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中部屋の子  作者: 本みりん
2/6

2日目朝


 午前6時頃に、どちらともなく起き出した。軽くうとうとしていた雪は、白んで行く世界を見て目を開く。不安や嫌悪感、倦怠感の狭間で揺れる。

 朝が来ている。今日は確か金曜日だ。彼は、学校に行くのだろうか。おそらくそうだと思う、それなら彼が帰ってくるまで会えない。今の彼とは会いたいとも思えない。

 けどそうすると私は長時間ひとりきりになってしまう。昨日の彼の様子では、ここから出させてはもらえないだろう。彼はきっと、本気だ。彼は私が思っていたような人じゃなかったのだ。彼と一緒にいるのも怖い、でも、ひとりぼっちも怖かった。もうベッドを降りて身支度している彼に、恐る恐る尋ねた。布団を頭から被って、顔が見えないようにした。


「川瀬くん、学校、行っちゃうの?」

「そうだよ。寂しいだろうけど」


 川瀬は事も無げに言う。本当に、私をここから出さないつもりだ。8時に家を出て、4時頃に帰ってくるとする。8時間だ。そんなに長い時間、一人で待っていなければならないのか? そう考えると絶望的だ。何をして待っていろと言うのだ。

 部屋の中で見る彼は、制服を着ているからかいつもと同じように見えた。きちんとアイロンがかかった白いYシャツが、彼にはよく似合っている。いつも綺麗に立つ彼の襟のY字が、私は好きだった。


 縛られていない今なら、不意をついて逃げ出せるだろうか。


 いや。無理だろう、この生活をいつまで続けるつもりなのかわからないが、ここに入れられて半日も経ってないのだから。せいぜいが2分の1日ちょっとだ。さすがにそこまで手薄なわけがない。部屋の構造もわからないし、これではどう逃げればよいのかも組み立てられない。

 それに下手なことをしたら、何をされるか分かったものじゃない。昨日のトラウマも残っていた。目を剥き、怒鳴り散らす彼の姿もまざまざと思い出せる。理性など放棄したような、獣のような姿。私の脳はこんな異様な状況で、そこまで冷静でいてくれない。ただの普通の中学生なのに。あの時を思い出すと、今でも胸がどうにかなってしまいそうだった。


「待って、雪ちゃん。布団から出ないで」


 彼はそう言い、ベッドの下に潜り込んだ。床と金属がこすれる音がする。そう言われた瞬間、身動きが取れなくなった。その鋭い言葉に、蛇に見竦められたかえるのように。

 彼はベッドの脚につながれた足枷を持ち出した。

 「足出して」と言われ、右足を降ろすと、脚にはめられた。また拘束されるのか。奇妙なことに、そうすると少し安心したような気がした。なぜだろう。昨日は私を縛りつける縄にあんなに怯えていたのに。

 これが服従しているという意思表示だからだろうか。服する自分を彼に示している? 腹を見せて撫でてもらおうとする、犬や猫と同じじゃないか。まさにペットだ。


 私はたったこの数時間で、ここまで成り下がってしまったんだろうか。少し悔しくて、少し悲しかった。

 同級生の、友達の男の子に、飼われているなんて。対等な関係だったはずなのに。足を動かしてみると、そう短くもない鎖が音を立てた。……なかなか、いいかもしれない。


「雪ちゃんも、お腹すいたよね……作ってくるから、待ってて。でも絶対に逃げないで」


 そうクギを刺して、彼は行ってしまう。逃げられるわけもないのに。やはり私を、絶対に逃がしたくないんだ。足をそっとなでた。彼によって閉ざされた空間。そういえば閉塞感から、息が苦しくなっている。息を吸う感覚を忘れたように、酸素が足りない。口を開いて深呼吸したけれど、空気が吸い込まれていくのを拒んでいるように、入ってきてくれない。

 死んでしまうかもしれない。次第にそんな恐怖が襲ってきて、胸を押さえてゼイゼイと言うようになった。一向に収まる気配がしない。苦しさのあまり足を暴れさせるけど、足かせが邪魔して動けない。声を張り上げて助けを呼ぼうとするけど、呼吸もままならない身では何もできない。埃が舞うのも構わずに、布団をバンバン叩いた。首を振る。誰か、気づいて……。涙が出た。

