それぞれの戦い
時は止まることはない。待ち焦がれても早まることなく、拒絶しても止まることなく、誰もに同じ早さで流れ行く。
準備に追われ、忙しく動き回っていた管理者とプレイヤーはついに12月25日をむかえた。
三日前からグランドセオに人が集まっていた。作戦決行当日である今日、その数は三千人ほどに達していた。全プレイヤーが集まったわけではない。人任せにした者、作戦を信じなかった者、そのほかの理由で来なかった者もいる。だが作戦を実行するにあたって十分といえる人数がそろったと、ラスツイスをはじめとする司令部や管理者は考える。
彼らはグランドセオに集い、管理者が開放した空き家で英気を養っていた。グランドセオは二万人を収容可能なのだ。まだまだ空き家に余裕はあった。
今日までグランドセオは祭かという賑わいを見せていた。作戦決行時間に近づくにつれ、街の熱気は高まっていく。
そしてプレイヤーは管理者の誘導に従って、グランドセオそばに作られた会場に移動し開始宣言を待つ。
10時となりラスツイスが櫓へと上がり、眼下にいるプレイヤーを見下ろす。今この場には戦闘職と生産者がごっちゃにいる。この宣言が終わった後、生産者は街に戻り作戦成功を待つことになっている。
すうっと息を吸い込み、腹に力を入れてラスツイスは口を開いた。凛とした声が三千人全員の耳に届く。
「多くの者には、はじめましてだ。プレイヤーキラー討伐戦に参加した者には久しぶりと言おうか。
今回の作戦の総司令を務めることになったラスツイスと言う。名前は覚えなくていい、今日限りの関係だからな。
再びこういった舞台に立つことになろうとは思っていなかった。前回のことで私は懲りていたんだがな。
皆も知ってのとおり、今回の作戦は私たちが帰るために必要なものだ。
やることは簡単だ。戦えばいい。戦って戦って戦って生き延びることが、君たちに課せられた任務だ。小難しいことは私たち司令部と管理者に任せておけばいい。
君たちは今までに培ってきた力をエネミーに叩きつけろ! 遠慮などはするな! 全力を搾り出しっ今日という日を戦いぬけ!
さすれば管理者が帰還のための道を築いてくれる!
思えばこの四ヶ月、長かったようにも思えるし、短かったようにも思えてくる。不安、不満、恐怖、連帯、安堵、いろいろなことがあった。君たちもそうだろうと思う。
だが誰もが胸に強く抱いている思いは、帰る。この一言に尽きるだろう。
帰る。それは誰でも当たり前に行える行為だ。特別なものではないありふれた行動だ。だがそれをゲーム総統括AIは私たちから奪った!
叫んでいいっ怒っていい! その思いを拳に、剣に、魔法に込めて帰還を邪魔するエネミーどもを蹴散らせ!
私たちの望みはありふれたものだ! 帰る! 今も待ってくれている家族にただいまと告げる!
ただこれだけなのだ! 欲望に満ちたものではない! 叶えることが難しいことでもない!
ならばっ私たちの望みが叶わない道理はない!
行くぞ! 我らは帰還を望む者! 誰にも邪魔などさせはしない!
