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常州失敗・一

「軍才はどうだ」


よく分からなくなったので左右に問うと、何人かが首をひねった。要するに吉良頼康は逸っているということだ。

「殿は新田金山城はじめいくつも奇策を呈されてきた方ではございませぬか。鹿島を信じきるのは愚かというくらい悟っておられましょう」

その場にいた正木時茂が言う。確かに俺、すごい戦術家みたいになってるのかもしれない…が、そんなものが仮初めであることは本物の名将が見たら丸わかりだろう。

「兵力、両軍合わせて何人いるんだ」

「1万強にござる」

「援軍は?」

「吉良殿がいらした以上はしばらくないかと」

北条のリソースは国府台の時の無理な全力運転で焦げ付きつつある。太田資正の岩付城こそ取り返したが、結局奴も常陸に流れて軍を集めているらしい。

「北条の主敵に据えた相手を我らのみで相手するのは無理ではないか」

「左様」

伊王野資宗が独りごち、原胤貞が頷く。

「小田や土岐原あたりから引っ張ってくるか」

この辺は近いし融通が利くだろう。すぐに使者を走らせ、両家から軍を引っ張り出した。すぐさま佐竹が小田領へ向かったらしいが、南側から突けばそれどころではあるまい。

「やるか。軍を集めた以上仕方ない」

一月経たぬうちに俺は吉良に折れ、行方への攻撃に同意した。吉良頼康の言うことを適当にかわし、三家に恭順を凄むだけでもよかったが、今なら軍を動かしてしまう方がよい。


まっすぐ島崎の方へ向かった吉良軍を尻目に、俺は新兵器の存在をチラつかせながら三家を開城させた。まあ本領安堵されるだろうと踏んで御本城様への起請文を提出させた。

それから数日、佐竹本軍が島崎に向かっているというので、仕方なく俺もそちらへ向かった。小田領を探らせたが、やはりこちらを突いたことで引き上げていったようだ。

「佐竹軍陣容は?」

「詳しいことはわかりませぬが、1万数千かと。地の利を合わせれば多少不利と言えましょう」

「なに、白井殿に秘策があろう。左様にござろうな?」

「策がないわけではござらぬ。息栖神社へ退くべきかと」

「何をおっしゃる。わざわざ退いては国人衆の心が離れましょうが」

段々とこの男が見えてきた。軍才がないのを自覚しているのは俺と同じ。それゆえに才がある人物に前線指揮を投げているのも俺と同じ。違うのは、戦術レベルでできることを過信していそうなところだ。

「仕方ない。やるならやろう。後ろは本当に安全か?」

「探って参ります」


「鹿島氏に怪しき動きありとのこと。戻られるべきかと」

「ということにござる、吉良殿」

挟撃されてはたまらない。結局武功をあげられないと不満そうな顔をする吉良頼康に、武功ならば鹿島との野戦であげればよいとなだめる。

「ここで戦をするならばお気をつけを」

と鹿島で進言するのは土岐原治英。

「どういうことだ」

「鹿島に旧知を持つ者が当家におります」

「どちらに」

「それがしにござる」

馬廻の厳つい武者がおずおずと名乗り出る。

「名は?」

「剣客として仕えております諸岡平五郎と申しまする。鹿島には我が剣の師が里帰りしておりますゆえ、その強さに兵が呑まれぬよう進言つかまつりました」

塚原卜伝(つかはらぼくでん)

