火傷の魔女と魔弾の射手
「頼まれたもの、できたよ」
魔女は注文の品の入った包みを目の前の青年に渡す。青年を尻目に魔女はパイプを咥えたまま呪文を唱え、火を燻らせる。煙を吸い、長く吐いた。
「私だってこの稼業は長いけど、こんな変わった仕事は初めてだったよ」
魔術は真理へ到達するための道だ、と自負している。
しかし神様と宗教を心の底から信じているこの世界において魔術は忌み嫌われる。だから私も魔女と呼ばれているしそれを訂正する気にもならない。
別に顔の半分が焼けただれてるから工房を薄暗くしてるわけでもない。世に関わるのが面倒なだけだ。
しかしこの時は好奇心によって気分が変わっていた。
魔女は青年に向かって、
「だからと言っちゃなんだけど、それが何なのか教えてくれない?」
青年は一瞬沈黙した後、
「武器だ」「どんな?」
「どんなに離れていても鎧を貫いて、一撃で人を殺せる」
青年はオートマチックピストルのスライドを引いた。
◆
「離れても、ってことは飛び道具?」
「ああ」
青年は魔女に一瞥すらくれず、手に握られたそれを念入りに操作している。
マガジンをグリップから引きずり下ろし、スライドを引いてロックをかけ、開いたバレルから弾丸一発を指で弾いて掴み取る。その弾丸を再びマガジンに嵌め込む。マガジンをピストルから抜いたままスライドロックを解除。引き金に指を掛け、絞るように撃つ。ハンマーがカチッと叩かれる。
動作確認の手順ですら、魔女にとっては理解の範疇を超えている。しかし儀式めいた動作と慎重な手付きを見る限りでは、戯れではないと直感的に悟る。
「安心しなよ。仕組みはわからないけど『完璧に治ってる』はずさ。魔術というのはそういうものだ」
青年は返事もなく黙々と「儀式」を続けている。その態度が、魔女の好奇心という火種をさらに大きく燻らせる。
「で、誰を殺すんだい?」
青年の手が止まった。
「それを聞いてどうする」
視線をおろしたままの青年から、息を潜めた警戒と殺気を魔女は感じた。
魔女の手にあるパイプは尚も、煙を揺ら揺らと吐き出し続けている。
「どうにもしない。私にはその武器の使い方すら知らないし、誰を殺そうと興味はないよ」
魔女は嘯いてみせる。この言葉には正しい情報が欠如している。
──そんな不思議な武器で一体誰を殺さなければならないのか、気になってしょうがない。
眼の前の男は、今まで会ってきた男の誰とも違う。生きる世界どころか時代すら異なるとも思う。流浪人の類いかもしれない。ならば何故この世界に縁もゆかりも無いはずのこの青年が、殺人という罪を犯してまでこの世界に強烈すぎる因縁を刻もうというのか。
その道義が、気になってしまったのだ。
「──聞きたいか」
青年は再び手を動かし始める。金属の擦れる音が薄暗い工房に響き始める。
ずるいよそれは、と魔女は思う。
「無闇矢鱈と聞くつもりはないね。お前さんが勝手に独りごちるつもりなら、私はただ耳から耳へ受け流すだけよ」
魔女は平静を装いそう返す。斯様な武器を持つ男であればここが分水嶺だ。青年が喋らなければそこまでの縁。青年が喋ってしまうのであれば、情報はただであればあるほどいい。
金属の擦過音がぴたりと止む。
「交換条件だ」
思わず噴き出してしまった。
「なんだいそりゃ! 金でも貰おうってのかい! 面白い話ならいくらか代金を割り引いても構わんがね」
「金はいらん。言い値で払う」
青年は卓の上に貨幣の入った革袋を置く。その量と重さから察するに、中身は全額金貨に相違ない。数倍上乗せしようとお釣りが必要になるほどの大金だ。こみ上げた笑いが失笑へと変わる。
「そりゃ出しすぎだよ。冗談にしては面白くないね」
青年の交渉の下手さに呆れながら魔女は言う。
「で、金じゃなければ何がほしいのさ。生憎、私の命は上げらんないがね」
「あんたの火傷の理由を聞きたい」
不意打ちのような要求に魔女は息をつまらせる。
「──、ずいぶんつまらないことに興味を持つもんだね」
「あんたが火傷の理由を話すなら、俺は話す。話さないのであれば、俺も話さない」
魔女はため息をつく。しばしの沈黙が工房の中を満たす。そして魔女の声により破られる。