今このときを持って作戦開始を宣言する!」
ラスツイスが剣を掲げ、同じように三千人のプレイヤーもそれぞれの武器や拳を掲げ、一斉に声を上げた。天を、地を、街を震わせ、遠く遠くまで響く。絶対に帰るぞと誓いの声を張り上げた。
司令部と管理者の誘導により、プレイヤーたちは九つの大型転送陣に移動していく。一つのダンジョンに二百人から三百人の団体に分かれていく。
まずは雑魚殲滅を目的としたプレイヤーたちが転送陣へと入っていった。彼らが入ったあとはボス対決組が入っていく。三十分後には三百人の予備役が残る。街に移動した生産者は四百人で、ダンジョンへと向かったのは二千三百人となる。その中にはブラーゼフロイントも含まれていた。
ここまでに行ったのは宣言と移動だけだが、問題が起きなかったわけではない。
司令部として参加していたギルドリーダーが早朝から二名行方不明となっていた。代表者がいなくなり慌てるギルドメンバーを司令部がなだめ、どうにか落ち着かせて送り出すということも起きていた。
いなくなった二名は今日までなにもおかしなそぶりをみせてはおらず、どうしていなくなったのか誰にも理由がわからない。ゲーム総統括AIの邪魔かとも考えられたが、邪魔をするならその二名だけではなく司令部ごと行方不明にするはずだ。わかっているのは二名とも、装備を整えちょっと出かけてくると言って帰ってこなかったということのみだ。これを聞いたギルドメンバーは司令部の話し合いでもするのだろうと、なにを怪しむことはなかったのだ。
ブラーゼフロイントの戦闘メンバー、アイオール、タッグ、リオン、デルカ、ミゼル、ヤートス、つばきが奇岩山の麓にいる。雑魚を一通り倒したという合図がくるのを待っているのだ。彼らはここのボス悪食トロルとの対戦メンバーに選ばれていた。
アイオールが適正レベルの53を超えているが、攻撃には参加せずサポートに回ればいい勝負ができるだろうと予想されている。アイオールのレベルは61、その次に高いのがタッグとつばきで48だ。一番低いのはリオンで34。このレベルだと下手すれば一撃死もありえるが、武器が弓矢なので常に悪食トロルの挙動に注意し遠距離攻撃を心がけていれば、一撃死はないだろう。
「ヴィオたち大丈夫かな」
「どんなことが起こるかわからないし、なんともいえないな」
アイオールの呟きを聞き取ったタッグが答える。
「設定されたボスとの戦いじゃないし、無事に目的をはたせるといいんだけど」
「アイオールさんっなにを話してるんですか?」
リオンがアイオールの腕に抱きつきながら聞いてくる。
「残してきた仲間は無事でいられるかなって」
「予備の人たちが守ってるんですし、大丈夫だと思う」
「そうね、守りが皆無ってわけでもないし大丈夫よね」
「そうですよ。
ところでアイオールさんは帰ってなにかしたいことあります?」
「急にどうしたの?」
「帰れるって思ったら、いろいろとしたいことが思い浮かんで。アイオールさんはどうなのかなって」
一番はお風呂に入りたいことだなとリオンが言っている横で、アイオールは少し考え込む。
「したいこと……心配かけた家族にただいまって言いたいね」
ほかのメンバーも同じ考えのようで頷いている。
「私は兄が一緒だから家族と離れているって感じがしないんですよねぇ。まあ、お母さんとお父さんに心配かけたってのはわかってるんですけど。
それでですね、したいことの一つにオフ会ってのがあるんですが、やってみません?」
「オフ会か。でも住んでる地域がばらばらで集まるのは大変でしょ」
「うん、それはわかってます。だからネット上のオフ会を開いたらどうかなぁって思ってます。互いの顔を見ながらなら、オフ会をしてる気分になれるんじゃないかな」
「ふむ……それもいいかもね」
「いいのか?」
タッグが口を挟む。中身を知られたくないのでは、と言外に含めている。
「これでも少しは成長してるのよ? 素顔さらすくらいなら大丈夫。むしろ皆の驚く顔が楽しみね」
リーダーとして過ごしてきたことはアイオールに負担だけを与えていたわけではない。成長の機会も与えていたのだ。アイオールはその機会を逃さず掴み、糧とすることができていた。精神的な強さを得て、性格の違いによる負担は軽減され、最近では少し余裕もあったくらいだ。いつぞやヴィオが言っていたように、アイオールは立瀬都の一部だと確信を持って言えるから、演じれなくなるという心配もしていない。
