昇る意識
「つーわけで」
鷹田は2人の間に立っている。
「キャッチボールをしてもらう」
「鷹田。お前、電柱と喋っているぞ……」
そう思っているようで、視界がブレブレである。まったく的外れなところに言葉を飛ばしている。
公園に来るまで、缶ビールを一本味わってこの様である。
ホントにあの鷹田花王が来ている事に驚いてしまったが、とんでもない酒乱ぶりにちょっとテンションダウンの大鳥である。
「良い思い出になるよな!宗司!鷹田選手が見てるところでキャッチボールできるんだぞ!」
「いや、親父。鷹田選手、上の空なんだけど」
「写真撮るわよー」
両親。結局、勝手に盛り上がって、息子の応援に駆け付ける。
「恥ずかしいな……」
「まぁまぁ。良いじゃないか」
正直なところ。
「鷹田選手のマネージャーって大変なんだな」
「そーだね」
大鳥も、米野があの米野星一であることにまったく気付いていない。鷹田や桐島と違い、彼は名乗ることをしないし。間違われてもスルーしちまうからだ。熱狂的なファンでも彼の一般状態を知らないほど、凡の姿。
守護神をしている米野と、ただ普通の投手をしている米野では、実力がかけ離れている。
重圧や緊張の中で、最高のパフォーマンスを引き出して来る、米野星一という選手の強さはまさに魅力的で、それがなければただ良い投手でしかない。本人も、相手として戦う鷹田もそれを知っている。
オープン戦で打たれてしまうのも、懸けているモノと、圧し掛かる緊張が少ないからだ。
「お、サウスポーか」
「あ、そうっす」
ボールで会話をすれば、ある程度の力量を測れる。
また、打者と向かい合えば、より鮮明に心の動きが分かる。
パァァンッ
「お」
「ちょっと、注意してね。俺の球は軌道が他と違っているから」
米野からの返球を捕る直前。他の投手に感じられる、汚さをかぎ取る。
パァァンッ
「……良い球を投げるね。回転軸が綺麗だ」
「あ、ありがとうございます!(マネージャーに褒められても……)」
大鳥のボールはとても普通に、ど丁寧に返した。
少し遊び気分が強いせいか、
「ちゃんとキャッチボールやれぇー」
「ほらほら!宗司!指摘されてるぞ!」
野次馬か……。
「確かにそうだね。少しはギアを上げよう」
米野から放る球が強くなってきた。フォームが軽いキャッチボールからマジになっている。腕の振り、足のステップ、腰の回転。
こちらへ伸びてくる球ってのが、よく分かる球だ。
ドパアァァッ
「っと」
肩が出来上がり始めたか。
大鳥のキャッチは普通である。ボールの力に押されたわけではないが、つい先ほどまで投げていた球と比べて、自分達に近い。普通の球と言ったところだ。
今のフォーム。野手投げじゃない。振りかぶってはいなかったが、投手特有の投げ方であると。大鳥は同じサウスポーで理解し合えたが、まだ足りない。鷹田はそれを見据えてか、説得力があるようには思えない声ではあったが、
「おいおい。お前。ちゃんと構えてろ。ミットは動かすな」
「?」
150キロは平然と投げてくんぞ
ドオォッ
鷹田の忠告がなかったら、グラブの後ろに絶対に逸らしていた。だが、それは自分の体に当たるということ。
ボールの威圧感。球速もさることながら。グラブが厚く柔らかく、手を保護する道具であることを思い知るほどの、
球の重さがあった。
米野が投げた一球でよく伝わった。
後に伝わってきたのは、グラブがまったく動かないというより、怖くて一瞬逃げそうになったくらいのこと。
ストレートってこんなに速いのかって、大学とはまったく違うところを見てしまう。
「返球」
「あ」
あのスピードと質。加えて、忘れていたくらいに来る、正確なコントロール。
「って、うっかりマウンド気分だった。ごめんごめん」
一瞬見えたものは錯覚だろう。
鬼の顔に見えた。
だが、大鳥の錯覚は。鷹田にとっては現実にあることと見ていた。酔いが飛んだ。こいつからホームランを打ちたいのだ。
「……………」
米野はただの豪腕、速球投手じゃねぇ。それらもまた一つ、二つの顔。真にヤバイのは正確無比のコントロールだと俺は見ている。
あれだけの速球を綺麗にコースへ投げ分ける。たかがキャッチボールの1つでも、ど丁寧なコントロールを意識してる。今のところ、ただミットの位置へ正確に投げ込んでいるだけだが、その気になれば。つーより、そーしてやっている。