「よくある話さ。汝異端なり、魔女なり。才能に秀でる私たちが妬ましかったんだろうよ。適当な理由をつけては家を焼き討ちにして、ついでに私の顔まで焼きやがった。生き残ったのは私だけ」
それでも魔術をやめなかったのは、意地でも憎悪でもなく、これこそ我が生業だったからでしかない。
憎いかどうか。言うまでもあるまいし、言うほどでもない。
口から出かけた言葉を押し殺し、ふーっと吸い込んだ紫煙を長く吹く。
「どうだい、これで満足?」「ああ」
青年は生気のない声で相槌を打つ。
「私の番だね。あんたは誰をその武器で殺すんだい?」
魔女は改めて青年に尋ねると、青年は即座に答える。
「神だ」
「神?」
あまりに抽象的やすぎないか、と魔女は思う。
「俺は神を殺す」
どうやら、本気のようらしい。魔女はそこで追求をやめる。
分の悪い取引だったかもしれない。こっちは過去の話、あっちは与太話。しかしそれ以上追求するにはこの青年はあまりにも口数が少なすぎる。
「もっと面白い答えを期待してたんだけどね」
魔女は包み隠さず本音を言いながら、革袋を開く。
予想したとおり中身はすべて金貨だ。中身の半分ほどを卓にぶちまけて、手前側に引き寄せて引き出しの中に落として入れる。残りの金貨が入った革袋を青年のほうへと押して返す。
「これ以上は受け取れんよ。残りは持って帰りな」
青年は無言で革袋を手に取る。外套が翻ると青年の装束が覗き見える。鎧甲冑とも鎖帷子とも違う材質の防具、複数の小型の袋がついたウェア。
青年は魔女の修復した武器を、腰の横についたホルスターに収める。
「世話になった」
外套を翻して、青年は背を向ける。出口の扉に手をかけたところで、
「待ちな」
魔女は青年を呼び止めてしまう。
「本当に神を殺すっていうんだったら、せめて悪魔に願掛けぐらいしておきな」
魔女が投擲したそれを、青年は半身を返して片手で掴み取る。なんの飾り気もない銀の指輪が銀色の鎖に通されていて、ネックレスのように首からかけられるようになっていた。
「代金はいらないよ。おまけでつけておく」
青年は指輪を眺めていたが、すぐに懐にしまい込む。
そのまま無言のまま扉を開け、光の中へ消えていく。扉が勝手に締まり、工房に薄暗い闇が戻ってくる。
「神……ねぇ……」
魔女は闇の中で思案する。
鎧も貫通して一撃で殺せる飛び道具、そんなものがあれば誰でも初手必殺で仕留めることができるだろう。演説する最中の王、甲冑を纏った将軍、もしくは巨大な怪物でも倒せるのではなかろうか。
あの青年の言う神とは、そのような魔性の類なのであろうか。
よもや、と魔女は考えを振り切る。
神なぞいるわけがない。
神を崇め奉るのは『それが必要な人間』だけだ。自分という主語を大きくするための象徴。自分は絶対に正しい、自分の意志は世界の総意だ、自分に逆らうものは間違っている、そういった傲慢をさも正当性があるように謳うための愚者の肖像だ。
もし、あの青年が、神を本当の意味で殺すのなら──。
雷鳴のような轟音が響く。
◆
「え、何!?」
轟音は数回に渡って鳴り響いた。魔女は驚きを隠せず、工房を見回してみるが爆発の原因はここではない。発生源は外だ。轟音が止むと人々の喧騒の声も聞こえてくる。明らかに異常だ。
「ったく、何だっていうのよ!」
普段の魔女であったら放っておいたはずだった。しかし先程工房から出ていった青年のことが気になって仕方がない。好奇心の燻りは不安の炎へと変わっていた。
魔女はマントを羽織り、深々とフードを被って顔を隠す。いくらか道具を懐に忍ばせ、扉を苛立つように開け放つ。
太陽の眩しさと空の青さと、黒煙があった。煙の立ち上る方角から人の波が押し寄せてくる。人々にはフードの被った魔女のことなど目に入らず、ある者は叫び、ある者は泣き、ただひたすら走って逃げ惑うだけだった。
あの方角にあるのは、教会だ。
魔女は人の波に逆らうように、隙間を縫って黒煙の元へと走っていく。スラムの町中を通り抜ける。
教会にたどり着くと重厚な扉が無残にも破壊されていた。粉砕された扉が今も燃え盛り、黒い煙を立ち上らせている。地面には放射線状に広がった煤の跡が残っていて、爆発物が使われたのだろうと魔女は理解した。
教会の中から乾いた破裂音が鳴り響く。
魔女は意を決して、炎を掻い潜り教会の中へと飛び込む。
