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西の悪巧み

「天罰を受けることになるかと」


淡々と語る長男・隆元(たかもと)の姿を見て、立派になったと内心漏らすのは安芸の老将毛利元就(もうりもとなり)

「されば陶への義理立てはなりませぬ。ゆえに–––」

「吉見の味方をせよと申すか」

結論を急ぐかのように喉から声を絞り出す。凍りつく家中、隆元も例外ではなかったが、脇に控える次男の吉川元春(きっかわもとはる)、三男の小早川隆景(こばやかわたかかげ)も頷いたのを見て、勇気を振り絞って家の行く末を決めた。


6世紀、朝鮮半島は百済の王子であった琳聖(りんしょう)太子が日本に渡り、周防大内の地を得たことが大内氏の始まりとされる。応仁の乱で大勢力を築き上げた29代政弘(まさひろ)、京でも武勇を発揮した30代義興(よしおき)を経て、31代の義隆は軍事的にも文化的にも全盛期を迎え、都とした山口は大都市として知られた。

天文11(1542)年、転機は訪れる。出雲を根城に山陰山陽で死闘を繰り広げる尼子氏の本拠を大内氏が攻撃し、月山富田城の戦いが起こった。大敗した義隆は子の晴持(はるもち)を喪うことになる。養子とはいえ将来を嘱望され、跡継ぎにも指定されていた彼の死は、義隆を現実逃避させるに十分な出来事だった。やがて彼は肥後出身の相良武任(さがらたけとう)らに政治を一任し、文治政治が行われるようになる。これに反発したのが武断派重臣筆頭の陶隆房(すえたかふさ)だった。

隆房は内藤興盛(ないとうおきもり)杉重矩(すぎしげのり)らと協力しつつ、天文20(1551)年に大寧寺の変を起こした。義隆や実子の義尊(よしたか)、文治派の相良をはじめ、三条公頼や二条尹房(にじょうただふさ)ら多くの公家も犠牲となったこの変の後、隆房は名を晴賢と改め、豊後の大友氏から迎えた大内義長を傀儡として擁立していた。


一時は陶に同調して安芸国内で勢力圏を確保した毛利氏だったが、石見の三本松城を拠点とする吉見正頼(よしみまさより)が陶晴賢政権に謀反を起こすと中国全体が揺らいだ。吉見は大内家親族であり、同時に陶の積年の仇敵でもあった。

「吉見につく、か」

元就は息子たち三人の出した結論を咀嚼する。もう五十を過ぎたこの身だが、若かりし頃に兄・興元(おきもと)の家系から家督を奪ったのを皮切りに、息子たちを吉川・小早川に養子として送り込むなど、様々手を汚し勢力を拡大してきた。この上何をするというのか、という誹りも受けるだろう。

「陶を潰す。その後どうする」

熟慮の末に疑問を浮かべた元就だが、腹はもう決まっていた。

「さすれば大内家中で筆頭の者となりましょう」

聡明な三男隆景が答える。

「甘いな」

だが元就は聡明というよりも、天才であった。

「大内を食うのだ」


老い先短いこの体、安芸の国人として残してやれるものはもうほとんど息子たちに譲り渡した。ならば新しく自分のものを増やせばよい。息子が、孫が本当の栄華を手にするための足場を作ってやる。元就はこの時それくらいに考えていた。だからこそいざこざが尾を引かないよう、神速でもって全てを終わらせる必要があった。

五月十二日、運命の日、毛利軍およびその連合体に属する国人衆軍総勢3千は、かつて安芸武田家と激戦を繰り広げた地である佐東銀山城へ向かった。

「城主の栗田肥後、開城を申し入れております。次へ参りましょう」

先手を打った、というよりも打たされたのは家臣の児玉就方(こだまなりかた)で、元就はすでに神速の算段を終えていた。無傷で佐東銀山城を手に入れた毛利軍は己斐城へ向かい、城主の己斐直之(こいなおゆき)を引き抜いた。