「嬢ちゃんがいいならかまわないけどな」
「タッグさん、もしかしてアイオールさんの素顔知ってる?」
会話を聞いていたリオンは、二人の会話の意味を理解できなくとも、わかる範囲で推理し問う。
「顔は知らんな。でも素性は少しばかり知っている。ヴィオから聞いた」
「ずるーいっ! 私も教えてほしい! アイオールさん教えてっ?」
「オフ会開けばわかることだよ。楽しみにしてなさい」
腕を引くリオンをアイオールは小さな笑みを浮かべてなだめる。
「わかりました。絶対オフ会開きましょうね?」
「ゆびきりでもする?」
それにリオンは頷き、小指と小指を絡めた。そこにほかのメンバーも小指を絡めていく。
「俺たちも楽しみってことだ」
きょとんとしたアイオールに、皆を代表しタッグが言う。再びふっと笑みを浮かべアイオールは指をふる。若干ふりにくいながらも上下にふって指を離す。
そこにタイミングよく、ウィンドウが開き連絡音が鳴る。
「あら、連絡がきた」
ダンジョン内の雑魚エネミーはほぼ一掃されたらしい。予想されたようにレコンキスタがいたようだが、準備が間に合い配布されていたアーマーブレイクのおかげで手強さを感じただけで、死者をだすこともなく無事に討伐できたようだ。
「出発するわよ」
最短ルートが表示されたマップを開いたままにして、アイオールは歩き出す。
ボスに向かう途中で出会ったプレイヤーたちにお疲れ様と声をかけると、頑張ってと返事が返ってくる。
奇岩山は木の生えていない岩山だ。けれども転がっている石や岩は、普通の岩山とは違ったものだ。貴重な鉱石の欠片が落ちていたり、肌を切りそうな刃のような石片が落ちていたり、触るだけで爆発を起こすようなものも落ちていたり、属性を帯びたものもある。それらは頂上に近くなればなるほど規模が大きくなっていく。武具関連の生産者には宝の山とも言われている。鉱物知識さえあるならレベルが低くとも、得た鉱石を持ってここと近くの街を往復するだけで、ある程度のお金を貯めることが可能だ。
アイオールたちはあっという間に頂上一歩手前までたどり着いた。道もわかっていて、なんの障害もなかったのだから当然なのだが、以前来たことのある者たちは一時間ほどでここまで登れたことに驚いている。
「あんたらがブラーゼフロイントだな?」
フォロー役のプレイヤーが歩いてきたアイオールたちに声をかける。
「そうよ」
「悪食トロルはこの先の広場にいる。健闘を祈っているよ」
「ありがとう。行ってくるわ」
フォロー役に見送られ、一行は頂上手前の小さめの広場に足を踏み入れた。
そこには朽ちた建物がいくつかと頂上へと至る登山道がある。そして広場中央に、メロンのようにも見える緑色した鉱石をかじる巨体のエネミーがいた。
大きさは三メートル弱。灰色の皮膚に、即頭部から生える二本の角を持つ。逞しい肉体を持ち、腕や足は丸太のようで、この場で一番の力持ちだろうと思える。特徴は高い防御に、高い体力に、怪力。遠距離からの魔法攻撃を主とするプレイヤーにとってはわりと倒しやすいボスだ。
広場に侵入した者に気づいたようで、鉱石を投げ捨て、かわりにそばに置いていた鉱石できた棍棒を持つ。
浮かべた笑みは、肉食獣が獲物をみつけたときに浮かべるものだろうか。一行を餌としか認識していないようだ。
「前衛はタッグ、つばき。デルカは遊撃っ。リオンとミゼルは悪食の動きに注意しつつ、前衛二人に当てないよう矢を放て! ヤートスは回復優先で補助を!
まずはタッグとつばきっ、でかいのぶちかましてやりな!」
全員から応っと返事が返ってくる。
タッグとつばきが走り、勢いそのままに左右からスキルアーツを叩きつける。
「スキルアーツ・ヘビークラッシュ!」
「スキルアーツ・豪一閃!」
二人の攻撃は命中し、悪食はダメージエフェクトをほとばしらせる。だがそれは大きなものではなかった。二人も武器を叩きつけたときの感触で悪食の防御の硬さを悟る。体格の小さなものならば吹っ飛びそうな攻撃を二発同時に受け、悪食はよろめくことすらしなかった。
今度は自分の番だと悪食が棍棒を真横に振るう。二人は屈んで避ける。頭上を通った棍棒が起こした風で、わずかに体が揺らいだ。ひやりと背筋に寒気が走る。そこにアイオールからの魔法がとぶ。
「スキルアーツ・マテリアルガード」
タッグとつばきの体に一陣の風がまとわりつき、鎧に吸い込まれていった。防御を上げる補助魔法だ。
