アイオールの思い
「おい、ヴィオ起きろ」
タッグがヴィオを揺らしながら小声で起こす。
「……なにぃ?」
「静かに。ほかの奴らが起きちまう」
「まだ眠い……今何時って四時過ぎじゃないか、起きるには早すぎなんだけど?」
あくびを噛み殺し、静かに起き上がる。
閉じかける目をなんとか開いて見たタッグの表情は真剣なものだった。
タッグに誘われこっそりと部屋を出る。
フロントには眠ることのないNPCがいつもと変わらず立っている。水の入ったコップを片手にヴィオはソファーに座る。
「そんな真剣な表情でどしたのさ?」
「手短に言うぞ。外にいる嬢ちゃんと話してこい」
「どういうこと?」
短すぎて何が言いたいのかヴィオにはさっぱりだ。
「さすがに短すぎたな、すまん。俺もまだまだだな。
ほぼ確信しているんだが、嬢ちゃんは演技しているだろ? 普段はあんな感じじゃないはずだ」
「……なんのこと?」
約束を思い出し惚ける。だがタッグのほうが上手だ。惚けたと見抜く。
「少しだけ動揺したな? 一瞬だけ視線が泳いだぞ。
言いふらすわけじゃないから安心しろ。ただの確認だ」
「……」
ヴィオは悩む。話していいのかどうか。約束はできるだけ守りたいのだ。この沈黙が肯定しているような気もするが。
アイオールから聞いた頼りになるという言葉と短いながらもタッグと接した時間を思い出し、信じようと決めた。
「演技している。本人から黙っているように頼まれているよ。高校での様子とここでの性格は真逆っていってもいい。
高校だちおとなしい性格で、ギルド長してるって聞いたときは驚いたんだよ」
「高校ってことは年齢も誤魔化してたのか」
顔を顰めた。
「なにか気に入らない?」
「違う、そうじゃない。これからのことを考えるとどうにもな」
「んーなにが言いたいのかさっぱりなんだけど」
「気づかないのか。
本来の性格と違うということはだ、多少なりとも無理しているということだ。普段ならばここで演技をしても日常に帰り、気を休めることが可能なんだよ。でもこれから先、すぐに帰ることができればいいができないとなると、気を休める暇がないってことになりかねない」
そこまで言われればさすがに気づいた。
「俺と話すことで少しでも気休めになればと? それで潰れることを防ぐと?」
「その通り」
「なるほどとは思うけど、本当は性格が違うんだって言ったほうがいいと思うような」
タッグは首を横に振る。
「できればそれがいいんだけどな。
寝る前にさ、嬢ちゃんが皆に激を飛ばしただろう? あのとき皆安心ってか、気が楽になった。俺もそうだ」
「俺も同じ」
「うん。それは皆が不安を感じている状況で、引っ張ってくれる人がいたからだ。この人ならば大丈夫、頼ることができると思わせたから、どうにか心を立て直せた。
あの言葉で嬢ちゃんは皆の心の支えになっちまったんだ。その支えが実は張子でしたってわかったら、また不安な精神状態に逆戻りだ。一度安心して上向きになったぶん、落差があって余計に落ち込む可能性すらある。
皆に知らせるとしても、しばらくして今のショックが抜けてからのほうがいい」
「さっき顔を顰めたのは、今のアイオールっていう性格を押し付けることにたいして?」
「まあな。十も年下の奴にそんなこと押し付けることが不甲斐なくてな」
「ならタッグがその役割をするわけにはいかないのか?」
「嬢ちゃんが激を飛ばす前に俺がそれをできてたら、押し付けなくてもよかったかもしれない。情けないことに立ち直るのは嬢ちゃんのほうが早くて出遅れた。それに普段から皆をまとめていて、嬢ちゃんなら頼ることができるっていう思い込みもあるんだ。
この二つの理由で、俺より嬢ちゃんのほうが皆安心するんだ」
「そうなんだ……。いろいろとよく気づけるね」
「お前らよりも長生きしてるぶんだけ、見えるものが多いからな。
