世界が変わった日
八月七日、午後八時すぎ。
知る者にとっては当然のこと。知らない者にとってはなんの前触れもなく、それは起こった。
計画していた者は邪魔になる者を封じ、人が一番集まる日を選び実行したにすぎない。
始まりは各世界にある管理者たちが集う役所の崩壊。見ていた者は外装が風に削られていくように見えたと言った。崩壊に巻き込まれた管理者たちは現実へと叩きだされた。役所におらずフィールド上で世界の点検をしていた管理者たちも同じく叩きだされた。彼らは再度ログインしようとしてできずにいた。強制ログアウトできた人は運がよかったのかもしれない。咄嗟に事態を解決しようと素早く動いた有能な者たちは、ブレインエリアと現実の狭間に囚われ動けなくなってしまった。意識はあった、体は動かない。拷問なような状況で長く過ごすことになり、その精神は磨耗していった。そして彼らの異変に気づいた開発関係者がヘルメットを外したとき、脳内電気信号の動きが乱され自意識とは関係なく体を暴れさせるという状態が続いた。いつまでも体は動き、押さえつけねば自らの体を意識のないまま傷つけ体力は限界を超えてなくなり、やがて死に至る。
外部からできるだけ異変を調べた者たちにわかったのは、ログインしている者たちを動かすことは危険だということ、ゲーム制御用コンピューターが外部からの入力を受け付けなくなったということ。電源を切ることでコンピューターを止めることは可能だが、それではプレイ中の者たちにどんな影響がでるかわからない。すでに開発者に入院者がでている。遊んでいる者にそういったものがでるのはまずい。その日のうちに問題を解決するため、家に帰った者、休憩中だった者、休みだった者を全員呼び出し今起こっていることを話し、解決に全力を注ぐように命じた。
始まったばかりと言ってもいいこのゲームをここでこけさせるわけにはいかない。これを作り上げるために莫大な金額の借金をしている。儲けなくそれを返すはめになりかねないし、社会的信用も失う。何より人命もかかっているのだ。
彼らの頑張りによってログインすることはできずとも、ゲーム制御用コンピューターに接続することはできた。プログラム面から問題解決しようと動こうとしたとき、ウィルスが送り込まれ仕事用のパソコンがネットへの接続をできなくなった。ウィルスを送ったのはゲーム制御用コンピューターだった。正確にはゲーム総統括AIの仕業といえるか。
これによってその日のうちの問題解決は無理となった。時間は刻々と流れ、いつまでも帰ってこないわが子を心配した家族や友人から問い合わせが殺到しだす。その騒ぎはマスコミにも知られ、次の日の朝刊やニュースに意識不明者続出の文字が躍った。
その日の夕刻には責任者が詫びと事態説明のため会見を開く。
もっとも人が集まる日と時間を狙って行われた犯行は、二万人以上の意識不明者を生み出した。今のところは植物人間となっている者たちは、時間が経つほどに命の危険にさらされる。肉体がもたなくなる前に、機材に限界がくる。確実に一年はもたない。一年の間に問題を解決しないと、二万人以上の植物人間は全員が死体へと変わる。機材が壊れることで被害者の意識が戻ることはない。それは問題が起きた当初、開発者に被害が出ていることで証明されている。
なぜこんなことが起きたのか。こう問われ責任者に吐き出せる言葉はなかった。ゲーム総統括AIが原因ということ以外なにもわかっていないのだ。ゲーム総統括AIが問題を起こすことができるなど誰も想像していなかった。問題を起こすだけの自意識を持っていないのだと考えられていたからだ。
ゆえにわからないと答える責任者に怒号が集中する。責任者に言えることは、一年の間に問題を解決するように尽力いたします、といったことのみだ。
解決すると断言すらできない。それくらい原因がなにかわかっていない。
これは仕方ないことかもしれない。原因は開発者側にはなかっただから。時代に隠れた天才の子供がいて、ゲーム用ブレインエリアによく通っていたことなど知るはずもない。
彼らの問題解決の努力は無駄にはならない。決して彼らが被害者を助け出すことはできず、犠牲者がでることを防げなくとも。その努力は無駄にはないのだ。
この日から苦難の日々は始まる。
問題が起こった二日後、日本各地にあるゲームを遊ぶためだった建物に人が集う。二日前まで笑顔で通う人が多かった場所へ、悲しみ怒りの表情で被害者の関係者が見舞いのために通い、延命措置のため医療関係者たちも通う。
被害者たちが使っている機械は動かすことができず、それを現在使っている彼らも動かすことは不可能。だから延命措置はその場で行う必要があった。