一瞬遅れてヤートスからも魔法がとぶ。
「スキルアーツ・アヴォイドステップ」
こちらは回避力を上げる魔法だ。
悪食の攻撃方法はどれも近距離物理だ。高い筋力から繰り出される攻撃は、一撃受けるだけでタッグたちの体力を半分以上持っていく。そうならないための回避力上昇であり、避け切れなかったときのための防御力上昇だ。
全体攻撃を持っていないため全員に補助魔法をかける必要はない。
支援を受けた前衛組が一方的に攻撃を加えていく。一見有利に見える状況だが、与えたダメージはようやく一割を超えたところだ。それにボスだけあって一方的に攻撃できるほど甘くはない。
『ガアアアアっ!』
突如、悪食が咆哮を上げる。物理的な衝撃をも持った音は全範囲に広がり、アイオールたちの耳を痛いほどに打つ。
エネミースキルアーツ・ハウリングだ。効果は効果範囲にいる対象の動きを一時止める。抵抗は可能だが、適正レベルで五分五分といったところで、アイオールを除いた全員が抵抗に失敗している。
動きを止められた前衛組を見て、悪食は棍棒を振り上げる。フィスがタッグを起こそうと小さな手で頭を叩いている。フィスの努力むなしくタッグはまともに棍棒を受け、地に叩き伏せられた。つばきはなんとか防御が間に合い、膝を地につけるだけですむ。両者ともに受けたダメージは軽いものではない。
痛みに顔をしかめて立ち上がり、二人は悪食を睨む。痛みに怯えることはすでに乗り越えた二人だ。いまさら骨の砕けるような痛みをうけたところで、戦意を喪失することはない。それに仲間が背後で援護してくれるのだ、怯む気すら起きない。
二人が構えをとるまでリオンとミゼルが矢を連続して放ち、気を引き悪食の動きを止める。
一時停止から回復したヤートスが二人へと全快するまで回復魔法をとばす。
「これからだ」
「ああ、そのとおり」
タッグとつばきは気合を入れそれぞれの獲物を握る。タッグの肩当に掴まっているフィスも気合を入れた表情で頷いた。
「全力で立ち向かいなさい」
攻撃に参加できないアイオールが小さく声援を送る。
悪食の格自体は、以前戦ったレコンキスタジェネラルとほぼ同程度。ただしあのときはアイオールが攻撃の大半を担っていた。だからこそヴィオたちでも倒すことができたのだ。今回はそのアイオールが積極的に参加できないし、長引かせるという目的のためにはしてはいけない。わかっていても焦れる思いがあり、危ない場面を見るとつい手が出そうになる。その衝動に耐えながら、アイオールは杖を強く握り戦いに集中していた。
彼らの戦いはまだ続く。
ブラーゼフロイントが戦い始めた同時刻。グランドセオから北にある虹の谷で、最強対最強の戦いが始まろうとしていた。
虎タイプの獣人が腕を組み立っている。紺色の体毛で、閉じられた瞼の奥にある眼は鮮やかな蒼。鍛え上げられ引き締まった肉体は、過度な筋肉はついておらず、ひとたび動きだせばしなやかさと力強さを同時に見せつけるだろう。この獣人が砕だ。
砕のほかには、おしかけ弟子が一人離れた場所にいるだけで、ほかのダンジョンと違い静かなものだ。弟子は戦い方を今後の参考にするため同行したのだ。戦いを見たがった者は多くいる。しかし砕の気が散るという言葉を受けた管理者が二人以外の立ち入りを禁じたのだ。エネミーがいないのは管理者が禁じたことと関係ない。もとより虹の谷には虹龍以外のエネミーはいない。だから低レベルだったヴィオも虹龍に会うことができた。
砕の前には虹龍がいる。威風堂々とした佇まいから発せられる威圧感存在感はアイオールたちが戦っている悪食とは比べ物にならない。
以前虹龍と戦った者は首を傾げるだろう。威圧感が増しているのだ。以前は強いといってもゲーム内の存在でどこか空虚に感じられた。だが今は強さに相応しい威圧感をみにつけている。今の虹龍には遊びでも前に立ちたいと思わない者が多いのではなかろうか。弟子も離れていても体が震えている。
そんな虹龍の前に立ち、砕は笑みを浮かべている。歓喜からくる笑みだ。強い者と戦えるのが心底嬉しいのだ。強者と戦い勝つことで、己が強いということを確認できる。
虹龍はそんな砕にブレスで攻撃することもなく、動くことすらなくその場にいる。虹龍は覚えている。幾度も砕が自身に挑んできたことを。遊び気分だった多くのプレイヤーと違い、常に真剣に勝とうと挑んできた砕のこと。そんな砕にいまさらブレスで攻撃するのは無粋で無礼だと虹龍は考える。