ちなみに俺が話し相手にならないのは、外でも知り合いのお前のほうが安心できるからだと判断したからだ。ヴィオが話した後なら俺でも大丈夫だとは思う」
「行ってくる。役に立てるかはわからないけど、話しを聞くだけならできると思うから」
「頼んだ。嬢ちゃんも余裕はないってことを覚えとけ。
寝る前に嬢ちゃんって呼んだのに訂正しなかった。そんな余裕すらなかったからかもしれないんだ」
ヴィオは頷いて、宿を出て行った。その場に残ったタッグは座り込み、寝ているフィスをそっと撫でながら二人が戻ってくるのを待つことにした。
宿から出たヴィオは周囲を見渡し、アイオールを探す。宿近くにはいない。
宿の外は暗い。この時間帯ならばゲーム内は昼のはずなのだ。だがまるで現実にあわせるように夜だ。月明かりのおかげで、暗いながらも誰かを探すくらいはなんとかできる。急ぎ足で村を移動し、アイオールを見つけることができた。
アイオールは泡が出る池の前に立ち、ぼうっと泡を見ている。月明かりに照らされた物憂げなアイオールと泡は、幻想的な一枚絵となっている。この風景を写真に収めたいと考える人は多いはずだ。そんな雰囲気を壊すことができずにヴィオは話しかけることを躊躇ってしまう。
偶然なのだろう。風に流される泡を目で追って、少し離れた場所に立つヴィオにアイオールは気づく。
「あ……どうしたんだい? まだ寝てていいのに」
物憂げな雰囲気を素早く隠し、アイオールに相応しいからっとした笑顔になる。
「作らなくていいよ。素を知ってるんだし」
その言葉にアイオールの表情が少しだけ硬くなる。
「前も言っただろ? 外のことを持ち込むとアイオールを演じられなくなるって。だから素を見せることなんてしないさ」
「それは日常の場合だろ。今は非日常だ、そんなこと言ってられないって」
「非日常だからこそ、アイオールを崩せないんだよ。もしこれを保てなくなったら」
「皆がまた不安を感じるかもしれないって言いたいのか?」
「……わかってるじゃないか」
「タッグに教えられて気づけたんだ。教えてもらわなかったら、素の性格を知ってるのに気づかないまま、アイオールに寄りかかってたかも」
「それでいいと思うけどね。でもタッグにばれてたのか」
「演じてるってことにも気づいてたよ」
「そこまでばれてたのか。私の演技もまだまだってことかねぇ」
「タッグが鋭いだけだと思うけどね」
かもねと呟いてアイオールは肩をすくめた。
「今なら俺たち以外にいないんだし、立瀬に戻れよ。
言いたいこと言わないと、いつか潰れるんじゃないのか?」
「だからアイオールになれなくなるかもって」
「かもだろう? 七ヶ月以上も演じてきたんだアイオールはすでに立瀬の一部だと思う。
そんなものがなくなりはしないさ。いつでも自分の中にきっとある」
「……」
アイオールはそっと目を閉じ、ヴィオの言葉を考える。
しばらく静かな時間が流れる。聞こえるのは風の音と泡が湧くポコンという音と何処かではじけるパチンという音。生活音のない静かな夜だからこそ聞こえてくる音だ。
目を開いたアイオールの雰囲気が変わる。
「少しだけ戻ってみる。聞いてもらえる?」
声音も柔らかいものへと変わっている。
「的確なアドバイスができるかわからないけどね」
「聞いてもらえるだけでも助かるよ。
意味のわからないウィンドウが出て、ログアウトできないって言われて不安だった。すごく不安だった。皆がいなかったら取り乱したと思うよ。皆が不安そうだったから私は取り乱さずにいられたの。私はギルド長なんだって、皆をきちんとまとめる義務があるって思ったんだよ。そう思っても実行するのに時間かかったけどね」
「おかげで助かったよ。タッグさんもそう言ってた」
「ほんと? だとしたら嬉しいな。
