進化を求
下積みが異常に長く、嫌な思いをするものだ。
初めて仕事を覚える時の興奮より、不安ばかりのこと。これでいいのか?って、鏡を見ながら変化を理解できない自分。でも、いつだからか。
目に見えて、肌で感じる。ようやく届いた成功。
パァァンッ
1年と2か月が掛かった。大鳥にとっては初めての大台。
「140キロ出たーー!!最速更新!!」
150とか160とか。そーいう逸材レベルではなく、一般としての最高レベル。140キロに到達した大鳥のストレート。その時になって、ここまで鍛えて来た肉体と日々に感謝する。
「やったな!おめでとう、大鳥!」
「ああっ!!なんかこう!投手の俺だけ、140出せなかったの!悔しかったが、晴れたぞ!!」
抱き着いて喜ぶ姿は、今までの苦労が分かる事。
「140キロで騒ぐんかい……」
「まーた2人の世界をやってますわ」
とはいえ、周囲からのおめでとうも多い。後輩もできて、その後輩より球速が遅い事もあって不安もあった。目に見えて、分かりやすい投手の基準は球速だろう。
しかし、大鳥の良い部分は最高球速ではない。
彼のもっとも見えた弱点の底上げは完了したと言える。
「この球速を維持しなきゃいけないぞ。まだまだ先だぜ」
「!ああ、まだフォームに余地があるしな」
力も技術も合わなければ意味がない。
一回り、二回り、大きくなった肉体に似合ったフォームへの修正。バランス、リリースポイント、リズムの調整。また色々と、肉体改造並のトレーニングと研究が始まる。
しかし、肉体改造という事を乗り越えた2人ならば、フォームの修正は決して難しい事ではなかった。投手の個人差はあれど、その球を捕ってくれる最高の捕手と関わり合えるのだ。
それがとても幸せであった。
パァァンッ
「ナイスボール」
球種の全てに、スピードと重さが増した。変化球のキレるポイントが少しバラついているが、コントロールにはそこまで影響が出てない。宗司は投手として、微調整が上手いんだよな。
まだまだ、全体を活かせているフォームには見えないのに、この完成度だ。もし、完全になったら………
大鳥の球を受ける名神にはこの時。彼にとても大きな期待があった。
自分にも表れている変化を、大鳥からも感じていることで強い期待感を持ったそうだ。そんなことを大鳥はまだ、気付いていなかった。
肉体を鍛えつつ、フォーム改造にも着手する日々。実践的な面はやや遅れてはいたものの、日に日に投手としての成長を出している大鳥。そして、名神も成長をしていった。
◇ ◇
この年の大学休校日。そんな時でもジム通いやバイトなどをやっている2人だ。野球ばかりではなく、大学生としても楽しんでいるのは当然だろう。
そこにある転機が訪れた。
最初に言ったのは、大鳥だった。
「名神。新しい球種にチャレンジしても良いと思うか?」
「新しい球種?」
2人で一緒に夕飯を食べに行っている時だ。
飲み屋にしてはオシャレなくせに、野球中継があるというギャップ。それも当然か。
「打てーーー!鷹田ーーー!」
「最初のホームランはお前が打てーーー!!」
地元の某球団ファンご用達の飲み屋であったからだ。
試合は丁度、9回裏。1アウト、1点負けの状態であるが、大鳥達と同世代にしてスーパースターの1人。鷹田花王の打席である。昨年、新人高卒ながら28本塁打を記録した怪物打者。桐島と互角に渡り合った選手。
その鷹田の相手は……
「米野星一!同世代の鷹田花王との対戦です!!米野の神話は続くのか!?それとも、鷹田が打ち砕くのか!?」
昨年、MVPの米野星一である。
大鳥はこの飲み屋にいながら、米野を応援していた。良い度胸である。同じ投手であり、サウスポーでもあるため、一野球人として関心がないなんてありえないだろうか。
「スクリュー投げてぇーなって……」
「知ってるか?左投手だとスクリュー扱いになるのって、パワ○ロのせいなんだぞ。実際違うからな」
「知ってるよ。シンカーでも良いが、米野の存在ってあるだろ。スクリューってカッケーじゃん」
