蚊帳の外
ワーーーー ワーーーー
真夏の太陽が照り付ける野球場。球児も観客も、その声援は大きく、暑さに負けないものであった。
そのバッテリーは九州の端の一つ、長崎県にいた。
高校野球、夏の県予選。全国的にみたら激戦区とは言い難いところであったが、そこに光があったのも事実。こんなところにも表れる怪物、猛者。
「さぁ、今日から長崎県大会、ベスト8です!今日の試合は長崎商業と清峯高校。この優勝候補同士の対決が、なんとベスト8で激突です!!」
そー言われるわりに、あと一歩が届かずに近年は夏の甲子園から遠ざかっている、長崎商業。一方で、昨年の夏大会の優勝を果たし、春大会でも優勝し、下馬評でも大本命の海星高校と並んでいる、清峯高校。
勝負は3:7で、清峯高校の勝利とされていた。
もう少ししたら古豪と揶揄される、長崎商業。現在、強豪の清峯高校。
そんな試合の長崎商業のエースナンバーは、暑さをもらっていないような、静かで冷たい表情。今日もいつものミットに、いつものあいつが座っている。それだけで俺達は無敵な気がする。
あいつが頷く時、自信があるって顔にこっちも自信がつく。ちょいとにやける。捕手であること、あいつの球を受けることは最高に楽しかった。
「長崎商業はエースの、大鳥宗司!!今大会ナンバー1、サウスポー!3種類のスライダーを武器に、ここまで3試合に登板、21イニング、4失点!今年の長崎商業の原動力と言えるでしょう!」
大鳥は強力清峯打線を相手に、3回までノーヒットピッチング。5つの奪三振。
連投による疲労を感じさせない最高の立ち上がり。大鳥の球を受ける、捕手の名神和も今日の大鳥が絶好調であると分かった。
「今日もスライダーが良い。打者の手元でよくキレてるよ」
「名神が言うんなら、そうなんだろうな」
「だが、試合はまだ3回。大鳥じゃなきゃ、清峯打線は抑えられない。今日の大鳥なら7割でもいけるんだから、あまり飛ばし過ぎるなよ」
「ペース配分を込みかよ」
共に長崎商業に進学し、2年の秋からベンチ入り。3年の春にエースの座と正捕手の座を掴んだ、幼馴染バッテリー。
「スライダーと縦スライダー、スラーブが生命線と思われるけど。大鳥の良いところは制球力だ。力がなくなって、スライダーが棒球になったらやられる打線なのをな」
「分かってるよ。打撃はテキトーに流す。得意でもないし」
得意じゃないとか言いつつ、大鳥は8番。でも、名神は9番。ぶっちゃけ、大鳥の方が打撃を期待されるくらいだ。
名神が水を差すような事を言うのも、あくまで勝つためだし。
「打たれる俺を、お前には見せないよ」
一緒にやってきたからそれを思ってのことだ。
ベスト4進出をかけた試合は互いに、7回1失点の投手戦。しかし、その投手戦の中身は対照的なものである。長崎商業はエースの大鳥が1人で投げ抜き、清峯高校は左右に良い投手を揃え、先発のエースは5回1失点。6回からの2番手(左のエース)が、9回まで抑えるという作戦。トーナメント方式の高校野球だからこそある、投手の遣り繰りであった。
「ふーっ」
大鳥の球数はいよいよ、100球。
そして、その疲れを敏感に気付けるのが、捕手の名神。大鳥の自己分析よりも信頼できるものがあった。
「大鳥」
やっぱり、ここまで連投してきた事が効いている。向こうも大鳥のスライダーを打ちにくいと判断し、待球作戦を2回からしていた。元々、大鳥は三振をとるタイプ。球数を気にしながらリードしたんだけど。
8回表1アウト。この試合、大鳥は初めての四球を出した時。名神はマウンドに駆け寄った。その足取りは慌てるものではなく、確認という意味合いが強く、不安にさせずに悠然としていた。
今大会ナンバー1サウスポーと評価される大鳥であったが、大会全体で見れば、決して高いものではなかった。全国レベルには程遠く、県内にいる良い投手の1人という程度のもの。技巧派投手の大鳥をここまでの投手にしたのは、受ける捕手。名神の巧みな投手を操縦するリードがあった。
「良い間のとり方だ」
「先ほどの6回では、盗塁を刺してますしね」
「捕手としてならすでに大学レベル。名神は通用しますよ」
「大鳥のような技巧派タイプは、捕手の力量が問われますからね」
元々、捕手は人材不足のポジション。多少、打撃面では期待できないが、捕手としての完成度が高く、名神は九州地方の大学スカウト達からの評価が高かった。
サウスポーという面で大鳥もそれなりの評価が得ていたが、
「平均球速が130前半。MAXは135キロらしいですからね」
「スタミナも決して高いわけではないですし、身体もそこまで大きくはない。平均的」
「高校時代からもう、スライダーで逃げる投球ですし、この先で大成するのは厳しいか」
「今年の高校生達はとんでもない逸材ばかりですしね。投手だけでも、阪東孝介や米野星一、叶善、鷲頭一稀世。プロに行っても即戦力級が、すでに4人はいますし。その下には当然、あの村下レイジがいる!」
「彼等がいなければ、大鳥もそこそこに注目されるんでしょうけどね。生まれてきた時代がなんとも悪い」
高校野球の群雄割拠。
そーいう時代の中に、大鳥と名神がいた。
