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タイムマシンに乗って

パラレルワールド もしくは 認識の問題

         -例示1-


 A国はその高原を自分の領土だと言う。B国もまた、その高原は自分の領土だと言う。その高原は昔から自国の領土だと、C国も同様に、主張する。



         -例示2-


 上司は思う。

 コイツはなぜ、ワシの言うことを聞かない。

 上司には絶対に従う。それがサラリーマンだ。上司であるワシの言うことは、お前にとっては神の言葉だ。黙って従うからこそ、コチラも引き上げてやろうという気になるってもんだろう。

 少しは後輩を見習え。

 いつでもハイハイとかわいいもんだ。

 もっともワシは、実力があったから上司に逆らっても今の地位まで登って来れたがな。フフフン。


 部下は思う。

 なぜこんな理不尽な扱いを受けるのか。

 オレは正しいことをしている。正しいことを言っている。アイツには何の才能もない。とてもできないことを押しつける。自分のミスは決して認めない。自分が言ったことを、まるでホントに忘れたかのように強弁する。

 理解できない。

 ただ年功序列で昇進させてもらった能無しのくせに。

 他に行くところがないから会社にしがみついている寄生虫のくせに。

 今度、後輩と一緒に部長に上申してやる。

 アイツがどれほど会社にとって有害か。

 後輩もハイハイと調子を合わせているが、アイツを毛嫌いしているからな。すぐに話に乗ってくるだろうよ。


 部下の後輩は思う。

 先輩もどうしていちいち逆らうかな。あんな才能のない人、適当にあしらってればいいのに。

 どうもシゴトというものを深刻に考えてるよな、先輩は。

 適当でいいのにさ。

 聖徳太子だって言っている。和を以て貴しとなすって。

 それが一番大事だろ。

 日本じゃ、さ。


 職場の雰囲気が悪い。

 全員がそれを、他人のせいだと考えている。



         -例示3-


 この野郎。あおり運転なんかしやがって。絶対許さねぇ。正義ってヤツがどんなモノか思い知らせてやる。

 車に乗っただけで強気になる卑怯モンがオレは大っ嫌いなんだ。

 こっちはドライブレコーダーだってつけてる。

 絶対許さねぇからな。


 なんなの、コイツ。

 軽のクセに。

 あたしをあおってんの?

 良い度胸ね。

 一生後悔させてやる。

 こっちはドライブレコーダーだってつけてるんだから。

 後で謝っても、絶対許さないからね。



          -1-


「君たちはシュレーディンガーの猫の話は知ってるよね」

 教授は壇上から学生たちに語りかけた。100人は入れる教室に、学生は30人程度しかいない。教授の質問に答える者もいない。

 そもそも教授が、学生たちに返事を求めていないことを、学生たちは正しく認識している。

「箱に入れられた猫が死んでいるか生きているかってアレだ。

 ミクロの出来事をマクロの出来事にまで拡張して、シュレーディンガーは量子力学の抱える矛盾を指摘しようとしたんだが、シュレーディンガー本人の意図に反したカタチでこの話は使われている。量子力学の不可思議さを表現した象徴的な話としてね。

 まぁ、これも私の理論の例示のひとつと言えるだろう。

 さて。

 シュレーディンガーの猫の話は別の解釈を生んだ。エヴェレットの多世界解釈だ。パラレルワールドと言えば判りやすい。

 観測することによって世界が分岐し、分岐した世界は独立して存在し、それぞれの世界は互いが観測できないという解釈だ。

 こんな面白い話にSF作家が飛びつかないワケがない。

 パラレルワールドを扱った作品は枚挙に暇がない。

 最近だと第91回アカデミー賞長編アニメ映画賞をとったスパイダーバースがパラレルワールドを扱った作品だな。

 後学のために私も鑑賞したが、あれは傑作だった。特にあの、スパイダーウーマンが最高だった。

 誰か見た人はいるかな?」

 最前列に座った女学生がひとりだけ小さく手を上げる。

「君だけか。残念だ。諸君ももっと映画を見た方がいいぞ。いくらネットで見られるからと言っても迫力が足らない。やはり大画面で見た方が……」

「教授。話が逸れています」

 さっき手を上げた女学生が、硬い声で教授を遮る。

「んん。そうだな、残念だが本論に戻ろう。

 そもそも観測とは何だろう。観測とは極論すれば見ることだ。我々はこの世界を見ている。

 同じ世界を。

 だが、本当に我々が見ている世界は同じなのだろうか?

