでばかりいるそうじゃないか」

「お付き合いよ。営業活動。兄さんだって会社の経費で毎晩飲み歩いているじゃない」

「お前の遊びと一緒にするな」

 龍彦が少し興奮して言い捨てる。

「それに桧山さんが殺されたんでしょう?役員が殺されるなんて、裏で何をしているのよ」

 小夜がしつこくからむ。

「不審死だ。まだ殺人と決まった訳じゃない」

 警察が捜査を進めていることはわかっているが、今のところまだ何も情報提供がなかった。

「あまり汚い真似しないでよね、兄妹が犯罪者なんてあり得ないから」

 小夜が不機嫌そうにビールを飲み干してグラスを乱暴に置いた。

「まあまあ、久しぶりに兄妹が集まったんだからもっと楽しくやろうよ」

 一馬が二人をなだめる。

「そうだわ、お父様もお母様も島にいらっしゃることですし」

 波留が一馬に同調する。

「しかし、お父さんもあの身体でよくこんな辺鄙な島まで来たわね」

 小夜が海風に髪を流しながら言った。

「これが最後の仕事だと覚悟を決めているのかもな」

 龍彦の表情に暗い影が浮かんでいる。彼はタバコを一本取り出して静かに火を点けた。

「そんなに悪いの?」

 小夜が猜疑の視線を向ける。

「全身にガン細胞が広がっている。残念だけど後半年ほどらしい。本人にも知らされていて、延命治療はしないことに決めた。今はまだひとりでも伝い歩きはできるし頭脳も明晰だ。いつもと変わらないよ」

「でも、確実に弱って来るからなあ」

 一馬も溜息交じりに呟く。

「だから今回の儀式で財産相続の占いをするのね?」

 波留の言葉に小夜がぎょっとして三人の表情を順々に見つめてゆく。

「何だ、お前知らなかったのか?」

 逆に龍彦が驚いて小夜の表情を見つめ返した。

「財産相続の占いなんて聞いたことないわよ。いったい何をするのよ?」

 小夜は不満そうに龍彦を睨む。

「犬養家に代々伝わる占いだ。相続については遺言で行うのが基本だが、10年に1回の伝統儀式がある場合は、儀式の場で遺言を披露することが多い。その際に相続人選びを占いで決めた例もたくさんあるそうだ。特に相続人や配分に迷った時にはな」

「父さんは迷っているのか?」

 龍彦から聞いているはずの一馬が改めて問うたが誰も答えない。

「それよりも、どんな占いよ?」

 小夜は均等に相続できると考えていたらしく、焦りを露にしている。

「俺も詳しくは知らん。白山神社神主の守井さんが儀式の中で行うらしい。何でもあの洞窟の中で仏様の足元に湧き出る地下水を使って守井さんが占い、八方角のひとつを導き出す。俺たちは事前に方角を予測し一番近い者を相続権者とする」

「確率は八分の一?」

 小夜は不満そうだ。

「そして相続権者は半分の財産を相続する」

 一馬が補足した。

「半分?」

「半分は文美さんが相続する。法定相続分だ」

 一馬の説明に苦々しい面を浮かべた小夜は、

「じゃあ、その半分をみんなで分けましょうよ」

 と、悲痛な叫びをあげた。

「親父の意思だからな」

 龍彦の言葉に小夜は不服そうに口を尖らせる。

「占いか。あんなことまでやったのに……」

 一馬の言葉に龍彦が表情を険しくしてジロリと彼を睨みつけてから、

「まあ、俺が相続したらお前たちにも多少の援助はしてやるよ」

 と軽く笑った。

「そんな、身内で争うようなことはせずにこの四人で内々に約束しましょうよ。誰が相続しても四等分するって」

 だが、小夜の言葉には三人とも同意せず暗い表情を浮かべている。

「犬養家の伝統を破るとどんな災難が降り掛かるかわからない」

 龍彦が低い声で呟いた。

「確かにそうだ。あの島でもたくさん人が死んでいるからな」

 冗談めかして言った一馬の軽い言葉に不快な表情を浮かべる三人は、さわさわと流れる海の風景に視線を移した。


 久子と葉菜がバーベキューの材料を準備している頃、鈴と小八木は庭でテントの設営をしていた。庭に囲いはなく、20メートル四方が平地になっている。平地の先には低木が茂り深い山林へとつながっている。

 建物が島の東淵に建っているため、庭の東側には海が広がっていて急こう配の木の茂みが海まで連なっている。高さは40~50メートルくらいありそうだ。

 庭に数本生えている松の木を利用してロープを張り、テントシートを取り付けて屋根を張った。昼に近づくにつれ夏の陽射しが強くなってきたが海風が心地良く、日陰に入れば暑さはさほど感じない。 

