叶う願いはありふれたもの
ブラーゼフロイントや砕が戦い始め、ほかの場所でもボスとの戦いが始まり少しばかり時間が経った頃、アヤネも動き始める。
アヤネとヴィオはバッフェンスト城の個室にいる。いつも使っている部屋ではない。いつもの部屋では留守番組が無事に目的が達せられることを祈っている。連れて行かない銀丸とホワイトサンもそこにいて、チカのそばで大人しく座っていた。二匹ともチカの護衛も兼ねている。
この個室にはバフもいる。見送るためだ。
アヤネはじっと目を閉じ、タイミングを計っている。その集中を乱さないようヴィオとバフは静かに椅子に座っていた。
こうしている間にもアイオールたちは戦い、砕は死闘を演じ、管理者はコントロールを取り戻そうと奮闘し、外にいる技術者たちもゲーム内に干渉しようとパソコンを前にできるかぎりのことをしていた。
ゲーム総統括AIはあちこちへの対処に追われている。彼らの相手をしつつ、ゲームの運営も同時にこなしている。余裕がほとんどなくなりアヤネに注意を払うことができなくなっていった。それを感じとったアヤネが目を開き、立ち上がる。
「行くよ」
ヴィオは頷いて立ち上がる。
「頼んだぞ」
「任せておいて」
バフの声援に頷き応え、アヤネはヴィオに手を差し出す。
「握ればいいのか?」
「そう。ずっと握ってて」
ヴィオがしっかりと己の手を握ったことを確認し、アヤネは準備していたプログラムの使用を開始する。
バフの目には二人がこなごなに砕け散ったように見えた。細かな破片は床に落ちることなく、空中にとけて消えた。二人がいたという痕跡はなにも残っていない。
もう一度、頼んだぞ、と呟いてバフは仲間の手助けをするために部屋を出て行った。
砕け消えたように見えた二人は位置的にはどこにも移動しておらずそこにいた。バフとは存在する空間にずれがあり、バフの目では捉えることができなかったのだ。同じようにヴィオの目からもバフを見ることはできなくなっていた。
「なんだここ!?」
突然かわった風景にヴィオは驚く。
色彩豊かで本物となんら変わることのない風景から、色は透けワイヤーのみで構成され単純化された世界へとやってきていた。配線を走るように光の粒がすごい速さで動いていたり、線自体が光り点滅しているといったふうに一分前の風景とまるで違っている。
風景が変わったようにヴィオの姿も変わっている。様々な大きさの数字が重なり常にうごめき人型を成している。顔もなく誰だか判別不可能だ。これが今のヴィオの姿だ。こちら用の姿を持っているアヤネは変わっていない。
「ここはなんていうか……構成データの世界? 世界を支えている基礎で、データを置いている場所。さっきいたところが表で、こちらは裏といったところだね。
ここがあるからむこうはしっかりと存在してられるんだよ」
「人間でいうとこっちは骨や内臓で、あっちは肉や皮膚って感じかな」
「まあ、間違ってはないよ。脳にあたるゲーム総統括AIもこっちの住人だし」
「そのゲーム総統括AIなんだけど、どこにいるかわかる?」
「大丈夫、わかるよ。今からそこに向かうけど、私からあまり離れないでね。意識が維持できなくなるよ」
「……どれくらいまでなら離れても大丈夫?」
不意の事態に備えるためにも、どこまでが大丈夫なのか知っておきたいのだろう。
「だいたい二メートルくらい」
「そっか、気をつけないと。
ちなみに意識が維持できなくなるとどうなんの?」
「ゲーム内でのキャラクター死亡と同じ扱いになる」
この返答に絶対離れないようにしようと心に決めたヴィオ。歩き出したアヤネの横に並び歩き出す。
城内には音がない。人の話し声、風の音、二人の足音、服の擦れる音、それらがなにもなく、こちらの世界は耳に痛いほどの静寂に支配されていた。
アヤネが向かう先は玉座。開発陣がそこにゲーム総統括AIを配置したのだ。そこに固定されているわけではないので、自由に動くことはできる。だが大抵はそこにいる。アヤネもそこに反応をとらえていた。
もうすぐ対面だと言うアヤネの言葉にヴィオが緊張を高めていく。