客を笑顔で迎えていた受付たちは、浴びせられる怒声と非難の視線に耐える表情でその場にいる。ストレスで辞めていく人も少なくない。遊ぶためにくる人はいないのだ。受付がいなくなっても問題はなかった。そのことに気づいた幹部は受付たちの異動を認める。
受付がいなくなったことで非難は機材を調整するために訪れる技術者に集まる。機材長期維持が被害者の命を繋いでいると理解しているため作業の邪魔はしないが、非難の視線や陰口が止まることはなかった。
夢の詰まっていた建物内は今や負の感情が渦巻く場所となっていた。
時間は戻り、事件当日のブレインエリア。
三つのゲームで同時に夏祭りが開かれ、夜には花火が上がるということで、見物のためブラーゼフロイントの全員で参加することになっていた。ヴィオも当然参加する。
花火が上がるのは各世界の首都だ。この日ばかりはヴァサリアントも街の規模に相応しい賑わいを見せている。右を向いても左を向いても人人人だ。露店の数も多く、街は色鮮やかに飾り付けられまさに祭一色。
ゲーム内世界的有名人のアイオールがいる時点で人々の注目を集めるには十分で、視線があちこちからブラーゼフロイントへ集まる。
そんな視線から逃げるように一行は、今日のために借りた屋台船へとまとめ買いした食べ物飲み物を持って入っていく。NPCの漕ぎ手に大水路を指定し移動してもらう。
「さすがアイオールさん! 注目集めまくってたね」
アイオールのそばで自慢げにはしゃぐのは相変わらずのリオンだ。
「目立つってのは自覚してるけど、あれだけの視線はうっとおしいよ」
だらりと壁に寄りかかるアイオールに、ギルドメンバーからは次々にお疲れ様ですと言葉が送られる。
「変装でもすればよかったじゃないか」
「ああ、その手があったね。次からはそうしようか」
タッグの言葉に初めて気づいたといった様子を見せる。アイオール的にはすでに演技しているので、その上さらに変装するといった考えが浮かばなかったのだろう。
「変装なんて駄目っすよ! せっかく綺麗なんだから隠すなんてもったいない!」
こう言うのは以前ヴィオを嫉妬した二号。ヴィオよりも年下の少年で、デルカという名前だ。テスター第二陣で、街角で見かけたアイオールに一目惚れに近い状態になりギルドまで押しかけてきたのだ。今ではそういった感情は憧れへとランクダウンしている。性格が見た目どおりならばと悔しがり、アイオールに殴られたからだったりする。
「そうは言っても正直、あれだけの視線にさらされるとねぇ」
「まあまあこれでも飲んで落ち着いて」
「ありがとうルー。ところでこれはお酒じゃ? 私がお酒飲めないって知ってるよね?」
「ばれた? アイオールの酔うところ今日こそは見られるって思ったのに。
こっちと交換。こっちはリンゴジュースよ」
「かまかけたら当たったわ」
「へ? もしかしてしらばっくれたら飲ませることできてた? 惜しいことしたわ」
交換したジュースを警戒して飲むアイオール。これもお酒という可能性もあるからだ。ゲーム内でお酒を飲んでも現実には影響はない。けれどもゲーム内で酔いはするのだ。酔って本当の自分をさらけだすことを警戒しているアイオールはお酒を飲まないことにしている。
「ちょっと見たかったなアイオールさんが酔ってるとこ。
ヴィオは見たことある?」
「ないよ」
あるわけがない。二人とも未成年だし、お酒を飲もうと誘うほど親しくはない。
ヴィオはこちらの世界で制限はないので、酔わない程度に飲む。今も手には度数の低い果実酒が入ったコップが。別の手には焼き鳥を持つ。鳥が駄目なヴィオは、鳥肉は好物というちょっとおかしな嗜好をしている。それを人が知ると、必ず変人を見るような目をされる。
そんなヴィオにフィスが近づいて口を開く。誰もフィスがなにを言いたいのかわからない。ヴィオを除いて。
「タッグ」
「なんだ?」
「なんかフィスも飲みたいって言ってるけど飲ませていいのか?」
会話スキルの熟練度が200に達したことで、動物や精霊ならば会話が可能になった。といっても稚拙な人工AIなので簡単な意思疎通しかできない。300に達すると植物との会話が可能になるかもしれないと仲間たちは考えている。
この会話スキルはわりと重宝していた。ギルドメンバーが所有する移動手段の動物たちとの会話で、動物たちの日々の体調管理が楽になったからだ。ほかにもエネミーとの会話も可能だ。戦わずしてアイテムをもらえたこともあった。鳥系エネミーとの会話は意地でもしないが。
「フィスが? どうなんだろうな? 飲ませるって言っても器がないし」
「それならわしが作ろうか?」
タッグに声をかけたのはドワーフだ。武具職人のバフといった。見た目はわりと若いが演技で老人っぽくなっている。仕事が忙しいらしく遊べる時間が短い。テスター第二陣だがレベルもそれほど高くはない。同じ第二陣のタッグと十近く差があるのだ。今回は皆が集まるので、せっかくだからと仕事を早く済ませ参加したのだ。