 葉菜が大量の食材を運んで来て、小八木が炭に火を起こし、食器類も運び終えた。そして鈴がテント下のテーブルでひと息吐いた頃、

「船がやって来たわよ」

 と、久子が海に向けて耳を澄ませた。

「ちょっと我侭な人もいるけど、我慢してね」

「大丈夫です。我侭な人には慣れていますから」

 小八木の言葉に葉菜がクスッと笑って鈴をチラリと見たが、彼女は椅子に腰かけたまま涼しい顔をしている。

 久子の言葉を実感するのに大して時間を要しなかった。一行がやって来るとすぐに荷物運びを命じられ、兄妹各々の部屋に全員で荷物を運び込んだ。

 しばらくして兄妹たちが庭に現れ、久子が簡単に全員の紹介を済ませるとすぐにバーベキューが始まった。勿論、焼き係は小八木の仕事だ。鈴と葉菜は飲み物を運んだり、料理をテーブルに運んだり、時にはビールを注いだりしている。

 犬養家の人たちはクルージング中にビールを飲んでいたらしく、乾杯のビールを飲んだ後はワインに移った。小夜と医師の雄一以外は結構速いペースでワインを流し込んでいる。数十分も経つとみんな機嫌良く酔ってきた。

「葉菜ちゃん、て、言ったわね。あなたどこの店で働いているの?」

 小夜がオーナーらしい態度で柔らかく尋ねる。

「北白川店です」

「ああ、女性店長の店ね。最近ちょっと売上が良くないわね」

「そうですか。私は週末に入ることが多いので、いつも忙しいですよ」

「そう。まあこれからも頑張ってね」

「ありがとうございます」

「君はどこの店かね?」

 龍彦が鈴に向かって尋ねる。

「え?」

 鈴が可愛く首を傾げる。

「どこか祇園の店で働いているんだろう?とても可愛いし、綺麗な脚をしている」

 龍彦が大きく笑いながらからかう。

「あら、さすが社長さん、お目が高い。でも学生は勉強が本分ですからね、夜はお勉強しています」

「ほお、真面目な学生さんだな。夜な夜なひとりで何の勉強をしているんだ?何なら俺が手伝ってあげようか?」

 龍彦は再び豪快な笑い声を振りまいた。

「いい歳して何ですか、お兄さん。相手は学生さんですよ」

 波留がたしなめる。

「固いことを言うな。折角のパーティじゃないか、お前ももっと愉快に楽しめよ」

「私はもう大人ですから。お兄さんみたいに下品な楽しみ方はできませんわ」

 波留は真面目に諭している。

「俺はいつまでも若いぞ。鈴ちゃん、無人島でそんなミニスカートを穿いていたら飢えたオジサンにやられちゃうぞ」

 龍彦の笑いには卑猥さが滲んでいる。

「さっき風が吹いた時にパンティが見えたぞ。水色だったな」

 今度は一馬が加わる。

「もう、セクハラはやめなさい。ごめんね鈴ちゃん。昭和のオジサンたちだからデリカシーがないのよ」

 波留が呆れた面で謝った。

「いえ、この程度のセクハラは平気ですよ。と言うか、そもそもセクハラにも値しません」

「なかなか頼もしいですね」

 静かに成り行きを見つめていた雄一がニコリと笑った。雄一ひとりがウーロン茶を飲んでいる。お酒は好きだそうだが龍之介の容態が急変することもあり得るので、この島にいる間はアルコールを飲まないそうだ。

