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奥州玄関口

誰が当主か微妙な時期なんだなぁ

「交易してもらえるらしい。尼子大友戦を支援しよう」


家中の議場に何名かの北条重臣を呼んでの会議は、俺の前向きな調子に反して暗雲の中始まった。

「遠交近攻、とはいえ安芸は遠すぎではないか」

笠原康勝が首を傾げる。まあ無理もないが、毛利元就はきっと史実通りに西国十州まで伸びてくるだろう。

「外交というのは気の長い話だ。目先のことを話そう」

清水康英が浮かない顔で話題を変える。改元されて弘治元(1555)年、まだ北条家は領地を広げられていない。佐竹方面は思うようにいかず、小田は圧迫を受け続けている。上野も残るは長野業正くらいのものだが、その箕輪城が固い。5度目の侵攻が計画されているが、つまりは4度耐えたということだ。個人戦最強の剣聖・上泉信綱の名声がますます高まっている。

長尾景虎も怪しい動きをしている。昨年長期対陣をした長尾と武田だが、この第二次川中島の戦いは睨み合いのまま両者撤退した。軍を返した義父上は南信の完全平定に向け、木曽へ向かったという。一方の景虎は数年のうちに北条を一気呵成に滅ぼすつもりでいるらしく、大規模軍備を整えている。

今川が一応手に入れた三河だが、在地豪族の争いが絶えないらしい。その西の尾張では織田家が絶賛分裂中で、美濃でも斎藤家の親子関係にヒビが入っている。

佐竹と上杉と織田という三家に囲まれ、甲相駿三国同盟はひとまず大拡大期を終えようとしていた。

「他家のためにも、佐竹は消さねばならぬ。南奥州の諸家とも連携し、早急に手を打つ」

「それ、侵攻前も同じこと言ってたぞ。具体性のある話をしよう」

俺が言うと、即座に大道寺政繁が正論をぶつける。

岩城(いわき)と結べると大きい。縁戚にある伊達をはじめ多くの大名を味方につけられる。一方で多くの大名を存続させることでもあるから慎重にならねばならぬな」

岩城重隆(しげたか)は外交重視の路線をとる南奥の武将で、佐竹や伊達に圧迫され斜陽気味ではあるが、未だに強い力を持っている。

「白河に取り次がせましょう」

結城氏の一族である白河結城氏は、その名の通り陸奥白河に居を構える。結城政勝に取り次いでもらい、そこからさらに岩城に繋ぎをとることにした。

「佐竹に気取られたらどうする」

松田憲秀が当然の疑問をつける。

「その場合は、北条よりは岩城に行くだろう。仮に攻めてきた場合、俺たちは結城と小田が落ちないようにすれば良い」

「それが難しいんだよ」

小声で康英が呟くが、俺は苦笑して収めた。

「侵攻計画だが、下野と鹿島から攻め入る。小田と結城は防戦に徹させるが、敵兵力の分散のため戦争準備は攻戦と同じように行う。動員は宇都宮と那須、千葉、高城でいいだろう。俺も動く」

「それ自体に異論はない。時期は」

「外交が成り次第だ。早くとも来年以降だな」


弘治2(1556)年正月、綱成殿と俺は白河小峰(こみね)城を訪れた。斜陽の白河結城氏を助けるにあたって、下総結城氏の嫡男晴朝からは謝辞をもらった。

出迎えた奉行の和知直頼(わちなおより)は物腰柔らかに会見場に案内すると、斑目広基(まだらめひろもと)新小萱篤綱(にこがやあつつな)ら宿老に続き、年の割に白髪の多い壮年が入ってきた。白河結城の当代、結城義綱(よしつな)だ。

「遠路はるばるお疲れ様でございます。廊下が騒がしくはございませなんだか」

くたびれた様子で尋ねてくる。

「いや、一向に」

「なればお気になさらないでくだされ。此度はよろしくお願いいたしまする」

向こうは一斉に頭を下げる。北条の名代としてやってきた綱成殿に対し、俺は小弓公方としてやってきている。陸奥は鎌倉府ではなく奥州探題の管轄だったと思うが、当代の伊達晴宗にここまで見張るほどの力はないから庇護者は俺になる。いずれぶつかることにはなるだろうが…

「ともあれ、東国の武家は俺とその後ろの北条家が庇護する。さまざま紛争もあろうが、言ってくれれば味方しよう」

「ありがたきお言葉。いずれ子や宿老が世話になりましょうゆえ何卒」

白河結城はずっと一門の小峰氏の簒奪に怯える運命にある。義綱が死ねばどうなることやら。

「こちらが岩城殿の家臣、車殿にございます」

車義秀(くるまよしひで)、岩城氏における常陸の対佐竹最前線城主だ。こんなところに遊んで大丈夫なのか?