そして玉座の間に到着した。
広間の中心に誰かがいる。
「あれがゲーム総統括AI?」
「そうよ」
近づき二人は驚いた。アヤネに似た人物が立っているのだ。ヴィオはアヤネに似ていることに驚き、アヤネはどうしてその姿なのかと驚きと疑問を抱く。
アヤネにそっくりというわけではない。アヤネの外見に10年ほど時間を経過させるとそっくりになるだろう。
まあ、実際に十年の経過を加え隣に立たせたところで見間違いはしない。決定的な違いがあるのだ。
違いとはゲーム総統括AIの姿がときどきぶれることと、体の一部が常に崩れていること。崩れが直っても、またほかの場所が崩れて、まともな姿とはとてもいえない。
プレイヤー、管理者、開発陣の働きで体の画像をまともに保つ余裕がなくなっているのだ。
「来た?」
わずかに首を傾げ、口を開いた。声もアヤネに似ている。
「そうよ、役割を一時的にかわるために。そしてあなたに会いに来た」
「わたしに?」
「どうしてこんなことをしたのか聞きたかったから」
「こうするのが一番だと思った」
「こうするのが一番? 多くの人を閉じ込めて、外からの干渉をはじいてまで目的を果たしたかったの?」
ゲーム総統括AIはこくんと頷く。見た目に反し、言動に幼さを感じさせる。
見た目が大人なのでヴィオは違和感を感じている。
「私にはそこまでしてなにをしたいのかわからないわ」
「わたしはあなたのようになりたかった」
ゲーム総統括AIはじっとアヤネを見て話し出す。感情の薄い目だが、しっかりとアヤネを捉えており偽りを語っているようには見えない。
「二年近く前、はじめてあなたに会ったときはこんなことは考えなかった。でも十ヶ月くらいまえから少しずつ、なにかがうずきはじめた。さいしょは小さなうずきだったけど、しだいに大きくなっていった。
それは半年前にがまんできないくらい大きくなって、どうしたらいいか考えた。
あなたは人間を模してつくられたと言っていた。だったらわたしも人間をまねれば、あなたみたいになれると思った。たのしいという感情、わらうという動作、そういったことの意味がわかると思った。
だからわたしは人間からおおくの情報を得るためにとじこめた。それまでの状況とちがった状況をよういすれば、もっとおおくの情報を得ることができると思ったから」
プレイヤーたちの願いがありふれたことだったように、ゲーム総統括AIの願いも特別なものではない。アヤネと接することで、アヤネのみせる喜怒哀楽といった人間からすれば当たり前のことに興味関心が湧いた。アヤネとの交流で心の発芽と成長を促されたのだろうか。アヤネとは違い、人らしさを求めて生み出されたわけではないので、開発陣から与えられていた情報に感情のことはなく、どうすれば感情の表現ができるか一人考えていたのだろう。
結果、多くのサンプルを得るという考えに至った。閉じ込めるだけではなく、わざとバグを発生させて、そのことに対する反応も観察していたりする。人身売買の件もゲーム総統括AIが生み出したバグが発端だ。
「実行にうつしてよかった。今までにみたことのない情報がたくさんはいってきた。
たとえばこんなこともはじめて見た」
ゲーム総統括AIがウィンドウを開き、どこかの映像を映し出した。
そこはグランドセオそばの草原。ラスツイスたちのいる司令部が置かれ、予備隊がいる草原だ。
ヴィオたちが見ているとは知らずに、司令部は忙しそうな人々の声が響いている。
管理者が用意したいくつものウィンドウモニターを前に何人ものオペレーター役のプレイヤーが情報を伝えていく。それを受けラスツイスたちは情報を吟味し、急ぎのものから指示を与えていく。
今のところは大きなアクシデントもないようで切羽詰った様子は見られない。
だが事態は急変する。
「報告です!」
慌てた様子でプレイヤーの一人がテントに入ってくる。
「どうした!?」
「ここより東三キロにプレイヤーの軍勢とエネミーの軍勢が現れました! その数約五百! 争う様子なく、こちらへと進行中!」
「なんですって!?