「今夜のサッカーJ2リーグの試合、京都対静岡戦が楽しみだな」

 話題を変えた龍彦が雄一に振った。

「そうですね、きっと京都が勝ちますよ」

 雄一が少し考えてから答える。

「そう。京都に勝ってもらわないと困る」

「サッカーがお好きなんですか?」

 焼けたソーセージを運んできた葉菜が龍彦に尋ねる。

「サッカーじゃなくて賭博が好きなのよ」

 小夜が吐き捨てるように続ける。

「この人は賭博が大好きでね。競馬競輪、パチンコ、挙句に野球やサッカーの裏賭博にまで手を出しているの」

「裏賭博は良くないですよ。一流企業の役員ですから」

 雄一が真面目口調で言ったが、そんな忠告は無視して、

「もし、今夜京都が勝ったら次の決勝戦も99%京都が勝つ」

 龍彦が自信満々に言い切った。

「でも、決勝戦相手の福岡チームの方が実力は上でしょう。下馬評でも福岡勝利が大勢ですよ」

 雄一が事情通を匂わせる。

「雄一さんはサッカー通ですか?」

 鈴が興味深げな声で話しに加わる。

「一応サッカー少年でした。大学まで続けていたのでね」

「スポーツもできて、お医者さんに成れるなんて凄いですね。もしかして独身ですか?」

 鈴が目を輝かせている。

「ええ、まだ独身です」

「あら、ちょうど良いじゃない。雄一さんは30歳だし、鈴ちゃんは20歳そこそこでしょう?今夜部屋に泊めてあげたら?」

 小夜が雄一をからかう。雄一は少し困惑して苦笑いで誤魔化してから、

「でも、どうして決勝で京都が勝つと断言できるんですか?」

 と話題を戻した。龍彦はニヤリと笑ってワイングラスを空にすると、

「福岡の致命的な秘密を知っているからだ。だから俺は京都に掛ける。オッズも凄いからな」

 空のグラスを鈴に示した。慌てて鈴がワインボトルを手に近寄ってグラスに注ぐ。

「大儲けしたら鈴ちゃんを海外旅行に連れて行ってあげるよ」

 そう言った龍彦は鈴のお尻を軽く撫でた。


 京都府警捜査二課の柳田警部補は、若者で盛り上がっている大阪ミナミのバーカウンターに腰かけている。彼にとっては騒音に近いBGMが鳴り響き、ダーツやビリヤードをやりながら若い男女が酒を飲んでいる。

 柳田はハーフサイズのピザをつまみに二杯目の生ビールを飲んでいた。恐らくこれが今夜の夕食になるのだろう。後は京都の自宅へ戻って寝るだけ。子供たちはもう寝ている時間だ。38歳の柳田はこの場にいてもそれほど浮いた存在ではない。しかし、もうこの若者たちのノリにはついて行けない。歳を取ったと自嘲してみた。

 昼間は大阪府警本部を訪れて、今担当している事件に関わる情報交換会に参加した。それは、政財界の会員制秘密クラブに関するものだった。

 大阪では『IRエンタープライズ』と言う会社が幹事を勤め、『大阪の発展を考える会』略して『大阪発展会』と表した会員制秘密クラブを運営している。

 表向きは健全な勉強会を行う会員制クラブだが、その実態は利権を貪るための勉強会で、夜には大人の遊びが待っている。勉強会には様々な人間が参加するが、正会員が誰なのかは秘匿されている。 

 その勉強会の運営やクラブの運営をIRエンタープライズが請負い、夜の遊びはIRエンタープライズの関連会社が受け持つ。

 柳田は、京都と大阪両府警の情報交換会の大阪窓口である三谷からそんな報告を受けたが、前回の情報交換会と内容はあまり変わっていない。交換会は定期的に行っている。

 柳田も京都の情報を提供した。京都では『BGマネジメント』と言う経営コンサルタント会社がそのクライアントであるいくつかの興行会社、飲食店などと提携し、『雅研究会』と言う会を運営している。提携とは名ばかりで実態としては系列会社だ。

『雅研究会』通称『雅会』には京都の財界人、地方議員他、有力国会議員も数人名を連ねている。柳田たちも一部の会員名は押さえているが大部分の会員は不明だ。

 大阪だろうが京都だろうが、日本全国、政財界の人間がやることはみな同じだ。政治家だけが知っている情報、財界だけが知っている情報。それらの情報を秘密裏に共有することはそれぞれの利益に結びつく。そしてそこには必ずと言って良いほど利権と汚職の種がある。

 柳田の所属する捜査二課の職務はこれらの汚職事件を摘発することだ。政財界人の集まるところには必ず柳田たちの仕事の種が転がっているが、厄介なのはそこに反社会勢力が加担していることだ。下手な動きをすると命が危険にさらされることもある。

「面倒だな」

 思わず愚痴を零すと彼は静かにビールを流し込んだ。暴力団が絡むのはどの事件も同じなので慣れている。しかし、今回のやまで最も面倒なことは『雅研究会』にはC国の議員や国策会社の役員が関わり、『大阪発展会』にはK国の議員や彼らが関わる企業の役員が加わっていることだ。

 柳田は大阪の担当者たちと溜息を吐くしかなかった。地方議員の汚職程度なら府警で対応できるが、大物政治家や外国議員が絡むと特捜が出しゃばってくるし、場合によっては外務省までもが首を突っ込んでくる。そうなると、事件解決とは別次元の見栄や縄張りなど、くだらない争いに巻き込まれる蓋然性が高くなる。柳田は小さく溜息を吐いてから三杯目の生ビールを注文した。