シンカーとスクリューの、名前だけ聞いたらスクリューの方がカッコいいじゃん。
コークスクリューとか、スクリュートライデントとか、名前の組み合わせがええやねん。
「それにシンカーってのは、緩急寄りの変化球で。スクリューはキレ寄りの変化球だ」
「分類はそーいうもんだな。個人の見解で分かれるけれどな」
言ったもん勝ちである。
ちなみに米野はスクリューと公言しているので、スクリューである。
「俺の投球は自慢じゃないが、コントロールと変化球のキレで勝負するタイプだ。緩急で勝負するチェンジアップやカーブは合わない。スクリューやフォークみたいな、キレと落差の変化球に挑戦するのが良いと思ってな」
「んー……それもそうだな。スクリューだったら、大鳥の得意なスライダーとは逆方向の変化球。武器になれば、相当なものになると思うが」
新球への挑戦。フォームを調整中にやるにはリスクも高い。
元々、3種類のスライダーを投げられる大鳥の精密さに穴が空けば、これまでの苦労というのが無駄になりそうな。そんな予感を名神は感じ取った。
「一朝一夕で身に付くものじゃないぞ。実践レベルで使える代物にならなきゃよ」
「分かってるよ。だけど、モノになれば」
「なったらな。協力してやるよ。するけど、条件をつけるぞ」
その時。
テレビ中継では米野が鷹田を打ち取り、その後続も三振で抑えて、試合を締めくくった。
「じっくりもう一年。焦らずに頑張ろうぜ」
新球に挑戦しなければ、この年でレギュラーを掴めたかもしれない。そんな希望や期待を、名神はすんなりと捨てて、大鳥のために付き合った。希薄ではあるものの、大鳥にあって自分にはないもの。
まだ対等であってもいずれ抜かされるという事を、名神は気付いて、大鳥は気付けていない。
◇ ◇
スチャッ
マウンドで大鳥が構える。捕手の名神は、大鳥の隣にいた。
やや違う形でのフォーム改造、その1。
足をわずかに上げ、前へ。
レッグアップ(足を上げる動作)がほとんどなく、コンパクトなフォームで素早いモーション。クイックモーションでの投球練習。このやり方では軸足に溜めを造れず、球に力が入り辛い。球威のダウンは免れない。変わりに走者の動きを止め、投球からの素早く、守備の意識を作る構え。
フォォンッ
風を切るタオルは、迫力が欠ける。
少し不安もある大鳥は、投手としての理想的な形から反する意味で名神に再度訊いた。
「これからはこのクイックモーションで投球するのか?」
「宗司は球の威力で押し切るタイプじゃない。クイックの方がコントロールしやすいはずだぜ」
足を上げる事で力を溜める。
しかし、その軸足状態でじっくり作る溜めには、下半身の筋力と持久力が必然。力を得てもコントロールに不具合が起こる事は珍しい事ではない。また、状況によっては足を上げる動作などできない場面もある。
名神は大鳥の投球フォームをセットアップ状態からのクイックモーションで統一する事で、力を削いで、技術を高める事を伝えた。
すり足での足運び。投球開始からリリースまでの時間。投球終了後から、素早く守備への構えをとるという動作。
超一流の投手が打者をねじ伏せるという、憧れる投手の理想像を。まったく逆にぶち壊す。しかし、別の理想で固められた超一流投手の道。
大鳥はその領域に入った事に、まだ自覚はなかった。ハッキリ言って
「地味な投手になるな」
「そ、そー言うな。投手だって、1つのポジションを務めるんだ。打球に素早く対応するのも、ポイントは高いぜ」
人には成れることと、成れないことがある。
大鳥はいずれ、150キロを投じられる選手にはなるだろうが、プロではそれだけでは足りない。そんなレベル。並と変わらない。突き抜けて特化した、人を寄せ付けない武器が必要だ。
それが例え、140代前半の球で、軽い球であってもいい。試合を作れる完全な投手になれる道がある。
進化に戸惑いは付き物と、大鳥は名神と共にフォーム改造に着手していくのであった。