比較される相手が悪いと惜しまれるほどだ。長崎県大会も激戦とはいえ、全国にはさらなる激戦を勝ち抜けてくる者、怪物が怪物を食い、さらにデカくなる。
この時代の連中はそーしてできた、傑物。
2人の知らない世界の事だ。
「宗司」
「!……なんだよ、和」
相手の打者にも、走者にも。見えないように2人は話しをする。名前呼びは、高校になってから恥ずかしいから辞めたが、こーいう一大事な時は、互いにそー呼ぶことにした。
「左手を握らせてくれ」
「平気だって」
名神はミットを外し、大鳥の左手の握力を確認した。大鳥は名神に心配させないように、自分がまだやれるって事を言葉ではなく、その手で証明する。
「どうだ?力は出てるだろ」
「……ああ。まだまだ、いけるな」
「和は1塁走者でビクつき過ぎだよ。100球を超えたくらいでよ」
「四球のランナーは宗司のミスだろ?要求通り、球を放れよ」
このピンチを乗り切れる力はある。試合も終盤。怖いのは、一発や長打。
「宗司を信じてるぞ」
「俺も和を信じてる」
名神が戻っていき、大鳥はロージンをとりながら、間をとった。
ポンポン、と待ちながら。名神のサインは野手達全体にも送った。
ここでの1点は重たいものだ。長崎商業の攻撃が残り2回。清峯高校は1点を獲ってくるなら、バント。もしくは、盗塁。それとも大鳥の四球による疲労と察し、強攻でいくか。
考え込むタイプであれば、対策をするだろう。しかし、名神の判断は相手の分析ではなく、大鳥を信じてのことだった。
走ってくるなら、俺が刺す。打ってくるなりバントなら、宗司が決める。バックが捕る。2アウトにすれば、相手に得点チャンスはない。
その初球は、インローへのスライダー。
「ボール!」
「っ!」
コースが外れたという感じではなかった。振ってきたら詰まらせる、そーいうスライダーを打者は感じ取った。手を出さなくて良かった。一旦、間をとって監督からの指示を受ける。
一方、名神は問題なしと、信じる一点という気持ちで、大鳥に返球する。間をとって、一塁走者にも睨みを効かせてからの2球目。真ん中低め、打者は振りに来た。そこからさらに落ちていく、縦スライダー。
「ストライク!!」
「おーし!1-1だ!」
後ろに逸らせば2塁の場面で、地面でバウンドする縦スライダー。それを難なく壁となって、止め。なおかつ打者から空振りをとる。
この時、打者は大鳥のスライダーを諦めた。8回になり、100球を超えても、抜群のキレを持つスライダーに委縮した。見せ球で投げてくるストレートを、多少のボール球でも打っていく。悪くない。変化が大きい分、見逃せばボールになる事もある。そんなところに入れてくるのは、
パァンッ
「ストライク!!2-1!」
縦スライダーをストライクゾーンに通してみせる。
ここに来て、コントロールの難しい球をストライクに入れる集中力と技術力。スカウト達も、この大鳥の見事な一球には目を張った。
それはとっても短く、瞬きをした後は忘れてしまうことだった。あとは簡単なことで、ストライクゾーンを広くせざるを得ない打者を揶揄うような、変化の大きいスライダーでバットを振らせる。
「ストライク!バッターアウト!!2アウト!!」
「おーっし!ナイピッチ!!」
打者を三振にし、2アウト。
四球で出した走者は動けずの最高の結果。
次の打者も内野ゴロで抑え、8回表に現れたわずかな試合の山場を一瞬で崩した。そこから長崎商業にやってきた流れ。2アウトながら、清峯高校のエラーで出塁した走者。次の打者がライトを超える長打が生まれ、連携の乱れもおき、8回裏に勝ち越し点を挙げる。
追加点は挙げられなかったものの、大鳥にはその1点で十分であった。8回にみせたミスはまったく見せず、難なく2アウトをとり。
パシィッ
「ライト捕ったーー!ゲームセット!2-1、長崎商業!清峯高校を下し、準決勝に進出!!」
大鳥、9回1失点。被安打7。11奪三振。
その記録は結果であり、県大会の一試合に過ぎないこと。誰も、その彼を感じられなかった。
◇ ◇
ワーーーー― ワーーーー―
「負けたな、大鳥」
「……俺が打たれなきゃ、勝てた試合だった」
「何言ってんだよ。お前がいなかったら、ここまで来れなかった。お前ばかり、苦労させた」
長崎商業の準決勝、優勝候補大本命、海星高校との試合。
ここまで1人で投げ抜いた大鳥は試合序盤から疲れをみせ、ついに崩れる。5回に4失点し、6回に1失点を許した後に降板。大鳥の後続も打たれてしまい、失点は続いた。
味方打線は懸命に大鳥を援護するも、3点が限界。
結果は3-8と、完全な力負けを喫した。
「5回までよく投げてくれた。この大会で、30イニング以上もよく投げてくれた。大鳥だけがここまで投げてきたんだぞ!胸を張ってくれ。俺はありがとうって、伝えてるぞ」
名神は大鳥を気遣った。言葉の通り、彼がいなければこの準決勝までは来れなかった。
2人は夢の甲子園に一度もいけないまま、終わってしまった3年間であったが……。
「野球は続けるよな?俺はやるぞ」
「……和は続けるんだろ?聞くなよ。分かってるよ。俺も和も、これで終わりじゃ悔しいからなっ。お前と一緒にプロまで行くからなっ!」
2人は大学でも野球を続ける道を選んだ。