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西近江の箍

「ひとまず休憩だ。報告」


本陣に戻って長屋隊の再編を行う。そこそこ減っていて厳しさを感じた。

「死にかけ申した。面目次第もござらぬ」

景重は申し訳なさそうだが、確か永原って戦争に出まくる六角家の有力家臣だったはずだ。雑兵であたるにしては相手が悪かったとなだめ、四手井・赤塚と合流した。

「勝っていたのに退かれたのですか」

慶興が不思議そうな顔をする。氏政様もこんな感じだな。となると慶興同様、北条氏政も愚物などではないのだろう。

「あそこの連中は兵の多くが屈強で訓練もされておりました。それゆえ戦慣れした今村殿の手勢に任せておこうと思ったのです」

政繁が付け足す。

「あれさえ倒せばおおよそ大勢が決します。それゆえに無駄に兵をすり減らさず、次の一手を打つべく下がりました」

「なるほど。勉強になります」

退く場所もない隘路ではどうするのか、などは考えないことにする。


次に前面になったのは今村慶満のほか、慶興近習の奈良長高だった。しかし向こうも考えており、三上恒安が討たれた後藤隊を下げ、浅井・高島などの北近江の国人領主を出してきた。浅井久政はなんとでもなるが、その配下の連中はなかなか手強い。当主の晴綱(はるつな)が先だって戦死し、翁の稙綱が指揮する朽木軍はまだしも、高島軍は己の名がついた北近江高島の地を全て我が手に収めようと必死だ。

「孫次郎様の隊、押されております。奈良殿もいつ首を取られても…」

慶興に仕える一族の三好長朝(ながとも)も戦死した。進藤・高島隊を蹴散らすことが先決になってきた。

「後ろに回り込みましょう。さすれば最低限の損害で勝利を得られます」

「我らも加わろう」

四手井家保が名乗り出て、赤塚と三隊で脇道の山に登り、後方の進藤賢盛の首を狙うことになった。


合わせて800ほどになった四手井・赤塚勢は密かに右側を進み、ほぼ真横まで来た。逆側を進む俺たちはむしろ見つかることに関しては諦め、敵を引き付けるために歩いた。

「どうせバレるが、少し隠しておこう」

「なぜだ」

「あまりにあからさまに見せつけると囮だと露見する」

囮だとしても対応してこないはずはないが、それでも敵の注意は他へも向いてしまう。それを防ごうとした。

奈良長高が完全に敗走したあたりで、前進した浅井軍のうち、磯野員昌(いそのかずまさ)隊や藤堂虎高(とうどうとらたか)隊がこちらの真横まで出てきた。

「今だな」

坂を下って奇襲に転じると、初動で気づいた磯野員昌が自ら前線に出て防ぎにきた。史実でも武勇で鳴らすこの男を相手取って戦をしたくはないが、ここでは勝ちたい。


政繁と員昌、武闘派同士の対決はなかなか決着がつかなかったが、一方で俺と虎高というどちらかといえば頭脳派同士は戦場が絶えず動いていた。

「右だ!右が甘いぞ!」

俺は戦術眼に優れているわけではないが、後方にいるため下り坂では高所にいることになる。大将ながらにやってることは物見だ。それを叫んで前方の景重たちに伝え、無理矢理押し込んでもらう。

しばらくすると敵が防御陣を作り始めたので、要所の工作を積極的に妨害することにした。幸い土木工事は俺と正勝が大好きだ。

「浅井軍はこれ以上の消耗を避けようとしています」

「連中は退かせてやれ。どうせ京極家の戦だ」

殿を務めたのは一門の浅井井演(いひろ)で、この隊はだいぶ崩れながらも任を全うした。

「向こうもやってるな」

京極高延が前線に復帰し、同時に相対する四手井家保らが奇襲をかけた。奇襲隊は矢の雨を降らせ、京極軍は攻勢をかけ続けた。


進藤賢盛も無策ではない。この戦をとっとと手仕舞いにするため、京極家旧臣から寝返ってきた連中を前に出してきた。特に浅見貞則(あさみさだのり)は高延を傀儡にして政権を掌握したこともあり、因縁深き相手だった。彼らを出してくるということは、京極隊をなんとかするという意思の表明に他ならないと政繁は言う。

「戦を終わらせるために六角の本陣を一突きするべきだ」

「なるほど」

そこで赤塚家清に合図を出し、後退する進藤隊を追うことにした。

進藤賢盛は多くの六角家被官を従えて襲ってくる。敵軍には足利二つ引さえも見えた。

「なんだあれは」

仁木(につき)だ」

近くの畿内出身武士が答える。

「仁木?伊賀の守護だったと思うが」

「ご当代は六角の先先代の胤だ」

「…そうか。ありがとう」

武士は戻っていく。仁木義政(よしまさ)、六角の出だったか。後で調べなおすと母は堀越公方足利政知の娘らしく、どこにでもいる足利の血筋に苦笑する。

紛らわしいのでとっととご退場願おうと攻勢をかけようとしたが、六角本軍ともろに当たった赤塚隊が意表を突ききれず総崩れになったらしい。見た感じ無事は絶望的だろうか。こうなっては仕方ない。京極隊の勢いを見定めよう。