 白山神社の神主である守井は本殿に向かって恭しく頭を下げて深い礼をした。短い祝詞を唱えた後の儀礼だ。犬養家の人々が赤ら顔でそれに続く。

「本当は食事前に参拝して頂きたいものです」

 儀式を終えた守井が鈴に小声で囁いた。

「食事前でも既に飲んでいましたから結果は同じです」

 横にいる小八木が答える。

「お酒を飲んで神様に参拝するなんてあり得ない」

 鈴が真面目顔で同意した。

「昨日、宮津までの電車の中で飲んでいましたよね、鈴さんも。その足で籠神社へ参拝しましたけど」

 小八木が暴露する。

「あらそう?酔っていたから覚えていないわ」

 鈴が惚けて見せる中、守井と小八木は苦笑するしかない。

 白山神社への参拝は、犬養家の他にも、久子、雄一、鈴たちが同行しており、本宅にいる犬養龍之介夫妻以外の全員が参拝し、この島を守る神様に挨拶をしている。これも恒例行事のようだ。

 この島の北側三分の一くらいが木の伐採された居住区域となっている。残りの南側三分の二は自然の高木に覆われていて容易に立ち入ることができない。

 その居住区域と自然林との境に沿って別荘から西に向かって進んでゆくと、次第になだらかな上り坂が現れる。そしてそのなだらかな坂道はこの島で一番高いと思われる高台へと続いている。

 その岩肌が垣間見える高台の頂上に白山神社の本殿がある。高台の上り口辺りに外鳥居があり、鳥居を潜ると石造りの狛犬が左右で睨み合っており、更にその間を抜けると石階段が長く伸びている。

 下から見上げると石階段は急に見える。階段は30メートルぐらいの長さで、歩幅ほどの狭い踊り場を三段挟んで真直ぐに伸びている。そして階段を上り切ると内鳥居があり拝殿が迎えてくれる。更に拝殿から本殿まで板の間が続いている。

 守井の話によると、この神社は数百年前に宮津の白山神社から分祀されたもので、御祭神は大己貴命だそうだ。

「籠神社と何か関わりがあるのですか?」

 小八木の質問に守井は嬉しそうに何かを答えていたが、鈴には意味がわからなかった。

「本来なら本殿にお参り頂きたいのですが……」

 犬養家の酔払いたちを引き連れた守井は、本殿へは進まず拝殿から祝詞をあげて参拝を済ませたのだ。

 小八木は神社の古い建築に興味を持って更にいくつかの質問を投げていたが、鈴には全く興味のない内容だ。ただ、本殿と鳥居を結んだ直線の延長線上には伊勢神宮があると言う話だけが記憶に残り、籠神社に祀られている豊受大神が伊勢神宮に祀られていることと何か関係があるのだろうかと言う疑問が鈴の頭に浮かんだ。

 犬養家の一行は長い石段をゆっくりと下りると、神社に向かって左脇にある細い山道を歩き進んだ。二人が並んで歩けるほどの道幅で、崖に沿って南端へ向かって伸びている。

 大木に囲まれているため薄暗くひんやりとしている。山林の向こうにある海景色は見えないが、波が崖を洗う音は絶え間なく届いて来る。

「こんな所に祠があるの?」

 鈴が訝しげに尋ねる。守井と小八木が先頭を歩き、鈴と葉菜がその後ろに続いている。

「島の南端に小さな岬がありましてね、そこに小さな祠があるんですよ」

「海の神様を祀っているのですか?」

 小八木の問いに守井は軽く笑って、

「君はなかなか詳しいね」

 と喜んだ。

「単なる二次元女子オタクですよ」

 鈴がすかさず答える。

「君の言うとおり海の神様を祀っています」

「漁師さんたちの安全を祈るのですか?」

 葉菜も少し興味を示した。

「それもありますが、本来は鎮魂が目的です」

「鎮魂?誰か亡くなったのですか?」

「多くの人がね。もう大昔の話ですよ」

 守井の表情が一瞬曇ったがすぐに平静に戻って、

「もう見えて来ましたよ」

 と、後ろを振り返って皆に伝えた。神社からは5分ほどで辿り着ける距離だ。小さな祠は海を背景にしている。この祠も伊勢神宮を向いているそうだ。

「ワー凄い!断崖絶壁だわ!脚がムズムズする!」

 鈴が恐々と崖に近づいて下を覗いてみる。海まで50~60メートルはありそうだ。

「あれ?路のような跡がありますよ、幅はとても狭いけど」

 小八木が、東の方向に下って伸びている崖を削った細い路を指差した。大昔はこちらの岬にも船着場があったのかも知れない。

「小舟ならあの辺りに停泊できそうですね」

 岬が南東の方に突き出している分、僅かだが入江になっていて波の静かな自然の船着き場がある。崖を削ったような小路が左右にジグザグしながらその入江につながっている。その気になれば歩けない路ではないが、足がすくみそうで余程の事情がないと下りて行きたいとは思わない。

「小八木なら行けるでしょう?ゲームの世界では勇者だからね」

 鈴が小八木の背中を軽く押した。

「生き返る呪文があるなら行きますけど」

 踏ん張った小八木と背中を押す鈴はスリリングな風景にはしゃいでいるが、何度もこの景色を見ている犬養家の面々は興味も示さずに淡々と参拝を済ませて神社に向かって帰り始めた。

