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近江勢力図の計画的変動

浅井賢政(あざいかたまさ)


北近江で組むべきは結局誰と考える?という三好長慶の質問に、俺はこの先の歴史知識だけを根拠にそう答えた。

「誰だ」

自分が把握漏れしているなど、という不覚と、重箱の隅をつつくとはやはりこいつに頼んで正解だったという安堵が長慶の顔に浮かぶ。

「かたは六角義賢の賢。お察しとは存じますが、近江国人浅井久政の嫡男にございます」

「嫡男ときたか。若いのか」

「かなり。ただ頭はようございますよ。浅井家中に不穏な空気が漂う程度には」

実際に近江で不穏な噂を聞かないわけではなかった。が、これは九割方ハッタリだ。それはそうと、京極を切って浅井、それも次代の浅井と結ぶ。数年内に野良田で六角を破るであろう賢政と。

「不穏か」

「はい。当主交代を早めようという輩がいると」

長慶はいい笑顔になって話を変えた。あとは彼が一人で進めるだろう。

「では目先の六角はどうするかな」

将軍権力を傘に着た以上、六角の勢いは強い。蒲生定秀率いる1万ほどが援護の名目で迫っていた。

「なぜ筑前守殿は将軍を擁立なさらない?」

斜め上の回答を返したのは氏政様だった。

「愚問であれば申し訳ござらぬが、分からぬことは訊けと父に教わり申した故」

「ほう」

筑前守、すなわち長慶は少し考え込む。

「父が今ひとつ申していたことには、大将が何かを為さぬ時、そこには必ず理由があると。筑前守殿ほどの方が何故に公方をすげ替えないのか分かりかねてござる」

俺と晴氏を見ているから浮かんだ疑問だろう。長慶は逡巡しながらも笑みを崩さず、その理由を明かした。

「三好は細川の被官。管領と将軍を動かして政務を執っている。公方をすげ替えたとて、六角と畠山の不興を買って戦になるだけよ」

「忝い」

「早急に上級の官位をいただいては?せめて正四位になれば細川を凌ぎましょう」

俺の提案を再度笑って承知した三好長慶の戦略はすぐに明かされる。


将軍山城に帰る頃には、如意ヶ嶽に足利義輝隊が迫っていた。白井胤治の要請で松永久秀の援軍はそちらに布陣している。

「なんで俺が最前線を持ってるんだ?」

「お前は裏切らぬからだ。長慶公にはお見通しなのだよ」

いつだか義弘に言ったことをそのまま返された。確かにここから三好を裏切ってもいいことはないし、俺が今後三好を裏切る予定もない。その戦略構想にやはり姿を現わすのは…いかん。全て織田信長に帰着してしまう。

「あまり公方に嫌われたくはないんだがな」

「なるほど。和睦の斡旋にございますな」

胤治が俺の呟きから真意を読み取る。足利義輝と親族のよしみというものを持つ俺は、それを利用した利益誘導も可能であることを忘れていなかった。だが、それを破綻させようとする凄腕の政治家、もとい政治屋は、千年帝都平安京にはいくらでもいることを思い知ることになる。


ともあれひとまず六角軍を相手にすることにした俺は、3千を率い将軍山城を降りて如意ヶ嶽近くの鹿ヶ谷に着陣した。蒲生隊を視認した俺たちは、翌日に松永久秀と協働して攻撃をかけた。

敵先陣の青地茂綱(あおちしげつな)は強力な国人で、今の俺の寡兵ではなかなか相手にならないものがある。だがそれをうまく切り破ったのが松永隊の高山友照(たかやまともてる)で、小競り合いはひとまず三好方の勝利で終わった。

「今日はこれまでか」

「もう少しいけると思ったんだ。すまない」

結果無為な攻勢になったことを詫びつつ、もう一つ、水面下の悪巧みを久秀に明かした。久秀は笑って長慶に一筆認めてくれた。

「事後承諾でかまわん。頼むぞ」

「もちろん。決起は明後日だ」

俺の手の早さに久秀も笑う。この男に策を褒められるのは最高の気分だ。


宣言通りに翌々日、蒲生隊への再攻撃の際に異変が起こった。敵の一陣を受け持つ小倉実隆(おぐらさねたか)の隊が退却したのだ。

「どういうことだ。不甲斐ない…」

家督を譲ると宣言されながらも人に物を訊ねてばかり、氏政様が情けなさそうな顔をする。

「これは見ただけではわかりませぬ故ご安心召されよ。それがしも存じ上げかねますが、左兵衛佐殿の策にござるな」

白井胤治がフォローを入れ、ついでに俺に説明を求めた。

「青地茂綱と小倉実隆は蒲生家から入った養子なんだが、小倉家にはそれ以前から分家との対立があるんだ。それを煽ってやっただけさ」

「公方方にも手を回しているのだろう?」

氏政様に訊かれる。

「無論。ただしこちらは上手くいくかわからないな」

いずれにせよこの混乱は大チャンス。押し込んで六角軍を山城から締め出した。


北白川の戦い

三好軍 8千 松永久秀、足利頼純

六角軍 1万 蒲生定秀

武将級討死 両軍共になし


松永隊を残し、返す刀で将軍山城に帰ると、幕府軍による包囲が試みられていた。白井胤治が難なく解囲して全軍入城したが、直後に結局包囲されてしまった。

「して、策とは?」

「策も何もないさ。無理やり和睦するまでだよ」

匂わせつつ色々動いていたのは、兎にも角にも将軍山城での義輝との面会を取り付けるためだった。城将が他の誰かならともかく、俺ならば面識もあるし和解もした。

「で、松永殿は単なる家臣で体面上問題があるらしいので、安宅冬康殿が急ぎやって来る。今頃堺に上陸したはずだよ」

そこに現れた公方の使者が、ようやく対面を約束してくれた。


四日置いて五日目、三好長慶の名代である安宅冬康と足利義輝の和睦という体で、俺は図々しくも調停者として振る舞った。冬康は護衛の数名のみ、義輝は選りすぐりの重臣だろう三淵藤孝と和田惟政(わだこれまさ)を引き連れていた。和田は初めて見たが図体が大きい。これは頼もしい護衛だ。

