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戦はしません

「賭けに出たぞ!」


着陣翌晩、日没と同時に夜襲がかけられた。佐竹軍の襲撃は予想できたことで、ボロボロにされた部隊を下げた俺の右翼もリフレッシュしてしっかり当たり押し返した。

「先陣船尾昭直隊、前面が崩れました!」

「鉄砲隊引き続き撃て!壊滅に追い込んで敵を減らせ!」

大関高増が怒鳴る。控えで槍を持っているのは大田原綱清の隊で、銃撃戦の射程ではなくなるとすぐに前に出て船尾隊と後続の佐竹義里隊を攻撃した。若さもあって獅子奮迅の働きをしているのを見て、こちらも若武者が奮起しているようだ。

「殿、俺が左翼側を突いて参ります」

「頼む。土岐は前面に押し出せ」

「はっ。景重!」

長屋景重が正面を崩し、蜂須賀正勝が味方側に近い、すなわち敵最前線を攻めた。

「押し込めるか?」

と口に出したのがまずかったのかもしれない。佐竹義堅と義廉の部隊がそれぞれ左右から鶴翼の側面を攻撃してきたのだ。


義堅隊を相手する左翼は苦しそうではなかったが、その理由は兵数だと思われた。つまりは、敵の本命はこちら側に注ぎ込まれている。那須と俺を叩けば、佐竹の進出可能方向である南方が不安定化するという目算だろう。

「大田原綱清殿、一旦陣に退かれます」

「分かった。こっちで控えから臼井隊を出そう」

ここで万一にも臼井久胤あたりを死なせるのは非常にあほらしいが、無傷の余剰戦力ということで投入した。将として頼長をつけるのは忘れない。

大関高増も鉄砲隊を撤収させ、速やかに歩兵の指揮に移ろうとしているが、どうやら弓兵の妨害に遭っているようだ。俺より右側に陣取り最前線にいるせいで、義廉の全力攻勢を受け止めざるを得ないのだ。


「先に中軍を崩すか。那須隊が連中を引き付けているうちにな」

臼井隊を引き下げて頼長を自分の隊に戻させ、逸見隊を真正面に投入した。これで俺が投入できる戦力はほとんど全てだ。

「恐ろしい…」

秋元義久が一言つぶやいた。小曽根胤盛も頷く。

「水戸の戦が恐ろしかったか」

両者小声ながらも声を揃えて「はい」と言う。

「無理もないな。俺も陣幕に隠れたこともある」

笑い話にしようとしたがどうもうまくいかんな。

「本陣にいれば安全だ。いずれ前線にも出てもらうだろうが、そういう戦をする。俺を信用してくれ」

太鼓判を押してやると、二人とも少しは安堵したようだ。

大関隊が立て直すと、俺も最後の追い込みに入る。蜂須賀隊を再突撃させ、本軍の脇腹を食い破った。

「俺の勝ちだ!鬨を上げろ!」

本陣で呟くのはやめ、大声で演出することにした。予想通りに味方は活気付き、最後に大田原隊が戦線復帰して佐竹義廉を追い返した。

左翼では大した被害は出なかったようだが、激戦の一方で敵将を討ち取ることはできなかった。


石岡の戦い

北条軍 1万5千 北条氏康

佐竹軍 1万 佐竹義昭

武将級討死 両軍共になし


一気に南常陸を回復しようとする佐竹義昭の思惑は挫いたが、一度手に入れた江戸氏の領地を失陥したことに変わりはない。どころか、この状態が続くようだと、大掾貞国にすら寝返られる可能性がある。

「難儀だ」

「とも言っていられないな。次は上野だ」

府中城に戻って廊下で休んでいると御本城様が通りかかったので、慌てて立ち上がる。

「上杉に引導を渡す。ひとまず山内上杉を越後へ追い出すぞ」

「佐竹と和を結ばれるということにございますね。江戸はいかがいたしましょう」

「今から取り返すのは難しい。上野を片付けてからとしよう」

「はっ」


和睦の条件は現国境の確認だった。常陸国のうち筑波郡、新治郡、真壁郡、河内郡、信太郡、行方郡、鹿島郡を北条領とし、残り全域の佐竹領有を承知することになった。これで北東方向の北条領はしばらくの間落ち着くことになり、御本城様や多くの友人、義兄弟たちは上野の対長野戦に全力を注ぐことになる。しかしその戦場には、俺はおろか長野吉業の姿もなかった。