 守井と小八木は話が合うのか、並んで先頭を歩いてゆく。その後を兄妹たちが進んでゆくが、歳のせいか龍彦だけが少し遅れている。列の最後尾にいた鈴が龍彦の背中に声を掛ける。

「大丈夫ですか?」

「ああ、少し酔ったかな」

 そう言って立ち止まった龍彦は、皆に声を掛けようとした鈴を手で制してから、

「大丈夫。すぐに歩ける」

 と、その場にしゃがみ込むと、目の前にある鈴のミニスカートの裾をハラリと捲り上げた。

「え!」

 鈴はすぐさま彼の手を払いのけながら後ろに飛び跳ねる。こんなにストレートなスケベオヤジに出遭ったのは久しぶりだ。まるで小学生みたいで、ミニスカートからはみ出た太腿をチラチラと横目に見るオヤジたちよりはむしろ清々しい。

「本当に水色だな。すまん、すまん、一馬がそう言っていたので確かめてみたくなってな」

 龍彦がニヤニヤ笑いながら立ち上がった時、彼のパンツのポケットから何かが零れ落ちた。

「あれ?それって」

 鈴はしっかりとその落下物を目視した。スマフォだ。この島に携帯電話の持ち込みは禁止のはず。

「すまん。みんなには黙っていてくれ。どうしても仕事でこいつが必要なんだ」

 鈴は前方の集団を確認したが、誰も二人の遅れに気づいていない。

「これは口止め料だ。スカート捲りの慰謝料も込だぞ」

 鈴は一万円札をニコリと受け取った。

「私、口は堅いので安心してください。何なら、もう一度捲ってみますか?」

「いや、もう結構。慰謝料が高くつきそうだ」

 二人は笑顔を交わした後、何食わぬ顔して前の集団に紛れ込んだ。一行は神社まで戻るとそのまま外鳥居の前を横切って島の北側へ向かった。ほんの数分で本島が見える景色の良いポイントに到着する。ここはクルーザーの着いた波止場から坂を上がってすぐの場所だ。

 ここが分岐点になっており、右に行けば船着場。もう少し右に振れると別荘に続く道。だが左に行けばどこへ着くのか、鈴たちは初めての場所だ。一行は左に折れて歩く。と、ここでも崖を削った小路が海面近くまで続いていた。先ほどの恋人岬とは違って路幅も広く整備されていて安全に歩行できる。

 兄弟たちから聞こえて来る会話によれば、この崖の小路を下りたところに何かの洞窟があるらしい。鈴たちは洞窟の存在も、一行がそこへ向かっている理由も知らない。そして、鈴たちを先導してきた守井がその小路を下りようとして片足を踏み出した時、