ゲーム総統括AIが成長している今、それに付属する彼らNPCも成長し始めたところで不思議ということもないだろう。ゆえに虹龍の思考もありえないことではない。
「はじめようか」
こちらの言葉を理解しているだろうと確信を持ち、砕は声をかけた。
見合ってばかりだった砕は、なにかのきっかけを得たのか構えをとる。虹龍も依存はないようで、わずかに体をうごかす。白の鱗に虹の光沢がぬらりと反射する。
砕の手に武器はない。身に着けているものも動きを阻害しない簡素なもの。足には靴もはいていない。砕は己の肉体のみを武器として戦い続けてきた。そしてこれからもそれをかえるつもりはない。常時発動以外のスキルアーツすら使わないのだ。
外で格闘技の教本や運動の教本を読み、ゲーム内で体になじむまで反復練習。納得ができる動きとなったら、エネミーとの戦いで使い実践を経てアレンジを加えていく。砕の動きはすべてこのような努力で作られたものだ。
格闘技を使う砕だが、格闘技のスキル素質は天然や天才ではなく、秀才ですらなかった。スキル成長が100で止まり、そのことがわかっても砕は格闘技にこだわった。
外での自分が病弱で、強い肉体に憧れがあった。だから素質がないくらいで格闘技を放り出すようなことはしなかったのだ。今の体でも外の体とは比べ物にならないくらい優れている。それで満足できていたのだ。あとは鍛え続け、高みを目指す。それだけしか頭になかった。
壁をものとも思わず鍛え続ける砕は一つの恩恵を得た。それは特殊スキル。特定条件を満たすことでスキルポイントを消費しなくとも発現するスキル。その一つ、名は『努力』。効果は、鍛え続けていれば素質に関係なくゆっくりとだが対象となるスキルレベルが成長する、というもの。管理者が、これを発現させる者はいないだろうな、と思いながらもゲーム内に組み込んだスキルだ。それを砕は見事に発現させたのだ。
砕が走り、拳を虹龍の鱗に叩きつける。並の武器どころか業物すらはじくことがある鱗に砕の一撃でひびが入る。
鍛え上げた肉体は砕の誇りだ。己の拳と蹴りに砕けぬものなどない、とすら自負している。だから鱗にひびが入ったのは当然のことだと考え、驕ることすらしていない。
『ルオオオゥっ!』
虹龍が咆哮を上げた。痛みからくる悲鳴ではない。エネミースキルアーツでもない。そこに込められたものは歓喜だった。
絶対強者である己を殺しうる相手に出会えたことが嬉しいのだ。闘争本能が満たされることを期待し、咆哮を上げた。
虹龍が初めて敵と出会えた瞬間だ。目に殺意が込められ砕を捉える。日常では向けられない感情に砕は臆することなく虹龍を見返す。蒼と濃紫の視線がぶつかりあった。
目と咆哮に込められた感情を読み取り、砕も血なまぐさい笑みを浮かべる。
両者とも闘争を、血にまみれた、泥臭い、誇り高い、死力を尽くした闘争を目的として動き始めた。
彼らの戦いも始まったばかり。
さらに同時刻。ゲーム開発陣も動いていた。
一日前にゲーム内にいる開発仲間から連絡をもらい、作戦を知ったゲーム開発者たちは集められるだけ人を集めて、パソコンも用意しこれから行うことを説明していった。
プレイヤーたちを助けると知った彼らは気合をいれ、パソコンを立ち上げ準備を整えていく。
純粋にプレイヤーを助けたいと思う者、事件による汚名を少しでも返上しようと思う者、糾弾によって溜まった鬱憤をはらそうと思う者、といった様々な考えを持つ者の中にチカの父親、斉藤隆もいる。
彼は財布からチカの写真を取り出し、モニターのそばに置く。
「父さん頑張るからな」
小さく呟いたつもりだったが、隣に座る同僚に聞こえていたようだ。
「チカちゃんも入ってたんだったな。
寝ている体のほうには奥さんがついてるのか?」
「ああ」
「そっか俺たちは俺たちのできることを頑張らないとな」
中にいる管理者から合図が届く。
「皆っ準備はできてるな!?
ではっ干渉開始!」
合図により、一斉にキーボードを叩きだす。斉藤も一心不乱にキーボードを叩く。
彼らの戦いも始まったばかり。
プレイヤー、管理者、開発陣、彼らの動きは事態を直接解決へと導くものではない。
だが彼らが頑張れば頑張るほど、ゲーム総統括AIに負担がかかり、アヤネが楽に動けるようになる。
だから彼らの働きは決して無駄ではないのだ。
帰還へと続く確かな努力だ。