 音に気づいてやってきた彼が、駆け寄ってくれる。青ざめた顔をした私を、抱きしめてくれる。


 自由な両手で、私は抱きしめ返すことも突き飛ばすこともできた。今はとりあえず、やっとまともな息ができる。


「川瀬くん、……助けて」

「大丈夫だから。僕に従えば、大丈夫だからね」

「川瀬くん」


 彼に顔をうずめてワンワン泣いた。どうして泣いているのかも、正直、よくわからなかった。その後、朝食をふたりでとったけれど、気持ちは沈んだままだった。監禁なんてことをされているのだから、当たり前ではあるけど。気分が晴れる方がおかしな話だ。それに彼はそのうち、学校に行ってしまう。ひとりきりなんて、ものすごく不安だった。監禁なんておかしなこと、しないでほしい、でも、ひとりになんてしないでほしい。朝なのになにもかも暗く消えていく気がした。


 意識を失うのが怖くて、昨夜は眠れなかった。ベッドに倒れ込んで、目を閉じて、また開く。彼がいないからといって落ち着くことなんて出来なかった。

 彼が帰って来たとして、どうすればよいのだろう。また怒られやしないか、びくびくしながら過ごすだけだ。学習机を見る。勤勉で真面目な川瀬くんらしく、机はきれいに整頓されていた。問題集、難しそうな本、それにペンとノートが一通り揃っていた。それらに手を伸ばし、筆記具を取り出してみる。

 別に勉強は好きではなかったけど、数学は得意だった。高校レベルの問題から、頭の柔らかさが問われる難問もかなり解ける方と自負している。ちょうど今、手こずっている問題を思い浮かべてみる。椅子に座れるほど鎖が長くなかったので、布団の上に置いてみた。問題文を書き出し、図を書く。

 30分ほど頭を悩ませた後、簡単な計算問題をしていく。だんだん落ち着いてきた。こうやって時間を紛らわせばいいのか。

 それには、時間が余り過ぎている気もするけど……本もある。どのくらいここに留まることになるのか、ちっとも見当がつかない。でもそう何年もは耐えられないだろうが、数日間は大丈夫そうだ。頼めば、何かくれるかもしれないし。今日は、あとこれの16倍。多分……平気だ。一人は慣れていないけど、平気だ。そう思うことにした。

 彼が貸してくれたシャツはちっともサイズが合わなかった。当たり前だ。彼は普通の男性よりも大柄な身体なのに、それを私が着たらそうなるだろう。襟元が大きく開き、はだけて、半袖のはずなのに肘を越すあたりまで袖がある。襟を引っ張って、顔を口まで覆い隠す。彼の肌に馴染んだ服。きっとお気に入りで着ているんだろう。黒い生地。それを濾して息を吸うと、彼を思い出す。そういえば、ここに来る前には彼と何をした。何を話した。

 この部屋を、急に広すぎると思う。私一人で、ほかの空間はガランと空いてしまっていて、切ない。壁や机もみんな泣いているように思える。

 亡くなってしまって、遺品整理がされた人の部屋のように、何もない真空の空間。物はちゃんとあるのに、それは魂のない何かとして横たわるだけ。そのうち実体があるのかも分からなく、物と物の、自分と人の境目がぼやけてくる。今までの彼はどこに? 伸ばした指先が空気に溶けて、心地好く薄く広がった。いい。

 手を伸ばす。身体の中心まで、固い核のところまで溶けたい。瞬きすると溶ける感覚は消え失せ、周りの空気と私自身の手は全く別のものとして存在していた。溶けてなどいなかった。違った。

 遮光カーテンで暗い部屋では、物の影を判別できない。時計も見られないから、時間がわからない。頭がおかしくなりそうだ。呆然として立ち尽くして、ベッドに倒れこむ。

 そういえば寝ていなかった。暖かい部屋の誘いに勝てない。眠気混じりの涙が出てくる。切なすぎる。人の部屋で、さめざめと一人泣いているなんて。枕を濡らす。髪の乱れるのも気にしていられない。布団も被らずに、その内寝入っていた。夢を見ているように思った。

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