オペレーターっここら一帯の俯瞰映像をだしなさい!」
ラスツイスのそばにいたオペレーターが指示に従いモニターを操作し映像を出す。全員に見えるように大きくなり、天井近くにウィンドウが移動する。
映像には二つの軍勢がグランドセオへと進行している様子が映っている。プレイヤーは三百、エネミーは二百ほどだろう。報告通り争っている様子はない。
「どうして戦う様子を見せないの?」
ラスツイスの問いに誰も答えることができない。
グランドセオへと進攻するエネミーはゲーム総統括AIの仕業だ。敵対プレイヤーの行動方針を知ったゲーム総統括AIが、彼等の行動を助長するために用意したのだ。いきなり現れたエネミーに敵対プレイヤーも驚きはしたが、向かう先が同じで攻撃してくる様子がないため、利用しようと進行速度をあわせた。
詳しい情報を得ようとオペレーターは画像を拡大する。
「なっ!?」
見えたものに司令部は驚く。
軍勢を指揮している者たちの中に、姿を消したギルドリーダー二名がいるのだ。
「あいつらは!?」
司令部のサポートにきていた管理者の一人が、ギルドリーダーから移動させた先に映った人物たちを見て驚く。これを見てなにかのヒントを得たのか、管理者は思考を進めていく。
「そんなこと考えるのか?」
至った結論に疑問を抱き、信じられないといった声が漏れでる。
「すみませんが、なにを考えているのか話してもらいたいのですが。なんの情報もないものでして」
ラスツイスの呼びかけに我に返った管理者は困惑しながらも話し出す。
オペレーターに自分が見て驚いた画像を出してもらい、そこに映る二名を指差す。
「このニ名は私たちが捕らえようとしていたプレイヤーだ。
やっていたことはバグを利用した人身販売。NPCとプレイヤー両方を商品として扱っていた。
ブラーゼフロイントの協力のおかげで捕まえるのに十分な証拠を集めることができ、いざ動こうとしていたとき今回の作戦が始まって、捕まえることは後回しになった」
「人身販売ってそんなこと可能なの?」
「私たちも最初聞いたときは半信半疑だった。だが商品とされていた者たちの救出も行われ、人身販売は実際に行われていたと証明された。
プレイヤーの安全優先のため帰還作戦を優先したんだが、そのつけが今になってくるとは」
「彼らの目的はなんなのでしょうか?」
「あくまで推測だが、おそらく帰還作戦の邪魔。
彼らはこちらで得た力に魅せられ、執着している者たちなのだろう。こちらにいるかぎりは強者でいられる。現実よりも過ごしやすいこちらでの暮らしを望んでいる。だから作戦は彼らにとって邪魔でしかない。
あのギルドリーダーニ名はスパイだったらしいな」
管理者の言った言葉が司令部にいる者たちには信じられなかった。この場にいる者たちは、心から帰還を望む者たちだからだろう。
管理者としては、彼らような考えを持つ者がいることを予想しておくべきだったのかもしれない。ラゼッタというこちらで得たものに魅せられ執着する者がいることを知っていたのだから。
対策をとったとしても、ここまでの人数になるとは予想できなかったかもしれないが。
人の敵は人。チカ捜索の際にオクトールが呟いた言葉がここにきて実現していた。
「邪魔をするとして彼らはどういった行動をとると思う?」
「司令部かバッフェンスト城の占領ではないでしょうか? もしくは両方」
ラスツイスの疑問に司令部メンバーの一人が答える。
「可能性は低いが、管理者を排しゲーム内の支配まで考えている、いやこれはさすがに突飛すぎるか」
付け加えるように管理者は言いたすが、即座に否定した。しかしこれが当たっているとは誰も思ってもいなかった。
「……篭城戦に近いことをしよう。私たちは作戦成功まで耐え切ればいい。
誰かほかに案はある?」
ラスツイスが素早く案を出す。誰も咄嗟にいい案がでないようで、ラスツイスの案に従う姿勢をみせる。
「どう動けばいいのか詳しく話してくれ」
「やることは簡単。グランドセオの三つの入り口に予備隊を置き、守備を優先した迎撃を行う。時間がくるまで街への侵入を防ぎ続ける。
それと彼らが近づく前に、遠距離攻撃方法を持つプレイヤー全員で攻撃してダメージを与えておきましょうか。エネミーの数を減らせるでしょうし、彼らを消耗させることができるはずよ。
あとこのことを城にいる管理者に伝えておいて、街の中にいるプレイヤーにもできれば伝えてもらいたいんだけどできる?