「草津城の羽仁殿より御使者でございます」

「よい。通せ」

羽仁有繁(はにありしげ)は元就と昵懇の将だったが、武士の道理に反すると陶との心中を決めたようだった。幼い跡継ぎを毛利の陣に送り、御家を頼むと来た。

「…左様か。草津城を獲るぞ」

草津城が落ちたことで、付近の桜尾城からも城兵が逃げ出した。次いで桜尾城の対岸にある厳島に先ほど降した己斐直之を送り込み、一日にして四城の制圧を完了した。


「真に大内を…」

「左様なこと、戯れなどでは申さぬ」

驚嘆する元春に、絶句する隆景。隆元は呆気に取られながらも、一日にして英雄となった父に今後の展望を尋ねた。

仁保島(にほじま)を取って後ろを盤石にし、来るであろう援軍第一波を撃滅する」

先のことを言ってくれないと心臓に悪いが、取るべき未来が提示されたなら話は別。父が実権を握っているとはいえ、自分も当主となって10年が経とうとしている。

「左京亮!」

「ここに」

自身のものでもあるこの家を守るため、側近の赤川元保(あかがわもとやす)に命ずることにする。

「門山城を破却せよ。敵陣として用いられては困る」

「はっ。右京亮殿を同伴させていただきます」

「よろしい。抜かりなく頼む」

国司元相(くにしもとすけ)と二人で準備に取り掛かったのを見て、次に仁保島について考えた。

「ふう」

隣に誰かが腰を下ろす。

「父上でございましたか」

「案じておるようじゃな」

「案が浮かびませぬ」

のちに広島と呼ばれる一帯はこの時代内海であり、その中に浮かぶ仁保島は要害となっていた。

「ならばお主には替えがたき両腕がおろうが」

「…!はい」

吉川元春と小早川隆景、のちに毛利両川と呼ばれる二人の名将はまだ若いが力量は確か。そして二人の兄に当たるのは、世界でただ一人毛利隆元だけである。


「又四郎」

今回訪ねたのは隆景の方だ。智略に優れる彼を頼れば知恵が湧くと思った。

「どうなさいました」

「先ほどの父上の見解、聞いていただろう。仁保島をどうする」

「水軍が要りますな。そして安芸で水軍と申せば、これまでは安芸武田の旧臣連中でございました」

「これまでは、か」

「はい。少輔次郎(元春)兄上の吉川が山陰寄りの荒武者の家ならば、それがしが継いだ竹原・沼田の両小早川は瀬戸内の海の家。我が家臣団を動員し陥れましょう。お任せあれ」

「そうか。頼むぞ」

幼い頃から父の行動に度肝を抜かれ続けた三兄弟は、いつしか事後に回ったとしてもその意図を完璧に読み取るようになっていた。山陰攻略の吉川と山陽攻略の小早川、属性が違う二家を傘下に収めたことが、独立して覇道を唱える時に有効に働いている。


生口景守(いくちかげもり)らが出航し、同月半ばには仁保島を陥落させたと報告が来た。ほぼ同時に桜尾城付近に陶軍が攻め寄せたとの報告も入った。

「弥三郎、蔵人、偵察に参れ」

「はっ」

宍戸隆家(ししどたかいえ)福原貞俊(ふくはらさだとし)という重臣を惜しげもなく用いて偵察を行うと、どうやら7千ほどの敵が折敷畑(おしきばた)山に布陣しているようだった。

「弥三郎らにそのまま留まって後方から奇襲する伏兵となれと伝えよ。こちらも出るぞ」

隆元、元春、隆景は一手ずつを率い、疾風迅雷に出陣すると、夜闇に紛れて山の三方に布陣した。


「あれは…」

夜討ち決行の合図を出そうかというとき、元就が陣に控えている隆元隊の誰かが声を上げた。

「蛍が飛んでございます」

一門でもある桂元澄(かつらもとずみ)が詳しく見てきて報告する。

「伏兵か。朝駆けにするぞ」

夜討ちの計画を投げ捨てて敵の伏兵を警戒し、先遣隊は動かさずに残り三隊で城を強襲することに決めた。策を見破ったこの時点で勝負は決まったと言ってよい。


翌朝、日が昇ってしばらくしてから速攻をかけた毛利軍の前に、大将宮川房長(みやかわふさなが)はじめ多くの陶兵が屍を晒した。せっかくの数的有利を投げ捨ててまで用意した伏兵が空打ちにおわり、勝てた戦を落としたことで、歴史の流れは陶軍を見放しつつあった。

折敷畑の戦い

毛利軍 3千 毛利元就

大内軍 7千 宮川房長

武将級討死

大内軍 宮川房長


「これで陶を滅ぼすまで我らは戦をやめられぬ」

元就は楽しそうに語る。重臣を斬ってしまった以上後戻りはできない。尼子と大内という二つの大勢力に挟まれた国人として人生の三分の二を生きてきた彼は、今の自分が大波に乗っていることを痛いほど感じていた。

「物資を送って援助を行う。通行路のためにも村上を味方にせねばならぬな」

能島、来島、因島と三つに分かれた村上家のうち、棟梁は能島の村上武吉(むらかみたけよし)である。彼との交渉は水面下で進行していた。

「では他家の調略を急ぎます」

「案ずるな。いずれも目処はついておる」

その言葉の意味がわかるのは年を越してからだった。陶軍は兵力を分散配置した上、内部崩壊の予兆を見せていた。

「これは全て父上の調略によるものでございましょうか」

元春が尋ねる。

「備中では三村家親(みむらいえちか)、石見では福屋隆兼(ふくやたかかね)が尼子を牽制して陶への援軍を断ち、陶と一時は和議を結んだ吉見正頼殿とも示し合わせて反故にする準備は万端。肥前の少弐冬尚(しょうにふゆひさ)に書状を送り内通をチラつかせて九州に警戒の目を向けさせ、そのうえ江良房栄(えらふさひで)と内通してわざと露見させ、江良を斬らせることで内部の不信を煽る。先に婚姻を結んだ来島の村上通康(みちやす)は味方を約束し、久芳賢重(くばかたしげ)はすでに寝返った。こちらから向こうへ寝返るそぶりを見せた野間隆実(のまたかざね)は既に討った。『これ』とやらはこれらのことか」

「はい」

「その通りだ。全て儂がやった」

あまりにすらすらと並べ立てる元就はそこまで話していたずらっぽい笑みを浮かべ、それから秋に起こるであろう決戦を見据えた。

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