「公方様を5年に渡り京に近づけなんだこと、誠に申し訳なしと兄よりことづかっております」

冬康はそう言って、あくまで下手に出て口火を切った。

「うむ。朽木谷では辛酸を舐めた。然れども、朽木の爺やこの和田とも出会えた。無為な時ではなかったぞ」

皮肉たっぷりな義輝だが、さすが冬康これくらいでは動じない。

「無論憎んでいないはずなどない。されど俺は公方だ。天下の調停者であり統治者だ。ここは私情を押し包み、畿内安定のために筑前守と和約する」

痛いほどの自負を滲み出させながらそう言い切った義輝は、自信に満ちた横顔をしていた。これが足利義輝の強みであり、限界か。

「さて、それでは御両方の確認をさせていただきます。公方様の要請は帰京および三好筑前守殿の臣従、三好殿の要請は六角左京大夫に対する立場の確認でございました。間違いございませぬか」

「うむ」

義輝は深く頷き、冬康はにっこり微笑む。

「では具体的に詰めて参りましょう」

云々と話し合った末に、義輝の要求は丸々通り、三好家は近江に関するいくつかの謀略の黙認を勝ち取った。形式的とはいえ、簡単に将軍に臣従して好条件を引き出してしまうのが三好政権の柔軟さであり、危うさであろう。ただ、この近江権益は、義輝が考えていたよりは大きな規模となった。


「久々よ左兵衛佐。随分と苦しめてくれたな」

続いては俺との会談だ。たくましい髭を蓄えた義輝が笑う。

「成り行きとはいえ、誠に申し訳ございませぬ」

「気になどせぬ。三好との和議を結んでくれたではないか」

「ありがたきお言葉。感謝にたえませぬ」

「さて、本題よ」

真面目な表情になった義輝。次に出た一言は、今まで手玉に取っていると思っていた俺が、完全に手玉に取られていることを意味した。

「今朝、神余隼人佐が訪ねてきた」

神余親綱(かなまりちかつな)。長尾景虎の外交官として有名な人物だ。

「曰く、足利藤氏が正当な関東公方であり、居所を新潟津に移した。長尾景虎は上杉憲政の指名により正当な関東管領となった故追認してほしいという。俺は認めるつもりだ」

何を言ってるんだ?それでは北条の立場が全否定されてしまう。目を丸くして叫ぼうとした俺を黙らせるように、義輝は笑みながら続ける。

「関東公方の一門の多くは京にやって来た。ここにて様々研鑽を積むという」

俺が小弓公方を名乗っていることを知っているのだろうか。いや知らないはずはない。少なくとも、これは俺だけで対処すべき問題ではない。一刻も早く小田原に戻らなければ。

「恨むな。俺はこれでも足利一門の繁栄を願っている。敵味方に別れようとも、いずれは皆合力できればよいな」

最後の一言がわずかに哀愁を帯びていたことに気づいたのは、ずっと後年になってのことだった。挨拶もそこそこに広間を出た俺は、その夜中に兵をまとめて城を出て、翌日昼には長慶と久秀に別れを告げて畿内を発った。


畿内滞在中に改元があった。永禄という。俺が発ってから翌永禄2(1559)年までの畿内周辺の状勢をざっくりと記しておく。

まず今回の戦いではあまり争点にならなかった南方の大和・河内・和泉から。この間に大規模遠征が行われ、河内と和泉のそれぞれ半分ほど、及び大和のほぼ全域を三好軍が制圧した。かつての畿内の覇者木沢長政(きざわながまさ)が築いた信貴山(しぎさん)城は松永久秀のものとなり、以後彼の地盤は大和となる。

紀伊に依然蟠踞する畠山氏だが、その支柱の一つである傭兵勢力が不安定になった。相模に戻った俺の手紙が功を奏し、交易の伝手で根来衆が三好寄りの行動をとるようにもなった。雑賀(さいか)粉河寺(こかわでら)といった他の連中も、河内や和泉を奪われた畠山軍に冷めているという。

次に丹波。こちらは細川晴元が跋扈しているばかりで特に変哲はなかった。

最後に近江。これは二つあるがまず南から。俺が仕掛けた小倉家の内紛が三好の後ろ盾を受けて継続し、分家当主の小倉右京大夫が小倉実隆を討ち取ってしまった。右京大夫は長慶から偏諱まで受けて小倉慶実(よしざね)と名乗り、蒲生家や六角家本体と抗争を継続した。

六角がそれに気を取られているうちに、北近江では京極高延と高吉の兄弟がついに武力抗争を開始した。もちろんこちらが本命だ。高延は今まで通り三好に援助を求めたが、三好が支援したのはそのどちらでもなく浅井だった。名将海北綱親(かいほうつなちか)が率いる浅井軍は元服間もない賢政を戴き、京極家を北近江からついに追い出した。加えて永禄2年末に賢政はクーデターを起こし、浅井久政は史実通りに隠居に追い込まれた。史実と違うところが一つあるとすれば、この時にどさくさに紛れて久政が殺されたことだろう。別れ際の悪い顔を合わせ考えると、おそらく犯人は松永久秀だ。これもまた、後の歴史に大きな影響を残すことになるだろう。

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