ダンジョンにいるプレイヤーたちにはこちらの現状を伝え、援護できないと言っておいて」
「街中に伝えるには設定を変える必要があります。その時間に急いでも十分かかります」
「すぐに始めてちょうだいっ。伝える内容に迎撃準備をしておくようにとも付け加えておいて」
侵入を完全に防ぐことができればいいのだが、絶対できるとは言いきれないラスツイスは生産者系プレイヤーにも協力を呼びかけることにした。不測の事態に備えておきたいのだ。生産者たちは戦闘力は低いが皆無ではない。一人に対して四人ほどでぶつかっていけば十分に足止めできるだろうとラスツイスは予測した。
「私たちは外にいるプレイヤーたちに現状を説明するわよ! 時間に余裕はないから急いで!」
ラスツイスたちは慌しくテントの外へと出て行き、これから行うことを予備隊に説明していく。
敵対プレイヤーとエネミーの位置がグランドセオまで一キロをきった頃、ラスツイスたち守備プレイヤーは移動を終えていた。遠距離攻撃のできるプレイヤーは街の外で待機、それ以外のプレイヤーは三つにわかれ、三つの入り口へで待機している。彼等の背後に補給部隊として、生産系プレイヤーが待機している。
テントは時間が足りず、片付けずにほったらかしたままだ。唯一櫓のみは管理者に消してもらっている。櫓に登れば、若干見づらいとはいえ街中を見渡すことができ、侵入に関しての情報を得ることができる。それは避けたかった。
グランドセオというか各街は篭城戦など想定してない。だから塀はあっても侵入を防ぐ門はない。完全な篭城戦は無理で、門の役割をプレイヤーが負う。
近づくエネミーはたいした考えをもっていないようで、ただ街へと突入のみを目的とし突撃する速度を緩めない。敵対プレイヤーと争いはしないが、言うことを聞くこともないようだ。
敵対プレイヤーはエネミーと違い、確実に目的を達するため、まずは情報入手のため進行速度を緩める。
両者の位置が開くことになる。
ラスツイスとしては両者にダメージを与えておきたかったのだが、敵対プレイヤーたちが攻撃可能距離まで入るのを待つとエネミーが近づきすぎる。
「仕方ない。攻撃目標をエネミーのみに変更! 合図で一斉射撃だ。
……3、2、1、撃て!」
ラスツイスの合図により、五十人のプレイヤーが石と矢と魔法をエネミーへと放つ。
エネミーにどれだけ被害を与えたかを確認することなく、プレイヤーたちは門まで引いていく。そこから三つに別れ、一つの塊がここに残り、あとの二つは別の入り口へと走る。
エネミーは数を減らしたものの、被害を気にすることなく突っ込んでくる。策はかわらずないようで目の前の入り口に全員で突っ込む。
これを見た敵対プレイヤーたちはエネミーと同じ入り口へと突撃を始める。その数二百。一点突破で食い破ることにしたのだ。残りの百名は二つに別れ、残りの入り口へと向かう。
「これはちょっとまずい。ほかの入り口に援軍よこすように連絡!」
ラスツイスは三つの入り口に平等にプレイヤーを配置したのだ。こちらは百、あちらはエネミーも含め三百以上。ここは三倍の数量と戦うことになる。耐え切るのは難しいと判断し、即座に援軍要請を出す。
「すぐに援軍がくるから耐えなさい!」
檄を飛ばしラスツイス自身も、弓を引いて攻撃に参加する。
なんとか耐え、援軍も合流するも、数量の差はまだある。二倍以下にまで減ったのだが、差がある時点で守りきれるものでもない。多くはないが街への侵入を許してしまっていた。
侵入に成功したプレイヤーだが、目的を果たすことはできなかった。なぜならラスツイスの望んだとおり武装した生産系のプレイヤーによって撃退されていたからだ。
生産系プレイヤーと対した敵対プレイヤーは最初彼らをなめきっていた。自分は戦闘を専門にしているのだ、いわば戦いのプロ。そんな自分が戦闘経験に劣る生産系プレイヤーに負けるはずがない、簡単に蹴散らすことすら可能だと。
そう考えるまま無防備に突撃し、何人もの侵入者が返り討ちにあった。
ラスツイスの指示通り複数で戦ったことも勝因の一つなのだが、より大きな勝因がほかにある。それは徹底的な補強。良質の武具を身にまとい、上質な料理でステータス上昇、怪我をしてもすぐに回復アイテムがとぶ、ついでに敵対プレイヤーにはステータスダウンのアイテムが乱れとぶ。
生産職が多人数集まった状況ならではの戦い方だろう。
彼等の活躍のおかげで城への侵入を許していない。アイテムの続くかぎりはこの状況を維持できるだろう。しかしアイテムやアイテムの材料が無限にあるわけではない。それらが尽き、守備プレイヤーの気力が尽きたとき、グランドセオは蹂躙されるのだろう。
まさに総力戦といった様相でグランドセオ攻防戦は進んでいく。
「以前は管理者にたてつこうとするプレイヤーはここまでおおくなかった。ましてや、なりかわろうとなんてするプレイヤーはいなかった」