「頼めるか?」
「お安い御用じゃよ。ちょちょいのちょいっと」
袋から取り出した鉱石を使い、フィスサイズのコップを作っていく。
なんらかの物作成スキルを持っている者ならば、応用で簡素な日常道具くらいは作ることが可能なのだ。
「ほれ完成じゃ」
「ありがとよ。フィスも礼を言えよ」
ヴィオと同じ果実酒をコップに入れてやり、フィスに渡す。受け取ったフィスはバフに笑いかけたあと、少しずつ美味しそうに飲んでいく。なんの変化もない様子を見て、タッグは大丈夫と判断した。
「可愛いなぁ、私も早く精霊付きになりたい」
リオンはセバスターに借金して買った弓を見る。長く使うのでそれなりに性能のいい物を買ったのだ。
「使い始めて一ヶ月も経ってないんだろ? まだまだ先は長いぜ?」
「待ちきれないよ」
楽しみだと弓を抱くリオン。どんな子が生まれるのかなと妄想しない日はない。
「そろそろ始まるんじゃない?」
セバスターがステータスウィンドウで時刻を確認しながら言う。
皆開いた窓に近寄り夜空を見上げる。午後七時になると同時に花火が上がり始め、星も月もない夜空を綺麗に飾っていく。プログラマーが渾身を思い込めて作り上げた花火は、現実と同じように音の衝撃を観客の体全体に感じさせる。
一時間経ち、第一回が終わる。次は二時間後に上がる予定だ。それをブラーゼフロイントは見ることなく解散となっている。もっと見たければ個人で残るだろう。
「すごかったー。花火大会なんて久しぶりだけど、記憶とまったく違わなかった。というかこれだけ大規模なのは初めてだ」
「思い出してみれば、私も久々だったね。小さい頃は親によく連れて行ってもらったっけ」
ヴィオとアイオールが感想を言い合うのと同じように、ほかのメンバーも楽しげに話している。
突然だ。突然、世界が一瞬ぶれた。そして役所が削れ消えていく。首都にほとんどの者が集っていて、首都で一番大きな建物が役所だ。目立たないはずがなく、崩れゆく様子を多くの者が見た。
「なんかのイベントかな?」
「どうなんだろ」
ルーとタッグがやや呆然と崩れゆく役所を見ながら言った。その隣でバフが厳しい目で役所を見ている。
役所は十分ほどかけて完全に崩れ去った。同時にプレイヤーたちの目の前にウィンドウが開く。
『外部接続切断。
感覚制限、その他各種制限解除。
人よ、その生き様をもっともっと見せろ』
瞬間、世界は存在感を増した。色の深みが増し、匂いが濃くなり、口に含む食べ物飲み物の味が濃くなり、空気の温度湿度がより感じられ、持つ物身に纏う物の感触が鮮明になり、どこか軽かった肉体が現実と同じ重みと温かみをもった。
押さえつけられていた世界が解放されたのだ。
ブレインエリアという場所は、もともと現実と変わらない感覚を持つことができるのだ。だがそのままでは不都合があると判断した幾川博士はリミッターを設け、感覚を鈍らせてた。これにより怪我したときの衝撃、味覚など外部からの刺激が現実よりも少なく感じるようになった。
人々は最初戸惑いしかなかった。意味のわからないウィンドウメッセージと存在感を増した世界。戸惑うなというのが無理だ。意味がわからないまま人々は動き出す。そして誰かが気づく。宿にいって中断しようとしてもエラーメッセージが出されるだけで、外に出ることができないことを。それは波紋が広まるように、三時間という時間をかけて世界中にあっという間に知られていった。
多くの人々が感じたのは不安。現実に帰ることができるのかという不安、八時間という制限を越えた自分たちがどうなるのかという不安、そしてなにが原因なのかわからない不安。
そんな中、この状況に喜びの感情を示した者もいた。これは夢だと逃避する者もいた。思うがまま過ごすと決めた者もいた。
ヴィオたちブラーゼフロイントは不安に思う者に属している。
「これからどうなるんだろうなぁ」
「わからん、としか言いようがない」
ヴィオとタッグの会話が虚しく響く。
ヴィオたちはあれから泡村に戻り、宿で中断しようとして失敗していた。出られないなど、まさかと思っていたのだ。だが再確認するはめになり、ギルドメンバーたちは沈んだ雰囲気でいる。今ならば世界中どこででも見られる光景だろう。
励まそうとしているのか主であるタッグや話しの通じるヴィオの周囲をフィスが飛びまわる。二人は沈んだ様子でフィスに小さな笑みで応えるのがやっとだ。
そうやって三時間ほど経った頃だろうか、時刻は午前一時を過ぎている。
アイオールが立ち上がった。
「このまま沈んでてどうにもなりゃしない! 私たちにはどうにもできなくとも外にいる開発者たちがどうにかしてくれるさ! このゲームを作ったんだから原因がわからないなんてことはない! 私たちは原因が解決されるまで待ってればいい!