火避けの呪文を短縮詠唱、扉の残骸を飛び越えるその一瞬、魔女の身体は一切炎に焼かれない。
聖堂の中は荒れ果てているものの、炎は内部まで広がっていない。
その聖堂の中央に、魔女の予想通りの人物がいた。
青年は右手に「武器」を握っている。私が修復した武器はマズルの先端から白煙を燻らせている。
彼の眼の前には男が倒れていた。眉間には穿たれた孔が開かれていて、真反対側の後頭部から垂れ流す血が大理石の床面に広がっていってる。よく見れば聖堂の中には甲冑を纏った護衛の騎士たちが幾人も地に伏している。魔女は青年の元へ駆け寄っていく。
「やっぱり、あんたの仕業だったんだね」
「ああ」
魔女は改めて仰向けに倒れた男を見下ろす。
その男はこの教会の神父であり、この町の権力者でもあり、神様と宗教を心から信じていて、私の家と家族と顔を焼いた男だった。
「知り合いか」
聖堂の外で混乱が続く中、青年が魔女に尋ねる。
「知らないってわけじゃあないが、死んでも構わない奴だったね」
魔女は少し思案し、言う。
「私の家族は魔術師だった。奇跡や迷信じゃなくて体系的な学問だった。誰も苦しめたりしなかったし、誰かの助けになるのが父さんと母さんの夢だった」
足元にの床に転がる、神父だった骸を足蹴にする。
「こいつが一方的に濡れ衣着せた」
神や宗教は必要とされるから用いられる。あらゆる神秘や正義は人間の側にあるべきで、それを否定する存在はすなわち世を乱す邪悪である。いつの間にか築かれた根拠のない権威によって、自らの地位を否定しようとする存在を排除していった。大方そんなところだろうと魔女は思う。
「顔を焼かれてスラムに逃げ延びて、後は学んでた魔術でいろいろやって……後は想像に任せるよ」
「そうか」
青年は抑揚のない生返事を魔女に返す。
「──じゃ、あんたの番だよ」
青年の無表情な顔が魔女に向く。
「さっきの取引の続きだ。私が喋ったから、見合う分を喋りな。私の過去とあんたの過去だ」
因縁の相手の死亡よりも、この青年の行動の理由と原理のほうが魔女にとっては気になってしょうがなかった。
だから一計を案じてやったのだ。
「押し売りだな。──手短に話す」
青年の口端がほんの少しだけ歪んだ気がする。魔女は初めて青年の人間らしい部分を見られたと思う。
「俺は未来から来た」
青年の話は要領を得なかった。
「正確に言えば、この世界と直接繋がった未来じゃない。別の時間軸から歪みを戻しに来た」
青年は自分が撃ち殺した相手を武器の先端で指し示す。
「そこの男は神を利用していただけだ。生きていたら歴史に歪みが現れ、正しい未来は訪れない。見せしめに殺して、信仰を壊す必要があった」
「じゃあ、神を殺すって言ってたのは……」
「俺は時の歯車だ。偽なる神を殺し、真なる歴史を取り戻す」
魔女は頭を横に振りながらため息を吐く。あまりにも現実味がない、荒唐無稽とはこのことか。しかし。
「突拍子もない話だけど、あんたのその武器を見たら、納得するしかないね」
「銃だ」
青年の右手に握られている銃は、鈍色に輝いている。
炎の向こうから喧騒が聞こえる。混乱の嘆きや叫びではなく、明確な敵意を示した怒号の雄叫びだ。魔女が背後を振り返ると、炎越しに人影が見える。甲冑を纏った騎士だろうか。
「町一番の権力者を殺したらこうなるわね。脱出路はあるの?」
「当然だ。あの入り口は塞ぐために爆破した。お前の侵入は予想外だったが」
青年は銃を魔女に向ける。
◆
魔女も即座に半身に構え、懐に手を入れる。マントの中で掴んだ杖を、青年に向ける。
銃というのがどういう武器か、未だに理解に及ばない。
飛び道具だと聞く。おそらくあの向けられた穴から出てくるのだろう。
私の魔術と青年の魔弾。撃ち合ったのなら間違いなくこちらが負けてしまうだろう。
死を直前にし、魔女の額に冷や汗が流れる。
「目撃者は生かしてはいけない……とか?」
「違う」
青年は引き金を引く。撃鉄が雷管を強打し、爆発的な衝撃が弾丸を高速で射出する。弾丸は魔女の頭部の横を飛び去り、背後の炎を突き抜け、騎士の兜を貫通して頭部を吹き飛ばした。炎の向こうの怒号が混乱へと転じる。