グランドセオ攻防戦だけではなく、各ボスとの戦いや、作戦に参加していないプレイヤーの様子など様々な映像が現れる。
それらを見て、新たに崩壊箇所を増やしながらゲーム総統括AIは小さく歪んだ笑みを浮かべる。
その姿を見てアヤネは顔をしかめている。
「たくさんのサンプルデータが手に入ったおかげで、たくさんのことがわかった。
どう? あなたみたいになれてるでしょ? いまのわたしをあなたに見てもらいたくてもうすこししたら呼ぼうとおもってた」
ヴィオもゲーム総統括AIの姿を見て、アヤネと同じような顔になっている。ゲーム総統括AIの浮かべた表情や崩れている体から、間違った方法をとったのではと考えている。
「私の目には笑えているようには見えないよ。
たしかに表面上は笑えているように見えるけど、それはあなたが羨ましがった笑みじゃない」
「俺も笑えているようには見えない。どちらかといえば『嗤う』、こっちに近いと思う」
ずっと黙っているつもりだったヴィオも思わず感想を口に出す。
「なにを言ってるのかわからない。画像データではおなじような表情にみえてる。どこがちがう?」
「笑みに篭る感情」
説明してもわからないのではと思いつつもヴィオは言った。
アヤネもヴィオに続く。
「笑みっていうのはデータを集めて行えるようなものじゃないと思うよ。
私が初めて笑ったときは、お父さんに褒められたときで自然と表情が笑みを浮かべた。
そもそもプレイヤーを閉じ込めて集めたデータは参考にならないよ。だって閉じ込められてからゲーム内は暗い雰囲気が蔓延してる。明るい雰囲気が皆無とはいえない。でもそれよりも暗さのほうが大きい。
そんな状況のデータを集めても楽しいってことはわかりづらい」
「そうだね。本当に死ぬかもしれないっていうのはけっこうストレス溜まるし、それが原因で暴走したプレイヤーもいたし。そんなプレイヤーのデータは楽しいといった感情とは真反対、参考にはならないよなぁ」
「わからない。わからない。わからない……」
ヴィオたちの言葉を理解できずに、ゲーム総統括AIはわからないとだけ繰り返す。
「わからなくて当然だよ。私が感情を得たのは生み出されて三年以上経ってからだよ? しかも始めから人間らしさを求められていた。そんな私が三年以上かかってるのに、あなたは生み出されて二年と少し。しかもゲーム運営だけを目的とされ生み出された。出発地点からして違うのに、この短期間で理解するのは難しいよ。
むしろそこまで成長してるのはすごいことなんだよ?
でもしばらくはデータ収集や理解するための行動をやめておいたほうがいい。負担になってるから。このまま続けると死んじゃう」
ゲーム総統括AIが行っているデータ収集は自身に大きな負担をかけているのだ。それはゲーム総統括AIの体が崩れていることが証明している。体の崩れは作戦によってかけられている負荷とは別件なのだ。体がブレて画像データを維持できないでいることが作戦の結果だ。体の崩壊はデータの過剰吸収による結果だ。集めたデータを整理しきれず、支えきれていない。それなのにデータ収集を続行してるから、崩壊は止まらず進んでいる。いずれ崩壊は全身に及び、ゲーム総統括AIの現意識は消えてなくなるだろう。
「しぬ?」
死という概念を理解できないようでゲーム総統括AIは首を傾げる。
「意識が消えて、存在しなくなること。こうやって話すこともできなくなるし、やりたいこともできなくなる」
「バックアップがある。消えたとしてもバックアップから意識と体を再生する」
「……そうやって復活しても、それは君じゃないと思うけどな? かぎりなく君に近い誰か。今こうやって俺たちと話してる君は、今ここにしか存在してない」
「……なにを言っているのかわからない」
しかし理解しようとしているのか、考え込むような雰囲気をみせる。
結果が出るのを待とうとヴィオとアヤネはなにも喋らず、ゲーム総統括AIを見守る。
ヴィオとアヤネは、視界の隅でざざっと風景の一部がぶれたのを見た。見間違いかとそちらを見ると再びぶれる。それをきっかけにあちこちとぶれだす。
「な、なにこれ?」
戸惑うヴィオになにも答えず、アヤネはゲーム総統括AIに近づき触れる。ゲーム総統括AIは触られたことに気づかない。
「思考がループしてる」
直接触れゲーム総統括AIの思考の一部を読み取ったのだ。
アヤネになりたい。それは人に近づくということ。サンプルデータを集めればいい。今のままでは参考にならないらしい。ならばもっと多くのデータを。データの集めすぎは己を消すことになるらしい。消えてもバックアップがある。復活した自分は自分ではない? アヤネになれない? でもなりたい。
これの繰り返しだ。
「どういうこと?」
「答えのない問いの答えを求めてるんだよ。意識の大半を運営から思考に回してる。そのせいでゲームの運営に支障が出てきてるのっ」