「京極高延、押されております」

何だと?ここまでやっておいてかよ。

「高島が予想以上に手強く」

確かに高島の旗が押している。あの辺りの豪族は朽木を含めて全部高島一族なのだが、田中氏や永田氏が前に出て押しまくっているようだ。

「摂津守様も京極を救援せよと」

そりゃ安宅冬康もそう言うさ。前線がヤバいんだもの。

「だがこれどうするよ」

「前進だな。後ろを崩して裏崩れを狙う」

「裏から崩すってか。なかなか荒いな」

赤塚隊の骨を拾おう。四手井家保と協働して真ん前の進藤隊に突っ込んだ。


どうやら後ろに後藤隊を控えさせているらしく、なかなか退いてくれない。武勇に優れた男が槍や刀を振り回している、と書くと当たり前だが、この時の俺の感想はこんなものだった。

幸いまだ訓練された兵を率いる四手井隊が弓兵を使ってなんとかそういう奴らを多少討ち取っているが、乱戦になるとこのサポートもできなくなってしまうので困る。

「突っ込んで来る奴を討つぞ。深追いする必要はない」

「もっともだ」

そう、受け身でいいのだ。もうだいぶ戦果は挙げた。安宅冬康と京極高延が死にさえしなければどんなに負けても関係はないのだ。

などと考えていると、京極隊が崩れ始めた。

「はぁ?」

「よほど家臣がいないのか…?」

「ああ、そういうことか!」

政繁の見立ては的中していると言ってよい。高延はお家騒動の末に家を継いだので、その過程で多くの家臣が出て行っているのだ。

「そんな状態で開戦するなよ…」

「四手井殿が戻ってきた。赤塚殿は討死したそうだ」

「厳しいな…ここらで退くか?」

こちらの積極攻勢が止むと、六角軍も攻勢をやめて引き下がり始めた。やがて両軍撤退の下知を出し、ほぼ引き分けのまま終戦となった。


朽木谷の戦い

三好・京極軍 1万1千 安宅冬康、京極高延

六角軍 1万500 六角義賢

武将級討死

三好・京極軍 三好長朝、赤塚家清

六角軍 三上恒安


「赤塚殿のことはご愁傷様にござる」

「家族同然の付き合いであったゆえ、郷里の里山に報告に行って参りまする」

四手井家保はそう言って引き上げはじめた。双方の大将に戦死が出る戦なんて久しぶりだ、と思いつつ、終盤にせめてと取りまくった捕虜の精査をするために京へ戻ることにした。

「大勝利じゃ。これで兄上への面目も立とうぞ」

というのは、俺の武功を保証してくれるだけでなく、三好氏のあくまで分隊である安宅隊が六角とまともに戦ったというのが重要なのだろう。


慶興を護衛しながら京へ戻ると、丹波から戻ってきた松永久秀と会うことができた。

「勝ちきれなんだな」

悔しげな顔をする久秀は、丹波で細川晴元をしばき倒したはいいものの、援軍として現れた三好政勝(まさかつ)香西元成(こうぜいもとなり)に敗れたという。政勝は三好一族だが晴元に仕えている。

「内藤殿を死なせてしまった。弟をあてがうほかあるまい」

「なるほど」

奉行として働く岩成友通(いわなりともみち)が返事をする。内藤国貞(ないとうくにさだ)は丹波の国衆で、三好方として働いていた。討死してしまったので、久秀の弟長頼(ながより)が名跡を継ぐという。

「左兵衛佐殿」

「はっ」

まだ新しい官途には慣れない。

「それがしは三好家臣ゆえ畏まらずともよろしい。貴殿との繋がりは保っておきたいのだ」

久秀はこういうところで回りくどい言い方をせずズバズバと踏み込んできた。意外だな。この謀将が策を弄さないのか?と思ったが、他の者との話を聞いているとそうでもないようだ。どうやら俺をいろんな謀略を話しても大丈夫な人間だと考えているらしい。

「国許に戻れば文を致しましょう。いずれまた会えることを楽しみにしますぞ」

「それは重畳。関東に巨大な盟友を作れてよかった」

この男が史実通りの道を辿るかは分からない。三好政権の行方もまだ分からない。だがもし俺の知る通りになったなら、少しでも長く生き延びてほしいと思った。何を願おうとも、結局のところ、全てを握る鍵はまだ尾張にあるのだ。


先に屋敷に帰ったはずの政繁が馬で駆けてきた。

「帰るぞ!とりあえず来い!お前の郎党も支度させてある!」

「変事のようだな」

久秀は笑う。言い方からして笑い事ではなさそうだが…

「健闘を祈るぞ」

「されば、また」

「ああそうそう。長尾景虎が公方様に拝謁に来た」

「どうなさいましたか」

「公方様のいる朽木谷に向かったそうだ。ひとまずお主らが賊軍になることはない」

幕府や朝廷が長尾を官軍認定、すなわち北条を賊軍認定しないよう手を回すという約束。ありがたい限りだ。顛末を認めて送ると約束し、俺は足早に京を去った。

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