3
「ただいま」
「おかえりなさい、ユキ。体温を測ろうか?」
僕は思わず吹き出した。気を遣ってくれているのはわかるけど、それ以外にアールに出来る事はあるだろう。余程僕が不健康そうなのか?
「それとも、アールも冗談を覚えたのか?」
「冗談を考えるソフトが搭載されているなら可能だが、私にはそれが無い」
やはり僕が不健康そうだったのだろう。
瞬時に僕を白けさせたアールは、悪気も無さそうにテーブルに食事を用意する。
「クールだねぇ……」
「私の内部に搭載された冷却ファンは、現在二メートル離れているユキには影響しないだろう」
「わかった、わかった。手を洗ってくるよ」
話の通じないルームメイトから離れて、洗面所に向かう。
狭い賃貸マンションだ。
鉄筋コンクリートのお陰で防音効果があるのは良点だけど、完全に一人暮らし専用の狭さだ。
リビングにキッチンとベッドがある。アールがロボじゃなかったらこんな部屋には住めない。
食事も睡眠も必要ないアールは基本、部屋の隅で立ったまま充電コードに繋がっている。だから殆ど僕の空間だ。
「駅前の専門店のサラダだ。ユキでも完食出来ると判断した」
「……まあこれくらいなら」
席について、僕は無言でフォークを手に取った。ロボットとはいえ、ダンディなアールを立たせたまま一人で食事をするのは少し居心地が悪い。外食の場合は無理矢理席に着かせるが、アールにとって、立っている方がエネルギィの消費が少ないんだ。だから態々僕と行動を合わせて座ったり立ったりするのは合理的じゃない。
「何か面白いニュースは?」
自分の咀嚼音がアールにまで聞こえてると思い、耐えられなくなった僕は特に興味もない事を聞いた。
ロボに気を遣う人間なんて僕くらいだろうから、アールは僕の気まずさなんて一切感知していない。
「ユキにとって面白いの定義がどこにあるかは未だ不明だが、大きなニュースが入った」
「続けて」
面白くなくても、ラジオみたいに垂れ流していれば僕も食事に集中出来る。
「反社会的人格者が新宿で刃物を振り回した。死者八名、重傷者二名。区域内の監視ロボが故障していた為、被害がここまで大きくなったと考えられる。また、ロボの故障は同一人物による犯行と見て、捜査が進められている」
「やるねぇ。全員を殺そうとしたなら八割が成功してるじゃん。ロボに頼り切った治安維持の欠点までついてる。頭が良さそうだけど、彼は死刑なのかな?」
「過去のデータを見ればそれは明らかだろう。しかしユキ、発言が物騒な事が最近多い。歯を磨いてきなさい」
きなさい、なんて命令口調をいつから使うようになったんだろう。きっと歯を磨いた後にお説教でもされるのだろう。
お腹いっぱいだから夜は何も食べなくていいだろうか。歯を磨きながらそんな事を考える。そういえば髪をそろそろ切ろう。
人の骨格や顔のパーツを分析して、似合う髪型や、髪型によってどの様に雰囲気が変わるのかもコンピュータが教えてくれる。それでも未だ、髪は人の手によって切られる。ロボットにはまだ繊細な動きが出来ないらしい。
だからアールもご飯は買ってきてくれるけど、作ってはくれない。
この様に多くの場所で機械化が進むけど、人は何処でも必要とされてる。人口は何十年も減少傾向だし、ロボットに出来ない事も案外多い。
でも、この歯ブラシを作るのに携わった人数はそんなに多くないんだろうな。
口をゆすいでから洗面所を出た僕は、片付けられたテーブルに戻り、アールが淹れてくれた紅茶で手を温める。もう直ぐ春が訪れるとは言え、手先は冷えやすい。
「ユキ、早い段階で言っておかねばならんだろう」
アールは緩慢な動きでテーブルの前に正座した。僕しか使わないソファは一人用で、一つしかない為だ。しかしそれがあまりにもぎこちないから僕はクスリと笑ってしまった。
「これから話すのは冗談ではない」
「わかってるよ。父さんの話?それとも母さん?」
「両方だ。ユキの両親が遺した財産に私が含まれた理由を教える。それを聞いて行動を改めて欲しい」
「ただ、所有者が子に変わっただけじゃなかったの?」
「ロボを買うなら好きなものを選びたいだろう。普通なら私を売って金に変換する。しかし私は常々頼まれていた事がある」
「早く言いなよ」
「ユキは反社会的人格者の素質がある。生れながらにして、そして母方の祖父の影響もあるだろう」
「じいちゃんを悪く言うなよ!」
「貶しているわけではない。どうか感情を落ち着けてくれ」
「なんだよ、感情が反社会的人格を作るって言いたいのか?わかってるよ、怒りっぽい奴はソシオパスの可能性が高いんだろう?」
「そうだ。しかし私はユキが犯罪者にならない様に側で見守る。それが私の元の所有者であり、ユキの両親の――」
「黙れっ!」
僕の命令に背けないアールはピタリと口を閉ざす。ロボットのクセによくも人間みたいに喋るな。
独りになってからずっと側にいてくれたアールだけど、今だけはこのガラス玉の様な目に見られていたくなかった。