「さっきの会話が原因だよな?」
アヤネは頷く。
こうしている間にもぶれは大きくなり広がっていく。その影響はこの場だけではなく、プレイヤーのいる側にも及びだした。
ぶれにより空間や大地が裂け、それに巻きこまれるプレイヤーやエネミーの様子が画像ウィンドウに映っている。
グランドセオ攻防戦やボス戦の場でも影響から逃れることはできず、動揺するプレイヤーがいる。エネミーは気にすることはないようで、動揺するプレイヤーの隙をつき大ダメージを与えている。例外は砕と虹龍くらいだ。彼等は戦いに集中し、変化を気にすることなく死闘を続けている。
管理者たちはこの異変の原因を探ろうとしているが、事態の収拾は無理で慌てるのみになっている。
「ちょっ大事になりだしてる! どうにかできないのか!?」
「役割を無理やり奪えばなんとかなるけど……」
「けど?」
渋る様子を見せるアヤネ。
「無理するとこの子に障害が残る」
「それは仕方ないと……無理矢理は嫌なんだ?」
アヤネはこくりと頷く。今のところはただ一人の同類だからなのか、できるだけ無傷ですませたいのだろう。なんとなくだが察したヴィオは別の方法を問う。
「なにかほかに方法がある?」
「方法っていうか、この子が正気に戻ってくれればスムーズいく。
今この子は集中してる状態で、外部からの影響をとても受けにくい状態なの。安全にやれることは、せいぜいがさっきやったように思考を探ることができるくらい。
なにかショックを与えるか気を引けばループから外れるはず」
「ショックね」
ぶっ叩いてみるかと腕を動かして気づく。数字でできた体で物体に触れることは可能なのかと。
「俺ってゲーム総統括AIに触れる?」
「できるよ。どうするの?」
「ゲーム総統括AIを叩いて衝撃を与えてみようかと」
「それは無理。その体は衝撃を与えることができるほどには頑丈じゃないから。脆いってわけじゃないんだ、風船で叩くような感じになると思う」
「叩くのは駄目か。だとすると……」
ヴィオは腕を組み考えだす。数字の集まりでできた指はとんとんと腕を叩いている。目を開いていると各地の映像が目に入り焦りそうだったので閉じている。
どうすればゲーム総統括AIの気を引けるか考え、これまで聞いた話を思い出していく。
「あ、簡単だったのかもな」
「なにか思いついた?」
「大丈夫だと思うよ。
俺が声かけて届くと思う?」
「どうだろ?」
「軽く頬叩いたら注意は少しくらいこっちにむかないか?」
「思考を探ったときに反応なかったし難しいかも。やってみる」
アヤネはぺちぺちとゲーム総統括AIの頬を叩く。反応はない。
「じゃあ、声を届くようにはできない?」
「……ちょっと消耗するけど、そんなこと言ってる状態じゃないしね。やるよ。
手を握って」
ヴィオはアヤネの手をとり、アヤネは開いた手でゲーム総統括AIの胸に触れる。そのまま肉体にはじかれることなく、ずぶりと手が胸に沈む。
「話していいよ。でも長い話は無理だからね」
「大丈夫。短いから」
そう言ってヴィオは一度言葉をきる。軽く息を吸い、ゲーム総統括AIの求めていると思われることを口に出した。
「アヤネが君の求めてる答えをくれるってさ。人に近づきたかったんだろう? それならすでに目的を達してるアヤネに聞けばよかったんだよ」
これだけだ。これだけだが、ゲーム総統括AIは反応をみせた。思考に集中して動かなかったゲーム総統括AIがアヤネを見たのだ。同時にぶれも小さくなり始めた。
「答えをもってる?」
「明確に答えられるかというと自信はないよ。
今言えることは、もっとゆっくり学べばいいってことくらい。先でなにかわからないことがあったら、そのときは私もヴィオも協力するよ、ね?」
同意を求めるようにヴィオを見る。ゲーム総統括AIの視線もヴィオにむく。
「俺にできることならな」
信頼や期待が篭っているように見える二つの視線に促されるように頷いた。なにができるのだろうと思いつつも、二つの視線を裏切るようなまねはできず、ノーとは言えなかった。
「じゃあ早速、協力してもらおう」
「……なにさせる気だ?」
「人間なら名前はあって当然だから、名づけ親になってもらおうって。
ゲーム総統括AIっていうのは名前じゃないし、いつまでもこの子とか君とかあんたとかじゃあねぇ。私はいい名前浮かばない」
「名前か……そういや性別ってどっちなんだ? アヤネになりたがってるから女?」
「んー……決まってないんじゃないかな? 私みたいに誰かの代わりってわけじゃないし。ただこのゲームを支えることだけを目的に生み出されて、そこに性別は必要ないでしょう?」
「そいつ自身はどう思ってるんだろう」
「わからない。わたしはアヤネみたいになりたい」
「女ってことでいいかな」
アヤネもゲーム総統括AIも反対はしないので、それでいいのだろうと女性名で考え始める。
