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生きるロボ  作者: 木下美月
一章 失くしたモノ
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 じいちゃんは、ミュージシャンだった。それも、五十年も前の。

 その当時は今ほどコンピュータも盛んに活躍していなかった。だからじいちゃんは自分で芸術を創作する最後の世代だった。

 それはもう少し昔の世代に比べれば深みは足りないのかもしれないが、確かに僕の憧れだったんだ。

 でも、今ではじいちゃんの世代は時代遅れの社会不適合者。皆んな老人養護施設に入れられて、くだらないレクリエーションをやらされている。中には、合理的に回る世の中に上手いこと適応している人もいるけど、それは僅か。

 僕はじいちゃんの話が好きだったのに、高齢者と若者が語る場はもう殆どない。時代に置き去りにされた人間は無慈悲に淘汰される。僕の両親ですら、じいちゃんの事をよく思ってなかったし、僕をじいちゃんに近付けないようにした。

 冷徹な人間たちだ。

 さっきのニュースの奴を庇うつもりはないけど、彼は世の中に何かを訴えたかったんじゃないか。快楽殺人鬼なら隠れながらやる。しかし今回の事件は目立つ事を敢えてやった様だ。そもそも反社会的人格者は皆んなそうだし、こんな事公に言えないけど、僕もその気持ちがわかる。

 でも、反乱分子は徹底的に排除されるのが、合理的なこの世界の常。


「クソ、犯罪者はどっちだよ!」


 マンションの階段を強く踏み鳴らして、アスファルトの上に着地する。そのまま感情に突き動かされて大股で街に向かう。アールは勿論着いてこない。一日に二度も気分を害されるなんて、ロクでもない人生だ。

 空を我が物顔で飛び、人を見下すように監視する無遠慮な治安維持ドローンを見上げて、僕は少し冷静になる。怒りのままに壁でも殴れば、僕の顔は直ぐに要注意人物として保存される。生き辛い世の中だ。

 じいちゃんが聞かせてくれた話をふと思い出した。

 凶悪犯罪者が村にやって来て、村人が一つの所に隠れている。そこで赤ん坊が泣き始めたが、静かにしないと凶悪犯罪者に見つかってしまう。そして、黙らせるために村人は赤ん坊を殺す。

 村人の判断は、多くの人間を守ったが、赤ん坊の命を奪った。じいちゃんは、赤ん坊を殺すなど心を持っていれば出来ないと言っていたが、現代に生きる人々は間違いなく赤ん坊を殺す側だ。その方が合理的だからだ。

 人間は人間の為に手段を選ばなくなってきた。より効率良く、より楽な方へ。感情によって判断を誤らせる事はない。感情は非合理的だと見られる風潮の中、感情に左右されて行動する人間はソシオパスと呼ばれる。代表的なのは怒りが制御出来ない人間だ。感情こそ人間の特性ではないのか。

 第一、外に出れば監視される僕らに人権はあるのだろうか。ロボットと人間の区別はないのか。しかしそんな事気にしているのも僕だけだ。

 皆がエラ呼吸で世界を泳ぐのに対して、僕だけは水面から顔を出して必死にもがいている。そんな疎外感にも似た息苦しさの中を、一体いつまで生きれば良いのだろうか。身体にまとわりつく重りに抗わず、一層の事どこまでも沈んでしまった方が楽なのではないか。