「ここは下りなくても良いでしょう。酔払いも多いし危ないわ」

 と、波留が守井に何かを訴えた。

「賛成。私、あの洞窟好きじゃないの。気味が悪いわ」

 小夜が同意する。

「では、私が洞窟の中へ入って仏様にお参りしてきますので、皆さんは外で待っていてください」

 守井が小夜の顔色を窺った。

「儀式まで俺たちは洞窟を覗いてはいけないんだろう?」

 一馬も下りたくないようだ。

「誰かが中を見てしまっても不公平だからな。やっぱり下りるのもやめよう」

 龍彦が結論を出した。

「そうですか。では、別荘に戻るとしましょうか」

 守井は意外にあっさりと方向転換して静かに歩き始めた。この人たちを説得することはとっくに諦めているような感じだ。

「そんなに不気味な洞窟なの?」

 鈴が小声で尋ねる。

「いいえ、普通の洞窟ですよ。中には犬養家が代々大切に守ってきた仏様の石像があるんです」

「神様に仏様か。この島は欲張りね」

 鈴が軽く笑う。

「昔は神仏混合と言って仏様と神様を一緒に祀るのも自然でした」

 小八木の言葉に守井が嬉しそうに頷く。

「その仏様のお陰でね、私たちは10年に1度この島に来ないと行けないのよ、面倒だわ」

 小夜が毒づく。

「洞窟の中で儀式を行うんですよ」

 守井が鈴たちに説明する。

「しかも今回は遺産相続を決める占い付きだ。ほんと、楽しい夏休みだ」

 一馬の自嘲を交えた言葉が風のように流れたが、誰も取り合わなかった。

「遺産相続だって」

 鈴が嬉しそうに小八木に囁いた。


「今夜はうるさくて申し訳ございません。団体のお客様がいらっしゃっているので」

 そう言って、さっきまでバーカウンターで水仕事をしていたバーテンダーが、小皿に入ったミックスナッツを差し出した。

「よろしかったらどうぞ、サービスです」

「ありがとう。若者が賑やかなのは自然なことだ」

 柳田はそう答えたが、大声で響く不愉快な外国語には正直辟易していた。

「この辺りも外国人が多くて、日本人が遠ざかっています。今は良いですけど、きっと後でしっぺ返しが来ますよ」

 バーテンダーは不安を置いて自分の仕事に戻っていった。柳田は三杯目の生ビールに口を付けながら、秘密クラブの『雅研究会』のことを考えた。

 今、日本中を騒がせているカジノ誘致について京都と大阪の政財界が鎬を削っている。『大阪発展会』と『雅研究会』を中心として表に裏に政界工作や資金集めを行っている。互いの秘密クラブが相手組織の諜報活動、会員の買収、引き抜きなどを頻繁に行っているようだ。

 大人の遊びに誘惑された後、賭博や女の虜にされてしまう者もいる。京都側のBGマネジメント社の関係会社が闇賭博を行っていることは把握しているが、具体的な社名やそこへ出入りしている雅研究会会員の詳細はまだ全て明確になっていない。

 幾重にもペーパーカンパニーや関連会社を間にかましているため、有力政治家や外国企業の関わりを明らかにすることは非常に困難だ。

 今、判明している賭博常習議員や収賄議員を先に逮捕すると言う意見もある。確かにその意見にも一理あった。時間を掛けて全容を把握したところで、事件が大きくなり過ぎると最終的には特捜に手柄を持っていかれる危険性もあるからだ。

 しかし、柳田はもう少し調査を進め、特捜が動き出す手前で大物政治家の数人程度を逮捕することはできると考えている。

 と、そこへ携帯の着信があった。普通なら店の外に出るところだがこの騒音の中ではマナー違反にもなるまいとスマフォを耳に当てた。

「何?本当か!」

 柳田の表情が強く引き締まった。


 太陽が西の海に沈み掛ける頃、鈴たちはダイニングに料理と食器を並べて夕食の準備を終えた。2時間ほど前から葉菜は久子と一緒に台所で調理をしている。

 鈴と小八木は風呂掃除をして湯を張った後、兄妹たちに声を掛けたり、風呂上がりにロビーでくつろいでいる龍彦と一馬にビールを運んだりしていた。

「君は調理をしないのか?」

 一馬の問いに、鈴は笑顔を浮かべながら訳のわからない言い訳を並べて誤魔化していた。その後、鈴たち二人もキッチンから料理を運び出して夕食の準備を手伝った。その間、小夜や波瑠が風呂から上がってきたり、部屋に戻ったりと各々が好き勝手に動いていたが、鈴は料理運びに必死で全く気に留まらなかった。

 18時になると犬養家の兄妹たちがぞろぞろとダイニングに集まって来た。雄一も本宅からやって来た。彼は参拝の後本宅に戻って龍之介の容態を診ていた。

「雄一さん、お風呂になさる?それともお食事?それとも……」

 若妻気取りで鈴が色っぽく尋ねる。

「すみません、無視してください」

 小八木の事務的な声。

「ありがとう。でも本宅でシャワーを浴びてきましたから」

「わかりましたわ。じゃあ、お席に着いてくださいね」

 雄一が鈴の愛嬌に圧倒されながら静かに腰を下ろす。

「これで全員がお揃い……。あれ?」

 鈴はひとつの空席を見つめた。

「一馬兄さん、龍彦兄さんには声を掛けなかったの?」

 小夜が確認する。

「掛けたけど返事はなかったな。風呂上がりのビールで寝ているんじゃないか?」

 建物の西側に全員の部屋が並んでいる。北側の一番奥から龍彦、一馬、波留、小夜の順に兄妹たちの部屋が続き、小夜の隣に葉菜、鈴、そして一番玄関寄りに小八木の部屋がある。

「もう一度声を掛けてきましょうか」

 葉菜はそう言って小走りにダイニングから出て行った。ダイニングの窓から見える東の海は夕闇の気配を呈している。

「飲み物は何になさいますか?」

 葉菜が出て行った空白を埋めるかのように鈴が愛らしく確認する。

「そうね。ワインを頂くわ」

 小夜の声に二人は頷く。

「赤にしますか?白?それとも水色?」

 鈴が一馬に向かって意味深な笑みを送る。

「白がいいな」

 一馬がニヤリとして答える。小夜には会話の意味が分かっていない。と、そこへ葉菜が戻って来た。

「ドアをノックして何度か声を掛けましたが返事がありません。起こして来ましょうか?」

 葉菜はチラリと小八木に視線を投げて言った。部屋はオートロックなので鍵が掛かっている。外から起こすには大声を張り上げるか合鍵を使わなければならない。小八木も何となく気付いたようだが、