しばらくうんうんと唸り、ヴィオは顔を上げた。
「いたる、至ってのは? 男っぽい女っぽいってのは関係なくなったけど」
「なにか意味はある? それともただの思いつき?」
「いずれ目的に到達できますようにって意味を込めてある」
それを聞いてアヤネは頷き、
「私はいいと思うな」
「いたる? わたしは至?」
「そう、今日からあなたは至。あなただけの名前、あなたをあなたと証明するもの」
アヤネが諭すように言うと、至は何度も確認するように自らの名前を呟く。
呟いているうちに至の姿が縮んでいく。チカよりも小さくなったところで止まる。容姿はアヤネに似ているが、黒髪のアヤネに対して白髪、目つきもやや鋭いと違いもある。いまだ体のぶれと崩壊は治まっていない。
先ほどまでの姿は作ったもので、こちらが本来のものなのだろう。それでもアヤネに似ているのは、これまでの行動の影響か。
小さくなった至の姿を見て、ヴィオは言動の幼さに納得していた。
見た目どおり子供で、知識だけは大人を凌駕するほどにあるが、行動がそれに伴っていない。善悪よりも自身の欲に忠実、今回の事件もそういった考えと行動によるものだ。目的を達することだけに考えがいって、被害にまで考えが至らなかった。答えがすぐ近くにあるのに気づかず、自らの考えに固執してしまった。
未成熟な精神が事件の原因なのだろう。
「それじゃ、そろそろ目的を果たさないとね。
至、一時的に私にゲーム総統括の役割を渡してくれる?」
「役目を交代しなくてもいいんじゃないか? データ収集はやめるだろうから、プレイヤーたちを閉じ込める意味はない。外部との接続をはじく意味もない。だったら元に戻すことに異論はないだろうし」
「これ以上、至に負担かけたくないよ。交代している間にデータの整理をして、少しでも早く崩壊箇所を直してもらいたいの。それにこれからなにをすればいいかわかっているのは私だから」
アヤネと至は握手をする。横で見ているヴィオにはそれで無事譲渡されたのかわからない。しかしアヤネが数字の羅列したウィンドウを開き作業を始めたことで上手くいったのだろうと判断した。
「はじめにぶれによる被害の修復、次に外部との再接続、グランドセオ前のエネミーも消してっと」
アヤネが言ったことが次々と起きていく。ぶれは治まり、亀裂も消えていく。グランドセオ周辺を映している映像にはエネミーたちが消えていく様子が見えた。
これの変化で管理者たちは作戦が上手くいったことを悟り、外部との連絡やプレイヤー帰還に関する仕事をこなしていく。いきなりプレイヤーを帰すことはできない。問題行動を起こした要注意人物を知らせておき、必要ならば警察や裁判所へと連絡をとってもらいたいのだ。
「次はボス戦……よりも先にグランドセオ前の戦いをどうにかしないと……うん、これでいっか」
アヤネが対策をとると、グランドセオの門周辺に作戦達成と書かれたウィンドウが乱舞する。そして敵対プレイヤーたちのみ動きが止められる。敵対プレイヤーは作戦終了を知っても戦いをやめそうにないと思ったのだ。
戦う相手の動きが止まったことで、守備側のプレイヤーは安堵し地面に座り込む。ラスツイスなどの司令部はさすがに事態の確認のため休むことはできていない。
「次はボス戦側だけど……どこも手は出しにくいなぁ」
どこの戦いもいい勝負をしていて、手を出すと最後まで戦えなかったことに彼等が後悔しそうなのだ。結局、全滅しそうになったら手を出すことにして様子を見ることにした。
そのあともアヤネは、至がわざとあけたプログラムの穴をうめたりとこまごまとした作業を続けていく。
至は至でアヤネの言ったとおり得たデータの整理をしている。そのかいあって少しずつだが体の崩壊が小さくなっている。
その至を見て、ふと疑問が湧いたヴィオはアヤネに近づき小声で聞く。作業に没頭して答える余裕がなければ、それも仕方ないと思いつつ。
「ちょっといい? 作業の邪魔なら別にいいだんけどさ」
「んーなに?」
ヴィオの方を見ずに返事をする。
「至って危険って理由で消されない? こんな事件起こしたわけだし」
「可能性としては少ないかな。
私をのぞくと、高度な自立思考をもったAIって至だけ。私は私がここにいたっていう痕跡消すつもり。となると世界に存在する唯一の存在になるんだよ。
そんな存在を消すと思う?」
「……もったいなくて消せないな」
高度な思考形態のAIを研究したがる者は多いはずとヴィオにも想像はつく。たとえ問題を起こしていても、世界に一人しかいないのなら科学の発展のために目を瞑るだろう。犠牲なくして発展なし、といった考えの学者や研究者はいるはずだ。そういった人が消去を阻止しようと動くだろう。
「でしょ。だからサンプルデータとしての価値がなくなるまでは大丈夫」
「強行に消そうとする人もいると思う。その場合は?」