いろいろと保障のない無責任なこと言ったから、私自身信じられないことで励ませてるか不安感じてたんだ。
ねえ、岸川君はどう思う。私たち無事に出ることできるかなぁ?」
目には力なく、声は振るえ不安で仕方ないという思いが込められている。皆を励ましていたときには押し込めていた思いだ。
「確実なことはなにもいえない。問題解決がいつになるかはわからない。
でもこんな事態はゲーム会社にとっても都合が悪いってのはわかる。だからほっとくなんてことは絶対ありえない。今もどうにかしようと動いてるはずだよ。
気の利いたこと言えなくてごめん。タッグならもっと気の利いたこと言えるんだろうなぁ」
「ううん、気にしないで。私もそう考えてるし、少しだけ安心できた」
安心できたというのは本当なのだろう。表情に笑みが浮かんでいる。
いつもと違い外装にあったしっとりとした笑みで、ヴィオはそれに見惚れた。いつもの太陽の下で笑うのがよく似合う笑みも綺麗だと思わせるが、今の月下の下の笑みはいつも以上だ。暗さのおかげで顔の赤さはばれずにすんでいるが、いきなり呆けたヴィオを不思議にそうにアイオールは見ている。
「どうしたの?」
「え? い、いやなんでもない。うんっほんとなんでも!」
「ほんとに?」
「う、うん。笑顔が綺麗だっただけでって言っちゃ駄目だろ俺!?」
言うと恥ずかしいので隠したかった本音が、慌てたせいでぽろりとこぼれた。
「…………あぅ」
言葉の意味が脳に浸透し、今度はアイオールが顔を赤く染める。笑みが綺麗と言われたことなど初めての経験だったのだ。外装のおかげでもあるのだが、そのことを忘れるほどインパクトがある言葉だったようだ。
アイオールは両手を顔に当て、その場に座り込んだ。紅潮を鎮めようとしているらしい。少し時間をかけなんとか紅潮を鎮めることに成功したようで、立ち上がる。少しだけ両者の間に微妙な空気が流れる。
それをヴィオは咳払いで誤魔化し口を開く。
「聞いときたいんだけど、これからも演技を続けるのか?」
タッグはしばらく続けてもらうと言っていたが、ヴィオとしてはアイオールがやめたいのならそれもいいのではと思っていた。アイオールも不安に思っている一人なのだ。そんな人に多くの者が寄りかかると、そう遠くない時期に倒れてしまいそうだと考えている。この先共倒れするより、今のうちに倒れておけば早くに立ち直れるかもと思う。
「続けるよ。さっきも言ったけどギルド長としての責任があると思うから。演技でも皆を励ませるのなら、それはきっといいことだと思う」
「そっか。辛くなったら俺でもタッグでも話し相手になるから、いつでも頼って。
女の子が頑張るって言ってんだから、それくらいはしないとね」
「ありがとう。正直助かるよ」
自分でもきついかもとわかっているのだろう。
「宿に戻ろうか。まだ寝たりないんだ」
「私も」
二人は池を背にして宿へと歩いていく。月は西の空にあり、もう一時間もすれば沈みだす。
宿前ではタッグが二人の姿をみつけ、立ち上がった。
「お帰り」
二人は、ただいまと応える。
「それが嬢ちゃんの素の状態か。演技であれに持っていってると考えるとすげーな」
「でもタッグさんには、ばれてたみたいですけどね」
「なんとなくだけどな。いつもの嬢ちゃんを見慣れてるせいか、素の状態に違和感があるな」
「それは褒めているのかい?」
スイッチを切り替えるように都からアイオールへと雰囲気を変える。
「おっ戻ったか。俺にとってはこっちのほうがしっくりくるな。
ヴィオが初めて嬢ちゃんと会ったときに驚いていたわけがよくわかるわ」
「だから嬢ちゃんっていうな!」
いつものやりとりが始まる。少しだけでも心にゆとりができた証拠だろうか。
それにヴィオとタッグは内心安堵する。
三人は静かに宿へと入り、それぞれの部屋に戻った。
そして朝がきた。