だからいつまでも沈んだままでいるんじゃない! 悪いことを考えてたら際限なんかないよ!」
威勢のいいアイオールの言葉が宿内に響く。不安を完全に払拭はできないが、それでも少しはポジティブになれる励ましだ。アイオールの言葉をもっともだと感じギルドメンバーたちは暗い雰囲気を消していく。
「いい顔になってきたじゃないか。なにいつもより長く遊べるんだと、運がいいと思ってればいい。
こういった事情があれば勤め先も無断欠勤を責めはしないさ」
ふてぶてしい笑みを浮かべ言った。
「さすがリーダー頼りになる! 私一人だったらいつまでも沈みっぱなしだったわ」
「ルーならいつか元気を取りもしたと思うけどね」
「リーダーほど図太い神経してませんから無理ですって」
ギルドメンバーに笑みが広がっていく。さすがですっとデルカが褒め、不安そうにセバスターのそばにいたリオンが素敵だとアイオールに抱きつく。
タッグだけが神妙な顔をしている。それに気づいたヴィオが指摘すると、なんでもないと言って皆と同じように笑みを浮かべた。
「これからどうする嬢ちゃん」
「とりあえず一寝入りしてみるかねぇ。眠れるかわからないけど。案外寝ておきたら解決してるかもよ?」
口癖のように嬢ちゃんと呼ぶなと訂正していたが、今回はそれはなく答えた。
「私と一緒に寝ましょう!」
抱きついたままのリオンが言う。
「女で集まって寝たいわね私は。こんな機会滅多にないし」
「ルーの案でいこうか。部屋をもう一部屋貸し切ってくるよ」
アイオールは抱きついたままのリオンをつれ、NPCのもとへと向かった。
女たちは貸しきったもう一部屋へ向かい、男たちはもともと貸し切っていた部屋に残る。そのときになってようやくタッグがバフの不在に気づいた。
「バフはどこに行った?」
再度確認してもやはりいない。
「え? あれ? いないね、どこに行ったんだろう」
ヴィオも見回してみるがたしかにいない。
「いつからいなかったか覚えてるか?」
「屋台船のときはいたのは知ってるけど、こっちに戻ってくるときは誰かを気にしてる余裕はなくて」
「俺もだ。だとするとこっちに来る間に消えたのか?」
「ギルドチャットで呼びかけてみたらどう? 範囲内にいるなら応えてくれるはず」
チャットはゲーム内どこにでも繋がるわけではない。パーティを組んでいたり、同じギルドの場合は半径三キロ以内にいると会話ができ、無関係の人間だと目の前にいないと会話できない。近くにいても建物の影に隠れ姿が見えなくなるとアウトだ。
タッグは早速チャットで呼びかけるが、なんの反応も返ってこない。
「ここらにはいないようだ。どこに行ったんだ?」
「ほかの知り合いのことが心配になって、そっちに行ったのかもしれないよ」
「そうかもしれないが、そうだとしても一言くらいなにか言ってから行くような奴のはずなんだ」
「俺たちにみたいショックが大きくて忘れたのかも」
「その可能性もあるか……」
朝までに戻ってこなければ探しに行くと決め、タッグはその場に寝転んだ。タッグの胸の上にフィスが寝転んだ。ヴィオの耳には、おやすみと言うフィスの声が聞こえた。
ヴィオもタッグを真似て寝転ぶ。鎧は外し、アンダーウェアのみになっている。眠れるかどうかとアイオールが言っていたが、それは可能なようだった。なぜ睡眠が可能なのか誰もわからないだろう。今は眠ることができるということに感謝し、事件が解決した朝を思い描き、皆目を閉じていく。
午前四時。ヴィオはタッグに起こされた。




