54 絶望
◇◇◇
「ティアラ! 駄目だ! 行くなっ!!」
ジャイルの叫びは、轟音にかき消された。
空を覆う漆黒の影。
水晶に走った無数の亀裂から解き放たれた存在は、もはや神話の守護竜ではなかった。魔力を貪り、膨張し、世界を押し潰すためだけに存在する ――邪神。
王都アリステアの上空に現れたその瞬間、空気は重く沈み、大地は悲鳴を上げた。魔力という魔力が吸い上げられ、人々は膝をつき、逃げ惑い、祈ることさえできずに絶望する。
そんな中、ただ一人。
ティアラは、飛竜の背に跨り、空へと飛び出していた。
「待て! ティアラ!!」
必死に後を追おうとしたジャイルが、突然、膝から崩れ落ちる。
「くそ……身体が……!」
魔力を持つ者から優先的に奪われている。
それは明白だった。
「……っ、まさか、ここまで……」
ミハエルもまた、苦しげに胸を押さえて倒れ込む。エリックは必死に立ち続けようとするが、雷魔法を司るその身体から、力が抜けていくのが分かった。
「駄目だ……追えない……!」
魔力がない。
剣も、魔法も、祈りも、何一つ届かない。
三人は、ただ呆然と、空を見上げることしかできなかった。
その視線の先で。
ティアラは、静かに振り返った。
恐怖はなかった。絶望もなかった。
ただ、にっこりと微笑む。
「……みんな、ごめんね」
それは、別れの言葉だった。
「ティアラぁぁぁっ!!」
叫ぶジャイルの声を背に、ティアラは飛竜を駆る。黒い嵐の中心へ。世界の終わりが口を開けて待つ場所へ。
漆黒のドラゴンが、ゆっくりと首をもたげる。
その金色だったはずの瞳は、濁り、闇に沈んでいた。
意思は眠り、残っているのは渇望だけ。
――魔力を。
――失われた力を。
巨大な顎が開く。
暴風のような吸引が、ティアラと飛竜を包み込んだ。
「……フィリップ」
名前を呼ぶ。
祈るように。抱きしめるように。
次の瞬間。
飛竜ごと、ティアラの姿は、漆黒の闇に呑み込まれた。
空が、閉じる。
「……嘘だろ……」
ジャイルが、震える手を伸ばす。
届くはずもない。
「ティアラ……」
ミハエルの声は、掠れ、涙に滲んだ。
エリックは、言葉を失ったまま、ただ拳を握り締める。
愛する少女の姿は、もうどこにもなかった。
空には、邪神だけが残り、
世界は、完全な沈黙に包まれていた。
