「寝かせておけば?途中で起こして機嫌が悪いのも面倒だしね」

 小夜が提案した。

「それもそうだ」

 一馬がそう言って葉菜を目で制すると食事が始まった。サラダとスープ、オードブルは既に出ている。久子と鈴たちも兄妹たちと同じ食事をしている。

 鈴たちのテーブルは、兄妹たちのテーブルと並んでいるがよりキッチンに近いところにある。久子は調理のためにキッチンとダイニングを行ったり来たりしながら、合間を見て食事をしている。

 鈴たちは、交代で兄妹たちのテーブルを回りながら飲み物を注いだり、お皿を引いたり、料理を出したりしている。

 久子がテーブルに着いて少し落ち着いた頃を見計って、一馬が遠慮気味に尋ねる。

「久子さん、明日からの予定はどうでしたっけ?」

「明日の午前中はゆっくりなさってください。昼食後13時から禊の儀が始まります。おひとりずつ順番に神社の方へ来て頂いて神水の禊を行います」

「どのくらい掛かるの?」

「おひとり半時間程度で済みますので、禊が終われば後は自由にしてください。本儀式は明後日の夕方になります」

「本儀式の時間はわからないの?」

「その日の潮の様子を見ないと時間まではわかりません。明後日の昼過ぎには確定できます」

「そう、ありがとう」

「禊の儀って、何をするのですか?」

 小八木が興味津々の瞳で久子に尋ねる。

「白山神社の裏庭に井戸があって、その井戸は真名井の井戸と水脈が通じていると言われているの。ああ、それから洞窟に湧き出ている湧水も同じくね」

「本当ですか?真名井の井戸って、真名井神社にある井戸ですよね」

「ええ」

「本当につながっているのですか?凄い!」

「そんなに驚くこと?」

 鈴が小八木の横顔を見つめる。

「そう言われているだけですよ、本当のことはわかりません」

 久子が意味深に微笑んでから、

「その神水で身心を清めて頂くのです」

 と言った。

「要は水浴びね、気持ち良さそう」

 スープを喉に流した鈴が明るく笑う。

「鈴さんも穢れを落としてもらったらどうですか?」

「美しすぎるのも罪だからね、でも適度に汚れているくらいがちょうど良いのよ」

 小八木は苦笑する他ない。

「一馬兄さん、本当に占いの仕方を知らないの?」

 隣のテーブルで小夜が疑い深い視線を一馬に向けている。

「知る訳ないだろう。久子さんなら知っているかも」

 一馬の言葉に三人の視線が久子に刺さる。

「いえいえ、本当に私も知りません。洞窟の中にある仏様の足下に湧き出る真名井の神水を使うことは確かです。十分に神水が湧き上がるためには潮の高さが必要だそうです。どう言う自然の原理なのかは全く見当が尽きませんけど」

 久子は少し申し訳なさそうな表情になったが、少し俯いて自分の食事に戻った。

「そう言えば、10年前の儀式で洞窟に入った時にも湧水は溜まっていたわね」

 波留が遠い記憶を辿るようにして言った。

「確かにそんな記憶もあるな」

「水が湧き出る仕組みとか、湧き出る量がわかると占いに有利だったりして」

 小夜が冗談っぽく言ったが他の兄弟二人は笑わない。

「何のことですかね?」

 小八木が小声で鈴に尋ねる。

「昼間、一馬さんが話していた遺産相続の話よ。占いで決めるなんて、何だかミステリーらしくなってきたわ」

「鈴さん」

 正面に座っている葉菜が、兄妹たちのテーブルを気にしながら鈴の妄想をたしなめる。

 そんな会話をしながら食事は進み、メインディッシュも終わり、鈴たちがデザートとスイーツを配り終えた。食事が始まってから2時間程度が過ぎていた。

「さすがに遅いですね」

 思い出したように雄一が呟く。

「そうね、これ以上意地悪しないで起こしてあげましょうか」

 小夜が笑顔で言った。

「あら、起こさなかったのは意地悪だったの?」

 波留がからかう。

「姉さんだって、いつまでも起こそうとしなかったじゃない」

「忘れていただけよ」

「葉菜ちゃん、悪いが兄貴を起こしてきてくれないか」

 一馬が葉菜に声を掛ける。

「じゃあ僕も一緒に行きます」

「合鍵を持って行った方がいいわ」

 久子から合鍵を受け取った小八木が葉菜と一緒に出て行ったが、鈴がスイーツを細かく切った後、勿体ぶりながらゆっくりと口に入れて幸福な笑顔を満面に湛えた頃には、小八木の早い足音が騒々しく戻って来た。