 アールが聞いたら説教をされそうな事を考えながら、僕はふと立ち止まる。飲食店が並ぶこの通りなら立ち止まっても文句を言う人はいない。

 見つけたスタンド看板は“カフェバーメロディ”のもので、夜六時からライブだと書かれている。今から五分後だ。


「こんばんは。もう直ぐ始まるけど?」


 開きっぱなしの扉から顔を覗かせたのは中年の人懐こそうな男性だ。僕は客になる事を今決めたから、きっと彼の笑みは継続されるだろう。


「参加させてもらいます。……ドリンクはコーヒーを」


 入店し、カウンターで入場料とドリンク代を支払ってから、右手側に向き直る。

 少し高くなったステージには、何処までも吸い込まれそうなブラックのグランドピアノと、客席の近い方に一脚の椅子が用意されている。


「お待ちどう。好きな席に着いてね。後方で立っていてもいいけどね」


「ここでは頻繁にライブを行なっているんですか?」


「ああ、名を売りたいインディーズのミュージシャンから要望があればこうして場を設ける。まあ、見ての通りの規模だから、弾き語りが主だけどね……さあ、始まるよ」


 店主からコーヒーを受け取り、ステージを半円状に囲う椅子の最後列の端に座る。

 間もなくステージに上がってきたのは髪の長い綺麗な女性だった。アーティスト名はシエルらしい。フランス語で空を意味するだとか、自分の音楽は本でも読みながら聴き流して欲しいとか、ありふれた自己紹介をした後に曲が始まった。

 内容は良かった。

 ピアノとアコースティックギターの落ち着いた音色に、彼女の透き通る声が耳に優しい。内容の薄い歌詞は英語が多く、良い意味で聴き流し易い。これは確かに、需要がありそうだ。静かなカフェに、洋食屋に、また、個人でもこういった曲調を好む人間は一定数いるだろう。

 もしかしたら彼女は既に生活できるくらい稼いでいるのかもしれない。

 インディーズとはいえ、曲が売れれば金になる。寧ろ大手のメジャーレーベルに所属して売上の何割かを搾取されるより、個人で販売した方が儲かる人間は多いだろう。特に、こうして自身を宣伝できる彼女の様な人間ならば。

 急に焦燥感が押し寄せてきた。

 僕はどうだ?

 彼女の様に時代に乗れてるか?

 金を貰える程の実力はあるか?

 夢?

 理想?

 それで明日の暮らしは成り立つのか?

 両親の遺産はいつ終わる?

 それが僕の寿命になるのか?

 僕は何者になりたいんだ?


 気付けば曲は終わり、パラパラと人は店を出る。無表情な人、満足そうな人。どちらが多いだろうか。どうにせよ、僕らが払った入場料の何割かは彼女に支払われる。更にこの中の何人かはシエルの曲を買うだろう。

 僕は、金が欲しいのだろうか、生きたいのだろうか、それとも、殺したいのだろうか、変えたいのだろうか。

 変えるだなんて傲慢だとわかっている。僕如きに何が出来るというのだろうか。今の人々に心がないわけじゃない。僕が多感なだけなんだ。そう考えれば、何も憂う事はない。例え誰も他人に興味を示さなくても、誰も他人に手を貸そうとしなくても、世の中は回る。

 僕はちょっとだけ、じいちゃんに汚染されただけで、アールが言ってる事は正しいんだ。きっとそうだ。だから“心に響く音楽”なんていう子供の愚かな夢の様な活動はやめて、人手の足りない企業に勤めた方が建設的じゃないか。僕の生活の為にもなるし。


「お……兄さん?ライブが終わったから通常業務に戻す為に一時間店を閉める。一旦退店してくれるかな?」


 いつまでも椅子から離れない僕に不思議そうに近付いて来た店主に、僕は立ち上がると同時に頭を下げた。


「一度だけで構いません……僕にもこの場を貸して頂けますか?」


 それは僕の思考が行った言動ではない。きっと、心に突き動かされたんだ。


「ああ、君もアーティストだったのか……一番近いのは来週の火曜日だ。その日の夜ならブッキングできる」


 諦めきれない僕の初の試み。僕を見下したバンドメンバーと共に小さなライブハウスを借りる事はあったけど、店の場を借りて全ての視線を独りで受け止めるのは、どれほどの重圧だろうか。

 ましてや批判が絶えない僕の歌は、観客に良い印象を与えないだろう。

 それでも僕は自分の決定に後悔していない。

 きっと、僕の人生で最後のパフォーマンスになるだろうけど、だからこそやらなくちゃいけない気がした。


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