打線の意
5回裏、九州国際大学の攻撃。
関西学院の継投策と真っ向から戦っている状況。1アウトながら2塁に走者を置く。
得点圏はこれで6度目だ。それでも、点が獲れたのは初回の2点のみ。
ここぞって時に、投手を操縦して打者を仕留めている幸先の好リード。
盛り立て、緻密さ、情報力、分析力。単純な捕手としての運動能力では
「アイス旨っ」
「鬼島。飽きて来たのか?6本目だぞ」
「まーた、ピンチなのか、チャンスなのか分かりませんが。いい加減、試合が動いて欲しいっす」
この鬼島が遥か上を行くのであるが、頭脳面や精神面では幸先が圧倒している。
打者の裏を突いたり、投手の力を引き出したりと。
精神的支柱がここで試合を崩さない。
ガッ
井川の差し込んでくるストレートが、打者を打たせていた。打球はショート。これなら走者も進めないはずだった。
ショートは捕球後、2塁走者を眼で牽制。そこにわずかな怠りがあるとすれば、焦りが起きてしまう練習不足。
牽制による時間のロス。打者を刺すため、強い送球を意識した結果のミス。
「高い送球!!」
「暴投だーー!!」
エラーが膠着した試合を動かす。
1アウト、3塁1塁。本来ならば、2アウト2塁であろう場面。
カーーーーンッ
打球は上がった。仕方ないという面で幸先は見送る。犠牲フライだ。
「3-0!!九州国際大学、リードを広げた!!」
「おいおい!押されてるぞ、関西学院!!」
試合は中盤だ。この点差は大きい。大鳥もここまでキッチリと抑えているとすれば、流れに乗れる。ビッグウェーブ。
次の打者が、井川のスライダーを狙い打った当たりは、犠牲フライの遥か上。
ポーーーーンッ
打球がフェンスを越える。
「おおおーー!ツーラン!!この回、3点目だ!!」
「5-0!5-0だ!幸先、負けちまうか!?」
予想以上の得点。大鳥にとっては十分過ぎるほどの援護であった。関西学院、思わぬ伏兵に成す術なく敗れるか。
「おいおい!湿気た面すんな!!」
ガサツな鼓舞であるが、セカンドの高橋が投手の井川に激を飛ばす。これには幸先も嬉しかった。
「次の回で1点返せば、流れは変わる!あと一人、抑えるんだよ!!」
ホームランを打たれた後、続かせずに済んだ。
しかし、5点差で6回だ。結構、苦しい状況。鼓舞をした高橋にも、幸先にも回らないのだ。
それでも円陣が組まれる。
幸先はそこでメンバーに伝える。
「ええ投手や」
「!」
「3種類のスライダーに、シンカー。それらの制球を込みすれば、大学左腕ナンバー1やろ。せやけど、」
多様な変化球を持っているが、同じ球を連続で要求する事は極端に少ない。
ストレートが高めに来たら、まずボールと考えてええ。低めは捨ててええぞ。アウトローにキッチリ収まるストレートは、打たんでええ。
「狙いは右打者なら入ってくるスライダー、左打者なら肩口から来るスライダー。遠いなら見送るんやぞ。これを徹底的に叩けば、向こうから自滅するで。奴のスラーブと縦スラは空振りをとる球種。手を出さんとけば、投げづらいはずや」
打者を抑える知恵や情報は、投手を打つための知恵と情報となる。
幸先の打撃能力で厄介なのはこの分析力と、企画の力。大鳥のスライダー狙いという、かなりの難度。それもこれまで多くの打者達が、やってきたことと似通っているであろう作戦。
ただの狙い打ちとも思えるのだが、
「慣れてきたやろ」
元々、大鳥の投球フォームが独特。あれほどのクイック投法が完成されていて、タイミングを掴むのに苦労した。
空振りをする分にはまだ良い。上手く捕えきれないのが、攻略できていない一つの原因。
パシィッ
幸先の作戦。大鳥のスライダーの中で、最も使われる球種を狙っていること。カウントをとりやすく、空振りをとりやすい。何よりこの球種のコントロールには絶対の自信が、幸先には分かる。
首は振らないだろう。
「ストライク!!バッターアウト!!」
9番が粘りを見せるも三振。左の1番打者に回った。
「お前に回れば続けよ!俺が縮めてやる!続くだけでいいぞ、幸先!」
「高橋さん。若松さんは左打者やし、ワンチャンあるやも」
今日1安打の若松。俊足巧打。典型的1番打者。
幸先の作戦の通り。
左打者の肩口から来る球はあのスライダーと決めて良い。それ以外は、
「ボール!」
際どいコースに流れていく。こいつをヒットにするのは難しい。来ると分かって、来る球を打つのがマシ。
「!」
肩付近に来た球。瞬間にスライダーと読み切って、反応する。内角に来る球を、綺麗に弾き返す形でライト前へ。
「ヒット!若松、今日2安打!!」
「幸先と高橋の前に走者が出たーー!!」
「点獲れーー!」
左打者の内角に投げられるスライダーがあと一種あれば、この読みには至らない。いや、
「死球前提で縦スラでも、スラーブでも投げれる鬼畜さがありゃあええんや。高等な技術は後でもええんや」
「そーいう発想がお前等か」
大鳥は格段に左打者に強いわけではない。外スラは確かに有効な投球ではあるが、内角で勝負にも行ける球があってこそのもの。ないとは言わない。だが、弱いという意味が強い。
もっとも。
「ストライク!!バッターアウト!!」
大鳥に適正に合う事。不向きな部分を補って、大事な物を失うこともある。これで大鳥は、10奪三振目!