話を常陸からの帰国直後の小田原足利屋敷に移そう。

「ただいま帰った」

「お帰りなさい」

居間でゆっくりしてから隣の棟に行く。見張りのいる重々しい建物の中には、家主の従兄弟である足利晴氏が幽閉されている。

「何をしに来た。冷やかしか?」

「冷やかしだ」

フン、と鼻で笑う晴氏に、そろそろ聞いておきたいことを言う。

「あんたの息子たちはどこにいるんだ」

「言ったであろうが。じきに分かるぞ」

「公方と仲直りさせてもらった。面倒だから吐いてくれ」

足利義輝もまた数少ない親族との仲を壊したくないらしい。俺とも誼を通じているが、逃亡中の義氏らとも何らかのやり取りをしている形跡があった。

「憲政を追ってみよ。話はそれからだ」

つっけんどんに返されてその時はそれきりだった。上杉戦が再開する翌弘治4(1558)年まで、彼らの行方は不明のままとなる。


収穫がなかったので母屋に戻ると日が暮れた。夕食ついでにと長野吉業を招いて久々に話すことにした。

「ついに父上を攻め滅ぼすのか」

開口一番彼の口をついて出たのはそんな台詞だった。

「いや、困らせたかったわけじゃないんだ。そんなに性格悪くはないぞ」

口が詰まるとすぐにフォローを入れてくれたのはありがたいが、本当だろうか。

「お前はずっと小田原にいていいのか?」

文官として仕える吉業はこのところ戦場に出ておらず、これからしばらくも出番はないだろう。だが俺は違う。武官だ。

「ところでだ。上野戦の俺の軍の出納を頼めるか」

話をあからさまにそらせた俺は、合っているようでずれている返しをした。

「そんなもの俺に頼むのか?」

「文官がいないんだ。町野頼康も実務向きだしな」

「そういうわけならまあ分かった。どのみち北条家で正式な地位についていないからな」

そういうわけで彼もまたしばらくの間俺の屋敷の住人になったわけだが、これが俺たちを忙殺する事態の始まりだった。


その前に一つ語るべきことがある。臼井景胤が死んだ。俺にとっては新参者だが、父上の代の家臣ということで家中で盛大に葬儀を執り行った。もう父上を知る人間も頼長と頼康くらいしかいないな。

「あとは頼むぞ」

「はい」

それだけ言うのがやっとの久胤はまだ幼い。不安がないわけではないが、これから一家を率いていく中で嫌でも成長することになるだろう。

「お前は景胤をどれくらい知っているんだ?」

宴の席、小曽根胤盛があまりに若いので、気になって聞いてみた。

「お恥ずかしながら、それがし小弓公方家にそれほど詳しいわけではございません」

父親が宿老として父上に仕えており、のちに俺を追いかけようとしたが、道半ばで亡くなったので代わりにやってきたという。申し訳ないことをした。

「父御の分まで頑張れよ」

「はっ。ありがたき幸せ」


義弘は頼長や蓮姫、新婚の嫁やその父佐野晴綱らと語らっていた。

「殿はとにかく大気に溢れるお方じゃった」

佐野晴綱が語るのは、父上の旗揚げである小弓城の戦いの話。永正15(1518)年、足利義明は真里谷信清と共に高城胤吉らの小弓城を攻め落とし、本拠とした。

「前線でも指揮を執り、勇猛果敢に戦われたのだぞ」

「当時の話はそれがしも父より聞いているのみ。詳しくお聞かせ願いたい」

頼長が興味津々で取り付く。空っぽの盃に酒を注いでやったが、全然気づいていない。俺のような適当な奴以外が君主だったらまずかったな。

俺も晴綱の話に聞き入るわけだが、まあ想像通り父上が前線で武勇を奮って敵を倒した話のオンパレードだった。

「されど国府台で討死なされた、誠に無念なことでござる」

晴綱は本当に残念そうに顔をしかめた。どうやら父上は幕僚には本当に慕われていたようだ。これは見習わなければなるまい。

「義弘、未来の話をしよう。奥さんは何というんだ」

「国と申します」

突然話題を振られた姫様が畏まって言う。

「梅にも言っているが、畏まらずともよい。俺はおだてられると調子に乗るからな」

頼長が「自己分析できていたのか」とでも言いたげな表情を浮かべたことに関しては不満だが、それはそれ。国姫も「はい」と微笑んでくれた。

「それで、常陸は片付いたわけだが、どう思う」

「どうと言われても…前線に出るのはしばらく御免被りたいな。そうもいかんのだろうが」

「だな。上野は遠い」

そんな時に下人が俺宛てに手紙を持ってきた。あとでよくよく思い返してみると、下人に扮した二曲輪猪助だったのだが。

最後の一葉を開いて差出人を見ると、大関美作守、福原安芸守、大田原備前守の3人の連名だった。とりあえずただ事ではなさそうな雰囲気を感じ取った俺は、出納係だがよそ者ゆえに葬儀には出ずに別室で寝ている長野吉業を起こしに走らせた。

「何事で?」

頼長が小声で問う。

「まだ読んでない」

目を通し、一言一句拾うようにして読む。書状の内容はなかなか渋かった。

「いかがなさいますか」

いつのまにかこちらに注目が集まっている。俺の渋い顔を見た家臣団は不安がる者も何人かいたが、義弘はじめ数人は、渋さの中に一抹の期待も混じっていることに気づいたようだった。

「何を企んでる」

「前線に出ないなどそうはいかんと言ったな」

「ああ」

「案外そういくかもしれんぞ」

とはいっても義弘は頭がいいので、その期待を現実のものにする過程になかなか面倒な段階が横たわっていることに気づいたらしい。ともあれ吉業が起き出してきたのを見計らって宣言する。

「明日、俺を筆頭に長野吉業、逸見頼長、里見義弘は小弓へ出立する。各員数名連れて行ってよいが、戦をするわけではないゆえ兵を集める必要はない。事態は追って説明するが、しばらく出兵はないゆえ各員自領の発展に励め」

「はっ!」

声を揃える家臣の多さに少し感動する。だが、場所は場所。弁えねばならない。

「その前に今晩の主役は故人ぞ。全ては明日だ」

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