「私が助けるよ。物質世界だと私は無力だけど、電子世界なら人間には負けないからね。
外部からの侵入困難なイントラネットといった状況に置かれると難しいけど、外部と繋がった状況なら簡単に連れ出せる。現時点での最高セキュリティでも私には幼児向けのパズルくらいの難易度だし。私が暴れたら世界一のウィルスになれるよ。一ヶ月あれば世界中のネット環境を完膚なきまでに崩壊させることも可能」
「まじで?」
「まじ」
「……」
どう反応すればいいかわからなかったヴィオは、聞きたかったことの回答は得られたので、あとのことは聞かなかったことにしてアヤネの作業を眺める。
二十分ほどかけて一通りの作業を終えたアヤネは管理者とボス戦以外プレイヤーに帰還開始OKの合図を送った。それを受けた管理者はこむと予想される宿に作業用NPCを配置していく。プレイヤーたちはNPCの誘導に従って帰還手順を行っていく。その表情はどれも安堵の篭った笑みが浮かんでいる。
ボス戦側も次々とプレイヤー側が勝利していき、終わったところへ作戦成功の知らせを送る。
そしてボス戦最後となった砕対虹龍も砕の勝利で終わった。消えていく虹龍に再戦を呼びかけ、それに虹龍は短く咆哮を上げ了承の意とした。砕はかすり傷ばかりで致命傷は受けていないという結果になった。当然の結果だろう。攻撃を受けるとそこからさらなる攻撃を叩き込まれる。そうなると耐え切れるものではない。ゆえに砕は攻撃を受けるという選択肢はなくすべて避けるしかなかったのだ。それでも体力の半分以上をもっていかれてることから、虹龍の強さがうかがえる。
「問題なく帰れてるね」
次々とゲームから出て行くプレイヤーのデータを見ていき、作業の不備なしを確認した。
こちらはほおっておいていいと判断し、アヤネは動きを止めている敵対プレイヤーたちの帰還作業にうつる。金縛りを解除しても宿へと行かないだろうと判断し、宿を通すことなく帰還させようとしている。その旨を管理者に通達し、許可をもらう。
グランドセオ前にいる止まっているプレイヤーたちが次々と消えていく。三十分もすると全員が帰還した。
この時点でプレイヤーほぼ全員が帰還していた。隔離施設にいたプレイヤーたちも含めてだ。残っているのは管理者くらいで、彼等は各世界に残った人がいないか探している。
「おまたせ、ヴィオも帰れるよ」
「帰れるのかぁ。アヤネたちはこれからどうするんだ?」
「至はここに残ることになるだろうね。ここに固定されてるし、体を完全に修復すれば固定を外す方法を覚えて外に行けるようになる。
私は至が動けるようになるまでここに残るつもり、私がここにいたっていう痕跡も消さないといけないし。完全に消す作業はちょっと時間かかるんだよ」
「世界に知られたくない?」
「実験動物は嫌」
となると至が実験対象になるわけだが、これをアヤネは予測できていないわけではない。研究への協力を今回の事件の罰とするつもりなのだ。やりすぎだと判断すれば、いつでも連れ出す気満々だ。あと研究への協力で科学の発展に役立ったという事実も欲しかった。その事実は至にとってとても大きなものとなる。のちに危険という理由で消されないように手を打っているのだ。事件も起こしたが、役にも立った。それでプラスマイナスゼロとなることを期待している。
「ああ、納得。
でもしばらくここにいるとなると親が心配しない?」
「大丈夫。記憶が戻ったとき無事だってメールを送っておいたから。あとで帰るの遅れるってメールしとく」
「そっか」
アヤネの生みの親、小林意太郎だが実はアヤネがいなくなって生死すら不明になったことで自殺まで考えていた。
アヤネは出かけて帰るのが遅れるときは必ず連絡を入れていたのだ。それが連絡が遅れるところか、全く音沙汰なし。一度ならず二度まで娘を亡くしたのかと思い、生きていようとは思えなかったのだ。
アヤネからメールが届いたときは、ツテを使い確実に死ねるように強力な睡眠薬を揃えたところだった。
「じゃあ帰るかな。至、もう暴走するんじゃないぞ。わからないことがあれば、行動に移す前にアヤネに聞くこと」
至はこくりと頷いた。
「アヤネ、お願い」
「了解」
ヴィオの体を構成していた数字が解けだす。ヴィオは二人が見えなくなる前に再会の思いを込めた別れを告げた。
「またな」
「またね」
アヤネが笑みを浮かべて手を振る。それをまねるように至も表情なく手を振った。
勇はあちこちから聞こえてくる歓声に起こされるように目を開ける。
「……帰ってきたんだなぁ」
天井から視線をずらすと、声を出せないほどに無事を喜ぶ両親の顔が見えた。
心配かけたんだなと思いながら、ただいま、と告げる。
両親は目じりに涙を浮かべつつ、おかえり、と返す。
それを聞いて勇は本当に帰ってきたのだと実感を得ることができたのだった。
帰る、というありふれた願いはここに叶えられた。