この奪三振力は、特筆すべきところ。通常の打者では、狙いを外したら打てない球を投げている。
「3番、キャッチャー、幸先」
2アウト1塁。5点差は遠い。この幸先が打ち取られたら、4番の高橋と分断され、得点機会は減る。
山場というより、正念場。一発のある打者ではないが、ただの出塁だけでは足りないとこ。
そのことは幸先がよく分かっている。
カッ
「ファール!」
初球から振ってくる。幸いにもファール。幸先の傾向だ。知っている者は知っている。
「野郎、打つ気だな。カット打法を止めやがった」
「?今まではやる気なかったって事っすか?阪東さん」
「勝負するって事だ。よく見とけ、鬼島。幸先の打撃は、お前や桐島、鷹田とは違う」
ここって場面になると、積極的に打ちに行く。焦りではない。もう一押しで投手を押せるのを見抜いた。
点も縮めないといけない。
高校時代から幸先が打ち始めると打線に活気が出る。それは主に3番や2番を任されるという、打順の恩恵もあるだろうが。相手投手の自信や気持ちを断ってくる仕事が彼の持ち味。分析力も決定力も、統率力も。それら含めた四字熟語があるとすれば、
「”一致団結”って言葉がよく似合う奴は、幸先以外いない」
右打者なら入ってくるスライダーを叩く。
だが、左打者と違って、”死球”の危険が少ない右打者にとっては、大鳥の3種類のスライダーの予測と読みは難しい。
無論、見てから判断するなど、幸先でもできない。
予測と読みは、誘ってからだ。
阪東の言葉通り、幸先が打ちに来ているのは当たっている。だが、初球からのフルスイングで誘ったのは名神と大鳥の配球を崩すこと。
ただヒットを打つって事じゃ、足りない。それこそホームランならなんでも良いが。
宣言通りを叩くことで打線の意味にもなる。また、投手と捕手が持っているバランスが崩れ、立て直せなくなる狙い。大量得点の機会。
ブォォンッ
「ストライク!!2ストライク、0ボール!!」
幸先の風切るスイング。巧打者と聞いていたが、この鋭さは要警戒。追い込んでも、感じるのは長打の気配。
自分と同じ捕手でありながら、守備面では何一つ敵わず、打撃面でも生涯超えられない差を、間近で知った名神。追い込んでも有利な感じが出ない。
多少、離れた客席からでは
「幸先が焦っているかな?八木」
こーいう見方もでるさ。
「あいつがそんなタマなわけねぇだろ、海堂。わかんねぇけど、狙ってるぜ」
恐れを感じさせる。
無意識でも、警戒をしていても、恐れは人にある。
フルスイングが作らせる心理は打たれたくないという、当たり前で弱い一面を作らせるものだった。大鳥の奪三振力を買って、三振。そう簡単には三振を献上しない幸先を相手に求めたい、結果。
同じ気持ち。大鳥と名神はシンクロしている。
足でタイミングをとって、
「ボール!」
外れるスライダーを見送る。
ここで第一打席。幸先がシンカーを見送っての三振が効いていた。この展開を誘ったのだ。
打者が当てられなかった三振が、大鳥達の良き理想像。
幸先の頭はもう、スライダーの一本絞り。ボールになる球にさえ気を付ければ良い。
「!」
ストレートも、シンカーもない。彼等の頭には俺を”空振り三振”に絡めとる形。
一球外し、また外すかな?違うね!
出塁率の高さ。幸先の打席の基本は、慎重で粘ってのこと。フルカウントなどには持ち込みたくない。早めにこの打者を仕留めたい。バッテリーの心理を絡めとって、
カーーーーーンッ
ドンピシャで、捉えた打球は左中間を真っ二つ!入ってくる内角のスライダーを完璧に捉えた幸先は、
「タイムリーツーベース!!1点返したーーー!!」
「さすが幸先!!読み打ちか!今の!?」
縦スライダーもスラーブも、すでに見切っている。ストライクを獲るなら自信が強いスライダーを確実に、通して来ると読んだ。
幸先の打撃は大鳥のリズムを崩すには十分過ぎるものだった。
「今のは狙われてたのか?」
「かもな。この回辺りから、打者達がスライダー狙いしてたのは確かだ」
「それで打たれたって事か」
マウンドで打ち合わせする大鳥と名神。しかし、得意球を砕かれた直後。
立て直すのは幸先だって至難。なにしろ、次の打者は自分よりも打者として優れている。
「4番、セカンド、高橋」
「ふざけんな!幸先!!俺が打点挙げなきゃ、面子がたたねぇだろ!!若松もホームを走って踏むな!」
「なんでだよ!」
試合展望はカンケーない。負けていようが、勝っていようが。
この後、そのスライダーを封印するというのなら、ここまでの投手だ。
大鳥宗司はそこまでの奴。それをどうするかは、捕手である名神和に掛かっている。