「当家としては佐竹を南方から叩いていただきたい。我らには蘆名や田村といった北方の敵がござる」

そんな車の反応はあまり芳しくない。軍を貼り付けるくらいはしてほしいのだが。

「我らに余力はそうござらん。何卒ご理解をいただきたい」

これは岩城を引き入れるのは少し厳しそうだ。今国境を接しているわけでもないのが痛い。が、結城義綱は家中争いの火種という弱みがある。こちらだけでも引き入れておこう。

「佐竹打倒ののち、北方進出を助けよう。二階堂領は欲しいか」

御本城様と示し合わせているのだろう、綱成殿がなかなか攻めた提案をする。白河家臣が目を輝かせ、義綱は子のためになるならと受け入れた。白河結城氏は従属関係となり、名代として斑目広基が小田原に来ることになった。

「話が成ったゆえ、謝礼をお渡しいたす。こちらを」

金子を差し出し、白紙の検地帳を渡して役人の派遣を約束した。

「車殿もこれを」

酒を差し出す。まあ俺は下戸なのだが。

「いえ、それがしは岩城の…」

「これはめでたき場に居合わせられたゆえ。気にせずお呑みなされ」

陸奥国人衆の最初の最初だ。白河結城をこれでもかと優遇してやり、岩城に評判が流れてゆくとよい。


相模に帰ると、すぐに石川晴光(いしかわはるみつ)から従属の申し入れがきた。これも南奥の小領主だ。ありがたく受け入れた。小国分立状態の奥羽に、単体で北条を相手できる勢力はほとんどない。

「いかに小さくとも、早急に勝利を収めよう。喧伝して南奥の領主を味方につけることが佐竹征伐への一番の近道だ」

目標は再度鹿島に絞った。南方三十三館は切り取ってやりたいものだ。

「出兵はいつだ」

「五月。急な動員はかけるなよ」

「わかった」

一軍を率いらせる里見義弘は言うまでもなく、最近俺に帰参した旧小弓の連中が張り切っている。


五月三日、江戸城臨時番大道寺周勝を総大将に北条軍1万が組織され、それとは別に房総三州軍1万が俺の下に集められた。前者は関宿城から結城と小田を通って側面攻撃をかける。その間に俺たちが鉄砲火力の無理押しで香取海を渡り、息栖神社を奪回して鹿行を制圧する。

俺の本陣には俺、那須資胤、里見義弘の三人が入り、あとの将は軍勢に放り込んだ。馬廻として秋元義久と小曽根胤盛を配置し、義弘と二人で色々叩き込むつもりだ。


五月六日に常陸に入った時にはほとんど敵が見えなかったが、息栖神社に近づくにつれ佐竹の影がちらつきはじめたが、十日、息栖神社争奪戦に勝利して全軍を駐屯させた。どこかの時機で奇襲に打って出て、周辺の国人を倒さなければならない。佐竹の家臣船尾昭直に降伏勧告を出したあと、もう一軍の進軍を待った。

鹿島治時がここにきて再度恭順を誓った。よくもまあと思ったが、那須麾下の大田原資清の悪知恵を入れ、南方三十三館に関しては個別の恭順を要求した上で鹿島を単独で受け入れた。これに国人衆は大きく動揺し、対応は恭順と佐竹への臣従の二つに分かれた。

「どうか合力をお願いいたしまする」

十五日、早速治時が出てきて挨拶をした。よくよく話を聞くと、国人衆の中にいる反鹿島勢力を消してしまえるのなら北条に降ってもさほどダメージはないという判断らしい。その通りで、俺は御本城様や氏政様の指示で恭順した国人には優しくしなければならなくなっている。

十七日、やや遅れたが行方の四家が恭順を誓ってきた。小高と麻生は問題なく認められたが、島崎と玉造が問題だった。共に若当主の島崎氏幹(しまざきうじもと)玉造重幹(たまつくりしげもと)が、互いの恭順を認めないよう懇願してきたのだ。

「どうするよ」

せっかく一緒にいるので、悪知恵にかけては超一流の大田原資清や大関高増に話を振ってみた。俺が那須に介入しなければ、彼らは下克上を勝ち取る乱世の梟雄として名を残すはずだった。今からそんなことをされてはたまったものではないが…という俺の思考は、あとあとの布石になっていたのだろう。

「どちらも潰せばようございましょう。大義名分ならばすぐに考えまするぞ」

「まず鹿島の求め通りにどこか適当な国人を潰し、威を示して萎縮させてはいかがか」

老獪な資清はむしろ過激な案を出し、若い高増が名案を出してくれた。二人の若武者には裁定を下すゆえ帰れと言っておいたが、近くに滞在して何度でも粘るつもりのようだ。行方の支配権を確実にしておきたいのだろう。

ということで兵を実際に動かすことになった。戦争だ。

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