「ご存知にございましたか。出過ぎた真似でございました」

「いや、今鹿島にいるとは知らなんだ。忠告感謝する」

諸岡というと、諸岡一羽(もろおかいっぱ)か。こっちにも剣客がいるとは。

「師と敵味方相分かれて戦うことになろうが、よろしいか」

「はっ。それがしも師も、矢弾に当たるようでは弟子を取るなど致しませぬ」

強い。それくらいの自信が欲しいものだ。

「この者ともう一人剛の者がおりますゆえ、我が陣は安泰でござる。危なくなれば退きますゆえ、こちらへの気遣いは無用にござる」

「助かる。他陣を気にせずともよいのはありがたい。が、剛の者とは」

単純な好奇心だが聞いてみた。

「お抱えの絵師にござるが、乱世ゆえに日々鍛えている者がございます。この者で」

絵師で武人なんて面白い人がいたら知ってると思うのだが、全く心当たりがない。

「土岐一門末流の土岐洞文(とうぶん)にござる」

「いかなる絵を?」

「鷹など描いてござる」

土岐の鷹か。絵として有名だった覚えがあるが、文化史はさっぱりだ。

振り返って為頼を見ると、少し驚いたような顔をしているのが見えた。なんだろうかと考え、洞文と名乗った絵師に聞いてみることにした。

「美濃の…」

「昔のことにござる」

あ、こいつは美濃旧守護土岐頼芸だ。確かに美濃追放後に土岐原を頼ったという話があったような気もする。

「なれば、いずれ頼りにさせていただくことがござろう。では」


現れた佐竹軍はよくまとまっていて、なかなか隙を見出しづらかった。顔を知る諸岡一羽に塚原卜伝がいるのは中央本隊だと教えてもらい、無茶な正面突撃戦法は可能性から排除する。

「野戦か…鉄床戦術でも使ってみるか」

本隊を重装兵で固めて防御に徹し、機動力のある別働隊で挟撃・包囲するという古代からある戦術だ。ハズレはないだろう。

「前面に槍兵、その背後に鉄砲隊が控え、騎馬を引き抜いて別働隊に回す。騎馬隊指揮は正木時茂に任せる。吉良殿、白井殿は本陣にあって助言を頼み申す。諸将は自らの隊を兵科ごとに解体後、各所にて指揮を取れ」

特に異論が出ないのでこのまま進めることにし、その場を畳んで敵情を観察した。

佐竹軍

佐竹義昭 6千

佐竹義廉 3千

佐竹義堅 1千

船尾昭直 1千

計 1万1千

極端な中隊への兵力集中をする意図はわからない。単純な横陣を敷いているようで戦術は読めなかった。


開戦して即座に時茂の別働隊1千が動き、敵左翼の佐竹義堅隊に当たってほどなく撃破した。当然だが同数なら騎馬は人間より強い。それからすぐに佐竹軍は前進し、まもなく突撃体制に入った。

「魚鱗陣に転換しております。突撃しこちらの中軍を撃破するつもりでございましょう」

問題ない。間断なく斉射を行い、前線の兵士を減らした。

「天気はどうだ」

「清々しいばかりの日本晴れにござる」

「よし」

雨で鉄砲隊が潰される心配はなさそうだ。槍隊の攻撃射程にはまだ入ってこない。


「勢いを削げぬな」

鉄砲での攻撃が前面を崩しているにもかかわらず、失速するそぶりを見せない。仕方ないので正木隊に側面攻撃を命じたが、これはうまく決まらない。

「拘束がかけきれておりませぬ。一度離すべきかと」

白井胤治が言うので従い、正木隊を一度退かせて再編成を命じた。

「ん?」

正木隊の後退の瞬間、佐竹義廉隊が本隊から分かれて斜めに前進をはじめた。一瞬戸惑ったが、意図はすぐにわかった。

「対応できる隊はあるか?」

「陣を崩しかねませぬ。引き抜きは危険、かくなる上は神速をもって本隊を撃破すべきかと」

といっても難しい注文だ。胤治を前線に送るリスクを取れなかった俺は、側面攻撃を受ける前に撤退した。


息栖神社の戦い

佐竹軍 1万1千 佐竹義昭

北条軍 1万2千 足利頼純

武将級討死 両軍共になし


ここまで下がってさらに撤退を選ぶとなると、鹿行地域の放棄しかなくなる。結局兵を注ぎ込んでおきながら東常陸から一度手を引く羽目になり、忸怩たる思いを抱くことになる。

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