青年は外套を翻し、腰のホルスターに銃を収める。円筒状の物体からピンを引き抜き投げると辺りが白煙に満たされる。
「時間稼ぎだ。来い」
差し伸べられた手を魔女は握る。
青年は魔女を抱き寄せると、もう片方の腕を聖堂の天井の梁へ向け、フックのついたワイヤーを射出する。フックが解けないことを確認すると、青年は魔女と共にワイヤーで天井に昇っていく。
天井に辿り着くとそばには天窓があり、青年は肘鉄で窓を叩き割る。
「先に行け」「言われなくても!」
魔女が天窓から屋根に出る。教会は高く建造されていて庭園に囲まれている。青年も続いて屋根の上に登ると、円筒状の物体からピンを引き抜き、天窓から下に投げる。
逃げ道などどこにもない。行き止まりだ。
「屋根伝いに逃げるぞ」
「ちょっと、どこにも逃げ道なんて、うわっ!?」
青年は魔女の腰を片手で掴み脇に抱え、走る。
屋根をぶち抜かんとするような猛然とした走りは速度を増していき、屋根の端が目前に迫っても一切減速しない。青年は教会の屋根の端を破壊しながら踏み切る。
高く遠く跳躍した。
未体験の浮遊感に魔女が狼狽え叫んでも青年は動じない。
青年が手に握られたスイッチを押すと教会に仕掛けられていた爆弾が連動し、聖堂の内部を爆炎に飲み込む。教会の屋根ごと吹き飛び破片が四散する。爆風を背に受けながら二人は眼下の屋根へと落ちていく。
青年は比較的高めの建物の壁に片腕を向け、ワイヤーフックを撃ち込む。フックを始点としてワイヤーが巨大な振り子のようにスイングし、勢いを殺しながら屋根の上へと軟着陸する。
魔女は屋根の上に降ろされる。背後を見ると先程までそこにいたはずの教会は巨大な炎に包まれていた。
「……はは、ははは。これは、なんと、なんてふざけてる!! ははははははは!!」
その炎を見て、魔女は笑った。
空は黒い黒煙に覆われ、炎が舐めずり回る舌のように忙しなく揺らめいている。荘厳なステンドグラスが音を立てて割れていく。灼熱で梁や木材が焼け落ちていく。次第に構造物としての体裁を失い、焼けた石の柱が倒れていく。連鎖的に教会全体が崩れ落ちる。
あの男が死んだ時に湧かなかった感情が、今になって溢れかえってくる。
まさに自分の目の前で燃え盛る教会が、かつて燃やされた我が家の惨状の再現だからだ。あの時もまさに同じだった。単なる偶然か、それとも運命か。今回は焼く側と焼かれる側が逆転しただけだ。因果応報と言うべきか、自業自得と言うべきか。いいや違う。
「私が生き残った、私の勝ちだ、ざまぁみろ!」
私が魔術で修復した武器がこれを成し遂げたのだ。だから、私の勝ちだ。
涙が出るほど笑った。フードがはだけて顔の火傷が曝け出されても、まったく気にならなかった。
笑うしかなかった。
しばらくもしないうちに、青年が魔女の肩を掴みながら呼びかけた。
「もう十分か。行くぞ」
「あー、そうだな。そろそろ逃げようか」
魔女は頬に伝う涙を拭う。叶うならなら燃え尽きるまでこの屋根の上にいたかったが、そうもいかない。
「何か準備はいるか」
「もちろん。工房に戻らねばならん。旅支度をしないとな」
青年はわかった、と了承する。全身に仕込んだ装備を念入りにチェックしているあたり几帳面な性格なのだろう、と魔女は遠巻きに見ながら想像する。
青年の胸元には、先程魔女が渡した銀の指輪のネックレスが掛けられている。
この青年が私に未来の武器である銃を見せ、それを魔術によって修復させたということはそういうことだ。あの銃が治らなければ青年は教会を襲撃できなかった。
青年がやることが未来に影響を与えるのなら、あれは偶然ではなく必然でなければならない。
未来に私の信じる魔術が通じる世界が、そこに存在するのだ。
それは私にとっての運命でもあり、希望でもあり、福音でもあった。
青年はぶっきらぼうに腕を差し出してくる。
「行くぞ。掴まれ」
「ああ、頼んだぞ」
火傷の魔女は、魔弾の射手の腕を愛おしく掴んだ。
【完】
noteに掲載している作品をより読んでもらいたく、
多少の再編集とリメイクを加えて短編にまとめました。
拙作ですが楽しんでもらえたならありがたい限りです。
なろう用に改名する予定ですが、本人確認のために今はナタを名乗らせていただきます。
お気に召しましたら評価が頂けると幸いです。