球の回転、軌道、角度をコントロールする超技巧、軟投派としての投手の側面もある。
投手として、全ての能力が突出しているからこそ。
奴がNPB史上最強左腕なんだ。
あくまで投手としての性能だけどな。米野の強さが加われば、さらに……
「今のがプロの球か」
大鳥は今の球を受けて、何を思ったか。
現段階の全てで米野に勝れる武器はない。たった一球だけ、彼の球を受け取って。大鳥が引き出せた情報と、見ていた鷹田が引き出せた情報の差も顕著である。
しかし、
「!」
なんかやるな。
それは同い年でも、同い年だからこそ。抜き合い、向きだす。対抗意識。
鷹田が米野にそうであるように、大鳥もまた。この機会を思い出ではなく、勝負をする場と見て。
自身は振りかぶって、立っている米野に向かって投じる。
ビュゥッ
一度だけで良いから。プロ野球選手に向かって、自分の投球を披露したかった。ほんの少し、プロになれたかなっていう空気。
気分。
それだけじゃなくて……。
パァァンッ
「スライダーか。良い球を投げるな」
なろう。
「…………バット、持ってくれば良かったな」
でもなく。
「実践ならもっと凄いんだろ。あなたも、」
なってやると。
「でも、俺だってな」
自分はとても貴重な体験をした。
向上したいという意識の変化が、最も大きなものであったと認識した。
それが自分にとって喜ばしい成長であると。社会的な何を問われても、人間的な成長こそ。自分のためにある。
だが、
大鳥と名神の2人はこの時の出会いによって、大きく道を逸らしてしまった。
互いに気付くことなく。
◇ ◇
ガコォッ
「……………」
知らないでいるが。大鳥と米野が真剣に、向き合って、キャッチボールをしている頃。
名神はベッドで寝転んで天井を見上げていた。
はるかずっと前から、分かっていた事だ。
確かに自分の方が野球をできていた頃があった。それは単なる調子の差でもなく、単純なものでもだ。
でも、宗司の球を受け捕っていく度に気付いた。まだまだ先に行ける、行ってしまう。そんな器がある。特に大鳥は知らないところに立った時。様子を見る自制心と、前に進む勇気を持つ。
一方で、自分は退くという勇気を持つ。
ほんの少し、未知や不吉があれば、退けることができる。
こればかりは変えられないところだろう。
そして、どちらもまた。正しい心理であることだ。失敗をすれば無謀。失敗をすれば後悔。
どっちにしろリスクを孕んでこそ、挑戦という言葉がある。
「…………俺はどうすりゃいいか」
分かっているんだ。これからの練習でも、応援でもだ。
俺はプロ野球選手にはなれない。そーやって、諦めたり、一区切りをつけて暮らす人間なのだ。誇っても良い事だ。
在り来たりなことである。そして、大鳥はそう確信めいたものを持つか、それとも自分の勘違いや褒めてしまっている事か。
いいや、そうじゃないね。
……もし。
向き不向きにあるだろう。
努力の差異も、才能の差異もあって当然であるからこそ。プロに行ける者、プロに行かぬ者もいる。
夢見過ぎ?いいや、現実的だし。
プロに成るという事は成功を問われる事業であるのだ。そして興行のスポーツとは、そこで恥のないプレイを提供する事。
野球で金を稼ぎ、生きる事。単純な力量を求めて当然。見上げる壁を知るのも、また一つの力だ。
戦い続け、挑戦を続け、結果。勝ち上がってプロになった者もいるのだ。
大鳥宗司はきっと、そこに乗れる。そんなことを想ってやれて、自分は自分を信じられず、できない事を信じている。
「………………」
名神はそれでも。ベットの上に貼ってみた、独立リーグの入団テストを見上げた。
きっとダメだろうでやる事に、成功はない。分かっているんだ。
でも、楽しんでも悪くないだろう?大鳥だって、挑戦して成功する楽しさと本能に魅了されているように。決して高くはないにしても、目指すものがあると、人は楽しく進んでいく。ちょっと見える景色が綺麗になると嬉しくなる。
「大学卒業までに、クリアしてみるぞ」
そして、俺がもう少しの時間。野球を許されるなら、独立リーグという環境に飛び込んでみよう。
大鳥との事はそこからでも考えられる。




