孝行のしたい時分に親はなし
夏、忙しかったです。ごめんなさい。
「俺の大事な人は、みんな国府台で死ぬようにできてるみたいだ」
そう言って笑う俺だが、内心はお先真っ暗である。小弓公方家出身以外では最古参の東平、父の家臣ゆえにこの世界に生まれ落ちた時にはもうちょくちょく姿を見ていたうえ、常備軍を任せていた村上、幼い息子を遺した秋元。雑な指示だけ残していったのが悔いても悔やみきれない。
ポジティブ要素を無理矢理挙げるとすれば、俺の元にはまだ良質な家臣が沢山残っている。外様衆ばかりになった家中をまとめ、この戦をとにかくも終わらせなければならない。
「久々だな」
だから外様では最も古くから関わっていたこの男、土岐為頼を訪ねた。
「殿ではございませぬか。左兵衛佐任官おめでたい限りにございます」
「言ってる場合かよ」
苦笑しながら腰を下ろすと、初めて会った時とは主従が逆転していることに気づいてしまった。滑稽なことだ。
「紹介しよう。美濃で雇った長屋景重殿だ。お前につける」
「守護様の従兄弟君の御子と聞き及んでおります。よろしくお願いいたします」
為頼、実は祖父の代で本家からの養子を迎えているので、意外に土岐本家に近い血筋である。
「つけるも何も、それがしはすでに謹慎してはや幾年でございますぞ」
「これが一通り終わったら家中を再編する。とりあえず来い」
為頼は最初は笑っていたが、俺が本気らしいことを知ると、久々に見る謀将の顔に戻った。しばらく美濃源氏っぽい輩は全部こいつにつけるつもりだ。
「出航するぞ」
北条軍足利隊
足利頼純 1千
逸見頼長 500
里見義弘 500
正木時茂 500
土岐為頼 500
原胤貞 1千
蜂須賀正勝 300
計 4千300
「また戦だ。ごめんな」
梅に詫びてばかりで情けなくもなろうものだが、健気に返してくれるから救われる。
「ご武運をお祈りします」
この戦でしたいことがある。俺にまつわる悪い過去を、血筋という枷と共に全部断ち切るのだ。そのために究極的にすべきことは、国府台で古河公方に勝利すること。
「館山城に入る。そこから久留里に泊まって小弓に行くぞ」
「小弓でございますか」
散々忌避してきたその地名を俺の方から口にしたことに、頼長は仰天した。
「北条家の血筋の入った義氏は、腐っても御本城様に第5代古河公方の公認を受けている。だが今回の戦争と俺からの要望によってそれは外された。北条から見れば義氏は関東公方の単なる僭称者になったわけだ」
その先を読み取った幾名かは、その重みを理解しているだろうか。
館山という里見の本拠を真っ先に制圧したのは、政治的意味のほか、里見恩顧の地元民の反乱を警戒したからだ。幸い現地代官はうまくやっているようで、なかなか北条に逆らおうという骨のある奴はいなかったようだ。義弘と時茂が北条方として姿を見せたので、もう安泰だろう。
万喜にも寄った。時間があるわけではないが、千葉胤富や九十九里に封じられた那須資胤に発破をかけるのはここからできる。
「相馬氏で内乱があり、当主の小次郎殿が斬られたと。新当主には庶流の高井直将殿が」
早い早い。色々スピーディーに動きすぎだ。これというのも北東関東の大名のほとんどが古河公方につくか北条につくかの2択を迫られているからで、相馬は北条につく道を断って義氏にすがったということだ。
那須資胤を高井改め相馬直将の始末にあて、千葉胤富と連携しつつ進んでいく。
「お久しゅうございます」
懐かしい顔がどんどん出てくる。御家の滅亡時に蟄居、そのあと河越の裏で活躍して代官として再雇用されていた真里谷信正が、御家再興をかけてやってきた。
「真里谷、里見、千葉に原、まるで父上のような陣容だな」
冗談のようで攻撃的な発言も、俺の真剣な表情から発されると諌める者はいない。
小弓城に入った。何年ぶりだろうか。今は千葉領だったはずだが、俺にしてみれば千葉などは格好の領土拡張先と見なすこともできる。やらないけど。
俺が使っていた寝室にしばらくの居を構えることにした。懐かしい。
「従兄弟君から書が」
「従兄弟君ねえ」
半笑いで受け取った。足利晴氏だ。
「我らは従兄弟にも関わらず、互いの顔を一度も見たことがない。関東公方の血筋として団結し、伊勢左京大夫を討たん」
と、どこまで本気で言っているかはわからない。俺を引き抜けると思ったのだろうか。正直ここで寝返れば北条は危うくはなるだろう。が、今更そんな遊びができるほど自由な身ではなくなった。
が、従兄弟なのに顔を見たこともないというのは少し心にきた。町野十郎や逸見祥仙も、友人や一族と別れて父上についてきたのだろうか。そんなことを思ってしまう。
「名乗るか。小弓公方」
上座でそう呟いた時、家臣のほとんどが顔色を変えた。
「何をおっしゃる」
「今ならできるさ。北条と敵対するつもりはないしな」
謀反扱いされても仕方ない、と正木時茂あたりは止めてくる。
「申し開きはいくらでもできる。それに関東公方の方から臣従してくれた方が北条としてもやりやすいはずだ」
そうか?と首をひねる家臣団に畳み掛けるように、懐から一枚書状を取り出す。
「これを届けてくれ。臼井城だ」
臼井景胤は小弓公方の与党として千葉家中で働いた経歴を持つ。千葉胤富に圧迫されているので、誘えば簡単にやって来るだろうと読んだ。
「覚えていていただけたとは。もののふ冥利に尽きまする」
景胤もいい年だと思うのだが、自らやってきた。息子の久胤の保護は約束した。
「小弓公方家を再編する。臼井にも一翼を担ってもらいたい」
「願っても無いこと。されど我が家は千葉本家に圧迫され、もはや侍もおりませぬ」
「案ずるな。人ならいるさ」
一時的に蜂須賀正勝をつけて、これでこの戦は安泰。
小弓を出るときには千葉軍と合わせて1万ほどになった俺の軍、やはり感慨深いものがある。この数を率いた足利家の軍勢が小弓から国府台へ向かうのだ。そして勝つ。完勝する。それによって第一次国府台合戦の記憶を消し去る。親孝行の仕方などろくに知らぬ俺の、ただ一つの発想だった。
「左兵衛尉」
「それがしにございますか」
「そうだよ。もう無位無官の逸見八郎じゃねえんだ」
左兵衛尉に慣れないのは頼長も同じか。側から見れば面白い。
「夢か現か…」
「現だよ。俗世の象徴に成り下がった幕府権力がそこにいるだろ」
指差す先に、古河公方軍がはたと見える。
「これだけ近づき申したか」
俺はしばらく、顔を見たこともない従兄弟をじっと睨み続けた。
翌朝、第三次国府台合戦が始まる。そしてやがて俺は家中を再編し、小弓公方を名乗ることになる。笑ってしまうことに、これはこの時の俺の頭の中では確定事項だった。負けたあとの算段などは欠片ほども組んでいなかったのだ。