「部屋にはいません!」

 ダイニングに入るや否や、興奮気味に小さく叫んだ。

「いないって、どこへ行くのよ?こんな島で」

 波留が目を丸くしている。

「また風呂か?」

「いえ、風呂の灯りは消えています」

 小八木が即答する。

「神社で守井さんと話でもしているのかしら?」

 小夜の表情が少し曇っている。

「占いのことを聞き出そうとしているのか」

 一馬も不安そうに呟いた。

「それにしては長過ぎますよ。父は絶対に占いの話はしませんから長居はしていないはずです」

 久子は確信を持っている。

「じゃあ、まさか洞窟に?」

 雄一が自分の言葉に驚いたように目を丸くした。

「洞窟の中を調べに行ったのか?」

 一馬が怒りのこもった目を見開いている。

「それにしても遅過ぎるような……」

 小八木の後ろに立っている葉菜が呟いた。

「僕が行って見てきます」

 雄一がそう言って立ち上がる。龍彦がいつから洞窟へ行ったのかはわからないが、暗闇の中で崖の小路は危険であるし、海に近づくと足を滑らせることもある。

「久子さん、懐中電灯はありますか?」

 雄一の言葉と共に鈴も立上る。

「玄関横の物置にあります」

「私も行くわ」

 鈴がロビーに出ると、小八木が物置から懐中電灯を取り出して男たちに配った。

「三つしかありませんけど」

 雄一と一馬、そして小八木が懐中電灯を持って、女性では鈴だけが同行した。 別荘から5分も歩くと崖の小路に到着する。

「足元に気を付けて、ゆっくり下りてください」

 先頭の雄一が後ろの三人に声を掛けた。鈴は一馬と小八木の間に挟まって下りて行く。ゆっくり歩くと左程危険な路ではなく、四人はあっさりと平らになった岩場に下り立った。

「扉が閉まっているぞ!」

 一馬の声が緊張する。

「ここを動かないでください!」

 雄一が皆を足止めしてから洞窟の扉へ駆け寄ってゆく。洞窟は、鈴たちが下りて来た小路の真下辺りの壁面から奥に掘られている。

「扉が閉まっているとまずいのですか?」

 小八木が緊張気味に尋ねた。

「通常は開いている。中では少量だが有毒ガスが発生しているんだ。扉を開けておけば問題ないが、閉じたまま数時間も閉じこもっていると命の危険もある」

 岩の扉の下にはレールが敷かれていて、雄一ひとりでも開けることができた。

「龍彦さん!」

 雄一の叫びに三人も近寄ろうとした。

「ガスが溜まっているのでそこにいてください!」

 雄一はそう叫ぶと、大きく息を吸ってから洞窟の中へ速足で進む。そしてすぐに龍彦を背負って出て来る。

「意識を失っていますが息はあります。本宅へ運んで酸素吸入します」

 本宅には龍之介用の医療設備があるのだろう。雄一は龍彦を背負ったままで足早に歩いてゆく。一馬は呆気に取られてその場に立ち尽くしている。小八木が雄一の後ろから足元を照らして小路を上って行った。

「行きますよ、一馬さん」

 鈴が彼を促して歩き始める。

「君たちは別荘に戻って皆さんに知らせてください」

 鈴が坂を上り切る前に雄一の声が届いた。

「波止場まで僕も行きますよ」

 小八木が申し出る。

「いや、こっちの路は慣れているから大丈夫だ。それよりも一馬さんを頼む。かなりショックを受けているようだ」

 一馬は顔面蒼白になって鈴の横に立っている。

「わかりました。容態が落ち着いたら状況を知らせに来てください」

 小八木は一馬と鈴を伴って別荘へ向かおうとした。だが、鈴はじっと雄一の後姿を見つめている。

「戻りましょう」

「急ぐ必要はないでしょう。二人が向こうの島へ着くまで見ていましょう。夜の海よ、ひとりだと心配だわ。でも電灯は消してちょうだい」

「どうしてですか?」

「雄一さんの指示に従っていないことがバレたら、嫌われちゃうじゃないの」

 鈴は真面目に言っている。

「でも、一馬さんが」

「俺は大丈夫だ。すまないが、先に帰っているので兄さんを見届けてくれ」

 一馬は大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと歩いて行った。


本章の情報


・犬養龍之介 83歳(犬養商事会長)

  ||

    前妻 ⇒         龍彦 48歳 犬養商事社長

 文美 56歳 後妻 一馬 45歳 犬養商事専務

波留 40歳 京都産業病院理事長

 次女 小夜 38歳レストランオーナ

  | バイト

  藤田葉菜 20歳(学生)

  | クラスメイト

  小八木良太 21歳(学生)

  |歴史研究会

  星里鈴 21歳(学生)



カジノ誘致をめぐる京都と大阪政財会の構図。

京都側の政財界の秘密クラブ「雅研究会」。幹事会社「BGマーケティング」

大阪側の政財界の秘密クラブ「大阪発展会」。幹事会社「IRエンタープライズ」

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