 我々は本当に同じ世界を見ているのだろうか?」

 教授がプロジェクターを操作する。

「例示1。

 A国もB国もC国も、三ヶ国すべてと接する高原を自国の領土と主張している。

 もしかすると最初は、自分たちが間違った主張をしていると、いずれかの国は知っていたのかも知れない。もしくは、それぞれの国にそれぞれ根拠があって、三ヶ国とも本心から我が国の領土と主張しているのかも知れない。いずれにしてもそうと政府が主張している間に、国民は信じてしまう。

 彼の高原は古来から我が国の領土だと。

 よく真実はひとつと言うが、それぞれの国にそれぞれひとつずつ、三つの真実が存在しているということだ。

 例示2。

 このケースでも、上司、部下、後輩でひとつの状況が異なって認識されている。同じ状況を見ていながら、それぞれが異なる解釈をしている。

 まるで多世界解釈のようだと思わないかね?

 例示3。

 両者はどちらもドライブレコーダー装備の車に乗っている。客観的な証拠があると二人とも知っている訳だ。それなのに、どちらも自分が正しいと信じている」

 教授が学生たちに向き直る。教壇に両手をつき、身体を乗り出す。

「古いSFに、登場人物の視覚が入れ替わる話があった。読んだのは随分前でタイトルも作者も憶えていないが、視覚が入れ替わると世界の見え方が変わり、主人公の見る世界の豊かさにうたれたヒロインが……」

「教授」

 先程の女学生が、先程と同じ硬い声で遮る。

「SFの話はもう結構です」

 気まずさを誤魔化すように、教授が咳ばらいをする。

「あー。そうだな。何が言いたいかと言うとだ、我々は同じ世界に住んでいる。それは確かだ。

 世界というものは確かにひとつしかない。

 ところが量子力学的には、この世界が観測する度に分岐するという。本当だろうか?人が観測する度にこの世界が分岐するということは、それだけエネルギーが増えるということだ。この宇宙ひとつ分の。

 138億年、400億光年の広がりがあると言われているこの宇宙が、そんな簡単に増えるものなのだろうか。いくら相互に観測できないからといって。

 私にはとてもそうは思えない。

 しかし量子力学的にはそう解釈した方が観測事実と一致する。

 観測?また観測だ。

 観測しているのは誰だ。私だ。我々だ。君たち一人ひとりだ。

 話は少し変わるが、ちょっと考えてみて欲しい。

 我々は同じ世界を見ていると信じている。自分が見ている光景を、そのまま他人も同じように見ていると信じている。

 だが本当にそうだろうか?

 我々は他人がどのように世界を見ているか、知るすべがない。さっき話したSFのように、視覚を入れ替えるなんてことは現実には出来ない。

 つまり主観的な生き物である我々は、客観的には他の人々が見ている世界を理解できない。言い方を変えれば、他の人々が見ている世界を我々は決して観測できない、ということだ。

 一方で我々は、例示した様に、同じ世界を見ながらそれぞれ違った解釈をしていることは明らかだ。

 だとしたら。

 それが分岐なのではないか。

 世界の分岐は、我々一人ひとりの中で起こっているのではないか。

 同じ世界を見ているつもりで、我々は本当は、違う世界を見ているのではないか。否。そもそも我々は、違う世界に住んでいるのではないか」

 最前列の女学生が食い入るように教授を見つめている。彼女の無言の視線が教授に話の先を促した。

「つまり、我々はすでにパラレルワールド暮らしている。そういうことだ」

 退屈そうに欠伸をする多くの学生を余所に、教授はニヤリと笑った。



          -2-


 男がネクタイを締めている。教授である。

 女はそれをベッドから見ている。教室の最前列にいて、唯一発言した女学生である。

 男は違う世界に住んでいる。

 女はそれを知っている。

 男は家族のところへ戻っていく。自分はただの遊びに過ぎない。男と自分とでは、見ている世界そのものが違うのだと女は知っている。

 しかし、女は知っている。自分が見ているのとは違う世界を--男の世界を--自分の世界で塗り替える方法を。

 男自身が、今日、教えてくれた。

「教授。今度はいつ会えます?」

 甘えた声で男に話しかけながら、女は自分のバッグを引き寄せた。近所のホームセンターで買ってきたナイフをそっと取り出す。

 観測することで世界が分岐するのなら。観測することで男の世界があたしの世界から分岐するのなら。

 男が、観測できないようにすればいいのだ。

「しばらくは忙しいからね、今度、学会があ……」

 ネクタイを締め終え、振り返った男に、女は身体ごとぶつかっていった。



 愛してる。あなたを。本当に。殺してしまいたいほどに。

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